グレーの空をバックにして
十分に伸びきった銀杏の葉っぱが、風に吹かれて大きく揺れています。
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・全部で七つ
大きさも様々な紫陽花のボールも、左右に顔を振っています。
今、私の目の前に
一昨日の神奈川新聞の『文学のいま』という記事の切抜きがあります。
『文体に宿る言葉の芸術性』というタイトルで
「…小川国夫氏が四月に亡くなった。」ことを皮切りに、
文芸評論家の田中和生氏のお話が始まります。
(小川氏とは…?
いつでしたか「世界わが心の旅」という番組で見たことのある作家の方だと思います。)
以下に引用いたしますように
『 …無類の文章家だった小川国夫がこだわった「文体」という視線で現在の創作を見わたすと、寒々しい印象を禁じえない。それは作品の「書き方」で気を引こうとするものばかりが目立つからだが、それでも「文体を感じさせる書き手がいないわけではない。』(引用ここまで)
そして、二人の現代作家の作品を取上げて、その「文体」のお話をしていらっしゃいます。
『…作者は読者が言葉を見て感じるであろう違和感を推進力にして、それを解消するように記述を進めていく。それが単なる「書き方」の工夫に終わっていないのは、不必要な言葉のずれは避けられ、おそらく「現在」をとらえるために必要な場所にだけ、そのずれが書き入れられているからだ。その緊密なバランスのことを「文体」と呼ぶが、…』(引用ここまで)
私には「文体」というものが、どんなものか?
まったくと言っていいほど、よくワカリマセンし
それを、「どうこうしよう」などということを考えたこともありません。
ただ、前回と前々回の「朗読の講座」の『読みの演出を考える』中で
1.文体との関係 2.テンポを考える 3.読みの調子
のお話を聞いたばかりでしたので、
「なるほど~!文体というものが、その作者の持ち味や
作品の内容を伝えるうえでの、大切なポイントになるらしい。」ということを知りました。
雲のような「文体」という代物の影さえ私には見えてはおりませんが
そんな言葉をアタマの片隅に置いたまま
「作文練習中」の若葉マーク(もしかしたら紅葉マーク?)をつけて
いつものように、ブログを書いていこうと思っています。
さて、先日手に入れた講談社の「読書人の雑誌 本」6月号に
あの「生物と無生物のあいだ」をお書きになった福岡伸一氏の
「世界は分けても分からない」という新連載が載っていました!
その第一回のタイトルが「パドヴァ、二〇〇二年六月」です。
「パドヴァ」ってどこだろう?と思いながら読み進めると
(偶然、借りて私の手元にあった「人間の条件」という本の作者)
Hannah Arendt の文字に目が留まりました。
そして、いつしか福岡さんの視線は「私が好きなもの」の
アミノ酸の「トリプトファン」のお話に、すべるように移行していきます。
以前に「生物と無生物のあいだ」のささやかな感想を書きましたが
「ひとつの言葉や過去の記憶の一点」から、情景がブワァ~と湧き上がったり
時に川の流れに身を任すように、違う空間や時間に移行していく…
この感じが、私には堪りません。
たくさんの作品を読んでいるわけではありませんので
まったく自信はありませんが
三木成夫さん、梨木香歩さん…たぶん須賀敦子さんも、
どこか似た雰囲気をお持ちなのではないでしょうか?
ささやかで小さくって、時には見逃してしまいそうなもの・こととの行き交いから
ひょっとしたら、深くて大きな何ものかにつながる通路への扉が開く…
ことがあるのでしょうか?
心の片隅にひっそりと佇んでいるそんな思いに
かすかな光が差し込むような気がしました。
そして、福岡伸一氏のイタリアでの旅の行く先と
その視線の向かうところは…
私も一緒に旅をしている気持で、とっても楽しみにしております!
今日の関東地方は、雨が降ったりやんだりの空模様のようですね。
そろそろ梅雨入りの便りも届きそうな…金曜日。
皆様も、お気持ちは晴れ晴れとお健やかな一日をお迎えくださいね~!
十分に伸びきった銀杏の葉っぱが、風に吹かれて大きく揺れています。
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・全部で七つ
大きさも様々な紫陽花のボールも、左右に顔を振っています。
今、私の目の前に
一昨日の神奈川新聞の『文学のいま』という記事の切抜きがあります。
『文体に宿る言葉の芸術性』というタイトルで
「…小川国夫氏が四月に亡くなった。」ことを皮切りに、
文芸評論家の田中和生氏のお話が始まります。
(小川氏とは…?
いつでしたか「世界わが心の旅」という番組で見たことのある作家の方だと思います。)
以下に引用いたしますように
『 …無類の文章家だった小川国夫がこだわった「文体」という視線で現在の創作を見わたすと、寒々しい印象を禁じえない。それは作品の「書き方」で気を引こうとするものばかりが目立つからだが、それでも「文体を感じさせる書き手がいないわけではない。』(引用ここまで)
そして、二人の現代作家の作品を取上げて、その「文体」のお話をしていらっしゃいます。
『…作者は読者が言葉を見て感じるであろう違和感を推進力にして、それを解消するように記述を進めていく。それが単なる「書き方」の工夫に終わっていないのは、不必要な言葉のずれは避けられ、おそらく「現在」をとらえるために必要な場所にだけ、そのずれが書き入れられているからだ。その緊密なバランスのことを「文体」と呼ぶが、…』(引用ここまで)
私には「文体」というものが、どんなものか?
まったくと言っていいほど、よくワカリマセンし
それを、「どうこうしよう」などということを考えたこともありません。
ただ、前回と前々回の「朗読の講座」の『読みの演出を考える』中で
1.文体との関係 2.テンポを考える 3.読みの調子
のお話を聞いたばかりでしたので、
「なるほど~!文体というものが、その作者の持ち味や
作品の内容を伝えるうえでの、大切なポイントになるらしい。」ということを知りました。
雲のような「文体」という代物の影さえ私には見えてはおりませんが
そんな言葉をアタマの片隅に置いたまま
「作文練習中」の若葉マーク(もしかしたら紅葉マーク?)をつけて
いつものように、ブログを書いていこうと思っています。
さて、先日手に入れた講談社の「読書人の雑誌 本」6月号に
あの「生物と無生物のあいだ」をお書きになった福岡伸一氏の
「世界は分けても分からない」という新連載が載っていました!
その第一回のタイトルが「パドヴァ、二〇〇二年六月」です。
「パドヴァ」ってどこだろう?と思いながら読み進めると
(偶然、借りて私の手元にあった「人間の条件」という本の作者)
Hannah Arendt の文字に目が留まりました。
そして、いつしか福岡さんの視線は「私が好きなもの」の
アミノ酸の「トリプトファン」のお話に、すべるように移行していきます。
以前に「生物と無生物のあいだ」のささやかな感想を書きましたが
「ひとつの言葉や過去の記憶の一点」から、情景がブワァ~と湧き上がったり
時に川の流れに身を任すように、違う空間や時間に移行していく…
この感じが、私には堪りません。
たくさんの作品を読んでいるわけではありませんので
まったく自信はありませんが
三木成夫さん、梨木香歩さん…たぶん須賀敦子さんも、
どこか似た雰囲気をお持ちなのではないでしょうか?
ささやかで小さくって、時には見逃してしまいそうなもの・こととの行き交いから
ひょっとしたら、深くて大きな何ものかにつながる通路への扉が開く…
ことがあるのでしょうか?
心の片隅にひっそりと佇んでいるそんな思いに
かすかな光が差し込むような気がしました。
そして、福岡伸一氏のイタリアでの旅の行く先と
その視線の向かうところは…
私も一緒に旅をしている気持で、とっても楽しみにしております!
今日の関東地方は、雨が降ったりやんだりの空模様のようですね。
そろそろ梅雨入りの便りも届きそうな…金曜日。
皆様も、お気持ちは晴れ晴れとお健やかな一日をお迎えくださいね~!
以前、Q,cafeで書き込みをしていた者です。
pcの調子が悪いので書き込みをやめまして。
今は日記の方も読んでいませ~ん。
ちなみに
こちらに コメントをしていた Aさん、というのは、
私ではありません。
ネットに依存している人が、日々どんなことを
考えているのかなぁ、とか、
自分が実際に依存してみると、
どういうことが起こるのか。
実験していたわけでもないけど、
私がわかったことは、
やっぱり ネットに長く依存していると、
自分にとってよりよいチャンスに恵まれる機会も
減ってしまうんじゃないかな?ということでした。
私は今はネット自体をやっておらず、
今日は、外からの書き込みをしています。
本当に自分にとって、大切にしたいことは、
文章にはしない。少なくとも私はそうです。
脳科学、ということで興味をもったサイトだったけど、
やっぱり
わたしは自分の頭でものを考えたい人なんですよねぇ。
直感も大切だと思う。
自分にとって、何がすきか、嫌いかって、以外と、
自分の頭で考えられなくなっている人って
多いと思うから。
私は、基本的に年上の人が嫌いなんです(笑)
掲示板でも、何度となく、書いたけど、
年上の人が、年下に伝えてきたことの ほとんどが
間違っていると私は思うので。
だから、私はどこにいても、年上を立てて、みたいなことが
苦手。
ネットを止めてホント、よかったな、って思っています。
では、この場をおかりしまして。
カフェのみなさん。どうぞ お元気で。
風待人さんは、よく、「よくわからないのだが.....」等とおっしゃられているように思われますが、充分、お分かりになられていらっしゃるじゃあありませんか?
それに、とても熱心に勉強されているようにお見受けします。ところが、クオリアでは遠慮をされておられるのか、勉強の成果が正当に表現されていないように思われて残念です。
失礼とは思われますが、茂木博士はどんな講義をされているのか、それが期待できないもののように感じられてしまいました。相手に理解出来ない話をしているだけなのか(理解させる努力をしないで)、たいした内容のない話なのか、はなはだ不思議な感じがしていました。
(こんなふうな呼びかけでスミマセンが・・・
もしかして・・・と言う心当たりは浮かびましたが
そこにはあえて触れずにお返事いたしますね!)
私の文章を読んでいただいて、ほんとうにありがとうございます!
『自分の頭でものを考えたい人』って、とても素晴らしいと思います。
世の中、ついつい周りに気を使ったり、
ヒトと違うやり方や感覚について、自分を抑えることの方がありがちですから。
ただ、私の場合は、周りとの折り合いをつけつつ
自分らしさを開花させる方向を探りたいと思ってていますので
なかなか「トンデモナイことを言ったりすること」は、できずにいます。
『自分にとって、大切にしたいことは、文章にはしない。』
・・・これも、私なりによくわかります。
私も、なるべく正直にお話したいとは心がけていますが
言えないこと、言葉に出来ないことは、たくさんあるので。
チョッと年上の方とちょっと年下の方には・・・私も気を遣います。
高齢者と子ども相手は、結構訓練中なんですけれど
今、いろいろと試しているのは、
とにかく相手の方の『興味・関心」に目を向けるということでしょうか?
たぶん、小さい子についてよく言われるんですけれど
「協同注視(ジョイントアテンション)」を意識しています。
もの・ことを介して、人とかかわる・・・というのかしら?
これもあくまでも私のやり方ですし
その人の持ち味も、人とのかかわり方も、千差万別なので。
学び方のスタイルや興味関心も、ほんとうにその人それぞれであることが
一番大切ですよね~!!
それから・・・
茂木先生のお話は、とっても面白いですよ!!
たぶん、それは聞く人それぞれの必要と準備と・・・
持っている課題によると思います。
私も、哲学系や物理などの
抽象概念の理解は、メチャクチャ苦手分野なので良く分からないことだらけです。
その人のチューニングの合わせやすいところから
学んでいけば、いいと思います。
ところで「緑の葉っぱ」は、まったくの直感です。
そろそろ変えても良いのですけれど
この景色に愛着もあるので、今のところ、このままにしておきます。
今度『Wittgensteinの(「探求」73項)』をチェックしてみますね!
なにやら、お返事が長くなってしまいましたが
(ネットに頼らずに・・・笑)
外の世界でお元気でお過ごしくださいね!!
気が向いたら・・・また遊びにいらしてくだい。お待ちしていますね!
風待人さん、こんにちは。
という文章だけが、私の書いたものです。
そのあと、同じく「匿名」で書かれた人の文章は
私が書いたものじゃないけど、
まあ、書いてある内容は、正直、うなずけます。(笑)
というか、茂木さんをテレビで拝見して、
さまざまな感想を持つかたは
たくさ~んいらっしゃるかとは思います。
でも。それをフォローするのは、
ん~ たとえば、茂木さんが個人事務所を
立ち上げて、正式にお給料をお支払いして、
そうして、初めて、茂木さんが、一般の人に
わかるような話をしたほうがいいとか、そういった
アドヴァイスをするような。。
広報とか、秘書とか、事務員とか、雇えば
いいんじゃあないでしょうかぁ?
私も、2度目書き込みの「匿名さん」と同じように、
いろいろ、わかっていらっしゃるけど、
それは、あえて文章にしないだけなのかな?と。
風待人さんは、ようするに、「大人」な方、
だと私は思っています。
では~
ときたま 遊びにきますね♪
そうでしたか・・・勘違いしてしまってゴメンナサイ!
気が向いた時に「ときたま 遊びに・・・」来てくださるという
スタンスが、私もいちばんウレシイです。
出来ればそんな肩の力の抜けた雰囲気の場所にしたいので。
(それから茂木先生のことは・・・
「ファン心理」とは微妙に違うつもりですけど
私設応援団の一員または
勝手に「同時代を生きる同志」のように感じているのかもしれません。
それにCafeを通じて、たくさんの方と出会うことが出来ましたし。)
ところで、自分自身では実年齢の割りに
ぜんぜん「オトナじゃないなぁ」って思っています。
「分かる」とか「分からない」というコト自体や
「大人」ということも、実は私には良く「わからないモノ」のひとつなんですよ。
その辺りも、「悩みつつ、こだわっていること」ではあるかもしれません。
お恥ずかしいんですけれど
以前に書いた「オ・ト・ナって?」という記事と
珍しく先生に褒められた短歌を一首、ご紹介して
お返事にいたしますね!!
笑って、お読みいただければウレシイです!
http://blog.goo.ne.jp/elm511/e/18118b7d1ac5e7183160c8659222f35e
「オ・ト・ナ」ってつぶやきながら何処となく後ろめたさを誤魔化している
風待人
お返事が、混ざってしまってスミマセンでした。
『Wittgenstein』のお話が出てくるということは
哲学などに、お詳しくていらっしゃるんですね。
私は、興味はありますが、アノ難解な用語や
(その言葉のさしているものをイメージしにくいので)
論理を重ねていくタイプの思考方法が、あまり得意ではないこともあって・・・
文献や書籍には、なかなかトライできずにおります。
ただ、何事も当たり前に思われているもの・ことを
まずは、その成り立ちや定義などから問い直していくことは
私自身が、このところ意識してやっていこうと思っていることなので
(じっくりと時間をかけて深めることは、出来ていませんが・・・)
その方法論のいくばくかやものの見方の簡単なところは、
私にも学べるような気がしています。
もし、見当ハズレなことを申し上げていたら
ぜひ、ご指摘いただけるとありがたいです!
どうぞ、よろしくお願いいたします!