25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

アルバイトの思い出

2015年06月08日 | 日記
学生の頃、よくアルバイトをした。なぜかわからないけど、家庭教師とか事務職のアルバイトを敬遠した。性格によるものだろうか。
 中学を卒業して、鈴鹿サーキットに三田明やいしだあゆみが来るというので、市内の缶詰工場でアルバイトをした。僕は記憶力が悪い。しかしそれぞれのアルバイトのことはよく憶えている。缶詰工場ではカキを燻製にする係員の助手をした。時々、イットウ缶(どんな字を書くのだろう。20kgの重さの缶だ)を積めた大きなトラックが入ってくると、それを冷凍庫に入れる作業を手伝う。これもしんどい温度差の作業だった。魚や貝の缶詰と果物の缶詰の工場があった。高校生の女子アルバイトはみな果物のほぅで、中卒の僕は魚と貝の担当にまわされた。日給も高校生は450円で僕は中卒なので、350円だった。これは大いに不公平というものだった。僕は蛆虫の掃除もしていた。サバを触るとかぶれて難儀した。中学校を卒業して高校に入るまでの日々なのに、とても一日が長く感じた。しかし歌謡ショーのためにはと黙々と仕事をしたのだった。

 高校に入って、夏休み、友達の兄さんが土木業をやっていた縁で、大台ケ原の小さな川に堤防を作るアルバイトをしないか、と誘われた。飯場暮らしをするという。この土方仕事はきつかった。削岩機も使ったので、
ギターを弾くこともできないくらい手がしびれた。山から山にセメントを運ぶためのロープを張るのも大変な重労働だった。優しいおじさんがいて、休日の夜、そのおじさんの一人住まいの家に誘われ、話をしたことがあった。
 盆がやってきて、その時期に台風が来た。作った堤防が流されてしまった。アルバイト料を楽しみにしていたが、友人の兄貴は払ってくれなかった。こんなことを親にも言えず、ただ大人というのはずるいものだな、と思ったのだった。今ではケツに火がついたらなんでもやるさ、ぐらいに思っているが。

  大学に入ると、靴磨き、皿洗い、ウエイター、野球場でのアイスクリーム売り、路上でのエロ映画の看板もち(サンドウイッチマン)などをした。
 宵越の金などはもたず、アルバイト代が入ってくると、さっさと美味しいものを食べたり、LPや本を買ったりした。地質調査の土のデータとりをしたこともある。レントゲン車の助手もしたことがある。ペンキ塗りもした。このペンキ塗りのアルバイトで時計を落としてダメにしてしまったが、ロンドンに行く旅費を稼いだのだった。
 総じて、一番いいのは皿洗いだった。単純で、あれこれ言われずに済む。どうやら僕は人からあれこれ言われるのに腹立たしい気持ちになる性分なんだと思う。
 ロンドンでは一切アルバイトはやらなかった。大学に戻ったときはもはや大学闘争の跡形もなく、華やいだ、ファッショナブルな学生たちが多くいた。僕は就活をすることもなく、本を読むことぐらいが楽しみの、まるで現実性のない男だった。
 以後、今日まで二度とアルバイトをしたことがない。また雇われ、使われたこともない。
 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-06-11 02:41:02
一斗缶
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Unknown (榎本)
2015-06-11 13:08:04
ありがとうございます。不思議と、今日のニュースでペットボトルを高層階から落とすという事件があって、そのときに「一斗缶」という字がでてきました。調べればいいんですけどね。わざわざありがとうございました。
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