てくてくだより

森のこども園てくてくの日々での雑感を、園長小菅がつづります。

続けること

2007-06-05 21:20:17 | インポート

今日、ひょんなことから高橋食品という商店へおじゃました。仲町6丁目にある小さな商店だ。

手作りのお豆腐やさん。営んでいる若旦那さんは、脱教員仲間??の高橋さん。滝寺焼きの高橋さんから、ご紹介いただいた方だったが、教員時代にお会いしていた方だった。「一度よってみるといいよ」といっていただき、その帰り道、銀行へ向かう道中、その前の通りを走り、お店を発見したのでお店におじゃまさせていただいた。

前からお豆腐を鍋を持って買いにいけたら、、、とか、畑の堆肥作りにおからを使いたいなーと思っていたり、お豆腐やさんに興味があった。そしてさらに脱教員仲間・・・。おじゃまするのに時間入らなかった。

高橋食品さんでは、お味噌も甘酒も手作りで売っている。うれしく手お味噌を買ってきた。店頭でちょっとお話しているとご近所の方が買い物に。店頭ののれんの裏では、ご家族がテレビを見ながら、団欒している。なんともあったかい、粋な空間だろう、、、こんなお店と出会えたことが本当にうれしい時間だった。

「お茶でもどうですか。」と声をかけてもらって、のれんの裏側へ。ドキドキの瞬間。暖簾をくぐるとなんとそこは、家族の台所。土間が応接間であり、事務所であり、台所なのだ。思わず「ワー素敵ーーーー」。そこで息子さんがお食事中。鍋からはカレーのにおいがしていた。

教員を辞めてあとを継ぐことになったエピソードを聞こうとすると若旦那さんは、「そんなかっこいいもんじゃない」といい、先代のお父さんは、「こんな大変な商売を次ぐなんてどうしようかと思いましたよ」といっておられた。自分で稼いで生活していくことの苦しさ、大変さを知っているから、勧められなかったという。

話がはずんでくると「我が家の宴会場へどうぞ」となんだか大きな大きな古い鍵を持って奥へと案内してくれた。そこには、高田城の書簡蔵として高橋さんが守られている建物で、今では茶室として使ったり、囲炉裏があったり、とっても素敵に残されている。茶室で、先代のお父さんは、「息子のおかげで、この建物も守ることができたのよ。教員を続けていたら、この建物はつぶすことになっていたんだから、、。」その言葉に、後を継いでもらったことの喜びを感じた。「続けることはね、大変なことなんだよ。家族を続けること、次ぐこと、大変だけど大事なんだ。」とくわえられた。

たった1時間くらいの時間であったが、たくさんのことをかんじ、考えた時間だった。家族っていいなー、と久しぶりに感じた。お土産にもらってきた油揚げで今日はピーるをいっぱい。おいしかったー。今日の大きな感謝でした。


地球交響曲~ガイヤシンフォニー~

2007-06-03 21:41:57 | インポート

       Gaia6_cd

      全ての存在が響きあっている

今回のテーマは「音楽」。地球が奏でる音楽は、聞こえるものではなく、耳を傾けることで生まれるのかもしれない。

私たちもきっと、瞬間瞬間に何かを奏でている。私が奏でているものはどんなふうに聴こえるのだろう。

映画の中で、3人のメイン出演者がいた。私にとって印象深かった事柄は、いずれの3人に、共に音楽を奏でることができる友が横にいたことだ。その音楽は、楽譜や言葉がなくても、魂の声が響きあって、共鳴して音楽を作り出している。

そのことがどれだけ幸せなことだろうかと感じた。

今回の映画は、地球交響曲6番。これまで1番からすべて観てきた。心の深いところで感じる何かがまた新しいエネルギーをくれるからだ。

だが、今回は、感銘した部分と残念なこともあった。前から思っていたのだが、外国人の出演者の声が吹き替えのナレーションによって聞こえないことだ。字幕で伝える場面もあるのに、一部ナレーションが入るのだ。私はその人のオリジナルの声で言葉を聴きたい。それは、今回のテーマの音楽がそうであるように、その人が奏でる魂の声を聴きたいからだ。私たちの声が奏でる音楽そのものだからだ。

でも、言葉は、消えていく。映画の中に、かたちあるものは消えていく、聴こえるものは消えていく・・・(ちょっと違う言葉だったかもしれないがそんなニュアンスの言葉)、という言葉があった。その言葉が本物であるかどうか、人の心を動かすものであるかどうかは、どの言葉を使って話しているかではなく、からだのそこから湧き上がる魂の言葉であるかどうかで永遠のものとなる。

最近、自分の口数が減ってきていることを感じている。自分の言葉が本物であるかどうか、常に問いかけている感覚がある。話すことに意味を感じなかったり、話をしなくても伝わりあう感覚をもっていたりすることがある。そして口数が少ないときは、自分の心の声に耳を傾けている。どの言葉をもっても、自分の心の声とは違うような感覚もある。

3人の出演者は、静かに一つの音楽を追求した人たちだ。そのいとおしい音楽を奏でているその姿がどんなに素敵であったか。私も、追求する力をもって自分の音楽と向き合いたい。