kirikouが、8時前にラジオ体操を終えて、帰ってからの一時は
曇り空が広がっていましたけれど、先ほど、音をたてて急に雨が降ってきました。
昨日の青空が、無性に恋しく思えます。
数日前から「あ~、もう○日で学校が始まるよ~~!また、遅刻するのは、いやだな…」と言って
kirikouといったら、夏休みの宿題のことよりも、「遅刻のこと」ばかり気にしています。
「遅刻のこと」が、アタマのどこかに貼りついて
どうにも気にはなっているらしいのに
それでは、そのために「早寝早起きをしよう」という様な
「前向きな行動」には、思いが至らないのか?身体が動かないのか?
どちらにしても、その時その時の目の前にある
『自分のやりたいことが、何よりも優先する』ことが、大きな原因なのでしょう。
とはいえ、もう少し小さい頃の彼の比べれば…
学校が始まってからのアレコレを、「自分なりに想像する」ことが
少しずつですが、できているような気がします。
(同年齢のお子さんとの比較をすることは、あまり意味がないとは思いますし…)
以前でしたら、(親の私も1年生の夏休み頃に、気づいたんだと思いますが)
長いお休みから、学校が始まることへの「えもいわれぬ緊張感に囚われて」いるかのように
ある行動が、頻繁になっていました。
(今でも、あまりに手持ち無沙汰の時や退屈している時にも、たまに出ますけれど)
いろいろな出来事や対象に対しての「人の行動」って、ほんとうに様々で奥深くって
簡単には説明できないものなんだろうなぁと、改めて思います。
皆様も、いろいろな場面で「新しいことに遭遇したり、挑戦したり…」
初めてのことに対しては、不安や緊張感が増すこともあると思いますけれど
言われてみれば当たり前のことなのに、ついつい見過ごしてしまいがちです。
「なるほど!!人って、そういうものなんだなぁ…」って、予め想ってみれば
なんとなく気持も落ち着いて、ささやかな余裕も生まれてくるかもしれません。
(偉そうに先輩ぶって言えるほど、私もマダマダ経験があるわけでもないんですけれど)
一年生のお子さんのお母さん方のお顔が、ふと頭に浮かんで…
皆さん、元気にしているかしら~??なんて想っています。
自分の行動や思考(ついでに嗜好)などを、イチイチ取り立てて分析しながら生きている…
そんな人がいらっしゃるかのかどうか?
別にそんなことをしなくったって、生きていくことには、全く不便はないと思いますし。
私の場合、どういうわけかも定かではありませんけれど
こんな風に、思い出しながら日記を書いたりしていると
当然、時間差はありますから「リアルタイム」とはいえないものの
「人の内面でのココロの動きのようなものに、フォーカスをあてる」
クセがついてきたような気がします。
何かの「役に立つのかどうか?」もよく分かりませんけれど…
どなたか、解説してくださる方がいらしたら『是非、教えてください!!』
さて…、いつものように、よしなしごとをツラツラと書いてしまいましたけれど
昨晩は、ひさしぶりに一人でNHKの「SONGS」に出ていらした
徳永英明さんの歌声を聴きました。
私も昔、聞いたことのある曲と
歌への思いの詰まった新しい曲を、丁寧に歌っていらっしゃいました。
ふと、懐かしく思い出されるのは…「壊れかけのRadio 」や「 輝きながら…」でしょうか?
何年ごろに流行ったのでしょう?
一体、どこで何をしながら・・・耳にしていたのでしょうか?
ついつい、霧のムコウの記憶の世界に引き込まれそうになってしまいます。
(そうこうするうちに、アレコレお片づけをしながら…
「メンモ」って、何???と、新しい言葉を獲得して、
40年前のビートルズのように
「アイドルからアーティスト」になっていくのかしらぁ???とか
「世界遺産」では、「グレート・ジンバブエの石の遺跡」を観て、
人の作りあげるものの不思議さに、驚きつつ…アレコレと思いを馳せてみたりして。)
続いての番組は、NHKスペシャルの再放送で
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~ 」でした。
何年も封印するほど、人の心の奥深くに刻まれた「人類の歴史の記録」を
一人の個人が抱えることの大きさをつよく想いました。
そのお父さんの言葉を受け止めて、引き継いでいこうとする息子さんの姿と
写真に写っていた、かつて原爆の被害にあった時は、少年だった日本人の方との再会を目にして
国と国という(私には、まだ掴みきれていないもの同志の)つながりではなく
それぞれの思いを抱きながらも、同じ人として
手をつなぎ、言葉を交わすことができることに、大きな安心感を抱きました。
様々な過去の歴史を、現在に生きる私たちは、
どのように考えて、伝えていけばいいのでしょうか?
その次に(録画しようと想いつつ)結局、途中まで観てしまったのは…
昨年BShiで放送された
『山田洋次監督』の100年インタビューです。
私自身は、山田監督の作品を熱心に観ている方ではありませんが
作品を作る方の思いや、背負っていらしたもの、人々に向けるまなざし…
を感じつつ、お話を伺いました。
監督が、気がついたら撮り続けていらしたという『家族』のありよう…については
私などには「これ」といったことなど、到底申し上げられそうにもありませんけれど。
ただ、ささやかだけれど…これまで、自分を育ててくれた家族があって
kirikouと夫やおばあちゃんと、そのまた先につながっていき…
私自身も含めた、ひとつだけの「家族」があるんですよね。
どうにも、お話がキリなくなりそうですけれど…
例えば、先日のBS週間ブックレビューを観ていても、雑誌の記事を読んでいても
須賀敦子さんのご本を読んでいても…
やはり、どうしても私がモノを観るときの視点の基には
「家族とのアレコレが拘わっている」んだということを、思い知らされる気がしています。
「居心地のよい安全基地としての家族」
「呪縛にかけられたかのように、何かを縛るものとしての家族」
「それでもなお、様々なものを育み、次の世代へつないでいく…揺りかごとしての家族」などなど
おそらく、様々な面に目を向けながら、アッチコッチを彷徨いながら…
自分自身の「言葉にしてみたい衝動」と
できるだけゆっくりと付き合っていけたらいいなぁ、と想っています。
外に目をやると…まだ雨が降っているようですね。
とりあえず、今日のkirikouのお昼ごはんは、何にしましょう?
宿題が片付いたら、一緒に「ブルーノムナーリのアート展」に行きたいなぁ
と想いつつ…
皆様もお気持は晴れ晴れと、お健やかな佳き一日をお過ごしくださいネ!!
曇り空が広がっていましたけれど、先ほど、音をたてて急に雨が降ってきました。
昨日の青空が、無性に恋しく思えます。
数日前から「あ~、もう○日で学校が始まるよ~~!また、遅刻するのは、いやだな…」と言って
kirikouといったら、夏休みの宿題のことよりも、「遅刻のこと」ばかり気にしています。
「遅刻のこと」が、アタマのどこかに貼りついて
どうにも気にはなっているらしいのに
それでは、そのために「早寝早起きをしよう」という様な
「前向きな行動」には、思いが至らないのか?身体が動かないのか?
どちらにしても、その時その時の目の前にある
『自分のやりたいことが、何よりも優先する』ことが、大きな原因なのでしょう。
とはいえ、もう少し小さい頃の彼の比べれば…
学校が始まってからのアレコレを、「自分なりに想像する」ことが
少しずつですが、できているような気がします。
(同年齢のお子さんとの比較をすることは、あまり意味がないとは思いますし…)
以前でしたら、(親の私も1年生の夏休み頃に、気づいたんだと思いますが)
長いお休みから、学校が始まることへの「えもいわれぬ緊張感に囚われて」いるかのように
ある行動が、頻繁になっていました。
(今でも、あまりに手持ち無沙汰の時や退屈している時にも、たまに出ますけれど)
いろいろな出来事や対象に対しての「人の行動」って、ほんとうに様々で奥深くって
簡単には説明できないものなんだろうなぁと、改めて思います。
皆様も、いろいろな場面で「新しいことに遭遇したり、挑戦したり…」
初めてのことに対しては、不安や緊張感が増すこともあると思いますけれど
言われてみれば当たり前のことなのに、ついつい見過ごしてしまいがちです。
「なるほど!!人って、そういうものなんだなぁ…」って、予め想ってみれば
なんとなく気持も落ち着いて、ささやかな余裕も生まれてくるかもしれません。
(偉そうに先輩ぶって言えるほど、私もマダマダ経験があるわけでもないんですけれど)
一年生のお子さんのお母さん方のお顔が、ふと頭に浮かんで…
皆さん、元気にしているかしら~??なんて想っています。
自分の行動や思考(ついでに嗜好)などを、イチイチ取り立てて分析しながら生きている…
そんな人がいらっしゃるかのかどうか?
別にそんなことをしなくったって、生きていくことには、全く不便はないと思いますし。
私の場合、どういうわけかも定かではありませんけれど
こんな風に、思い出しながら日記を書いたりしていると
当然、時間差はありますから「リアルタイム」とはいえないものの
「人の内面でのココロの動きのようなものに、フォーカスをあてる」
クセがついてきたような気がします。
何かの「役に立つのかどうか?」もよく分かりませんけれど…
どなたか、解説してくださる方がいらしたら『是非、教えてください!!』
さて…、いつものように、よしなしごとをツラツラと書いてしまいましたけれど
昨晩は、ひさしぶりに一人でNHKの「SONGS」に出ていらした
徳永英明さんの歌声を聴きました。
私も昔、聞いたことのある曲と
歌への思いの詰まった新しい曲を、丁寧に歌っていらっしゃいました。
ふと、懐かしく思い出されるのは…「壊れかけのRadio 」や「 輝きながら…」でしょうか?
何年ごろに流行ったのでしょう?
一体、どこで何をしながら・・・耳にしていたのでしょうか?
ついつい、霧のムコウの記憶の世界に引き込まれそうになってしまいます。
(そうこうするうちに、アレコレお片づけをしながら…
「メンモ」って、何???と、新しい言葉を獲得して、
40年前のビートルズのように
「アイドルからアーティスト」になっていくのかしらぁ???とか
「世界遺産」では、「グレート・ジンバブエの石の遺跡」を観て、
人の作りあげるものの不思議さに、驚きつつ…アレコレと思いを馳せてみたりして。)
続いての番組は、NHKスペシャルの再放送で
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~ 」でした。
何年も封印するほど、人の心の奥深くに刻まれた「人類の歴史の記録」を
一人の個人が抱えることの大きさをつよく想いました。
そのお父さんの言葉を受け止めて、引き継いでいこうとする息子さんの姿と
写真に写っていた、かつて原爆の被害にあった時は、少年だった日本人の方との再会を目にして
国と国という(私には、まだ掴みきれていないもの同志の)つながりではなく
それぞれの思いを抱きながらも、同じ人として
手をつなぎ、言葉を交わすことができることに、大きな安心感を抱きました。
様々な過去の歴史を、現在に生きる私たちは、
どのように考えて、伝えていけばいいのでしょうか?
その次に(録画しようと想いつつ)結局、途中まで観てしまったのは…
昨年BShiで放送された
『山田洋次監督』の100年インタビューです。
私自身は、山田監督の作品を熱心に観ている方ではありませんが
作品を作る方の思いや、背負っていらしたもの、人々に向けるまなざし…
を感じつつ、お話を伺いました。
監督が、気がついたら撮り続けていらしたという『家族』のありよう…については
私などには「これ」といったことなど、到底申し上げられそうにもありませんけれど。
ただ、ささやかだけれど…これまで、自分を育ててくれた家族があって
kirikouと夫やおばあちゃんと、そのまた先につながっていき…
私自身も含めた、ひとつだけの「家族」があるんですよね。
どうにも、お話がキリなくなりそうですけれど…
例えば、先日のBS週間ブックレビューを観ていても、雑誌の記事を読んでいても
須賀敦子さんのご本を読んでいても…
やはり、どうしても私がモノを観るときの視点の基には
「家族とのアレコレが拘わっている」んだということを、思い知らされる気がしています。
「居心地のよい安全基地としての家族」
「呪縛にかけられたかのように、何かを縛るものとしての家族」
「それでもなお、様々なものを育み、次の世代へつないでいく…揺りかごとしての家族」などなど
おそらく、様々な面に目を向けながら、アッチコッチを彷徨いながら…
自分自身の「言葉にしてみたい衝動」と
できるだけゆっくりと付き合っていけたらいいなぁ、と想っています。
外に目をやると…まだ雨が降っているようですね。
とりあえず、今日のkirikouのお昼ごはんは、何にしましょう?
宿題が片付いたら、一緒に「ブルーノムナーリのアート展」に行きたいなぁ
と想いつつ…
皆様もお気持は晴れ晴れと、お健やかな佳き一日をお過ごしくださいネ!!
8月も末になり秋の訪れを感じさせるように
朝夕はめっきり寒くなりました。
これからコスモスや秋明菊など
秋の花が咲き出します。
また花を追いかけますので
見にきてくださいね。
ようこそ、お越しくださいました!
一陣のさわやかな薫風の来訪に、
ことのほかココロもかろやかになりました。
京都の暑さは、格別と伺いますが・・・
あの美しい緑と季節折々の花々の姿を楽しむことが
京都の方々の生活の知恵・・・なのかもしれませんね。
お写真を見ていると、今すぐにでも飛んで行きたくなってしまいますけれど・・・
泣く泣く・・・気持だけにしておきます。
コスモスや秋明菊・・・とても、楽しみにしております!!