25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

森さん

2015年06月08日 | 日記
 尾鷲市に曽根という浦村がある。人口が百人もいない海沿いの集落である。海沿いの集落と言っても山までだんだんの傾斜になっていて、ここの人達は蜜柑やお茶を栽培している。昔は蚕生産もしていたそうだ。
 この曽根にいくと森さんという80歳になる男性がいて、僕は仲良くさせてもらっている。まあ、ここもイタリアやギリシャの田舎村と変わらない。イタリアやギリシャでは自家製ワインを作るように、森さんは自家製のほうじ茶を作る。彼はお茶を作る時期になるとなにもかもシャットアウトして、精根つめてお茶を摘み、干し、百回以上揉み、丁寧に煎る。森さんは鉄瓶でいつもお茶を作ってくれる。鉄瓶じゃないとだめだ、という。森さんの家に行くたびにこれが楽しみになってしまっている。本当に美味しいお茶なのだ。
 「曽根で一番だと思ってませんか」と聞くと、「へへ、そんなことはわからんけどな、揉む回数は違うわな。みな50回ぐらいでへたりよる。百回揉まなあかんで。それをやっとるのはウチだけやな」とやはり自慢気である。まあ、美味い。ほうじ茶を売りにしている販売店もネットでも多々あるが、これほど美味しいほうじ茶はないと思う。
 さて、森さんは曽根の夏みかんから「ママレード」も作る。これもこだわりのママレードで、一番美味しくみずみずしい中身を包む皮は取り去り、大きな皮と蜜柑の中身(なんというのはわからない)を砂糖を入れて煮詰めるらしい。これもまた美味しい。
 彼は東芝にいたので、電気のことにも明るく、パソコンも使いこなす。車は大きな贅沢な車を持っている。
 森さんの長男は青春の半ばで交通事故で死んだ。娘さんと奥さんは大阪にいるらしいが、そのことについて深く聞かない。奥さんが相当ショックだったらしい。森さんは全国を営業してまわっていたのだから、奥さんよりも息子と接する時間は少なかっただろう。
 僕はいつも森さんの家に行くと、亡き息子の写真の前で合掌したくなってくる。

 曽根でたったひとつの店を森さんは守っている。洗剤や電池や急になくなって困るものを置いてある。タバコも置いてある。線香も置いてある。森さんがいないと曽根の人は自分で物をとり、紙に書いて、お金を置いていく。
 森さんは書道も達者で、この頃は短歌も作っている。いつもそわそわしているように見えるが頼もしく、僕はくつろいでしまうが、彼は礼儀もしっかりしているので、こちらも礼儀はわきまえる。

 ところで、曽根、須野、甫母、二木島、遊木、新鹿、波田須という浦村を過ぎると磯崎というところがある。この磯崎を大泊から見ると実にイタリアである。あるいはギリシャのエーゲ海の島と言ってもいいくらいだ。海は透明に青く、家の色もイタリアっぽい。

 地のところで住み着くというのはイタリアもギリシャも曽根も同じで面倒なこともいろいろあるが、好き勝手に自分流にやれることでもある。ただ都会的な遊びができないだけのことである。ここまでの集落になると噂話のあれこれ、世間体のあれこれももう気にしなくてもすむ境地になるのかもしれない。


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