女医EMIのJOY HAPPY LIFE

旅行・映画・イベントなどとにかく遊びが(遊びも)好きな毒舌ママ女医EMIが楽しくすごす毎日のエッセイ。株もはじめました

1998フランスとスペインとジブラルタルとモロッコとシンガポール(初ヒッチ、初詐欺、初野宿)3

2008-01-31 19:23:58 | Weblog
8月1日、Madrid、Segoviaがメイン。着くなりユース「Comunidad de Madrid」にチェックインし、荷物をおいてシャワー。Plaza de Toros de Las Ventas(ベンタス闘牛場)で週1~2回しかやらない翌日の闘牛のチケットを買った(日向席のソルで二階席;グラダで750pts)。列車でSegoviaに移動しSan Millan教会(12C初めのものだがロマネスク様式で回廊が美しい)、Aqueducto Romano(ローマの水道橋。1C~2Cにかけ作られた。1884年まではこの橋の上を水が通っていたとのこと)、Catedral(スペイン最後のゴシック式大寺院)、Alcazar(中にいろいろな甲冑や家具がおさめられていた)、La Vara Cruz教会(12角形の面白い形をした教会)を見て、バスでMadridに戻った。この間は列車よりバスの方が、ほぼ金額も変わらないのに早くてよかった(しかも列車はチケット買ったついでに次は何時出発かと聞いたら、インフォメーションに行って、順番チケットをとって、順番を待ってから聞いてくれ、とたらいまわし的で不親切だった)。ホテルに戻り、シャワーして、いらなくなった服を捨て、使う服は洗濯した。コロンビア人のジョバンナちゃんと仲良くなる。コロンビアの教育制度は4歳から10歳まで小学校(7年)、その後、高等学校のような学校(6年)行く。ここまでが義務教育ではないが、ここまでは普通の人は行くらしい。その後、大学(専門的なものは5年、そうでないものは2~3年)に行くらしい。

2日、Madrid、Cuenca、Taranconがメイン。Madridで朝食をとり、奇岩の崖で有名なCuencaにエキスプレスバスで行く。1600ptsだったがシートはソファ風で、席も広く、TVや電話付きで立派だった。CuencaではCatedral、川、Rio Huecarの崖、Casas Colgadas(不安定な家)を見てきた。チンチョンの名物“パン・デ・アニス”(アニス酒で作ったパン。直径30~40cmと大きいが150ptsと安い)を食べた。その後、Taranconでひまわり畑を見てなごむ。その後Madridに戻り、闘牛場でスタンバイ。19時からのスタートだが、30分くらい前から地面の砂に水を撒いている。闘牛は普通、ピカドール(牛の首を槍で突く)、バンデリリェロ(モリを3対撃ち込む)、マタドール(闘牛士)、の順で出てくる。牛が6回出てきたが、6回のうち4回はマタドールなしに死んでしまった。モリなどの撃ちすぎ??マタドールが出た時にも、ムレータ(赤い布)をあなり使わないうちに牛が死んでしまい、なんだかあっけなくて残念だ。観客の殆どはお年寄りだった、、、若者には人気がないのか。

3日、Salamanca、Valladolidがメイン。スーツケースはホテルに無理やり頼み込んで預け、バスでサラマンカへ向かう。エキスプレスバスなので2220ptsと高いが、快適。サラマンカは清潔で安全そうな街だった。Catedral Vieja(とても美しい教会だった)、Mayor広場(スペイン一美しい広場と言われている)、San Esteban修道院(これもとても美しい)、Lis邸(ステンドグラスが美しい)、Gallo塔(カテドラルの一部。スペインで最も調和の取れた美しい塔と言われている)、Catedral Nuevo、Salamanca大学(スペイン最古の大学。パリ大学、オックスフォード大学と並ぶ名門)、Casa de las Conchas(貝の家。15C後半に作られたが聖ヤコブを象徴する貝模様が壁に多い)を観光。Valladolid(バリャドリッド)に移動し、また観光。Cervantesの家(晩年に住んでいた。中も公開している)、Valladolid大学、Catedral(塔に丸穴が開いていておもしろい)、Iglesia de Santa Maria la Antigua(ロマネスク塔の女王と呼ばれる美しい塔があるが、私は教会本体の方が美しいと思った)、San Pablo教会、Casa Consistorial、Campo Grande(カンポ・グランデは広い公園でアヒルやカモが多くのどか)を見た。夜行でLeonに移動。

4日、Leon、Santillana der Mar、Santander、Bilbaoがメイン。レオンの橋(橋の手前と奥に2頭ずつ白ライオン像がある)、Monasterio San Marcos(旧サン・マルコス僧院。横に長い建物)、Catedral、Guzmanes宮殿、傘でぉsBotines(ガウディ作品。現在はCaja Espanaという銀行に使われている)、San Isidro教会を観光。その後、Santander経由でSantillana der Marに移動し、Museo del Altamira&Cuevas de Altamira(アルタミラ洞窟はかなり前もって連絡して予約しておかないと見られないので、予約外でも壁画を見れるように博物館と洞窟の見本のようなものを作ったらしい)を見学。Santanderにバスで移動。サンタンデールは落ち着いていていい雰囲気だが銀行が14時で閉まるのは早すぎる。Palacete del Embarcadero、Pereda公園、Catedralなどを見る。そして夜にBilbaoに移動。Monumento del Bilbaoを見学し、睡眠。

5日、Bilbao、Gernika、Burgos、Madridがメイン。早朝に朝食を買い込んでGernikaへ移動。ここはピカソにより絵画に描かれたことで有名(ドイツによるゲルニカ爆撃を描いた)。Arbol de Gernika(ゲルニカの木。バスク地方の独立の象徴だ)、Casa de Junta(バスク議事堂。10時にならないとOpenしないが私がみたがっていたら守衛のお兄さんが2時間も早いのにあけてくれた)、Cuevas de Santimamine(サンティマミーニャの洞窟。ゲルニカの北4kmにある。ロンダのピレタ洞窟と違い案内人が若くて英語が話せた。教会、女性、クラゲ、珊瑚などの壁画が見られた)を見学。Bilbao経由でBurgosへ移動。Santa Maria門、Catedral(スペインで最も美しいカテドラルと言われているそうだ。工事中だった。中にはダ・ヴィンチ作のマグダレナのマリアの絵があるので堪能した)、を見学。Burgosを20時に出発し、Madridに23時頃に到着。美しい満月の夜だった。何とかユースにもぐりこんだ。

6日、Madrid、Campo de Criptana、Argamasilla de Albaがメイン。銀行でお金をおろす。MadridでMinisterio de Agricultura、国立ソフィア王妃芸術センター(ここでピカソの「ゲルニカ」や、ダリの絵画をいろいろ堪能した)、を訪れた。駅で男性に英語で「お金を落としましたよ」と声をかけられ、床をみると小銭が、、、そのすきに荷物を盗もうとしていたらしく、現地人の黒人女性が怒鳴りつけて追い払ってくれた。金目のものはないんだけどね、、、彼女曰く「あいつらはモロッコ人よ!安いからって船でスペインに渡ってきて、職がないからこういうことをするの。よく荷物を盗むから気をつけなさい」と教えてくれた。モロッコ人、やっぱりイマイチ。午後、電車でCampo de Criptanaに移動。このあたりの電車は5分前にならないとどのホームに入るか表示しないので不便だ(ものによっては1時間前に表示することもあるが、5分前なので、表示をみて重い荷物をかかえてそのホームまで走っていかないと間に合わないのでとても微妙)。Campo de Criptanaでは、Monumento a D.Quijote、Molino(風車)を見た。風車は中も見学できた。そして、バスはないのでタクシーでEl Tobosoへ移動しMonumento a D.Quijote y Dulcinea、Casa de Dulcineaを訪れ、タクシーでまたCampo de Criptanaに戻った。電車に乗ったが駅員がおらず、チケットも買わずに乗れてしまった、、、無銭乗車?Alcazar de San Juan経由でArgamasilla de Albaに移動。ここはドンキホーテの故郷という設定だ。Casa de Civil、Casa de Medrano(メドラノの家。白い二階建て。ここにセルバンテスが投獄されていたらしい)を見物。この日も満月に見えた。この日はドンキホーテに思いをはせながらArgamasilla de Albaに宿泊。

7日、Alcazar de San Juan、Madridがメイン。早朝にAlcazar de San Juanに移動し、Monumento a D.Quijote y Sancho Panzaを見て、風車を見た。その後Madridに移動し、Plaza Mayor、王宮、Plaza de Espana(スペイン広場。中央にセルバンテスの白い像が、ドンキホーテとサンチョパンサの黒い像を見下ろしていた)を見学。Madridのユースをとろうとするが満室でとれず、他にもあぶれた元ナースのエミコ.Mさんという日本人と「Pension Antonio」に宿泊することにし、Museo del Jamonで一緒に昼食をとった。一日、エミコさんと行動したが、スペイン広場で画家ケイ・マサト氏に出会った。彼は弁護士試験に二度落ちて、Swedenに渡りヒッチハイクで1年うろつき、元外科医だったが羊の改良のためにスペインにきた妻(このときには亡くなっていた)と知り合いスペインに住むようになったらしく、TV「波乱万丈」にも出たとのこと。彼の話は自慢も多かったが、スペイン広場で最近はいきなり首をしめて荷物を盗む人が居るから気をつけろ、とか、マドリッドのユースは毎年1回はモロッコ人やイラン人による強盗や強姦があるから注意しろ、と注意された。この後、アルルでパーティした日本人男性に偶然遭遇し(しかも偶然にもこの前々日、彼とエミコさんも知り合っていたのだ)、この夜はエミコさん、偶然の日本人男性、画家さん、画家さんの娘さん、と私の5人でバルに飲みにいった。

8日、Madridがメイン。エミコさんに別れを告げ、ユースにうつろうと計画。朝8時ですでに10人くらい空き待ちのバックパッカーが並んでいたが、早めに待ったおかげでユースにベッドをとれた。事件があるといったって、皆がいる時間なら大丈夫。Panteon de Goyaなどを見学し、マドリッドで一番美味しいローストチキンの店とされる「Sidras MINGO」で食事。当然、食べたのはローストチキンの丸焼き。ちょっと塩味が強いが美味しかった!そしてSidra(シドラ酒。シードルのことね。リンゴの味が美味しい)も飲んだ。昨日の画家、Keiさんと会う約束だったので待ち合わせ場所に移動。でも、1対1だと微妙だった。「あの店では俺の作品を扱ってる。行くか?こないだ会った日本人の女の子3人も買って行ったぞ」と勧誘され「お金がないので」と言うと「3万ペセタくらい出して後は少しずつ払えばいい」と言われた、、、押し売りか。その後「彼氏はいるのか?」「家に絵を見に来るか?娘がいなくて今は俺だけだけど、襲われるかもしれないぞ。いいのか?」「俺をスペインの男にしないか?スペインだけでもいいから」などなど変な口説きモードに入られ、幻滅し、別れを告げた。その後はEncarnacion修道院、王立医学アカデミー、Canovas del Castillo広場のネプチューンの噴水、Cibeles広場のシベーレス(大地の女神)の噴水、国立考古学博物館(14:30すぎに入ったので無料でよいとのことだった。アルタミラの壁画のレプリカが17:30に見せると言われて待つ。他にも頭蓋骨やマンモスの骨が展示されていた)、コロンブス記念碑、と見物してまわった。エル・コルテ・イングレスで黄色いバッグを買ってユースに戻り、お風呂を使って熟睡。

9日、Madrid、Toledoがメイン。Madridで朝食をとり、Toledoへバスで移動。バス停までホセという親切なスペイン人のおじさんが車で送ってくれた。Toledoでは、太陽の門、サンタ・クルス美術館、Alcazar、Castillo de San Servacdo(元お城のユース。大人気でなかなか宿泊できない)、Catedral、Casa del Greco(エル・グレコの家)、エル・グレコ美術館、Transito教会、Santa Maria la Blanca教会、San-Juan de los Reyes教会、Tavera病院を見学。トレド名物のMazapanを立ち食い(アーモンド丸ごとを砂糖と練り合わせて作ったお菓子)。その後、「Cafeteria Restrante el Delfin」でランチ。Peridiz a la Toledana(トレド風うずら。ワイン煮。玉ねぎとビネガーが入っている印象。1200pts)を食べ、ハーフサイズなのに満腹。少し残すと親切にもご主人が「美味しかったかい(グスタード)?どうだい?」と心配してくれた。バスでMadridに戻った。

9日、Madrid、Aranjuezがメイン。 MadridからAranjuez(アランフェス)に移動。Horchata de Chufa(オルチャタ・デ・チュファ。チュファという植物の根で作った清涼飲料水。ガイドブックではカルピスのような、、、と書いてあったが、牛乳と整腸剤を混ぜたような味をしていた)を飲んでみた。王宮、Casa del Labrador(農夫の家、、、と訳すが、農夫といっても王族が住んでいた家だ)を見た。Madridに戻り、プエルタ・デル・ソルの熊の像を見に行った後、1ヶ月もヨーロッパにいるとさすがに和食が恋しくなり、和食レストラン「秋」で鮭茶漬け(750pts)をオーダーしたが、チップを払うのが悔しいくらいカウンターの従業員は愛想が悪かった。スーパー「Shimago」に行くがスイカが安く、半玉81pts、、、なのでつい買ってしまう。夕食はスイカだ!

10日、Madridがメイン。Madridで朝食をとり、Colom広場からAerobusに乗り、Singaporeへ飛ぶ。このフライトでは、前の月にアルヘシラス行きの列車で会った男の子、池野谷さんと偶然出会う。彼は帰国後も手紙をくれた。

11日、SingaporeについてKhomarに電話し、迎えにきてもらった。Khomarはシンガポールに出稼ぎ中のマレー人でイスラム教徒だった。アウグストゥス、ルディという友達と同居している。私のために一部屋あけておいてくれた。Khomarは蛇使いだが、Augustusは火吹きで、二人ともこの後もよく手紙をくれた。周辺を散歩してゆったり過ごした。

12日、アグ(アウグストゥス)の兄ビザーが遊びにきた。Khomarといろいろ話したが、彼は日本人では竹野内豊(と木村拓哉)が好きなの~、と言って照れてキャッと飛び跳ねて見せた。女装していただけあってやっぱりゲイなんだろうなと納得。前回シンガポールに行った時のホテルに、王さんに会いに行くと、相変わらずランチをおごってくれ、お土産にと「Titanic」のCDを2枚くれた。午後、Khomar宅に戻ると、歓迎のためにドリアンを買っておいてくれた。結構ゴチソウらしいのだが、濡れた靴下を放置してかびさせたような臭いがやっぱり気になってしまった。でも歓迎なのだし食べないと、と思って笑顔で頑張って食べてみる。味的にはマヨネーズをかけたバナナのような感じ、、、だけど、フルーツの王様っていうほどの味ではないのでは?16時からKhomarが夕食を作り始めたが、出来上がったのは21時。この間、酒井法子の「蒼いうさぎ」のリリックを覚えたいと言っていたので、歌の歌詞を書き取って、翻訳してあげた。夕食はチキンカレーだった。マレーシア人は手で食べるので、手を洗って、右手に持ち、親指で押し出して食べる。私も、手づかみで食べた。日本に戻るのが夜中のフライトだったので、22時半すぎてからKhomarとAugがTaxiで空港まで送ってくれた。お別れが悲しい、とみんなで部屋で写真を撮ってくれ、ハグをされた。お土産に、とハガキやワニの置物をもらった。

13日、日本に帰国。

モロッコでは反省すべき点も多かったけど、シンガポールで温かく歓迎され、やはり旅ではおおむね人を信じてみたいな、と思った旅だった。

1998フランスとスペインとジブラルタルとモロッコとシンガポール(初ヒッチ、初詐欺、初野宿)2

2008-01-31 19:23:02 | Weblog
26日、Malaga、Mijas、Cuevas de la Pileta、Rondaがメイン。Malagaはピカソが生まれた街だ。夜明けから出歩いたが明け方4時頃、白いスケスケのレースの下着しか着ていない女性に「私を買って」と声をかけられた、、、私女ですし、、、とびっくりしながら無視しちゃったところ、次に来た男性にも声をかけ、断わられてトボトボ歩き去っていた。どっちにでも気にせず売る売春婦だったらしい。5時頃には割と若めのスペイン人男性に突然抱きつかれて危うくキスされそうになりビックリした、、、気持ち悪いのでシャワー。MalagaではPorraquiq de San Pedro、Casa Natal Picasso(ピカソの生家。普通の建物になってしまっていて当時の面影はないらしい)、Merdec広場、Alcazaba(アルカサバは11Cにアラブ人により作られた)をまわった。その後、Mijas(ミハス)に移動するが、ここには特に何もなかった。そしてRondaに移動。一般にヨーロッパのインフォメーションでは地図もホテルリストも無料だが、このRondaではどちらも有料だった。Plaza de Toros(闘牛場。英語ではBullringという)、Puente Nuevo(ヌエボ橋。あえて訳すなら新橋だが、だれもそんな訳し方はしていなかった。フランスにもポン・ヌフ、日本にも新橋があるけど、、、こういう名前のつけかたって多いのかもね。ちなみにこの橋から見るとロンダを分断する峡谷が良く見える)、Salvatierra宮殿、Felipe V橋、Banos Arabas(バニョス・アラバス。スペイン語表記をここに出せないのでnと書いたけど、本当は表記がちょっと違う。アラブ風呂で遺跡っぽい印象でステキだった。本当はパスポートがないとダメなのだが、持っていなかったのに入れてくれた)、をまわった。日曜だったせいか街中が非常にすいていた。Rondaは近代闘牛(スペイン語でCorrida)の発祥の地だが、毎日はやっていなくて、次の週の木曜にあると言われ、残念だが断念した。でも親切なスペイン人が闘牛のビデオを見せてくれた。その後は電車でBenaojanに行って、そこからタクシーでCuevas de la Pileta(ピレタ洞窟)へ移動。ちなみに、移動に時間がかかるからタクシーを使うよう駅員にすすめられ、タクシーを頼んだが呼ぶのに20分待たされ、来てみたら犬を連れたヨボヨボのおじいちゃんの運転手で、殆ど言葉を発声できない人だった、、、しかもかなり急ハンドルをきったり、崖から落ちて死ぬかもしれない、と思いつつの移動だった。タクシー(1000pts)でCuevas de la Pileta(ピレタ洞窟)まで移動し、入場料700pts、洞窟では旧石器人の描いた魚やマドンナやカテドラルや牛の絵(壁画)を楽しみ、Benaojanの山々の景色を楽しんだ。帰りはフランスから来ている家族連れのキャンピングカーでRondaの手前まで送ってもらった。Rondaの「Pension Hostal Biarritz」(1500pts)に泊まった。

27日、Ronda、Algeciras、Gibraltarがメイン。砂漠が見たいのでモロッコに渡ってみようと思いつき、Rondaで朝食をとったあと約2時間かけてAlgeciras(アルヘシラス)へ列車で移動(880pts)。モロッコ行きのフェリーのチケットを購入しておいて、余った時間をLa Linea(アルヘシラスからバスで220pts)に行き、隣国Gibraltar(とても小さいけど一応、国!しかも英語が通じる)に行って観光。Gibraltarはアラビア語ではジャバル・アル・ターリク(ターリクの山)と呼ばれている。ケーブルカーで山に登り、ターリクの山を見て、Convent Guard Roomを見て、そこからアフリカ大陸を眺めた。ちなみに、小さいながらもちゃんと国なので、イミグレーションを通り、GIBと書かれたとても可愛い入国スタンプを押してもらった。アルヘシラスに戻って16時発の船でMaroc(モロッコ)のTanger(タンジェ)に移動する(3200pts)。モロッコはヨーロッパから近くて気軽に行けるため、多少、観光地として有名になりかけているがまだまだ貧乏な国であり、収入は日本人の10分の1程度で(当時日本人の平均は2万USドル、モロッコ人の年収平均は950ドル)、労働者に至っては1日の賃金が20DH(1DH;ディラハムが13円程度)という安い給料。公用語はアラビア語とフランス語だ。Tangerに到着したのが20:40頃だったが、出国に1時間かかった。しかし時差が2時間あり、(日没が早いので結構暗いが)実はモロッコはまだ19時半程度だった。夕方というのもあるが、基本的にずいぶんと暗い印象の街で、活気がなく、その割にナンパと客引きと自称ガイドだけは多く、あまり都会的ではない。インフォメーションのスタッフに安めのホテルを教えてもらい、車で乗せて行ってもらったが、この時期の安いラインは100DHとのことで、本当かどうかはしらないがあまり近代的でなく英語もあまり通じない土地だったのでとにかく1泊分はまずどこかホテルに入らないと、、、と思い、ついていくことにした。「Panoramic-Massilia Hotel」というホテルだったが、ダブルルームしかないようで100DH、バルコニーからの景色はきれいだったが鍵は壊れていそうで怪しく、シャワーは使えるが洗面台の電気は壊れていた。とりあえず貴重品は持って、寝る間は何とか手持ちのロックを使って鍵をうまくかけることにした。急にモロッコ行きを決めたため、重い荷物はスペインに置いてきたわけで、当座の下着もモロッコで買おうと思っていたのだが、ホテルに偶然いた自称「コーランの学校の学生」(本人によるとこの学校は卒業まで12年かかるらしい)ムスターファが上手ではない英語で話しかけてきて、ついでだから服屋の場所を聞いたら連れて行ってくれた。しかし、下着を買うときにずっとそばにいられるのも苦痛、、、でも彼にはそういう配慮はないようだった。何が食べていいものか分からないので、とりあえず水とリンゴとプラムも購入。翌日以降、メルズーガ砂漠に行こうと思っていたところ、ムスターファはバスの駅にも連れて行ってくれ、インフォメーションで働いているという男(単なる自称かもしれず、しかももともとの友人かよく分からない)、アブドゥル・ラー(国籍はフランスだと自分で言っていた)を紹介された。アブドゥルは英語がそこそこ上手だったが、この当時、モロッコとアルジェリアで銃撃戦があるから行く予定だったサハラ砂漠は危険だからタクシーで片道20DHで行けるTetuanあたりにしとくといいよ、と勧められた。しかも、翌日は年に一度のカルナバル(音楽祭)というので、そこに行くことにした。アブドゥルは自分の家(割と豪邸だった)に私を招待して泊まらせてくれ、ナヴァル(一番上の姉)、スアード(二番目の姉)、ファティナ(三番目の妹)を紹介された。アブドゥルは「父には二人しか妻がいないが、自分は一人の妻で充分だ」など話していた。そして「明日モスクの中を見るのに足が見える服ではダメだ、モスリムの服を500DHにまけさせるから」といっていくつか服を持ってこさせ、赤いコットンのモスリム・ドレスを買うことになったが、後でよくよく考えるとこれは絶対に高かったと思う。ちなみにコーランも買いたかったので金額を聞いてみたら「ツーリストが買えば5000DHはするし、売ってくれないよ。僕が交渉して安くしてあげるよ。2000DHくらいになればもうけものだ」と言っていた。翌日は自分の家に是非とまるようにと言われた。ホテルに戻り、モロッコ側からスペイン大陸を眺めた。海を挟んでずいぶん違う。アブドゥルの父は「IGLOO」(31、Ave d'espagne)というお店をやっていると名刺をくれた。

28日、TangerとTetuanがメイン。朝6時半でもう周囲はすっかり明るかった。ホテルのレセプションで標準プライスを聞いた所、水5DH、スモールサイズのコーラン70DH、シシカバブ40DH、ロングドレス160DHとのこと。昨日のモスリムドレスはやっぱり高いんじゃないのか、と思い始めた。しかもコーランの値段を聞くと、ボリすぎだ!!!砂漠が今は銃撃戦で危険ていうのもウソじゃないかと思い始めた、、、そもそもインフォメーションで働く所は見てないしそれもウソかも?朝、タクシーでアブドゥルが迎えにきた。律儀だった私は昨日、泊まることにうなずいてしまったので今更断われないと思い、ついていってしまった。今なら絶対断わった上にもう絶対彼からは何も買わないところだ。アブドゥルの家で皆でクロワッサンとコーヒーを朝食にとり、午前、ムスターファがコーランをなぜか勝手にアブドゥルの家に持ってきた。家を結構知ってそうなのでやはり本当に友人なのか。コーランは、2000DHとか言っており、コーランを包んでいた油紙みたいなものを破って中身を見せたが、「今朝ホテルで聞いたらもっと安いって言ってたよ。いらないよ」と言ったら「もう包みを破っちゃってるから返品はできない」と怒り出したので「じゃあせめて高いのでまけて」と言って1400DHまでまけさせた。でも、これも、今だったら「アンタが勝手に破ったんだよ」と言って絶対買わないね、、、当時の気弱な自分を反省。手持ちのDHがないので後でいいと言われた。アブドゥルの案内で、乗り合いタクシーでTetuanに移動し、景色や干上がった河やモスクを眺める。モスクに入ったがモスリムドレスなんて全く必要なかった、、、アブドゥルめ!道はかなり舗装されていないひどい道だが「ラクダ注意」「ウシ注意」などの看板があり面白い。アブドゥルにアートスクールがある、と連れて行かれたが、そこには絵画は全くなく、絨毯のみだった。3万円~10万円以上の絨毯を一生懸命売りつけられている間、アブドゥルは涼しい顔でお茶を飲んでいた。金額が学生の自分には払えないし、要らないので、断固として私は拒否した。私があまりに頭にきたのでアブドゥルはなだめるためにレモンティーだよ、と露店で飲み物を買ってくれた。飲んでみると酢、、、、すっぱい!よく露店のその表示を見たらフランス語でアルコール入りの酢と書いてあった。飲めないのでこっそり捨てたが、アブドゥルはよく考えると数字しか紙に書いたことがないし、名前や住所を紙に書かせようとしたら住所は父親の店の名刺を渡して済ませたり、自分の名前をムスターファに書かせたりしていたので、もしかしたら字は書いたり読んだりできない人なのかもしれないと思った。そう考えると彼がインフォメーションで働いているというのはとても怪しい、、、ウソなんじゃないかと思えた。家に戻り、疲れたからと休ませてもらったが「その前に本代を払ってくれ。スペインのお金でいいよ、30000ペセタ」と言われた。1400DHってせいぜい16000円じゃん、、、3万ペセタって3万円くらいだよ、、、。ボリすぎ。でも絨毯を買わずに済んだことと、もうほっておいてほしかったのと、口論でどうにも勝てないので、やる気をなくして払ってしまった。今までの海外旅行の失敗といって一番にあげられるのがこのモロッコでの詐欺師への敗北だ。この時の自分の態度は本当に反省モノだ。この後、モロッコ人に日本人はお金をまきあげやすいと思われたら私にも責任がある。さんざん海外旅行をしてきた今なら絶対に勝つ自信がある。こういう場合、大事なのは「絶対に自分は悪くない」「自分が王様」という気合いだ。いつかリベンジしたいが、詐欺師からお金をまきあげるのは無理っぽいので、せいぜい詐欺師に騙されないようにするしかない。アブドゥルには「結婚してくれ」「僕は英語とフランス語とアラビア語が話せる。君は日本語と英語が話せる。二人が結婚したら最高じゃないか」「ここに住まないか」「キミはボクに火をつけた。ボクはキミに夢中なんだ」などなどサンザンうさんくさいセリフで口説いていたが、本当にむかついた。彼の家に自分の荷物があることで、外に出たついでに怒ってもう家には帰らない、という自由行動はできなかった、、、詐欺師がの家にカモを泊めるというのにはこういう利点があるのだなあと感心した。いつスペインに帰るのかきかれ、明日帰ろうと思いつつも、彼に非常に頭にきていた私は、保身のために「明日決める」とウソをついておいた。

29日、Tanger、Algeciras、Rondaがメイン。アブドゥルが朝起こしにきたときにハグというか抱きついてきたので、ムカついて「Stop that!」と怒鳴ってしまった。「もう出て行くわ」と言ったところ「あ、Tetuanまでのタクシー代がまだだった。950DHだけど800DHでいいよ」と言われた。「片道20DHって言ったじゃない」というと「そんなに安いわけないじゃないか、85kmもあるんだよ」と。しぶしぶ払って出てきた。変な常識で挨拶をしてから家を出ようと思ってそこにいたのが仇になったような気がした。早朝、見つからないうちにさっさと出て行けば良かった。万が一にでもタダ乗りで警察を呼ばれたら困ると思い、結局、DHがないので170DHと10000ptsを払うことになった。よくよく今考えるとむしろ警察を呼んでもらえばよかったのだ、、、だってありえない金額なんだし、さんざんぼっているのだから詐欺師が警察を呼ぶわけがない。しかし、前日に出発日を告げなくて本当によかった、、、前日出発を告げていたら、最後の有り金を搾り取るために最善の策を講じたに違いないし、場合によっては荷物を盗むようなこともしたかもしれない。二度とここには来たくないと思いつつ、さっさとアルヘシラス行きのチケットを買った。タクシー代も自分の思い違いだったかもしれないと思ってしまったが、船の中でその覚書を見つけたところ、やっぱり20DHと書いてあった。しかし、非常にいい勉強になった。詐欺師には、絶対心で負けてはいけない、払ってはいけないのだ。私は心底反省した。もう騙されない、言いなりになって払わない。こういう経験があり、私はサービス感を感じないレストランではチップを請求されても「このサービスで払えっていうの?」と言える図々しさ、そして飛行機が飛ばないときは「当然ホテルは取ってくれるのよねぇ?」と言える図々しさを身につけた。日本はそれほどでもないが、海外では人間は言葉で戦わなくてはいけないのだ。カードで買った船のチケットでアルヘシラスに着き、電車でもカードが使えたのでさっさとRondaに向う。クレジットカードの暗証番号を忘れたため、モロッコで有り金の殆どを搾り取られた私はほぼ無一文。夜だったので銀行に連絡もできず、、、。Rondaについて自分のスーツケースを受け取るが、追加料金はとられず現金を持っていない私には本当に助かった。着いたあたりにカードの使えそうなホテルがなく、駅周辺には正直何もないので、ロンダの駅で野宿を覚悟した。駅付近でボンヤリ朝を待っていたが、このあたりは比較的南だが、夜明けはやっぱり結構冷え込んで寒かった。夜中も結構遊んでいる若者が多く、危険には遭遇しなかった。

30日、Ronda、Sevillaがメイン。朝、RondaからSevillaに移動(1235pts)。なかなかチケットオフィスがあかないのでカードが使えない。早く開け!と念じてみる。Sevillaはカルメンやコロンブスやドン・ファンで有名な街だ。着いてソッコウ、銀行でパスポートを見せて現金を受け取る。本当に助かった、、、飢えているのでさっさと開いていたマクドに行き、朝食を買ってがっつく、、、全然レディじゃないよ。朝食を食べて一息ついたところで駅のコンシグナで荷物を預け(500pts)、ついでに駅で翌日のCordoba行きのチケットも買っておく。「Sevillaはカルメンの街だし当然フラメンコ見るでしょっ!」と電話で夜のフラメンコショー付きディナーの予約をするが、人数と時間を言って「OK」と言われて安心して電話を切った後、名前を言い忘れたことに気づきしばし呆然。まあいいか、、、。セビーリャ大学、Fabrica de Tabacos(タバコ工場。カルメンが働いていたという設定の場所だが、セビーリャ大学の法学部になっている)、Alcazar、Catedral、La Giralda(ヒラルダの塔。工事中だったが高さ97.5m、重さ1288kgのブロンズ像が回転するらしい)、救済病院、Torre del Oro(黄金の塔。銀の塔と対になっていたらしい)、闘牛場、をみた。Catedralは中に入ったが、入場料700pts、中にはコロンブスのお墓もある。その後、Casa de Pilatos(ピラトスの家)に行くが、実はここは本当に住んでいたわけではなく、単なる想像だそうだ。この街はカルメンの街だけあり、フラメンコドレスのお店が多かった。観光用の馬車も多く、そのせいで馬フンも結構あった。英語が通じて、スペイン語だってアルファベットだから読めるし、ちゃんとお店に入ると涼しいし、、、モロッコに比べてスペインは天国だよ、、、。夜は「Los Gallos(ロス・ガジョス)」という有名なお店に行った。名前言い忘れちゃったけど、と言ったら入れてくれた。ショーにワンドリンク付きで3000pts。スペインなので何となくサングリアを頼んだ。6人(うち一人は男性)がそれぞれに素晴らしい気迫のダンスを見せてくれた。 この日は前日、野宿(というか駅で待ってた程度だけど)したので勢いがつき、本物の野宿をしてみよう!という気になった。駅は警備員がいるので、公園の大きな木のまたで眠った。木の根にはさまれ多少風が防げるので、自然に感謝したが、でも夜明けはやっぱり寒い。昼間はあれだけ暑いのに夜は寒いのね、、、なるほど、夏に南国でも年寄りのホームレスは凍死する人はいるんだろうな、と実感してみた。

31日、Sevilla、Cordobaがメイン。SevillaでAlcazarの夜明けを眺め、Alcazar庭園の噴水を見た後、早朝7:30にCordobaに出発。10時にはもう着いてしまった。珍しく曇り日で助かった。Sinagoga(シナゴーグ。ユダヤ人教会。スペインではコルドバとトレドにしかない)、Museo Taurino(闘牛博物館)、Alcazar、Romano橋、La Calahorra(ローマ橋を守る要塞)、Mezquita(メスキータ。赤と白の模様が特徴的なモスク)を観光。「Mmeson El Tablon」でRabo de Toro(牛の尾のシチュー煮込み。茶色い。シチューと言っても日本てよくあるものと違い、シチューから水切りして皿に乗せたような、ドライシチューという感じ)、Flan(プリン)を食べた。その後、Plaza del Potro(ポトロ広場)、Posada del Potro(はたご屋ポトロ。セルバンテスが宿泊し、「ドンキホーテ」では主人公にも宿泊させた設定の旅館)、灯火のキリスト広場、灯火のキリスト教会(マリアのタイルが美しい)、Viana宮殿を観光。夕食にCola de Toro(牛をコーラで味付けした料理)をとった。駅でシャワーを使い、1時発の夜行でMadridに移動。

1998フランスとスペインとジブラルタルとモロッコとシンガポール(初ヒッチ、初詐欺、初野宿)

2008-01-31 19:21:56 | Weblog
1998年3月18日~27日でシンガポール旅行した後、5月、6月と王さんやKhomarから何度か電話があり、Khomarは「今度シンガポールに来たら泊まって!友人と暮らしてるけど僕の部屋をあけるから(英語なので、本当はニュアンス的には“アタシ”と言ってたのかもしれないが)。車で空港に迎えに行く」と言ってくれていた。そういうわけで、この年、ヨーロッパに行く時にシンガポール航空(SQ)をチョイスし、そこでストップオーバーしてホームステイをしにいった。7月11日~8月14日まで、シンガポール経由でフランス、スペインを旅することになった。

ちなみに、この時は、高校時代から仲の良かったサチコと2人旅の予定だったが、サチコが家族に「危ないからツアーにしなさい」と言われたらしく、結局私は一人旅することになった。代わりに、大学の同級生だったヒトミちゃんが自分も行きたいと言い出し、彼女の要望で旅行日を8月にずらしたのだが、その後、やはり7月にしてくれと言われ、再度、旅行会社にチケットの変更を依頼した。しかしその後、家族に泣いて止められたとのこと。その後、「結局どうするの?行かないのならチケットキャンセルしないといけないんだけど」と彼女に確認したところ「あれ、言ってなかった?やめたの」とケロッと言われ、彼女はキャンセル、、、、さんざん旅行日程を変えて(しかもその連絡は全部私ね)結局中止か、、、しかも中止ならまず連絡してくれヨ~!結局、最後まで“ゴメン”とか“キャンセル連絡ありがとう”の一言もなかったので、彼女と二度目はないな、と心に刻んだ。何度も変更すると変更手数料とかもとられてしまうので、結局、彼女は行かないのに彼女の希望日程のまま出発・帰国することになり、テスト勉強にあわせて早め帰国予定だったのが遅め帰国のままとなった。基本的に旅行日程はどうなるか分からない他人にあわせてはいけないのだ、と学んだ、、、人は人、自分は自分。こうやって私は一人旅の自由さと快適さが好きになっていく。

7月10日、バスで仙台に移動し、仙台で徹夜で時間をつぶす。

11日、午前、仙台からSQ975でシンガポール経由でパリへ。SQのCAは民族衣装なので面白い。機内ではお菓子の袋やヨーグルトが気圧でパンパンになるのも面白い。そして、気圧のせいで修正液は恐ろしいほどよく出る。

12日早朝、シャルル・ド・ゴールに着き、リュクサンブールにある「aepp」にチェックイン。ワールドカップ最終日だったので、多くの車がフランスの国旗をかかげておりクラクションでリズムを刻んでいたので、シャンゼリゼ通りは壮観だった。とりあえず、Montparnasse(モンパルナス)墓地に行ってみた。墓地ではあるんだけれど、ここには、Sartre、Baudelaire、ST.Seans、Maupassantなどの墓があり、見所タップリだ。その後、St,Jean-Baptiste de la Salleという美しい教会に行き、Institut Pasteur(有名なパスツール研究所だ!病院も附属していた)、Les Catacombes(200m以上の列をなして人が並んでいた。時間になると人数で区切って、中を迷子にならないようにツアーのような感じで洞窟内に入れてくれる。洞窟の入り口に“Attention,C’est Iempire de morls=気をつけろ、ここから先は冥界だ”と記された石があり、その先には頭蓋骨や大腿骨骨端だけをならべた一見石のようなものなどいろいろあった。医学生としてはウキウキでした)、Les Egoute(下水道)、切手市、Musee de Louvre(前回ツアーで行った時は閉館で悔しい思いをしたが、今回はちゃんと入れ、モナリザなどいろいろ見て回った)、Richard Wagnerの家(L’entract 3というお店の隣。見た目は地味)、とまわった。観光中に、バングラデシュ人にナンパされ、いきなり「愛してる」と言われる。冷たくフッておいたが、彼が販売していたディカプリオのポスターをタダで貢いでくれ、ちょっとラッキー♪

13日、St.Saens(サン・サーンス)の家、Musee de Delacroix(ドラクロワは好きだけど、地味な美術館だった)、Victor Hugo記念館、Cimetiere de Pere Lachaise(ペール・ラシェーズ墓地。Colette、Rossini、Chopin、Champollion、Daudet、Moriere、Montand、Modigliani、Edith Piaf、Apollinaire、Delacroix、Balzac、Bizet、、、と偉人のお墓ばかりで、音楽と文学を愛する者にとっては宝庫!)、Ivan Tourgeniev家(ツルゲーネフの家)、Emile Zolaのいたホテル(ベルリオーズの最後の家の向いあたりにある)、Montmartre墓地(このモンマルトル墓地にはEmile Zola、Berlioz、Heinrich Heine、Alexandre Dumas、Valslav Nijinski、Charcot、Stendhal、の墓がありここも素晴らしい)、「Maison Faguais」(メゾン・ファゲ。いろいろな変わったお茶を売っているお店でオススメ!シャンゼリゼから少し中に入ったRue.Pierre CharronとRue Fransoisに面している)、Le Conciergerie(コンシェルジュリーにはマリー・アントワネットの教会と独房がある)、を観光。ちなみに、この日はパリ祭前夜祭とのことでシャンゼリゼは人ごみの群れだった。その後、Invalides、軍事博物館、ブルボン宮、とまわった。

14日はParis、Orleansがメイン。夜明けと同時にPantheonを見て、サン・テティエンヌ教会(パスカルやラシーヌの墓がある)、を見て、ホテルで朝食をとった。ホテル代に含まれているのだが、パリパリのバゲットにバター・ジャムがあり、美味しい。ただ、難点はここのレセプションが朝9時くらい(祝日だと10時)にならないと開かないので、早朝出発しなくてはならない時のチェックアウトの時は大変(保証として免許証とか何かIDカードを預けないといけないので、受け取らないといけないから勝手にはチェックアウトできない)。部屋は2人部屋だったがイギリス留学中の日本人エミカちゃんと仲良くなった。この日はParisからOrleans(オルレアン)に移動。Gare d’AusterlitzからOrleansに向かう。ジャンヌ・ダルク像、ジャンヌ・ダルクの生家(本やハガキを売っていたので買いこんだ)、Pantashop(壁が面白い)、Catedrale Ste Croix、Pont George Vとロワール川、St.Pierre Catedrale、を見てParisのGare d’Austerlitzに戻る(片道90F)。そしてParisのGare de LyonからTGVでAvignon(アヴィニヨン)へ向かう(2nd Classで片道268F)。パリは地方都市に行く時にどこの駅から出発するのかが分かりにくいのが難点だ。乗り遅れそうになり焦っていたがリーさんという親切な韓国人女性が荷物運びを手伝ってくれた。

15日はAvignon、St.Remyがメイン。朝、Avignonに到着し、とりあえずホテルを見つけてチェックインし荷物を置いてから、城壁、Palais de Justiceを見た。一旦、St.Remy(サン・レミ)に移動し(電車で32F)、St.Paul de Mausole精神病院(Van Goghが入院していた病院)、Mas Saint-Saviniem、La Pyramid、L’arc Trimphal(凱旋門)とMausole(霊廟)、St.Martin Catedrale、Maison de Nostradamus(ノストラダムスの家)をまわり、ワインや燭台や手紙用蜜蝋を購入して、Avignonに戻った。Palais des Papes、Pont St.Benezet(「アヴィニヨンの橋で」の歌で有名なAvignonの橋。橋なのに入場料をとっています。12Cに建設された木造の橋で13C末に石で作り直された)をまわった。7月のAvignonは演劇祭のため宣伝の人でいっぱいだった。

16日はBonnieux、Lacoste、Avignonがメイン。朝食時に台湾からきたインさんという女の子と仲良くなる。朝、電車でBonnieuxに移動し、この移動中に父親のフランス出張についてきたというサワコちゃんという日本人と仲良くなり(ちなみに彼女とか日本に帰国してから何度か会った)、田舎っぽい雰囲気を楽しみつつ散策。その後、5kmくらい離れているLacosteに移動するが、なんとバスはないらしかった。タクシーも見つからず、困っていたが親切なカップルが車に乗せてくれ、マルキ・ド・サド城を訪問。Bonnieux駅に戻るのにもやはり、親切な親子連れが車にのせてくれ、駅からAvignonまでまた電車で移動し、Avignon宿泊。

17日、Avignon、Marseille がメイン。Avignonで祭りがあることをParis出身のおじいちゃんに聞き、見学。Marseilleに移動し、駅で荷物を預け(20Fr)、Port d’Aix(凱旋門)、Fort St.Nicolas(サン・ニコラ要塞)、Fort St.Jean、Catedrale Ste.Marie Majeure、を見て、Ile d‘IF(イフ島。“岩窟王”とも訳される小説「モンテクリスト伯」に出てくる城。入場料は20Fr程度。白っぽい色に風化した石の城と、青い海のコントラストがステキだった)、Notre-d’Ame-de-la-Garde寺院とまわった。このマルセイユは美男・美女が多かった。マルセイユ名物のブイヤベースを夕食にとる。駅で預けた荷物をピックアップしてユースホステルに宿泊するが(44Fr)、周辺には何もお店がない。

18日、Marseille、Les Baux、Arlesがメイン。Marseilleでオムレツを食べ、小説「南仏プロヴァンスの12ヶ月」の舞台となったLes Baux(レ・ボー)へバスで移動。バスは客が私一人だったので、親切な運転手のオジサンがきれいな風景の所で写真撮るか、とバスを止めてくれたり、いろいろ説明をしてくれた。レ・ボーは白い石灰岩がむき出しの白い岩山が見え、ブドウ畑、美しい平原が並ぶ。ここからさらにバスで30分でArles(アルル)に着く。ここもクラシック音楽をやる者にとってはなじみのある地名で、訪れないわけにはいかなかっら。古代劇場(中はスタジアム風。BC 1Cに建設された割には予想外に新しそうに見えイマイチ)、Les Arenes(ローマ闘技場。現在は闘牛場になっている)、Le Rhone(ローヌ川は広くて気持ちが良かった)、Place Constantin(コンスタンティン共同浴場跡)、とまわり、ここでコズエちゃんというイギリス留学中の女の子と仲良くなった(彼女は帰国後もしばしば旅先からハガキをくれた)。Espace Van Gogh(ゴッホ病院。昔、ゴッホが入院した病院で、ここの中庭が絵に描かれていて有名)をまわり、Arlesのユースに宿泊。このユースでスイス人バーバラと仲良くなり、本当はシンガポールでKhomarにあげる予定のお土産を、重かったので彼女にプレゼントした(彼女も珍しがっていたので、、、そして一番に持ち歩きが重かったのでギブアップ。ヨーロッパでお土産を買うことにした)。

19日、Arles、Fontvieilleがメイン。ニームに行こうかと思っていたら、バスがないようで、予定変更し、風車を見に行くことにした。ホテルでの朝食時、大阪人の尚子ちゃんと仲良くなった(芸大を中退して福祉の道にすすんだ。結構変わり者の面白い子で、彼女とは帰国後もよく連絡をとり、何度か泊まったりして遊んだ)。ユースからかなり距離のあるバス停に向かうが、遠すぎて、親切なおじいちゃんが車で送ってくれることになったのだが、おじいちゃんなのにナンパされベタベタ触られて嫌気が差してバス停でさっさとお別れする、、、フランス人のじいちゃんはパワフルだ。このバス停で偶然バーバラに再会。A Ses Enfants Tombesを見て、駅から電車でFontvieilleに移動。Le Moulin de Daudet(ドーデの風車。ここに公衆トイレがあるが、足のせ場のところまで水を流すと濡れてしまう構造になっているので、水を流す時に足をよけながら流すのが大変だった。普通はどうやって使うんだろう?)を見て、Arlesに戻る。Pont Van Gogh(アルルのはね橋としてゴッホが絵に描いた橋)を見に行く。ユースから直線距離だと近いのに、道がないのでものすごく遠回り、、、帰るときにフランス人の中年男性が「ドコいくの?送るよ」と車に乗せてくれたが、しつこくナンパされ違う方向に車で連れて行かれたので、頭にきてスラング英語でかなりひどい文句を言って車から降り、ヒッチハイクでカップルの車にのせてもらい、ホテルに戻った。サイクリングで2ヶ月かけてフランス中をまわっているアメリカ人の男の子と仲良くなり、翌日の出発時に私を見送りにきてくれた。この夜は、ホテルで日本人だけで7人くらいが集まってパーティを開き、飲んで会話して楽しんだ。

20日、Arles、Lourdesがメイン。午前、電車でLourdes(ルールド)へ移動。ここはベルナデットの奇跡の土地として有名で、マリアに祈ったところ出た湧き水を飲ませたら病気が治ったという伝説の泉があり、あらゆる所に白衣の医師・ナースや修道尼さんや車椅子の人々があふれている。三ツ星ホテル「Hotel Helianthe」にチェックインして荷物を預ける(1泊200Fr)。Chateau-Fort(奇跡を求めてけが人・病人が来るせいか、エレベータで上がれるように改造されていた。中にピレネー博物館がある)、Monastere des Pauvres Clarisses教会(ここでミサに参加した)、Basilique St.Pie X(ピオ10世寺院)、Superieure寺院(聖ベルナデットに捧げられた寺院)、Grotte(洞窟。シュペリウール寺院の裏にあり、ここで奇跡が起きたとされている。ここの泉の水を飲み、長寿と健康を祈ってみた)を訪れた。この土地はこの泉がメインの観光地なので、マリア像や洞窟や教会の形をした瓶がたくさん売られていて、その中にこの泉の水を入れてお土産に持ち帰るのが流行っているが、自分で好きなペットボトルを持ってきて入れてもよく、タンクのような大量の容器を持ってきている車椅子の人もいた。泉から直接だと受け取る人数が限られるので、泉から水を引いて、水道のような蛇口がたくさん引いてあり、そこから各自がそれぞれに水を受け取る。私もマリア像のボトルを購入して水を持って帰った。夜21時頃、Superieure寺院でミサがあり、皆がろうそくに火をつけて持ち、讃美歌を歌いながら歩く。皆が自分やその周囲の大切な人の健康と幸福を願いながら歩くこの様子は荘厳だった。

21日、Lourdes、Toulouse、Barcelonaがメイン。朝食後、Toulouse(トゥールーズ)に電車で移動。フランス北部に住むフランス人医学生アグネスと仲良くなり、フランスの教育制度などについて教えてもらった。フランスうでは6~16歳までが義務教育で、日本より1年長い。6歳から5年間はPrimaire(5年)、College(4年)、Lycee(3年)、Universite(6~10年)と進んでいくがLyceeの最初の1年目までは義務教育だと話していた。Toulouseではサン・セルナン寺院を訪問し、近くのオープンカフェで美味しいクロックムッシュを食べた。その後はスペインのBarcelona(フランス語ではBarcelone)に移動。とりあえず荷物を預けるために一ツ星の「Hotel Comercio」にチェックイン(1泊4800pts)。親切な通りすがりのアメリカ人マークが荷物を運んでくれた。Reial広場(ここのガス灯は若い頃にガウディが作った)、Guell邸、Palau de la Virreina(変わった建築様式の教会)を見た。

22日、Barcelona、Montserratがメイン。Barcelonaに宿泊はするけど、もっと安いホテルに変更し、朝「Hotel Kabul」(1800pts)に移動。電車で、奇岩で有名なMontserrat(モンセラット)に行き(往復1700pts)、奇岩の崖、Museu de  Montserrat、The Basilicaの黒いマリア像、を見物。Barcelonaに戻り、カナレタスの泉(この水を飲むと再びバルセロナに来れるという伝説あり。私も水を飲んだ)、Monument a Colom(コロンブスの塔)を観光。ホテルに戻り、イタリア人Togniちゃんと仲良くなった。ドミトリーだったのだが、ここのホテルでこのとき泊まっていた女の子達は、ドアのあいた部屋でもシャワーの前でも平気で素っ裸でウロウロしていてビックリした。夜、同室のアメリカ人の女の子達がムカつく話をしていた。「ドイツ人やフランス人やスイス人の英語ってひどいよね。考えて言葉にするまで5分はかかっちゃう」「うんうん、ドイツ人、YeahをYaというのやめてほしいよね」「カナディアンの英語もアクセント違うよね~」と散々こきおろしていた、、、仕方ないじゃん、母国語じゃないんだから。日本人の事は言ってなかったけど、夜中にうるさいしムカついたので「アナタ達って英語以外何か話せるわけ?あと夜中なんだから静かにして眠らせてくれない?」と一言言ってやったナリ!日本人ナメるなよ~、ふふん!

23日、Barcelona、Port Lligut、Figueresがメイン。BarcelonaでCatedraleを訪れたあと、Cadaques経由でPort Lligut(ポル・リガット)へ移動。Casa S.Dali(ダリの家。卵のオブジェや人の顔のオブジェがあった)、Ermita de Sant Baldiri(ダリの家の近くの教会。卵の小さいオブジェがある)、Cadaquesのビーチをまわった。カダケスはもとは美しいブドウ畑だったそうだが害虫のせいで今はほぼハゲ山と言えるような岩山になってしまっているとのこと。惜しい。その後、Figueres(フィゲラス)に行き、Barcelonaに戻る。Casa Calvet、Palau de la Musica(カタルーニャ音楽堂)、Catedraleに行った。

24日、Barcelonaがメイン。Barcelonaのランブラス通りは何度も通ったが、平日も夜中まで妙な芸人や絵売りがいて面白かったが、この日でこの道とはお別れ。Casa Batollo(バトリョ宅。屋根が魚のウロコのようで面白い。当然、ガウディ作)、Casa Mila(これもガウディ作で面白い建物)、Temple de la Sagrada Familia(サグラダ・ファミリア教会。ガウディ作で有名。やっぱり美しい。非常に背も高い教会だ)、を見た。Barcelona駅で移動中に食べる食事を買っておいたが、この駅のパンとかはどれもマズイ。22時発の夜行でGranadaに出発する(片道7830pts)。

25日、Lorca、Baza 、Granada、Malagaがメイン。グラナダに行く途中、Lorca、Baza で休憩。Lorcaには茶色い山とオリーブの木が広がっている。Pto.Lumbrerasで電車が20分も休みなので、ついでにバス移動用に枕を購入。Bazaは緑が少なく山しかなかった。午前11時にグラナダ到着。Granadaとはスペイン語でザクロという意味だそうだ。Catedrale(ここでジプシーのおばさんに「アンタは子供を2人生んで4人家族になる!」と勝手に予言され、「金をくれ」と擦り寄ってきた。頼んでないし、、、当たるのか?とりあえず追い返してみた)、Capilla Real(王室礼拝堂。レコンキスタを終わらせたイザベル女帝の遺体がある)、を見てグランビアからちょっと入ったレストラン「La Riviera(Nueva Riviera)」でGazpacho Andaluz(アンダルシア地方の名物料理、ガスパチョは酢で味付けしたトマトやナスやキュウリの冷製野菜スープ)、Tortilla Sacromante(トルティーリャもグラナダ名物料理。ブタの睾丸を混ぜたオムレツ)、Pan、Aguaをオーダー。バックパックが壊れたので、ALTUS社の巨大なバックパック(12995pts)を購入。その後、Palacio de la Alhambra(アルハンブラ宮殿)を見物。夜、GranadaからMalagaにバスで移動し(バスで2時間)、バス内でクロアチア人のマヤさんと仲良くなった。クロアチアの教育制度について教えてくれたが、6歳から13歳までの8年間が義務教育なのだそうだ。6歳から小学校(8年間)、その後が高校(4年間)、その後が大学(6年)だという話。夕食用にパンや飴を分けてくれたので、お礼に日本の本をあげて、折鶴を作ってあげた。別れ際に「アナタに会えたのは幸運だった」とハグされた。

1998シンガポールとマレーシアとインドネシア(初のタダ旅行、初の海外ゲイ、初の象乗り)

2008-01-31 09:21:55 | Weblog
NWのワールドパークスのポイントがたまり、初めてのタダ旅行をしたのが、3月18日~27日の、このシンガポール旅行だ。手数料と空港使用料のみでシンガポールに行けてしまうなんて、ほんとに幸せ☆

3月18日、地元から東京に向かうバスの中で、大学の同級生A君に遭遇。ビックリだ。

19日、早朝、東京につき恵比寿の「カサブランカ」(CA達がブランド品を売っているお店)でCHANELのベルトを購入。でも、ちょっと高かった。27000円と消費税5%だったけど、買った後に箱を見たら箱、75USドルって書いてるんだけど、、、箱がこのベルト用の箱でなかった可能性もなくはないが、この店は思ったより安くないのでオススメしない。そのまま成田空港に移動してシンガポールに出発。Changi International Airportからタクシーでホテルまで移動。75 Beach Road.のFu Yuen Bld.の6Fにレセプションがある「Lee Traveller’s Club」に宿泊。宿泊したのは4Fでエアコン付きドミトリーで10シンガポールドル(この頃1S$=82円程度)。

20日、とにかく観光。大砲場、Raffles Hotel、日本占領時死難民記念碑、Supreme Court、Merlion(マーライオンは誰もが知るアレですよ!口から水はいてるやつ、、、)、City Hall、ラッフルズ卿メモリアル、ラッフルズ卿Landing Site、Empress Place Museum、Fort Canning Park、Central Firestation、Armenian Church、St.Andrew’s Cathedral、National Library、Orchard Road Presbyterian Church、聖ハート教会、Teochow Bldg.、Tropical Garden、Peranakan Place Museum、、、観光してからSCOTTS(ビーチサンダル1S$と激安!)や高島屋で買い物。Peninsula Plazaの「SINMA」で安くて面白いアクセサリーを、そしてPeninsula Plazaの「This Fashion」で安い服を購入。Serangoon Rd.の「SITHI VINAYAGAR Co.」で10S$の安いサリーを購入。夕方、一旦ホテルに戻ってから夜にマーライオンをまたしても見に行くと、何かの映画を撮影していたので、見れてラッキー♪この日はバーガーキングで食事。

21日、Sri Mariamman Temple(靴を脱いでの見学。カメラ持込は2S$。ここでサリーを購入したが10S$と安い)、Durgha Temple、Thian Hock Ken Temple、Sri Veeramakali Aman Temple、Masjid Angullia Mosque、龍山寺、悟仏寺、Malabar Mosque、Sultan Mosque、と観光した。リトルインディアでインド風のペンダントを購入。寿桃(桃マン)の他、豆奨、マンゴーアイス、などなどを摂取。春なのに、暑さのあまり、この日の昼間は桃マン以外はアイスやドリンクとかジュースしか飲んでいない。一旦ホテルでシャワーした後、同じホテルに泊まっていた41才中国系シンガポール人男性、王(ワン)さんに話しかけられ、夕食に誘われ、おごってもらった。その後、映画に誘われ「タイタニック」をおごってくれた。いい人だった。

22日、Planet Hollywoodで食事し、De La Salle School、Haw Par Villa Dragon World(香港のタイガーバームガーデンと同様で、極彩色の像が多数存在。入場料たったの5Sドル。使者、地獄王、第1獄秦広王、第3獄宋帝王、第6獄卞城王、第7獄泰山王、第8獄都市王、孔子、西遊記、早生貴子、士農工商、唐代菩薩、現世音、、、といろんな像があってよかった。ちなみにここではヤシの実丸ごとジュースを飲み中をスプーンで削って食べたが、日本のココナツジュースと違ってあまり甘くなかった)、Jurong Birdpark、Jurong Reptile Park(ワニと一緒に写真を撮ってくれるサービスがありウキウキ撮影した。ワニ可愛い!!)、とまわった。タクシーの運転手さんにナンパされ、タクシーに行きたいところまでタダ乗りさせてくれた。その後、Tang Dynasty City(唐代のテーマパーク。10S$で唐の衣装を着せて写真を撮ってくれた。テーマパークのおばさんがシンガポールの情勢につき話してくれたが、シンガポールのタクシー運転手の給料は1995年頃は700S$だったのが、1998年に1ヶ月1000S$にアップしたが、物価上昇して厳しいようだ。おばさんのダンナは運転手なのか?)、と観光。ブギスビレッジで夕食をとったが、このあたりは、可愛いチャイナ服や安いCDや偽ブランド品が売っていて、見るだけでも楽しい。

23日、Sentosa島へ出かける。ここはテーマパークになっていて、とても楽しい。Merlion、Cable Car、Under Water World、Fort Siloso、Insect Kingdom Museum、Dragon Teeth Gate、Singapore Pioneer Chambors Museum(開拓者の蝋人形博物館)、Sultan’s Carousel(王宮風メリーゴーラウンド)、Magical Cups(アラジンのランプ風の変わったまわるカップ)、とまわった。茶卵、フィッシュボール、レモンティーと地元っぽいものを朝食にとった。この後はVolcano Land(マヤっぽい印象の石づくりのテーマパーク)に行くが、ここで美形の女装男性“蛇使い”に親切にされ、首に巻いている商売道具の蛇をタダで触らせてくれた。スカートをはいているので女性かと思ったら男性だった。日本には3回も行った事があるとのことで、Khomar(=Kuma Ali)さんという人だ。住所や電話を教えてくれたが、その後、手紙などを送りあい、のちに彼の家にホームステイさせてもらうことになった。この時はさらっとお別れし、Siloso Beach、Musical Fountain(音楽にあわせて噴水が踊る)を見てから隣のRasa Sentosaでライムジュースとチャーハンを昼食に食べる。フェリーでWorld Trade Centerに戻り、夕食にイスラム風の卵と鶏肉のお好み焼き“ムルタバ”(カレー付き)を食べた。「Banana Leaf Apollo」で食べたが、四角く切ったバナナの葉を皿代わりにして出すという南国風のステキなお店だった。Istana Kampong Glam、Sultan Mosque、Hajjah Fatimal Mosque、とまわってホテルへ帰宅。

24日、Singaporeから隣国のMalaysiaのJohor Baruへ行く。Sultan’s Palace(屋根が青くとても美しい。王宮というよりリゾートホテルっぽい印象だった。ちなみに屋根の青い瓦は日本の愛知からのものらしい)、Abu Bakar Mosque(Johor Baruの人々はこのモスクを“マレーシアで一番美しいモスク”と呼んでいるらしい)、と見て、マレーシアの「Kerala」でバナナの葉にのったカレーを食べた。再度、Singaporeに戻り、ブギスジャンクションでお買い物。蓮の絵がかかれた茶器を買い、現地のお茶の入れかたを無料で教えてもらった。難しいよ、、、。白牡丹、珍珠茶とお茶を2種類買ったら、小沱茶を1箱オマケにくれたのでラッキーだった♪ホテルに戻ると、また王さんに夕食に誘われ、中華を食べておごってもらい、そのあと、「Mouse Hunt」というコメディ映画もおごってもらった。ちなみにシンガポールでは映画の最中に携帯電話で話をしている人もいて、マナーの悪さに驚いた。

25日、Singaporeから隣国Indonesiaに向かった。Plau Batam(バタム島)にフェリーで向かい、寿司を食べた。この島はタクシーが多数で客引きがすごかった。帰りにPlau Bintan(ビンタン島)にも寄り、アフタヌーン・クルーズに参加。その後、ホテルに戻り、王さんに誘われリトルインディアの「Albert Complex」にあるタイ料理屋さんで夕食をおごってもらい、「Black List」という映画に連れて行ってもらった。ホテルに戻ると欧米人男性に話しかけられ、なぜかソロモン島のコインを見せられ、裏に面白い顔が刻印されているので「面白いね」と言ったらそのコインをくれた。ラッキー♪

26日、Singapore Zoological Gardenに行って、チンパンジーや象と記念写真を撮った後、象にも乗って満足した。象は背が高いし、紐や綱やつかまる所がないので少し怖かったが、象の毛が人の頭髪と違い、1本1本の間が2~3cmあいていてすごい剛毛だったので面白かった。Mee Gorengをランチに食べ、またマレーシアに行った。またしても「Kerala」に行ってバナナカレーを食べる。View Tower、Sultan’s Mosqueをまわり、パオ(肉マンなどのまんじゅう部分)を食べてみた。ホテルに戻り、近所をうろつく。

27日、帰国の日。早朝のフライトなので朝3時起きだ。王さんが心配してくれて、起こしにきてくれ、お土産に、とシンガポールのペンや、ビールや珍しいタバコや本やシンガポール風お年玉袋などをくれた。シンガポール人は親切な人が多かった。私はとてもラッキー尽くしの海外旅行のことが多いのだが、予期していない親切に出会うと、本当に嬉しい思いをする。こうやって私は旅に溺れていく。

帰国後、王さんは何度か電話をくれ、Khmarも手紙や電話を何度もくれた。ありがとう。

1997オーストリア&ドイツ&フランス(初父親との海外旅行、初団体旅行)

2008-01-31 07:48:20 | Weblog
海外旅行で親にお金を出してもらったのは中学生の時にLAに行った時と、この1997年にヨーロッパに父と行った時の2回だけ、という点で、非常に記憶に残っている。父は病院の経営者だったが、老健施設を建てるのにドイツの建物を参考にしたい、とのことで旅を決めたらしい。父と一緒に行くのは非常にイヤだったが、お金を出してもらえるなら仕方ないから海外旅行のために我慢しよう、と諦めてついていった覚えがある。また、旅行会社の団体ツアーで海外に行く、というのも初めての経験だった。日本旅行の主催するツアーで、「ロマンティック旅情10日間」と銘打ったツアーだった。参加費は一人40万円程度。今思えばもったいなすぎる!自力で行けば半額程度で済むんだもの。

1997年6月27日~7月21日まで、NYとカナダから戻ってきたばかりの私は帰国してさっそく日本の風呂に入り、旅の汚れを落とした。そしてちょとばかり骨休めし、翌月早速、この次の旅に出てしまうワケだ。8月4日~14日、ヨーロッパの旅 BY 日本旅行、、、。

8月4日、地元からNaritaに移動し、「Airport Resthouse」に宿泊。ホテル代は高いけど、自腹ではないので私は別にイイの。

5日、空港で添乗員や他のツアー客と集合し、エールフランスのAF275でParisへ。機内で映画「In Love And War(愛と戦いの日々)」を鑑賞。そのままAF1600でWienへ向かい、ホテル「Park Hotel Schoenbrunn」(ここはハプスブルグ宮殿の迎賓館だったとのこと)に宿泊。このあたりは治安もよく安心する。自由行動なので、一人で外出し、Otto Wagner Hietzing、Schoenbrunn城(部屋数1000以上ある!)、Casino Paradies、DE KARL LUEGER、Mariahilfer Kirche、Akademie Bildenden Kunste、Secession、Wagner Pavillion、Karlskirche、、、とまわった。スペイン系のお兄さんにナンパされたが夜遅いし怖いので当然着いていかない。Peterskirche、Kirche Am Hof、など、その後もウロウロし、夜中3時すぎにホテルに戻った。ウィーンは夜中2~3時でもネオンがついていて道路掃除の人がいたりした。

6日、午前はウィーンの市内観光。昨日もウロウロしたが、Schoenbrunn城(当時の水洗トイレや鏡の間や大広間や庭園などを見て回った。金閣寺で20kgの金を使っているのに対し、この宮殿ではその20倍にあたる400kgという大量の金を使用したとのこと。ハプスブルグ王朝の公式の色は白・赤・金だが、非公式の色として茶色もよく使用されている)。午後は自由行動なので、とりあえずウィーン24時間市電・バス・地下鉄フリーパスのチケットを購入し、Belvedere城、フランス大使館、Johann-Strauss像(この前で音楽生がコンサートをしていたので楽しんだ)、Votivkirche、Donau河(洪水が近いとのことで、河の水は青くはなく、深緑色をしていた)、そしてImperial Hotelでお茶をし、Hotel Sacherでザッハートルテを食べた。そのままZentralfriedhofに行き、Kapziner Kirche、Palais Pallaricini、王宮地下道、ミラーの像、Maria-Theresia像、Naturhistorisches Museum、Parlamentのアルテミス像、Rathaus、とまわった。夕食は「ホイリゲ」というワインレストランで音楽とともに夕食。朝からホテルのコンシェルジュに頼んでチケットを買ってもらっておいたMozart Konzertを聞きに、夜はKH(Konzerthaus)に移動。コンサートは、演奏家たちがモーツァルト風の仮装をして演奏するといった凝った趣向で、とても面白かった。バイオリンは3~4プル程度で少なかった。観客は観光客が多く、カジュアルな服装の人が多かった。

ちなみにこのツアーの添乗員のオジサン“オオキタさん”ときたらサイアクだった。オーストリア、ドイツ、フランスの旅なのにドイツ語は話せず、フランス語も話せず、英語がかろうじて話せるが私より下手で、この時ホテルでチケットを頼んでいたら「すごい英語上手だね~!」と感心していた、、、いや、、、むしろアンタが下手なだけだ、とコッソリ思う私。しかも、このあといろいろあるのだが、基本的に「ここが何城」程度の案内で詳細情報のガイドみたいな話はしないし(たぶん調べてない)、ドイツの学生牢やルーブル美術館など調査不足でウッカリ閉館日に連れて行くような人でした。更に、団体ツアー全体で宮殿とかの要所要所の前で何度か写真を撮らせてはカメラマンに現金を袖の下としてもらっている所を目撃!そもそも見知らぬツアー仲間との全体写真なんてほしくないけど、1枚1000円程度で売りつけられても要らないって、、、。日本旅行はイマイチなのだな~と実感しました。

7日、ウィーンからザルツカンマーグートへバスで移動。団体ツアーってこういうバス移動は楽でいい、、、荷物も全てホテルの従業員任せで全く持たずに済むし。ウィーンの森を眺めながら移動した。午前は「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったザルツカンマーグート(Salzkammergut)を観光。Traunsee(Traun湖)、Ebensee山、Traun川、Wolgangsee(Wolfgang湖)、を越えていく。周囲は2000m級の山々に囲まれ、70以上もの湖が散在する、美しい街だ。湖ではあちこちでヨットや水泳や飛び込みやパラグライダーで遊ぶ人が見かけられた。ケーブルカーでZwowelferhorn山に登ってみた。午後はバスでザルツブルグへ移動し、Mirabell garten(ミラベル庭園;「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場した)、Mirabell城、Barock Museum、Dom、Dreifaltigkeitskirche(三位一体教会)、Geburtshaus Hervert.V.Karajan(カラヤンの生家。Vonがついているしカラヤンは貴族だったようだ。現在は中が銀行になっていた)、Hoensalzburg城、Salzach川(この川を挟んで旧市街と新市街が別れている。冬にー20℃にも達するほど寒かったため旧市街の建物は陶器のストーブでも間に合うようにと一様に天井が低い)、Millnersteg橋、Mozart Geburtshaus(モーツァルトの生家。0~17歳までモーツァルトが住んでいた。3歳の時に最初にひいた4分の1のバイオリンがあり、成長後に使用したビオラとバイオリンも展示されていた。14歳で作曲したときのピアノも残っていた。ピアノの鍵盤は白黒が逆になっていて興味深かった)、Festspielhauser(音楽祭会場。ウィーンフィルがコンサートをする場所)、Kollegien Kirche、Residenz城、Dom(大聖堂)とツアーでまわった。団体行動に疲れ、この日の夕方からコンシェルジュに頼んでおいたFestspielhauserでのオペラ「LUCIO SILLA」を一人で聞きに行った。750シリング(この時、オーストリアシリングで1AS=約10円)と比較的高価だったが、3階の前から8列目というイマイチな席だった。ドレスアップした人、多数。このオペラの後、馬洗い池、Mozart像、Mozarts Wohnhaus(17~26歳までモーツァルトが住んでいた家。ちなみに26歳~死亡する35歳まではWienに住んでいた)、St.Sebastiankirche(モーツァルトの父レオポルトと、モーツァルトの妻コンスタンツェの墓がある)に行ってからホテルに戻る。この日はザルツブルグの「Dorint Hotel Salzburg」に宿泊。

8日、トランスベルグ城を見ながらバスでフュッセン(ロマンティック街道の街)へ移動。バスで可愛い家を見て「こういうのを他の娘達に作ってやるかな、、、」とつぶやく父。他の娘達って何?!半義姉と妹か?更に「さ、音楽かけますよ皆さん」となぜか音楽をかけ始める、、、恩着せがましいけど別に聞きたくないし、、、イヤホーン持ってるんだから使え!父との行動がほとほとイヤになる私。午後はHohenschwangau城(クリーム色のお城)、Nueschwanstein城(ノイシュバンシュタイン城。とても有名な白い美しい城。「トリスタンとイゾルデ」や「ローエングリン」の絵も飾られており、内装は見ごたえ充分。14人の職人が4年をかけて作ったと言うルートヴィヒ2世のベッド・キャノピーはすごかった)の観光。父は集合場所を聞かずに城の見物に行き、「いやあ、場所間違えちゃったヨ、ははは」と集合時間に遅れて集合した時はまず謝れよ、、、と心の中でツッコミを入れてみた。遅刻したときに私は他の人に「ねえ、お父さんいないよ」と言われたけど、父親の面倒なんて見れるか~!しかも、集合の時、19人のツアー客がバスの後ろで並んでたのになぜかその後ろでなくイキナリ真ん中に入り込んだので、はずかしくて困った、、、アンタは世界の中心じゃないよ。バスからホテルに行く途中でフュッセン近郊にあるSt.Mang Kircheに寄って、フュッセンの「Hotel Alpenblick」に宿泊。団体でホテルの夕食を食べに行くが、私はむかついて父と遠い席にこっそり座ってみた。父、夕食の席でなぜか「ワガママな娘が迷惑をおかけして、、、」としつこく繰り返していた。迷惑かけてるのはアンタだ!!!しかも父、酒に酔ったせいか、「本当は一番下の息子にあとをつがせたいんだけど、、、どんな贅沢でもさせてやるし、何でも買ってやるといったんですがねえ、どうにもつぐ気がないんですよ」とクダをまきはじめる、、、ていうか、私だってアンタの病院のあとは継がないよ!しかも、ホテルでは父のイビキがうるさくて全く眠れず。

9日、バスでフュッセンからアウグスブルクを経由しローテンブルク(Rothenburg)へ向かう。この途中の道沿いは小麦・とうもろこし・キャベツなどの畑と牧草地が多く、のどかだ。父、バス内で独り言と歌、、、ウルサイのでイラつく。ペア旅行はホテルの部屋やバス・フライトなどの席がセットにされるので非常にストレス。バスの中で体調が悪いらしいツアー客に父は必死に薬を分けてあげようとしていた、、、やたら押し付けるのはやめときたまえ。。。ローテンブルクは“中世の宝石箱”と称されるステキな街で、ここもロマンティック街道の重要な街のひとつだ。名物のウインナーソーセージとザワークラフトをランチに食べる。午後はローテンブルクの市内観光。Spitalbastei、Kirche Heilig Geist、Rathaus、Meistertrunk(1日に何度か動く仕掛け時計)、Franziskaner-kirche、Reichsstadt-Museum、St.Wolfgangskirche、Puppen Museum、Kriminalmuseum(犯罪博物館。エンボスなどが押せて面白い。当時、3回ののしったりする程度で国外追放になったり、ミサで居眠りすると厳罰を受けたらしいことが展示されていた)、Doppelbrucke(二重橋。橋の上にもうひとつ橋が乗ったようなデザイン)などなど、、、。「Gravuren Oberdorfer」でカッコイイ剣を買い、「Christmas Market」でクルミ形の可愛いクリスマスオーナメントを購入し、「Teddyland」(ドイツ最大のテディベア専門店。5cm程度の小さなベアがいた、、、本当に小さいものは800DM以上する。私は世界にひとつしかない、とても可愛い小さなテディベアを購入したが、239マルクだった。ちなみにこの時1DM=70円程度)。オヤツに名物のSchneeball(丸っぽい揚げパンのようなお菓子)を食べてみた。その後、バスでHeidelberg(ハイデルベルグ;学生の街)へ移動。「Rega Hotel Heiderberg」に宿泊。自由行動だったので、私は夜から単独行動をとり、学生酒場(1704年にできた。ホルン型のビールジョッキなどがあって楽しい。ピアノ演奏者もいる。机や壁や天井にいろんな名前が書いてあった)、Heidelberg城を見てきた。夜、父も出かけたらしいが鍵を忘れたらしく、夜中の3時にドアをドンドン叩いて起こされた。「どうしたの?」と聞くと「いちいちうるさいんだよ、貴様は!」と怒鳴られた、、、それはこっちのセリフですよ。。。そしてもう少し丁寧な言葉遣いってもんはできないの?それから、部屋のライトを全てつけ、夜中だというのに(日本時間を考えると、だからこそかもしれないが)日本の自分の病院とうちの母に電話をかけ始め、それからイビキをかいて寝に入った、、、が、私はイビキでまた眠れなかった。正直、こういう父と一緒に暮らしてきたわけで、死ね!とつい思ってしまうのも無理はない。。。。ちなみに、父は今、母にも、私にも、妹にも、弟にも見捨てられて独居している。これもまた仕方ないね、こういう人だったから。

10日、ハイデルベルグ城を団体で見に行く。ここでいきなりの自由行動。とりあえず周辺をめぐる。聖母マリア像、Markt Platz(マルクト広場。マルクトはマーケットという意味なので、ドイツにはマルクト広場という広場がものすごくたくさんある)、聖霊教会、Rathaus(市庁舎)、騎士の家(1689~93年にゲーテが住んでいたが今はホテルとレストランになっている)、Karzer(学生牢。日曜日だったので残念ながら閉まっていた)、大学図書館、Peterskirche(ついでだからミサに参加)、プファルツ選帝候博物館、カールテオドール橋、を見た。この橋のたもとには猫と鼠の像があり、猫はネクタイを締めてコインを手にしており、鼠は豊穣の印なので触るとお金持ちになると言われているとのことで、触ってきました。ちなみに、添乗員のオオキタさん、こういうプチ情報は全く持っておらず、ツアー客を勝手にウロウロさせていました。よそのツアー客が添乗員さんにそういう伝説とかいろいろ説明されているのをコッソリ盗み聞きして、私達ツアー客の一部も鼠に触ったりしていました。ここで城の写真をたくさん撮り、残金が7マルクになってしまい、「フィルム買うのにお金なくなっちゃったからホテルに戻って両替するまで30マルク貸して」と父にお金を貸してもらおうとしたら「なんで貸さなきゃなんないんだ」と不機嫌に言われ、うんざりしたので「もういいよ」と諦めた。バスでリューデスハイムへ移動し、Rhein川、Drosselgasse(つぐみ横丁)、を見てレストランで昼食。陽気なオカマが踊りにきていてちょっとほのぼの。船に乗り換え、ライン河クルーズをしてザンクトゴアハウゼンへ移動した。クルーズの時、父、「カメラ壊れたからライン川と城の写真をいっぱい撮ってくれ。これフィルム代にやるから」と15マルク渡される。調子よすぎだし、、、でもお金なかったので使う。フィギシストーン城、シャトー・クア(青くて四角い変わった城)、エーレンフェルス城址、Kropp城、ねずみの塔、Rheinheim城、Rheichenstein城(茶色で屋根がオレンジ色)、ゾーネック城、ノーリッヒ城、フェルステンベルク城址、Stahleck城。Pfarzrafenstein(プファルツ城)、Gutenfels城、Schoenbrug城、Oberweserの教会、Loreley(ローレライの岩)、ローレライ博物館、Katz城(猫城)、Rheinfels城、、、とライン川から見える限りのお城を見た。ちなみにクルーズ、甲板は暑いが、「ライン川下りは学生の頃からの夢だった」とうるさく言っていたはずの父が写真はすっかりまかせて中で涼んでいた、、、いい気なものだが実物、自分の目で見なくていいのか、、、とツッコミたい。ここからバスで再びリューデスハイムに戻り、「Traube-Aumuller」に宿泊。Bromser(ブリュンザー)城なども見ておいた。

11日、バスでフランクフルトへ移動し、AF1445でパリのシャルル・ド・ゴール空港へ移動。まだユーロの導入されていない時期で、1FFr(フラン)=20円程度。昼から、モンマルトルの丘、サクレ・クール寺院、モンマルトル博物館、Maison de Satie(サティの家。私、エリック・サティ大好き!)、モンパルナスの塔、マドレーヌ寺院、凱旋門、エッフェル塔(2000年まであと873日とのことで塔に873という数字がライトアップされていた)、シャイヨー宮、陸軍士官学校(ルイ15世が建てた)、アレクサンドル3世橋、サン・ジェルマン・デ・プレ、ノートルダム寺院、市立病院、警視庁、ノートルダム寺院内(北のバラ窓、ピエタ、最後の晩餐、サン・ドゥニ像、魔よけ人形などを見た、オペラ・ギャルニエ、を観光。そしてブローニュの森のレストラン「Le Chalet des Tles」でワインを飲みながらフレンチのフルコースディナー。夜は自由行動なので、ライトアップされた夜のエッフェル塔、グルネル橋、自由の女神像、ビル・アケム橋、市立近代美術館、パリ・アメリカン教会、ブルボン宮、コンコルド橋、オベリスク、コンコルド広場、フランス大使館、夜のマドレーヌ寺院(Sainte Marie Madeleine。カラフルな広告が寺院の壁にライトアップされていて面白い)、をまわって四つ星ホテル「Castiglione」に宿泊。。。のはずが、22時頃に帰ると帰宅が遅い、と父に殴られてホテルの部屋から閉め出された。鍵もないので部屋も使えないし、徹夜でホテルのロビーでゆったりしてものすごい早朝から散歩を始める。父と離れたいばかりに早く帰国したいような気になる。旅好きの私にしては珍しい。

12日、Sainte Marie Madeleineで朝焼けを見る。ピンク色の空にはえて、非常に美しかった。朝食時間がきたためホテルに戻り、朝食。午前は凱旋門、ベルサイユ宮殿、パレ・ロワイヤル(ここにある行きたかったお店がこの日はおやすみで残念)、ルーブル美術館(入りたかったのにこの日は閉館日だった。フランス滞在は11~13日の3日間なんだから、ちゃんと調べてくれたらよかったのに、、、とちょっと添乗員を恨んでみた。また来るからいいんだけど仕事でこういうのはダメじゃないの?)、をまわる。午後は自由行動。Rue de Rivoliの「eram」というお店は黄緑色の珍しいデザインの靴を売っていてよかったです(買っちゃいました!)。カルーゼル凱旋門(ナポレオンが作った小さい方の凱旋門)、サン・ジャック塔、サン・セヴラン教会、クリュニー美術館、Sorbonne大学、College de France、Oanteon、Luxembourg宮殿、St.Etienne教会、新オペラ座、7月革命記念塔をめぐった。夜は父が日本出発前からムーラン・ルージュのナイトツアーを申し込んでいたらしかったが、当時は私も勘違いしていて、ヌードを見るだけのいやらしいお店だと思い込んでいたので断固拒否。添乗員に「お金は戻らないけどいいの?」と言われ「見たくないのでいいんです」と断わり、前日追い出されて眠れなかった分、四つ星ホテル「Castiglione」でお先に熟睡。でも映画”ムーラン・ルージュ”を見たら行きたくなったので、これに何年も遅れて行くことになるのだが、、、。

13日、早起きして一人で徒歩で英国大使館、アメリカ大使館、エリゼ宮、日本大使館を見てまわり、ホテルの集合時間に集合してチェックアウト。AF276でパリを出発。

14日、Narita到着。

たとえお金を出してもらおうとも、気の合わないことが分かっている相手とは絶対旅に出るべきではない、ということと、団体ツアーというのは高い割には大してサービスもないので良くない、そしてツアーというのは添乗員次第だ、と学んだ旅だった。

愛妻の日

2008-01-31 07:43:42 | Weblog
今日、1月31日は愛妻の日!
http://www.aisaika.org/index2.html

赤のチューリップの花言葉は「愛の告白」なので、日付が変わった時にダーリンから「本物じゃなくてごめんね」と、メールで赤いチューリップの画像メールを送ってきてくれました。
http://www.tulip-nagano.co.jp/gardening/legend.html

ダーリンに会いたい、、、。しょぼん。

昨日借りてきたナルニア国物語、夜に徐々に読み進んでいます。「ライオンと魔女」を読み終わり「カスピアン王子のつのぶえ」にはいってます。大事に読んでるけど、、、さっさと読み終わってしまいそう。

今日は何をしようかな、、、。旅行日記の整頓の続きかしら。

一昨日、昨日、と赤ちゃん、お腹を頑張ってめちゃめちゃ蹴ってます。まるで普通の心拍のように蹴る数が多い。。。そろそろ出たいのかい?アタシだって出て欲しいんだよ、、、。

またチュニジア料理屋さん「L'Azure」へ、、、

2008-01-30 17:25:22 | Weblog
昨夜は、ダーリンの夢を見ました。そして、うちの地元の福田パン(抹茶あん)を大事に食べる夢を見ました。福田パンは本当に美味しいので岩手に行ったらオススメ!(ただしスーパーじゃなくちゃんとお店で買うのが美味しいの!)平日はダーリンは寮生活でいないので、ダーリンにその旨メールしてみたところ、「えみちゃんの夢に福田パンと一緒に登場できるなんて幸せ(笑)」と返事がきました。ダーリンはひたすら心配の日々で「今日はあったかいけど外行くの?転ばないように気をつけて、あったかくして行ってね」とか「妊婦ですぐ追いかけられないこと丸分かりなんだから、お財布を手に持ってフラフラ歩いてちゃ危ないから気をつけなさい。ちゃんとお財布は隠しとくように!」とか、愛情のこもった心配ばかりしています。そろそろ予定日なのでダーリンはかなり心配らしく、仕事の休憩時間になる度に「体調どう?変わりない?」とメールをくれます。昼休みには電話までくれました。夜も電話してくれるけど、、、。だいぶ気になってるらしい。私も気にはなってますが、、、陣痛来ないものは仕方ないんだもん、、、、。

今日は気温もあったかく、昨日の雨もやんで晴天!てことで、散歩がてらランチは大久保の「L'Azure」へ行きました。臨月の妊婦が12月から3回もカオを出しているので、すっかり覚えてもらってます。

今日はオージャブレッド、という料理をチョイスしました。スパイスのほか、パセリとほうれん草が入ったミートボールに、野菜を散らし、卵を落とした料理です。ピリ辛のソースで、ライスがすすむ感じで、美味しいです。サラダとカプチーノがついて800円。ランチは本当におトクですね♪混むと妊婦はお腹がジャマだろうと遠慮して、早めに行ったつもりですが、着いたのは12時ちょっと前。私が食べ終わる頃に、5人組と3人組の会社員の団体客が来たので、ちょうどよかったです。

とても天気がよかったので、暇つぶしに図書館で本を借りてきました。ちょっと子供だけど、「ナルニア国物語」。。。7巻もあるので暇つぶしには最適。

午後は旅行日記の整頓をしてました。昔は紙ベースで旅行日記を書いてたので、捨てたくなりました。旅行の写真も昔は普通に撮ってたけど、今はデジカメだからデータが場所とらなくてすばらしい。一眼レフにLOVEだった時代に、ちゃんとプリントアウトしてきた写真類をどうしたらいいかちょっと考え中。データとして残すのって確か結構お金かかるような気がした、、、。でも紙のまま写真撮っておくとジャマ、、、。しばらく考えておこうっと。

写真:今日のランチメニュー

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&id=395401
こんなニュース発見。中国製の餃子、、、こわ!死にそうなものをいろいろ入れちゃうのね、、、、。

千葉県市川市に住む飲食店の女性店員(47)ら親子5人と、千葉市稲毛区の母娘2人が、生協で購入した中国製冷凍ギョーザを食べて食中毒の症状を起こし、入院していたことが30日、分かった。市川市の5人のうち、二女(5)は意識不明の重篤となっている。市川保健所が調べたところ、ギョーザから有機リン系薬物「メタミドホス」が検出された。千葉県警捜査1課は、殺人未遂容疑でギョーザの流通経路などの捜査を始めた。5人は22日夕に冷凍ギョーザを食べ、嘔吐(おうと)や下痢の症状を訴えた。ギョーザは、ジェイティフーズ(東京都品川区)が輸入した「CO・OP冷凍食品 手作り餃子」で、千葉県は、絶対に食べないように呼びかけている。また、兵庫県警は30日、中国製の冷凍ギョーザを食べた同県高砂市の自営業の男性(51)と家族2人が、嘔吐や下痢などの食中毒症状を起こしていたと発表した。パッケージの内側から、有機リン系の農薬「メタミドホス」が検出されたため、県警は食品衛生法違反容疑などで捜査を始めた。調べでは、「手包みひとくち餃子」。20個入りで、ジェイティフーズが中国から輸入して販売している。高砂市の男性は今月5日午後6時50分ごろ、自宅で妻(47)と二男(18)の3人でこのギョーザを食べ、病院へ搬送された。3人は10~14日入院したが、現在は回復しているという。

1997NYとカナダ(初めてのホームステイ、そして海外初のストーカー) 2

2008-01-30 16:49:33 | Weblog
続き。

7月10日、野球試合のため、俊彦さんと一緒にNYCに戻る。Yankee StadiumでDetroit Tigers VS NY Yankees。この日のスタジアムのattendanceは51901人という大人数だった。Tigers 3点、Yankees10点という大差で圧勝!HIDEKI IRABU選手(35番)も見れて満足。ちなみに、伊良部選手、7月28日にはマイナーリーグに戻ることが新聞で公式発表されたので、これはメジャーで登場した貴重な1戦だっただろうと思われる。

11日はNYCのロウアーマンハッタンとブルックリンを周遊。Netherlands memorial
Monument、Castle Clinton、Statue Of Liverty(いろいろなところに自由の女神の像があるが、これが本物の、というか一番有名なあの像。ちなみに自由の女神の冠の7本のとげは、7つの大陸と7つの海を表しているらしい。像を表から裏までグルグルまわり、あらゆる角度から堪能した。結構上の方まで登れるので面白い)、Liverty Museum、Ellis Island Immigration Museum、Battery Park、Museum Of American Indian、Trinity Chrch、Federal Hall、Wall Street、NY Stock Exchange、Trinity Museum、Burying Trinity、WTC;Twin Tower、Brooklyn Museum、とめぐった。

12日はセントラルパークとハドソン川沿いを探索。The Children’s Zoo In Central Park、Andelsen Statue、Alice Statue、そしてMetropolitan Museumで芸術を6時間かけて堪能。

13日はソフィーと野球試合がメイン。まずはソフィーでアンティークを物色し、アクセサリーを購入。午後からYankeesのGameがあったので入場。アメリカだと10ドルちょっとからゲーム見られていいよね。この日はCap Dayなので、NYヤンキースのCapをもらった。ラッキー♪この日はTigers3点、Yankees1点で負けちゃった。同じホテルの大阪人の浩一さんと仲良くなり、いろいろ話をする。同時にドイツ人のAndreaとも仲良くなり、住所交換したが、彼はこの後ドイツに戻らずなぜかNYのマクドで就職してしまう(笑)

14日はNYCは結構見尽くしたため、ミュ-ジカルに手を広げた。Two World Trade Centerでハーフプライスチケットを売っているのでちょっとだけ並んでチケットを購入。「Cats」を手数料込みで38ドルでGET。日本よりダンゼン安いよ、、、。チャイナタウンでランチ。ついでにハーフプライスじゃなく良い席でも見たかったから「オペラ座の怪人」(75ドル)と「レ・ミゼラブル」(35ドル)もチケットを劇場で購入。20時から「Cats」を見に行ったが、1階席のいい席だったので、猫達が舞台に出てくる時にいっぱい触られた。歌姫の猫イザベルがきれいだった。メモリーの歌が耳に残ってはなれない。。。

15日はブロンクスとクイーンズをメインに周遊。このあたりはマンハッタンから離れた分、少し田舎っぽい雰囲気になる。物騒という話も聞いたが、昼間はそうは見えなかった。Bronx Zoo、Monument Of The Earth、Queens Museum、Tennis National Museum、、、とめぐった。オーストラリア人のMareeと仲良くなった。

16日、暇つぶしにローラーブレードを購入。NYCではよく公園とかで遊んでいるので、、、何となくやってみたくなった。公園で散々滑って遊んだ。Post History Museum、State Post Officeを見物し、14時から「Les Miserables」、20時から「The Phantom Of The Opera」のミュージカルを鑑賞。

17日、ホテルをチェックアウト。NJのAnnieから電話があったらしい。GreyhoundでNiagara Fallsまでバスチケットを購入する(片道59ドル)。俊彦さんがサプライズで駅まで見送りに来てくれ、駅のあたりでは荷物も運んでくれて、ちょっと感激で目がウルウルしちゃった。Buffaloにつき、夜景を見つつ通り過ぎる。

18日金曜日、早朝にナイアガラに着き、ユース「Canada Ontario Hostelling International-Niagara Falls」にチェックイン。ちょうどいい感じに田舎っぽくて、美しくて涼しい街だ。Niagara River、Christ Chrch、Niagara Falls Museum、Niagara Falls(TVやガイドで見てたけど、本当に雄大で癒された)、Rainbow Centre Outlet、Niagara Casino、、、とまわった。午後、一旦ユースに戻ったら、私がキープして荷物を置いておいたベッド(チェックイン時にベッドナンバーが書いてある紙を渡されるの)から私の荷物が全部どけてあって、新しく韓国語の本が置いてあった。誰か韓国人(朝鮮人?)が人の荷物を勝手によけてめぼしいベッドを占領したようだった、、、ちょっとムカついたけど、シャワーして気を取り直す。夕方、ローラーブレードでClifton Hill、Skylon、Haunted House、Dracula Haunted Castle、Repley’s Believe It Or Not Museum、Moviel Wax Mmuseum、を見て、Niagara Fallsにもう一度行く。5月中旬~8月末の金曜の夜は22時からナイアガラの滝で花火があるので、ちょうど金曜日でよかった、、、夜、fireworksを見てきた。ここでもラッキー♪ちなみにNYCでは花火一発ごとに口笛を吹いたりYeah!と叫んだりとノリノリの人が多かったが、このNiagaraでは全部の花火が終わってから静かに拍手するという人がメインだった。国民性か?

19日、Trentway-Wagarのバス(Greyhoundと違い、従業員態度がかなり良く、親切)でTorontoに出発。1時間程度でついてしまう。早速「Clarion Hotel Essex Park」にチェックイン。St.Andrew’s Lutheran Chrch、CN Tower、Union Station Grand、とめぐり、「Planet Hollywood」でランチ。その後、Hockey Hall、St.James Cathedral、United Chrch Of Canada、St.Michael’s Catholic Catedral、Jarvis Street Baptist Chrch、The Pantages Theatreとまわってこの劇場で「The Phantom Of The Opera」のチケットを購入(一番安い席でTax込みで58カナダドルと高め。NYCではあえて高い席のチケットを買ったけど、一番安いのは15USドルからだった、、、。また、NYと違って立ち見はないらしい。そしてNYCではまず毎日やってたけどTorontoでは週4~5日程度。芸術に対するスタンスの違いなのかしら?)。NYCでも見たけどいいのっ、カナダでも見たかったの!疲れたので一旦ホテルに戻り、1時間の長風呂。バスタブのあるホテルって大好き。ちなみに、入浴中には街歩きで手に入れたTake Freeの新聞を見てみたけど、ゲイ同士が恋人募集する広告や、自分はこんな身長で何色の髪でセクシーだけど一晩つきあったらいくらですよと堂々とお金を要求する広告とか、James Dean似のイケメンですけど恋人募集してるからここに電話して、という広告だの、、、いろいろだった。何と言うか開けてる国なのね~、と実感。

20日、ホテルからシャトルバスに乗り、Toronto空港へ。Mineapolis経由でNaritaへ帰国。日本人にチカちゃんと仲良くなり、おしゃべりしつつ、21日にNarita到着。

帰国中に読んだ新聞にClintonがいい言葉を載せていた。
You have shown me today.That is the America you must make.It begins with your dreams,so dream learge,live your dreams.(US President-Bill Clinton.)

帰国すると、早速21日にHonorataから、そして25日にはRudyから手紙が届いていた。律儀。ずいぶん時間をかけてまわったが、本当に勉強になった旅だった。

1997NYとカナダ(初めてのホームステイ、そして海外初のストーカー)

2008-01-30 16:48:33 | Weblog
人生4回目の海外旅行は1997年6月27日~7月21日、NYの旅。

6月27日、金曜の大学の授業が終わった後、地元からの夜行バスに乗り、28日朝に東京到着。いつも思うけどこの移動がムダ!絶対、東京(さもなくば関空が近い大阪や京都あたり)に住もう、と決心したのは私が旅好きだったから、というのが一番の理由だ。夏休みいっぱいをまるまる旅に出ようという旅女、、、。

28日、朝に東京駅につき、すぐに成田空港に移動。NWでChicagoとDetroit経由でNYへ。成田ではシカゴからロスまでレンタカーで一人旅予定、という関西人のお兄さんと仲良くなった。その後、デトロイトの空港でイリノイ州シカゴに住むフィリピン人女性、Honorataさんに話しかけられ、シカゴにきたらぜひ泊まって!と勧誘される。ちなみに彼女は筆まめで、帰国後もよく手紙をくれた。私の印象では、白人より黄色人種の方が筆まめで旅での縁を大事にする感じがある。白人の場合、かなり話がはずんでいてもその場限りということが多い。そして黒人の場合、かなりナンパされる、、、当時の私の外見は黒人好みらしかった。デトロイトからNJのニューアーク空港に飛ぶ間、フィリピン出身でアメリカ人と結婚したというAnnieと仲良くなる。夜中に空港に着き、ホテルを探す時に、「夜は危ないからうちに泊まりなさい」と拾われ、彼女の家に泊まらせてもらった。これ、人生初のホームステイ(笑)ダンナさんはその日は不在だったけど、father-in-law(白人)のFredが車で空港に迎えに来てくれてて、連れて行ってくれた。彼は医者だそうで、私が医学生だと話すと、家でグリーンの術着を着てみせてくれた。mother-in-lawのJuliaもいい人で、遅い時間なのに皆でお話して、兄弟や将来の話をして過ごした。将来何になりたいか聞かれ、pediatricianかpsychiatristと答えた(この時はそう思ってたからね)。NYから帰る前にまたNJに寄って観光しようよ、とAnnieに誘われた。

29日、朝食を食べさせてもらい、NJをウロウロ。黒人にナンパされる。昼くらいにNYに移動するね、と話して、Millburn-Short Hillsの駅からPenn Stationまで移動。お義父さん達が車で送ってくれた。いい人達!みんなで写真を撮りました。この後も、AnnieやFred達は手紙をくれました。NYに着いて、まずホテルへ。80th St&Riverside Drive.にあるRiverside Tower Hotelにチェックイン。長い滞在になるから、比較的安い金額の方がいいと思ったけど、最初はそこそこきれいなところがいいと思って決定したの。でもココは金額がイマイチでした。この日はNYのハーレムとモーニングサイドハイツをまわった。St.Paul&St.Andrew教会、St.Ignatius教会、Greek Annuncation教会、The Williams Momorial、Straus Park、Columbia Univ(Alma Materの像を見て、ロウライブラリー、バトラーライブラリー、Hamilton像、Jefferson像、Kent Hall、Uris Hall、、、)、と観光。Columbia Univ.の専用救急車を発見し、嬉しくなった。日本って大学で独自の救急車は基本的においてないとこ多いよね。その後、Barnard College、Riverside Chrch、General Grant National Memorial、St.John The Devine教会、Children Sculpture Garden、Canaan Baptist  Chrch(これはLenox Ave.&W111St.にあり、このあたりは黒人ばかりでハーレムっぽい印象だった。ホームレスっぽい人は卑猥な事を言っていたし、比較的若そうな黒人は私と比較的そばにいた白人にむかって「このあたりはお前らの家じゃない、出て行け」と叫んでたし、治安はサイアク。なのでさっさと退散しました)、SMH(Studio Museum in Harlem。入場料3USドル。写真禁止。アフリカ系のアートなどを置いているが、販売しており、写真や本も近代モノばかりで思ったより良くなかった)、Bobby’s Happy House(ゴスペルのレコードやCDを売っている。安い。この日は残念ながらしまっていた)、First Corinthian Baptist Chrch、Morningside Park、とまわりました。この日も同じホテル「Riverside Tower Hotel」に泊まったけど、2泊で130ドルと言ってて、カードで払ったけど後でよくよく見たら150ドルになっていた。1泊75USドル(9000円)。Taxじゃないよ?ちょっとボラれたな~と思った。ここで、カード使う時はその場で金額をチェックしないと、と学んだ(遅いって?)。

30日は月曜日で、主なミュージアムは殆ど閉まっているので(水~土は殆どがOpenしてるので美術館めぐりには最適)、主にアッパーイーストとアッパーウエストの、違う場所をまわった。Emanuel Temple、The Frick Collection(休日だったが頼んでみたら見せてくれた。ラッキー♪)、その後、「Soup Burg」でハンバーガーを食べた。そのままWhitney Museum Of American Art、Jaro Art Gallaries(ここのショーウィンドウは可愛いディスプレイで良かった)、とまわり「J G Melon」でティータイム。Islamic Cartural Centerに寄り、「TWINS」(この喫茶店は全従業員が双子なのが名物!)でティータイム。Terence Carsinal Cooke Health Centerを見学し、Barrioミュージアム、Museum Of The City Of NY、NYメディシンアカデミー(門からしてゴールドでカッコイイ)、写真国際センター、Jewish Museum(Cairoの手紙やMosaicやユダヤ人収容所の模型などいろいろあり、非常に良かった)、Cooper-Hewit National Design Museum(ちょうどイベント中だったらしく、面白かった)、National Academy Museum、The Solomon R.Guggenheim Museum、と美術館をまわり、疲れたのでCentrak Parkで一休み。その後、NY State Theater(ここからすぐに有名じゃない方のThe Statue Of Livertyが見えた)、Lincoln Center、Metropolitan Opera House、そして憧れのJulliard School、をまわり、Theodore Roosevelt Parkで休憩し、American Museum Of The Nature History(月曜は休みのはずなのになぜかあいていた。閉まるまで時間が少なかったがすべりこみセーフ)とまわり、Tower Recordsでアシュレイ・マックアイザックやマービン・ゲイのCDを購入。Felissimoでお茶を何缶か買い込んだ(NYは殆どJCBカードが使えないが、ここは利用可だった。日本でも通販している会社だが、ビルの中は見渡す限り日本人はいなかった)。ホテルで映画を見て就寝。

7月1日はマンハッタンのヘルズキッチンとミッドタウンウエストをめぐった。St.Jame’s Presbiterian Chrch、GEビル、Rockfeller Center、St.Mary The Virgin教会、Times Square、Flatironビル、NY Public Libraryをまわった。安くて手軽な服を見つけ、買い込んだ。JulliardのBookstoreに前日に引き続いて訪れ、CDや本やステーショナリーを購入し、満足。昼に、「Sugar Hill International House」という安いホテルに移動。4階の部屋で二段ベッドの上のベッドだった。安いホテルでエレベーターがなかったので、スーツケースを持って4階まで徒歩というのは大変なので、次回はもっと低い所に希望を出そうと学ぶ。ちなみに、スーツケースは運びにくいので、世間のバックパッカーのように、その後(いつだったかしら?この次の年かな?)バックパックを購入することになる。こうやって旅でいろいろ学んでいくわけだね。この日の午後はModern Art美術館に行き、終日堪能。

2日はミッドタウンイーストとエンパイアステートビル周辺と五番街を観光。前回クローズだったWhitney Museumに再訪。「CONWAY」という激安店で靴や服をちょっとだけ買う。The Empire State Buildingに登り、Two Grand Center Tower、The United Nations Headquarters(中でツアーをしているので参加してみた)、General Assembly Building、The Urban Centerとまわった。「VERMONT TEDDY BEAR」というクマの店を発見し、大興奮。等身大以上のクマがいて、ウットリ。その後はSony Plazaの中にあるSony Wonderへ入る。ここ、日本のソニプラとは違ってああいう小物ショップじゃあないの。いろんなSonyの機械の展示とかがあり、自分の写真をとりこんだり、その写真入りの終了証をもらえたり、宇宙っぽいイベントがあったり、玄関ホールではダンス披露もあって、面白かった。そこからCrown Building、「TIFFANY&CO.」、Trump Tower、St.Thomas Chrch、St.Patrock’s Cathedral、Rockfeller Center、Citycorp Center、St.Peter’s Church(小さくてすごく可愛い教会だった)、Chrysler Building、とめぐった。

3日、チェルシーとソフィーとグラマシーパークをメインにめぐった。まず行ったのがThe Statue Of Liberty(W 50St.&8Ave.にある方)、Rockfeller Center Plaza、Helmsleyビル、Grand Central Terminal、The Statue Of Liverty(5Ave&W35 Stの方)、「Pete’s Tavern」(NY最古の酒屋。O・ヘンリーの小説にも出てくる)、Con Edison Energy Museumとめぐった。「Barney’s」があったので、CHANELのアイブロウを購入するが、やっぱりJCBカードは使えない。この頃、私の経験ではアメリカでJCBカードは殆どの店で使えず、日本人の少ない所では“何コレ?クレジットカードなの?ふ~ん”と言われることが多かった(今もたいして知名度はないけど)。その後、「Limelight」(ディスコになった教会ということで珍しい)、Beneral Theological Seminary(すごく普通っぽい建物だった)、Hotel Pennsylvaina、Penn Stationと移動。道角でシシカバブ(Shish-Ke-Bab)を立ち食い。パン付きで2ドルせず、安くて美味しい。47丁目のダイヤモンド街に、ユダヤ人のダイヤ商人がたくさんいた(黒い帽子に黒いマントで特徴的)。Police Academyに寄って見学し、帰宅。

4日はNYCのソーホーとトライベッカとグリニッチビレッジを周遊。ちなみにこの日はアメリカの誕生日(独立記念日;Independence Day)!St.Paul The Apostle教会、United Methodist Chrch、St.Vincent’s Hospital、「Jekyll And Hyde」(この隣はかなり好みのカッコイイインテリアショップでオススメ)、World Trade CenterのTwin Tower、「FILA」(壁の絵に、ロッククライミングのような形の人形が釣り下がっていて面白かった)、Contemporary Art博物館、African Art博物館、Guggenheim Museun SOHO、Haughwort Bld.(No.488 のカーストアイアンビルとして有名)、「Mezzogiono」(メッゾジオーノは映画“ゴースト”のロケで使われて有名)、「Rizzoli」(リゾーリは映画“恋に落ちて”で主人公2人が出会った本屋)、「Teddy’s」、「Nobu」(ロバート・デ・ニーロが作った和食レストラン。かなり有名よね)、「Puffy’s Tavern」、Washington Square Park、NYU、Jadson Momorial Chrch、St.Anthony Of Padua Charch、Gay St.(ゲイが多くて有名)、Christpher St.(ゲイが多くて有名)、Chrch House(最初のPresbyterian Chrchとして有名)、ASTI、とまわり、E 45Th&4Aveの間くらいにある旭屋書店で日本のアニメの英語版をウキウキ購入し、East Riverを眺めつつFDRから独立記念日のお祝いの花火を見た。5時間くらい前からすごい人だかりで、みんな、場所取りをしていた。最高で1秒に22発のfireworks、、、すばらしい。花火に興奮して空にむけて発砲している日ともいた。NY、ファンキーだ。。。この日は23時頃に地下鉄で帰宅。この日、まわったところが、NYテロでGround Zeroになってしまったところなので、感慨深い。この時に見ておいてよかったと思う。

5日はリトルイタリーとチャイナタウンと、そして飛んでるイーストビレッジをめぐった。黄大仙廟を見て、近くで中華風魚団子のようなものとフォーチュンクッキーなどを食べてみた。「Angelo’s」、Old St.Patricks Cathedral、「Vazac’s」(映画“クロコダイル・ダンディ”で使われた)、Bowery St.Marks教会、St.George Ukranian Catholic Chrch、Grace Chrch、NY Eye&Ear Inftrmaryをめぐった。

6日はロウアーイーストとシビックセンター、そしてメッツの試合がメイン。South Street Seaport Museum、South South Street Seaport、St.Paul’s Chapel、City Hall、とまわりBrooklyn BridgeからTwin Towerを眺めた。シェアスタジアム(Shea Stadium)でMETSの試合を見よう、と訪問。この日は偶然、Chase Negro League Cap Dayということで、カンザスシティのキャップを配っていてタダでもらっちゃった♪ScoreはMarlins2/9、Mets2/9で勝負がつかず12回戦までやってMetsが1点とり勝利。バレンタイン監督(濃い色のグローブをしていた)やカシワダ選手(No.18)、他にPratt選手(打率5割!)、Everett選手の写真も撮った。出てきたLopez選手と握手もしちゃいました☆同じホテルで仲良くなった日本人の俊彦さんという人に13日はヤンキースVSデトロイトだけどCap Dayだからオススメ、と情報をもらってホクホク。この日、伊良部選手がトレードされてヤンキースにうつったらしく。7月10日がデビュー戦とのことで、この日にも行こう、と決心。

7日。NYCはおおむね見たので、俊彦さんに誘われ、Bostonに一緒に行ってみる。荷物は重いのでNYのホテルに置いたまま。Greyhound Linesのバスがこのあたりではよくあり、NYCからボストンまで54ドル。Bean Townと呼ばれるこの街は、どうにも地味な、暗い印象の街だった。勉強の街、というイメージだ。ここの黒人は割と体格のいい人が多く、裕福な印象を受けた。Christian Science Center、Prudental Center、とまわり、Boston Public Libraryに二人で寄って日本の新聞を読み、日本情報をGET。この図書館からBoston Marathon Goalが見える(地面に堂々とペイントされている)。Trinity Chrch、「FAO Schwarz」(店の前に大きなテディベアの像があり嬉しくなった)、Park Street Church、St.Clement’s Archdiocesam Eucharistic Shrine、などをうろつく。とりあえずYMCAのユースホステル「Boston International Youth Hostel」に二人ともチェックイン。男女別々のフロアに分かれていて、当然ここもドミトリー。二人で韓国料理屋さんでランチ。

8日、一人でBostonをうろつく。John Hancock Observatory(普通のビルでガッカリ)、Arlington Street Church、Public Garden、Boston Common、Soldiers&Sailors Civil War Monument、Frog Pond、Granny Burying Ground(James Otis、Samuel Adams、John Hancock、Paul Revere、Franklin Family Obeliskなどがあった)、Old Corner bookstore、Old State House、Old South Meeting House、Old City Hall、Benjamin Franklin Statue、King’s Chapel、Samuel Adams Statue、Site Of Boston Masaccre、Boston Tea Party Ship&Museum(入場料5.50ドル。あのボストンティーパーティ事件の船を博物館にして、中に乗せて見せてくれる。“Into The Sea!”と叫んでお茶箱を落としたりしていて面白かった。お茶を飲ませてくれた)、Massachusetts State House、Paul Revere House、Old North Church、Bunker Hill Monument、Charleston Navy Yard、USS Navy Ship、Museum Of Science(ラッキーなことにちょうど私の好きなダ・ヴィンチ展をやっていた)、MIT、Harvard Univ.(賢い人が盛りだくさんだよね、、、ウキウキしちゃった)、Isabella S.Gardner Museumとめぐった。ちなみに、この日は街でFanuil Hallに行く途中、スーツを着た黒人男Rudyにナンパされた。新設に探していた場所まで連れて行ってくれ、日本に興味があるから是非名前と住所を教えてくれと言われ、コーヒーをおごられた。そしたらどうも話が微妙で手を握って離そうとせず「今までみた日本人女性の中で一番美しい!愛してしまったんだよ」などと口説きはじめたので放置。昼食にも誘われたが、ナンパじゃん、、、と気づいて拒否。「じゃあせめてディナーはどう?会いたいんだよ、お願い」とディナーにも誘われたけど、連れがいるので、と当然冷たく拒否して別行動とさせてもらった。「今夜、せめて電話をくれないか」と言われたけど「忙しいから無理」と拒否。ちなみに、うっかり教えた住所に、帰国後、しっかりとラブレターが届いていた。この後も5年ほど、「愛してる」「結婚してくれ~」など手紙&電話攻撃が続き、ストーカーってこういうものなんだろうか、と悩むことになる。しかしこれもいいネタだ、と思っちゃうあたり、私って懲りない女なのかも。

9日、やっぱり一人行動。自由でいい!この日行きたかったのが、ヘミングウェイの影響でCape Cod。South Station、New England Aquariumに行った後、South StationからCape Codまでのチケットを購入。Cape Codの中心はHyannis(ハイアニス)だったが、ダウンタウンも含め、非常~に地味な街だった。街というか田舎。Federal Chrchに寄り、ショッピングモールの「Cape Cod Story Land」で唇型の電話機を発見してウキウキ購入(日本で1万円くらいで売っていたのを見たことがあるけど、高いな~と思って検討中だったのですが、なんと30USドルでラッキーでした。ちなみにカードのサイン、漢字でサインしたけど店員さんに“すごいわ~!こんな難しい字、なんで書けるのー!?”と大興奮され、しかも隣の店員さんにまでサインを見せられ、面白かった)。その後はBoston Conservatory Of Music、Symphony Hall(小澤セイジさんが当時属していたところ!)、Massachusetts Horticultural Society、The First Chrch Of Christ、とめぐった。夜は「天然居」という中華レストランに俊彦さんとゴハンを食べに行った。

1996香港(初のツアコン係の記憶)

2008-01-30 11:20:35 | Weblog
人生3回目の海外旅行は1996年7月17~31日、香港。

出発前日の16日に横浜に住むシホちゃんちに宿泊。田舎に住んでると空港までが遠くて面倒よね。

17日、NW17便で出発予定だったのが、整備不良のため出発せず(英語でもっと詳細をアナウンスしていたけど、どうやら整備不良というより燃料のリークのようでした。怖い~!)。お詫びってことで1万マイルをもらいました。出発が翌日に延期になったのでホテルと食事は航空会社が負担してくれました(予約も全部しておいてくれていました)。トランクが奥の方に積まれているので出せない、と言われて、その日の分の下着代を頂き、Diorの下着をホテルで買ってしまいました(^^)さすがにブラは売ってなかったけど。私は日にちに余裕があったのでむしろいろいろ貰えてラッキー♪でも、香港2泊3日旅行ツアーのおばちゃん3人組とかは「どうしてくれるのよー!」と騒いでました、、、仕方ないね、その日程じゃたしかに頭にくるだろ、、、でも“じゃあ飛びます”って言われても怖いよ。他にも「トランクが出せないなんて常備薬が中に入ってるのにどうしてくれるんだ、キミじゃ話にならないから上司を呼べ!」と怒鳴ってるアメリカ人らしきおじさんも見かけました、、、確かに薬はないと困るね。

18日、NW17D便で香港に出発。フライトで香港在住の方と仲良くなりました。啓徳(カイタック)空港に到着したあと、九龍の重慶大夏(チョンキンマンション)の香港ゲストハウスを予約してたのですが、「そこはつぶれたよ」と言われ(今思うと客引きのウソかもしれない)、REGENT INN GUEST HOUSEに宿泊。シングルがなかったので、200香港ドルの4人部屋を一人で使った。

19日、セントラルにスターフェリー(2ドル)で移動。レパルスベイで天后廟を見て縁結びの石をなでてみた。サイインプンに移動し、文武廟、キャットストリート、ウエスタンマーケットをうろつき、古そうな剣を購入。アンティーク大好き!督憲府、聖約ホン大教堂、香港動植物公園、に行き、ランドマークとぺダービルディングで買い物し、Peninsulaでお茶をして、香港太空館でプラネタリウムを見て、St.Johns教会に寄り、チムサチョイのホテルに帰宅。

20日、新九龍の九龍城に行き、九龍塞城公園に入って見物。九龍は悪党が多いって言われてたけど昼間はそんなことないと思う。結構明るくて安全そう。このあたりにあるいろんな公園やお墓や廟に寄った。そのあと太子で散歩。チュンワンで竹林シムユン、三棟屋博物館を見て、ウォンコツに移動。ネイザンロード、上海街でヒスイを買い、女人街の「Me&G」でスーツをねぎって買い込み(1着100~180香港ドルと激安)、しかもちょっと荷物運びを手伝ってピンクのスーツ(上下で110香港ドル)をタダでもらった。ラッキー♪St.Andrew教会、裕華国貨で雪蛤(カエルの脂肪)ジュースやチャイナ服を購入。男人街で黄緑色のシルクのチャイナ服をねぎって購入。

21日、沙田で万仏寺や曾大屋や大曾堂へ行った。大曾堂で雨宿りしたとき、ちょうどピロティーで拳法教室を教えていた人がいたのでついでだからと無料で教えてくれた。香港人、親切。いい運動になりました。アバディーンの水上レストランで食事し、ワンチャイでお買い物。タトゥー屋さんがあって、額にいれようとしたら顔はダメだと断わられた。残念、、、でも今思えば、顔にしなくて良かったかな。この日、候王誕の祭りがあったので九龍城の候王廟へ行きました。その後はマーケットで買出し。当時は、お土産大好きっ子だったので、家族や大学の友達や先輩にいろいろお土産を買い込んでました(ハガキとかブランドのハンカチとかルージュとかオパールとかヒスイとか現地のマンガ本とかお菓子とか、、、)。今は荷物が多くなるのがいやなので、お土産も必要最低限だけにしてます。

22日、ヤウマテイの天后廟、ウォンコツの信和中心(マンガ屋サン)、トンローワン、ビクトリアパーク、タイムズスクエアなどに行った。トンローワンではヌーン・ディ・ガンといって昼に大砲を撃つ無料の式みたいなのがやっているんですが、香港が中国に返還されたらこういうお金にならないのはなくなるんじゃないかと言われていたので、とりあえずこれを見に行きました。その後、アウ・ブーン・ハウ・ガーデン(タイガーバームガーデン)へ。有名なタイガーバームを売り出した人が作った庭園で、無料で入れ、その割には極彩色できらびやかで面白い像が多く楽しい(地獄のいろんな王の像もあって私、興奮してしまいました♪)。残念ながら2006年に行った時には、これはもうなくなってしまっていたので、このとき見ておいて本当によかった。ちなみにこのとき、上海からきた中国人のおばちゃま達が話してたけど、シンガポールにもタイガーバームガーデンがあると言ってました。クイーンズ・カレッジ、蓮花宮、キングズロード、チュンヨン街、孔聖堂、金鐘展覧館、金鐘花園、香港公園、フラッグスタッフ美術館、ビクトリアパークへ。そしてウォンコツに寄ったら、雀仔街(バードストリート)で虫を戦わせる賭けをしていました。そのあとはチムサチョイに戻り、旧九龍駅時計塔、清真寺なども見物。ホテルに戻ったけど(しばらく前からだが)隣室の黒人にナンパされ、無理やり彼の家族なんかの写真を見せられる。

23日、ホテルにて、朝から隣室の黒人に「愛してる」とか言われ、微妙な気持ちに、、、。大して会っても話してもいないのにそんなのあるかー!「もう出かけるから」と言ったところ、なぜか急に警官たちがホテルに乗り込んできた。どうやら不法入国者の取り締まりらしかったけど、警察の手入れがあるとは!パスポートとかを怪しい人たちには見せるように話していて、すごいと思ってしまいました。私は日本人で見るからに安全そうだったのか、警察にはノーチェックでフリーパスでした。友達とこの日、合流予定だったので、新しい、ちょっといいホテルに移動。隣室の黒人男は、さんざんに私がフッてしまったのに、どうにもいい人で重いスーツケースを新しいホテルに運ぶのを手伝うと言ってきかなかった。私のスーツケースは本や紙が多くすごく重かったのに「IT’S COOL」とか強がっちゃってちょっと面白かった。到着を待つ間、長洲島に観光にでかけようとするが、彼はまだついてきた。一人で行きたいんだけど、、、、でも往復のフェリー代をおごってくれました。長洲島でも北帝廟、天后廟、観音廟、花瓶石、人頭石、洪聖廟、張保仔洞、天主教修院を観光。黒人男は歩き疲れたらしく、フェリーで戻ったときに「私、まだまだ行くところあるから、バイバイっ」と明るく捨て去ってみました、、、これも利用というか?そのあと坪島へ行き、天后廟を見て、香港の揚げパンとツクネを食べてみた。美味しかった。九龍でマンゴージュース、ココナツジュース、つばめの巣ジュース(かなり甘かった)をTRY。その後は徐氏芸術館へ。ここはいろいろな置物とかヒスイとか、非常に見ごたえがあってオススメ。個人的には(私の趣味では)香港で一番だと思う。チムサアチョイに戻り新しいホテルでマッサージ(500ドル)、、、ちょっと高かった。チップも10%で50ドルとられるんだけど、今までいたホテルと比べると格差社会だな~と実感した。お金を使うのが微妙に申し訳ないような気分になった。この日はシホちゃん、ナカちゃんという地元の女友達と待ち合わせして合流。「Grand Stanford Harbour View」というプール付きのホテル。ホテルは予約しておいたんだけど、3人部屋はないので、ツインに補助ベッドを1つ入れてもらってあり、そこで宿泊。2人が疲れてるだろうと遠慮してエキストラベッドで寝てました。

24日、3人で行動。レパルスベイを越えて海洋公園へ行き、仮装して記念写真を撮影。私以外の2人は海外初旅行なので、3人だと無理ができず、行ったのはそこだけ。後はゴハンとかお茶をしてました。夜はまたホテルに戻り宿泊。基本的に合流してからずっと私は補助ベッドを使ってました。ホテル代は3等分だったし、よくよく考えたら、たまに交換して、と言い出せばよかったなあ~(笑)

25日、3人でハイスピードフェリーでマカオへ。マカオグランプリ博物館、ギア灯台、を見物。「仏笑楼(ファッシウロウ)」で昼食。結構有名なお店ですが、ハトの丸焼き)(68ドル)などを食べました。頭や脳も食べれました。その後、アマラル記念像、セナド広場、セントポール大聖堂、モンテ砦、マコ廟、海事博物館を観光。そのあと、またハイスピードフェリーでチムサチョイに戻り、2人のために何度も行ったビクトリアピークを案内した。

26日、2人は疲れたので近所でショッピングだけしたい、とのことで、自由行動になった。私は一人で中国の深せん(しんせん)へ。中国なので、1日ビザを購入して移動。こっちに来ちゃうと、警察官すら英語が話せない。「中国民族文化村」と「世界の窓」(ここはすごい!世界のいろんな建物のミニチュアがある。ミニチュアと言っても結構大きいけど、、、エッフェル塔とかスフィンクスとかタージマハールとかアンデルセン人魚像とかダビデ像とかもありました)を観光。セントラルに戻り二階建てバスで周遊し、ホテルに帰宅しプールで泳ぐ。奇跡的に背泳ぎができるようになってラッキー♪

27日、3人で行動。もう行ったけど、チュンワンに2人を案内。その後、トンムンへ行き青松仙観へ行ったが、養老院とお寺が同化していて勉強になった。ここでリコンファームの電話をかけたが、香港の航空会社の受付の人が、英語話せなくてビックリ。そこからラムア島の観光をし、ホテルに戻る。

28日、ここももう行ったけど、トンローワンに2人を案内。Noon Day Gunにもう一度訪問。「南苑」で3人で中華を食べたが、美味しくて安くて大量。ヘネシーロードでも「Me&G」を発見し、10香港ドルで2着も服を購入。安すぎ。チムサチョイに戻り、200ドルでロングチャイナドレスを購入。しかも最初900香港ドルって言ってたのを200香港ドルまでまけてもらった、、、ボリすぎだよ!でも日本でロングチャイナだと15000円くらいするからおトクだったと思う。

29日、シホちゃんが体調を崩したのでホテルで休憩。ナカちゃんと2人でランタオ島へお出かけ。空気が澄んでいるが、もうすぐ空港ができると言われていたので環境破壊についてちょっと考えてみた。でも私が考えたって仕方ないね(笑)ボーリン寺、茶園、タイオウを観光。そのあとトンローワンの「蛇王功」で蛇のスープを食べたけど、白身の、アナゴのような味だった。香港式もち米オニギリ(湯葉のようなもので巻いてあった)にもTRY。

30日、シホちゃんの体調も戻り、3人で元朗を散歩し、帰国前にお土産でも買おうってことで、セントラルや九龍でショッピング。CHANELにも寄ってみた。その後、チムサチョイのプラネットハリウッドで食事し、カオルーン・モスクも見てみた。

31日、Taxiで空港へ向かい、帰国。補助ベッドで我慢したり、地図持って道を聞いたり、道を間違ったら気を遣って謝ったり、お金払う時は割りにくいときには自分が多めに払ったり、同行者の親に宿泊予定のホテルや日程表を渡さなくてはいけなかったり、、、ツアコン係って大変なんだな~と実感し、カナダ旅行でまとめ役をしてくれたN先輩に感謝しました。今更だけど、ありがとうございました。

しかし、香港にこれだけ長居する旅行者ってあんまりいないよね、、、(笑)