25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

失敗は人生の味

2019年06月28日 | テレビ
女優の高畑淳子が朝ドラの「なつぞら」で、よい演技をしている。おばあさん役である。一人孫が東京に出て菓子作りの修行をしているが、その孫が「演劇」をやりたい、と覚悟を決めるのである。その親役をしている安田顕が「しっかりやれ、努力しろ。だめだと思ったら帯広に帰ってこい、お前の生まれた場所だ。恥ずかしがらずに帰ってこい」というと、高畑は「失敗も人生の味だ」と言って笑って励ます。とても感激するシーンだった。「失敗も人生の味だ」というのも生きているから言えることで、多くの人を見、様々経験を踏んできたから言える言葉である。高畑淳子くらいの歳になって言えるのだろう。説得力があり、唸らせる。

 「苦い失敗」。1997年。すでに22年経っている。この失敗へのリベンジ執念の種火を切らさずにぼくはやってきた。ぼくの最盛期からIT技術、環境が大きく進展している。思えば20年はたかったか、と思う。
 ソニーのようなCDプレイヤーに拘束されることもない。フォーマットにきつく縛られることもない。アプリをつくれば、プレイヤーはスマホになり、タブレットになる。アプリは簡単に売ることができる。つまりマーケットが開かれている。
 ぼくはだれも知らないマーケットをつくるために、主要国にある出版社を巡り、アメリカや香港、北京、スイス、台湾など展示会にでて、普及に努めたことがあるが大きな動きにはならなかった。発想としては間違っていなかった。それでも22年の間ではその世界も進歩しているだろうと思っていた。ところが語学プレイヤーはここが限界かとあきらめたような中途半端kのまま止まっていた。

 これは失敗話でないが、ようやく小学5年生から英語が教科書化される。外国人教師も相変わらず来ている。外国人教師と言っても、ただ英語が話せ、読み書きできるだけで、日本列島人にどう教えるかは自国でも日本ででも習っていない。
 ぼくは英語圏人を派遣する事業部門もやっていたのでよくわかる。日本の子供に英語を分からせることは本当は至難の技なのである。
 英語圏の講師がどうやって英語を教えたらよいのか、そのスクリプトを本にして、英語圏人に持たせたことがある。22年経ったのちでも小学校に未だにない。日本の英語教育界は当時、大修館を中心とした権威主義がはびこっていたのをおぼえている。日本列島人の英語力のなさは大学の教師から中学の教師、大学入試センターも含めてじつに進歩を見せていないのだ。これにはぼくは呆れている。
 進む分野、停滞のままの分野、これもいろいろなのだ。


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