社会福祉法人型障害者地域活動ホーム(仮称)建設支援チャリティとして
上映された映画「朋の時間~母たちの季節~」を観てきました。
作品の内容は、以下に解説を引用してご紹介します。
[ 作品解説 ]
身辺の全面介助と医療を必要とする人たちの、
地域生活とその家族生活を支援することを目的に設立された
社会福祉法人 訪問の家『朋』が、1986年に日々の活動を始めてから17年が経ちます。
それまで、日本における重症心身障害者の一生涯にわたる福祉制度は、
在宅か、入所施設(または病院入所)という二者択一の選択肢しかありませんでした。
生まれ育った < 我が家 > から通う地域生活を可能にした通所施設 『朋』の設立は、
それまで親が夢にまでみた〈入所施設でも病院でもない世間一般の普通に近い生活〉
を日本中の同じ境遇にあって同じ思いを有する人々に目に見える形にして提供したのです。
「この子がいたから、こんな人生しか送れなかったではなく、
この子がいたからこそ、これほどの人生が送れた、と言える人生を皆でつくっていこう」
‥‥教師、母親、ソーシャルワーカーがお互いの立場や意識の枠を乗り越え、
学び会う共育活動がこうして始まり、
中心にはいつも「重い障害をもつ子どもたちの存在、家族の人生」がありました。
このドキュメンタリー「朋の時間~母たちの季節~」は、
映画監督・西山正啓が、3年半に渡って撮影してきた「朋」の記録映画・第一弾として、
朋にかかわってきた障害者本人・家族(特に母親)の発言と視点を報告するものです。
映画の上映活動を通じて、
これからの《地域共生社会》のありかたをメッセージしたいと考えています。
(引用ここまで)
ドキュメンタリーですので、訪問の家『朋』にやってきたくんちゃんの
日常のひとコマを、私たちも一緒に見るような感覚で、映画は始まりました。
重い障害を持つお子さんとともに生きているお母さんの姿は
そのたいへんさを、ひとつも感じさせないような明るい笑顔で
画面に映し出されていました。
働いているスタッフの方のかける声も、
一言一言、ほんとうにしっかりとその方たちに向けて発せられ
彼らからの、小さく、見えにくいどんな発信も逃さずとらえようとする
あたたかく細やかな配慮に満ちているように感じられました。
訪問の家『朋』で過ごす時間や、その存在自体が
彼らにとっても、母親たちにとっても、
どんなにか大きな『こころの支え』と『安心感をもたらすもの』かが
お母さん達のお話を追ううちに、次第に明らかになります。
また、お子さんを亡くされたお母さんが
同じように子どもたちと向き合っている母親のかたわらでお話を聞きながら
その不安や後悔ややりきれない想いを、ただともにあって分かち合う様子は
私自身のこころにあるわだかまりをも、溶かしてくれるような気がしました。
映画のあと、「訪問の家」理事長の日浦美知江さんのご挨拶がありました。
日浦さんは、1972年 横浜市立中村小学校訪問学級指導講師をされて
そして、1980年 4月 横浜市在宅障害者援護協会 理事
1983年 障害者地域作業所『朋』指導員として、これまでなさってきたことが
いま、訪問の家『朋』を通じて、多くの方々を支え
また、私たちにいろいろなメッセージとして、大切なことを伝えてくださる
基になっていることが、つよく感じられました。
HPにも、日浦さんの力強い素敵なたくさんの言葉がありますので、
ぜひご覧いただきたいと思います。
その中から、私が気になるキーワードを、ここに書かせていただきます。
『四本柱「家族、職員、地域、そして行政」』 『ユニークな「母親学級」』『教育って何!』
『まわりのひとがどう考えるかに、「障害児(者)の生き方」がかかっている。』
『親亡き後ではなく、親あるうちに。』『障害の重い人の地域生活を守るために』
『本当に一生懸命、自己実現できた生涯のために、みんなが力を合わせて・・・』などなど。
お話が終わって、フロアーに立ってご挨拶をする日浦さんは
意外なほど小柄な方でいらして、そのやさしく微笑むお姿のどこに
これまでの、いろいろな活動をなさるパワーが秘められているのか
ほんとうに不思議に感じられ、
けれど、涙でショボショボの私の眼には、とても輝いて見えました。
映画に描かれた世界の素晴らしさと日浦さんのことを知ったことは
大きな勇気を私にもたらしてくれました。
さて、このままお話を終えてもよいのですが、このひと月ほど
ずっと喉にひかかった小骨のように、私のこころの中で、気になっていることがありました。
そのお話を、まだ何かの途中という感じはありますが、ここでさせていただきたいと思います。
いま、小学3年生の教科書には、金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」が載っています。
また、何年か前、子どもがまだ小さい頃「日本語であそぼ」という番組で
「大漁」という詩が取り上げられていました。
これまでは、いくつかの詩を、詩としてのみ感じておりましたが
ふと、手に取った金子みすゞ童謡集の詩とともに年譜を読みながら
また、櫻灯路さまが書いていらっしゃる詳しい経緯を読むうちに
生きていた金子みすゞさんの、こころの中の暗くてどうしてよいかわからないものに
ほんの少しかもしれませんが、出会ってしまったような気がしました。
初々しくてみずみずしい感性を生かして、いろいろな思いを詩に書いて
その独特のものの見方や、やさしさと哀しさをあわせもつような表現をすることで
少女から大人として成長する時に伴う不安定さのバランスをとっていたかのように
私には、感じられました。
けれど、その詩作を禁じられ、幼いわが子とも別れなければいけない状況にあったとしたら…
そのみすゞさん自身の気持ちを理解することは、私にはできないかもしれませんが
そんな状況に対して、何かを思うことはできるかもしれません。
こんな気持ちを持ちながら、もう1冊の現代の母親たちについての本を思い出しました。
「生きづらい母親たちへ アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ」です。
内容は、とてもツライ重いものを扱っておりますので
お読みいただくことをおススメするというわけではありません。
すべてとはいえないまでも、いまを生きる母親たちが
どんな思いを抱えながら、どんな状況の中で子どもを育てたり
自らの心の中のものと向き合っていかざるをえないか
ということの一端を、知ることができるように思います。
と言いながらも私なりの想いを、まだ言葉にできていない気がいたしますが
最後に、ひとつ先日出会ったエピソードをご紹介いたします。
先日、山本敏晴さんのお話を伺って帰る地下鉄の次の駅で
二組の親子と男性が乗車していらっしゃいました。
私の隣に一組が座られ、向かいの席に男性がひとりで座りました。
私には、おそらくその駅にある作業所の帰りであることが、すぐにわかりました。
お隣の女性の反応のせいか、前の席の男性が一瞬声をあげましたが
すぐに落ち着きを取り戻した様子でした。
二組の親子連れの母親同士が、ほっとした様子をみせて、夏休みの過ごし方などお話していましたが
次の駅で一組が、男性もまた一人で降りていきました。
思い切って、お隣のお母さんに「作業所のお帰りですか?」
「ウチの子も、発達障害といわれていますが、いろいろと大変でしょうね。」と
話しかけて、少しおしゃべりをしました。
その時のお話でつよく印象に残ったことが、いくつかあります。
「学校に行っているときは、まだまだ良いです。」
「最近は、こうやって外出していても、皆さんがわかってきたから
アレコレ言われたりすることも少なくなって、ずいぶんと良くなりました。」
(理解がすすんだので、変な目で見るということも少なくなり
ある意味で見ないふりをしてくれるほうが、ありがたい…という感じのことばでした。)
「親の気持ちもですが、言葉としては発することはなくても
周りの人の自分たちへの感情や思いのようなものは
とても敏感に感じていて、ほんとうに良くわかっているので
ほかの人の態度で、パニックになったりということも今までにいろいろありました。」
もう20歳はとうに越えていると思われる息子さんとお母さんの様子は
私には、どこか自分の未来に重なるように感じました。
けれど「お母さんが、とても明るくしていらっしゃるのが、スゴイです。
私はまだまだ、心配やら、いらいらすることが多くて…。」と申し上げましたら
「みんな、同じですよ。でも、前に比べれば、今はずっといいですよ。
それに、私が落ち込んでいたり、不安になると
子どもにも、ほんとうにすぐわかってしまうから。」と力強くおっしゃっていました。
母親としての不安や苦しさを、どこかで受け止めたり癒しながら
母親の持っているつらさや苦しさの連鎖を、どこかで食い止めていくことで
どんな困難な状況や大変なことがあっても
子どもに対して、できれば明るく生き生きと接していけるようにしたいと想いました。
お話したお母さんの明るくて力強い言葉にふれて、私も大きな勇気をいただいたような気がしていました。
たくさんの、こんなにもつよい母たちの想いがあれば
きっと、きっと、大丈夫・・・と想うことにいたしましょう・・・
上映された映画「朋の時間~母たちの季節~」を観てきました。
作品の内容は、以下に解説を引用してご紹介します。
[ 作品解説 ]
身辺の全面介助と医療を必要とする人たちの、
地域生活とその家族生活を支援することを目的に設立された
社会福祉法人 訪問の家『朋』が、1986年に日々の活動を始めてから17年が経ちます。
それまで、日本における重症心身障害者の一生涯にわたる福祉制度は、
在宅か、入所施設(または病院入所)という二者択一の選択肢しかありませんでした。
生まれ育った < 我が家 > から通う地域生活を可能にした通所施設 『朋』の設立は、
それまで親が夢にまでみた〈入所施設でも病院でもない世間一般の普通に近い生活〉
を日本中の同じ境遇にあって同じ思いを有する人々に目に見える形にして提供したのです。
「この子がいたから、こんな人生しか送れなかったではなく、
この子がいたからこそ、これほどの人生が送れた、と言える人生を皆でつくっていこう」
‥‥教師、母親、ソーシャルワーカーがお互いの立場や意識の枠を乗り越え、
学び会う共育活動がこうして始まり、
中心にはいつも「重い障害をもつ子どもたちの存在、家族の人生」がありました。
このドキュメンタリー「朋の時間~母たちの季節~」は、
映画監督・西山正啓が、3年半に渡って撮影してきた「朋」の記録映画・第一弾として、
朋にかかわってきた障害者本人・家族(特に母親)の発言と視点を報告するものです。
映画の上映活動を通じて、
これからの《地域共生社会》のありかたをメッセージしたいと考えています。
(引用ここまで)
ドキュメンタリーですので、訪問の家『朋』にやってきたくんちゃんの
日常のひとコマを、私たちも一緒に見るような感覚で、映画は始まりました。
重い障害を持つお子さんとともに生きているお母さんの姿は
そのたいへんさを、ひとつも感じさせないような明るい笑顔で
画面に映し出されていました。
働いているスタッフの方のかける声も、
一言一言、ほんとうにしっかりとその方たちに向けて発せられ
彼らからの、小さく、見えにくいどんな発信も逃さずとらえようとする
あたたかく細やかな配慮に満ちているように感じられました。
訪問の家『朋』で過ごす時間や、その存在自体が
彼らにとっても、母親たちにとっても、
どんなにか大きな『こころの支え』と『安心感をもたらすもの』かが
お母さん達のお話を追ううちに、次第に明らかになります。
また、お子さんを亡くされたお母さんが
同じように子どもたちと向き合っている母親のかたわらでお話を聞きながら
その不安や後悔ややりきれない想いを、ただともにあって分かち合う様子は
私自身のこころにあるわだかまりをも、溶かしてくれるような気がしました。
映画のあと、「訪問の家」理事長の日浦美知江さんのご挨拶がありました。
日浦さんは、1972年 横浜市立中村小学校訪問学級指導講師をされて
そして、1980年 4月 横浜市在宅障害者援護協会 理事
1983年 障害者地域作業所『朋』指導員として、これまでなさってきたことが
いま、訪問の家『朋』を通じて、多くの方々を支え
また、私たちにいろいろなメッセージとして、大切なことを伝えてくださる
基になっていることが、つよく感じられました。
HPにも、日浦さんの力強い素敵なたくさんの言葉がありますので、
ぜひご覧いただきたいと思います。
その中から、私が気になるキーワードを、ここに書かせていただきます。
『四本柱「家族、職員、地域、そして行政」』 『ユニークな「母親学級」』『教育って何!』
『まわりのひとがどう考えるかに、「障害児(者)の生き方」がかかっている。』
『親亡き後ではなく、親あるうちに。』『障害の重い人の地域生活を守るために』
『本当に一生懸命、自己実現できた生涯のために、みんなが力を合わせて・・・』などなど。
お話が終わって、フロアーに立ってご挨拶をする日浦さんは
意外なほど小柄な方でいらして、そのやさしく微笑むお姿のどこに
これまでの、いろいろな活動をなさるパワーが秘められているのか
ほんとうに不思議に感じられ、
けれど、涙でショボショボの私の眼には、とても輝いて見えました。
映画に描かれた世界の素晴らしさと日浦さんのことを知ったことは
大きな勇気を私にもたらしてくれました。
さて、このままお話を終えてもよいのですが、このひと月ほど
ずっと喉にひかかった小骨のように、私のこころの中で、気になっていることがありました。
そのお話を、まだ何かの途中という感じはありますが、ここでさせていただきたいと思います。
いま、小学3年生の教科書には、金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」が載っています。
また、何年か前、子どもがまだ小さい頃「日本語であそぼ」という番組で
「大漁」という詩が取り上げられていました。
これまでは、いくつかの詩を、詩としてのみ感じておりましたが
ふと、手に取った金子みすゞ童謡集の詩とともに年譜を読みながら
また、櫻灯路さまが書いていらっしゃる詳しい経緯を読むうちに
生きていた金子みすゞさんの、こころの中の暗くてどうしてよいかわからないものに
ほんの少しかもしれませんが、出会ってしまったような気がしました。
初々しくてみずみずしい感性を生かして、いろいろな思いを詩に書いて
その独特のものの見方や、やさしさと哀しさをあわせもつような表現をすることで
少女から大人として成長する時に伴う不安定さのバランスをとっていたかのように
私には、感じられました。
けれど、その詩作を禁じられ、幼いわが子とも別れなければいけない状況にあったとしたら…
そのみすゞさん自身の気持ちを理解することは、私にはできないかもしれませんが
そんな状況に対して、何かを思うことはできるかもしれません。
こんな気持ちを持ちながら、もう1冊の現代の母親たちについての本を思い出しました。
「生きづらい母親たちへ アダルトチルドレン、依存症のセルフヘルプ・グループ」です。
内容は、とてもツライ重いものを扱っておりますので
お読みいただくことをおススメするというわけではありません。
すべてとはいえないまでも、いまを生きる母親たちが
どんな思いを抱えながら、どんな状況の中で子どもを育てたり
自らの心の中のものと向き合っていかざるをえないか
ということの一端を、知ることができるように思います。
と言いながらも私なりの想いを、まだ言葉にできていない気がいたしますが
最後に、ひとつ先日出会ったエピソードをご紹介いたします。
先日、山本敏晴さんのお話を伺って帰る地下鉄の次の駅で
二組の親子と男性が乗車していらっしゃいました。
私の隣に一組が座られ、向かいの席に男性がひとりで座りました。
私には、おそらくその駅にある作業所の帰りであることが、すぐにわかりました。
お隣の女性の反応のせいか、前の席の男性が一瞬声をあげましたが
すぐに落ち着きを取り戻した様子でした。
二組の親子連れの母親同士が、ほっとした様子をみせて、夏休みの過ごし方などお話していましたが
次の駅で一組が、男性もまた一人で降りていきました。
思い切って、お隣のお母さんに「作業所のお帰りですか?」
「ウチの子も、発達障害といわれていますが、いろいろと大変でしょうね。」と
話しかけて、少しおしゃべりをしました。
その時のお話でつよく印象に残ったことが、いくつかあります。
「学校に行っているときは、まだまだ良いです。」
「最近は、こうやって外出していても、皆さんがわかってきたから
アレコレ言われたりすることも少なくなって、ずいぶんと良くなりました。」
(理解がすすんだので、変な目で見るということも少なくなり
ある意味で見ないふりをしてくれるほうが、ありがたい…という感じのことばでした。)
「親の気持ちもですが、言葉としては発することはなくても
周りの人の自分たちへの感情や思いのようなものは
とても敏感に感じていて、ほんとうに良くわかっているので
ほかの人の態度で、パニックになったりということも今までにいろいろありました。」
もう20歳はとうに越えていると思われる息子さんとお母さんの様子は
私には、どこか自分の未来に重なるように感じました。
けれど「お母さんが、とても明るくしていらっしゃるのが、スゴイです。
私はまだまだ、心配やら、いらいらすることが多くて…。」と申し上げましたら
「みんな、同じですよ。でも、前に比べれば、今はずっといいですよ。
それに、私が落ち込んでいたり、不安になると
子どもにも、ほんとうにすぐわかってしまうから。」と力強くおっしゃっていました。
母親としての不安や苦しさを、どこかで受け止めたり癒しながら
母親の持っているつらさや苦しさの連鎖を、どこかで食い止めていくことで
どんな困難な状況や大変なことがあっても
子どもに対して、できれば明るく生き生きと接していけるようにしたいと想いました。
お話したお母さんの明るくて力強い言葉にふれて、私も大きな勇気をいただいたような気がしていました。
たくさんの、こんなにもつよい母たちの想いがあれば
きっと、きっと、大丈夫・・・と想うことにいたしましょう・・・