グレーの厚めの雲の向こうに、水色の空が透けて見えてきました。
今はまだ、気温は低めのようですけれど
できることならば、お日様が顔をのぞかせてくれますように~!!
あっという間に2月に入って、最初の土曜日ですね…
昨晩は、なにやら疲れも堪っていたので、早々に眠ってしまい
今朝は、5時頃には目が覚めて、ノンビリと想いをくゆらせて(?)おりました。
いくつかネットで調べごとをしてから、ブログを開いて…
浮かんでまいりましたのが「子育てモード」という言葉です。
何気なく使っていた「モード」って、どんな意味を指すのかしら?と思いたって
まずは、お手軽な「Wikipedia」をクリックすると
『英語・フランス語 mode
形式や様式や形態や方法。スタイル。テレビ及びパソコンにおける省電力モードや格闘ゲームのストーリーモードなど。
モード (計算機) 』etcとの事。
私がこの「子育てモード」で、意味しようとしていたのは…
たとえば「お仕事モード」「家事モード」とか「母の自由時間モード」とか…
ひとりの人の中にも、
さまざまな場面ごとに「求められている役割」だったり「アタマの使い方」などがあって
それを、その時々の必要に応じて
「呼び出してきて(?)使い分けているのでは?」と、最近想っていて
まぁ、いろいろなことを考えたりやっている中で
「子どもと付き合ったり、子どもと話すとき…」の態度や考え方…
というほどのものでしょうか?
最近は、モジュールとか、モダリティとか…似たようなカタカナ語が、ほんとうにたくさんありますし
自分自身が「コレコレこういう意味で使っている」つもりの言葉でも
お聴きになった方の想定なさっている「言葉の意味」との間の「ズレや誤解」など
が、
多かれ少なかれ存在することは避けられません。
そのあたりの「あいまいさや不確実さ」は、なるべく解消する努力をしつつも
100%無くすことは、今のところできそうにもありませんので
皆様には、どうしてもお赦しいただくしかありません。
けれど、私が「子どもと話しをするときに大切かなぁ?」と思っているのは
できるだけ「お話を聴くときは、同じ目線に立つこと」
親だから、どうしても「親としてモノを言うことはあるけれど…」
あくまで「大人として、私自身はこう思っている。こんな風に考えている。」というように
伝えていけたら良いなぁということでしょうか?
私にとっては、kirikouとのアレコレが、今の一番の懸案事項であることは、確かですけれど
kirikouの成長に伴って、少しずつその関係性も変化してきましたし
その都度「適度な距離感」を取りながら、「声かけの方法」も変わってきました。
大切にしなくてはいけない「基本的な考え方」は、あるかもしれませんけれど
子育ては、それぞれの「お母さん×お子さん」の数だけあるんだなぁと想います。
多少の「開き直り感」も無きにしも非ずですけれど…
「食べる・眠る・楽しく遊ぶ」さらに「泣いたり怒ったりしながらも・・・」
「みんなで笑い合える」ことができたら
(ただし「学ぶ」「働く」の位置づけは、大切だけれど私の中では未確定?)
「いちばん基本的な人としての幸福感」は、満足できるような気がしますけれど…
皆様は、いかがお感じでしょうか?
今朝は、何だか「あまりに当たり前」のようでいて…
ついつい忘れてしまいがちな、ささやかなお話になってしまいました。
皆様も、早春の「いきものみっけ」を愉しみながら…
お気持の柔らかなお健やかな佳き一日をお迎えくださいね~!!
今はまだ、気温は低めのようですけれど
できることならば、お日様が顔をのぞかせてくれますように~!!
あっという間に2月に入って、最初の土曜日ですね…
昨晩は、なにやら疲れも堪っていたので、早々に眠ってしまい
今朝は、5時頃には目が覚めて、ノンビリと想いをくゆらせて(?)おりました。
いくつかネットで調べごとをしてから、ブログを開いて…
浮かんでまいりましたのが「子育てモード」という言葉です。
何気なく使っていた「モード」って、どんな意味を指すのかしら?と思いたって
まずは、お手軽な「Wikipedia」をクリックすると
『英語・フランス語 mode
形式や様式や形態や方法。スタイル。テレビ及びパソコンにおける省電力モードや格闘ゲームのストーリーモードなど。
モード (計算機) 』etcとの事。
私がこの「子育てモード」で、意味しようとしていたのは…
たとえば「お仕事モード」「家事モード」とか「母の自由時間モード」とか…
ひとりの人の中にも、
さまざまな場面ごとに「求められている役割」だったり「アタマの使い方」などがあって
それを、その時々の必要に応じて
「呼び出してきて(?)使い分けているのでは?」と、最近想っていて
まぁ、いろいろなことを考えたりやっている中で
「子どもと付き合ったり、子どもと話すとき…」の態度や考え方…
というほどのものでしょうか?
最近は、モジュールとか、モダリティとか…似たようなカタカナ語が、ほんとうにたくさんありますし
自分自身が「コレコレこういう意味で使っている」つもりの言葉でも
お聴きになった方の想定なさっている「言葉の意味」との間の「ズレや誤解」など
が、
多かれ少なかれ存在することは避けられません。
そのあたりの「あいまいさや不確実さ」は、なるべく解消する努力をしつつも
100%無くすことは、今のところできそうにもありませんので
皆様には、どうしてもお赦しいただくしかありません。
けれど、私が「子どもと話しをするときに大切かなぁ?」と思っているのは
できるだけ「お話を聴くときは、同じ目線に立つこと」
親だから、どうしても「親としてモノを言うことはあるけれど…」
あくまで「大人として、私自身はこう思っている。こんな風に考えている。」というように
伝えていけたら良いなぁということでしょうか?
私にとっては、kirikouとのアレコレが、今の一番の懸案事項であることは、確かですけれど
kirikouの成長に伴って、少しずつその関係性も変化してきましたし
その都度「適度な距離感」を取りながら、「声かけの方法」も変わってきました。
大切にしなくてはいけない「基本的な考え方」は、あるかもしれませんけれど
子育ては、それぞれの「お母さん×お子さん」の数だけあるんだなぁと想います。
多少の「開き直り感」も無きにしも非ずですけれど…
「食べる・眠る・楽しく遊ぶ」さらに「泣いたり怒ったりしながらも・・・」
「みんなで笑い合える」ことができたら
(ただし「学ぶ」「働く」の位置づけは、大切だけれど私の中では未確定?)
「いちばん基本的な人としての幸福感」は、満足できるような気がしますけれど…
皆様は、いかがお感じでしょうか?
今朝は、何だか「あまりに当たり前」のようでいて…
ついつい忘れてしまいがちな、ささやかなお話になってしまいました。
皆様も、早春の「いきものみっけ」を愉しみながら…
お気持の柔らかなお健やかな佳き一日をお迎えくださいね~!!