Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

探しもの・・・

2008-04-02 12:22:26 | お気に入り
ひとつ書き終えてから、
昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」と「爆問学問」の録画を観ながら
kirikouのいない間に、少しずつ片づけを始めました。


(このところの、どうも書かずにはいられない…という状態は、善しにつけ悪しきつけて
イロイロなことで、緊張感が高まっていることもあるのでしょうか?

そんな自分の心持をモニターしつつ…)

もう少しお話を続けさせていただきますね。


観た順番にいきますと…

松岡正剛さんと爆笑問題のおふたりの『世界は編集されている?』の中の問答では、

これまたそれぞれの方の独特のものの見方や考え方感じ方が窺えて
とっても、興味深かったですね。

そもそも「編集ってなんだろう?」ということもさることながら
「言葉」や「あいだにある関係」に目をつける…
ことやら、奥深きこと計りがたし…って感じでした。

プロフェッショナルのゲストの方も、最先端のウェブデザイナーの方ということで

「驚きと遊び心」と「これからどんなモノが出てくるのだろう?」という
期待感と楽しさが一杯詰まっていましたね~!

ヒトの頭の中で考えられている(?)こと、それらをつなげていることや

ウェブの持っている「コミュニケーションのツールとしての」
限りない可能性をつよく感じました。

中村さんが、何気なく「しんどいですね」とつぶやいた言葉を
拾い上げる細やかな取材と編集によって

数限りない試行錯誤を重ねていく中で、そのお仕事が見事に開花していく様子が
映像の中に生き生きと捉えられていたように思います。

番組の中で見せていただいたアノ「茂木先生のへアー・アクション」(?)

『MOJA-MOGI』も公開されていますので
皆様もぜひ!実際に楽しんでみてはいかがでしょうか~?

それにしても、世の中って
こんなにオモシロいことがイロイロと創られているんですね~!!


いっぽう…山積みになっている新聞を、片付けながら
ついつい気になる記事を見つけて、読みふけってしまう私です。


3月15日付の日経新聞の文化欄に

今年の3月20日がご命日とのことで
「随筆家・須賀敦子 没後10年」の記事がありましたね。

私がその人の名を知ったのは、雑誌「考える人」の2006年春号の中の

湯川豊さんのお書きになった「須賀敦子を読む」でした。

その時、その人の何に惹かれたのか…今となっては、思い出せませんが

それから、取り寄せて読んだのが

「本に読まれて」や「こころの旅」や「コルシア書店の仲間たち」などで

そのあと、図書館で借りたナタリア・ギンズブルグやイタリアの詩を訳したものです。

(そういえば、その人らしい…雰囲気を持ったタイトルの「時のかけらたち」は
最後のエッセイって帯に書いてありましたけれど・・・まだ読んでおりませんでした。)

中井久夫さんの著書の中で、須賀敦子さんについて書いていらっしゃるモノとも
偶然に出会ったりして、
その方の文章とその方自身が持っている(私には、まだ言葉にはできていない)
魅力とに惹きつけられていったような気がします。

今は、全集が文庫版になって出ているとのこと。

30代の若い女性に、読者層が広がっているとのことです。

(その新聞記事を書いた方の年齢や背景も、全く想像できませんし
私には、到底異論など申せませんが…)

私の感じている須賀さんの魅力とは、どこか違う窓から観ておいでのようにも感じました。

それもまた…本の読み方のイロイロなことと想うと、別の興味が湧いてきます。


私がなぜかしらつよく惹かれつつも、ウマク言葉として書けないでウロウロしている対象としての
須賀敦子さんや梨木香歩さんから、感じているものとは何なのか…?

どことなく惹かれつつも、自分の中にある小さな引っ掛かりや違和感を

もう少し気長に眺めていく…ことができたら良いなぁって、想っています。



そんなことをツラツラと想いながら、須賀さんの本を探していたら…

今度は、山積みの本の中から山下景子著「美人の日本語」がヒョッコリ出てきました。

綺麗な…色調の微妙に落ち着いた感じの黄緑の(淡萌黄 うすもえぎ色っていうのでしょうか?) 4月のページをめくると

4月1日の項には「四月朔日(わたぬき)」というあまり見慣れない字が
黄緑の色鉛筆で書かれたように優しげに並んでいます。

4月2日は「曙」

そして、4月3日の「蘖(ひこばえ)」も、ずいぶんと珍しい字ですね。

(ここに書くときも、手書きのスケッチパッドで入力しましたもの。)(以下引用)

『 切り株や根元から出てきた新芽のことを蘖といいます。
 「ひこ」とは、曾孫のことです。(中略)

  何年も何十年も、年輪を重ねて、枝をのばし葉を茂らせてきた営みが、切り倒されれば、全て無になってしまいます。それでも、何も言わずに新しい芽を出していく……当然のように、新しい一歩を踏み出しているのです。
 どんなに言葉を尽くしても、蘖の無言の教えには、かないません。』(引用ここまで)


確かに…生きものの営みは、しなやかでたおやかで
それでいて、ほんとうに力強いものなんですね。


時に、くじけそうになったり、めげそうになったりして
ついつい弱音をこぼしてしまう私ですけれど…



こんなに、曖昧ではかない言葉を持っている人だから…

弱さやいろんな感情を持っている人だからこそ…

お話したり、書いたりしているような…そんな気がしてなりません。



目には見えない「新しい一歩」を

これからも探してみたいなぁって、想っています…



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