青春18切符利用で「歴史ウォーク」を実施することが多かったのですが、青春18切符利用のルールが変わってしまったので、(グループでは実質)利用できなくなりました。グループ旅行には「便利で安価だった青春18切符」は(実質)なくなってしまいました。そこで、グループのある方が「地下鉄+京阪電鉄全線一日乗り放題切符(1800円)があるということで・・・。その切符を利用して、「歴史ウォーク」実施になりました。
今回のコース 堺市内→京阪・淀屋橋駅→中書島駅→宇治駅→『宇治橋断碑・646年建立?(橋寺放生院にある)』見学→桃山南口駅→『明治天皇伏見桃山陵』など参拝→中書島駅→【東海道54番目の宿】伏見宿一部地域(月桂冠・寺田屋など)散策→三栖閘門(みすこうもん)見学→中書島駅→枚方駅→【東海道56番目の宿】枚方宿(本陣跡・鍵屋など)散策→京阪・淀屋橋駅→堺市内
以下、(写真などで)訪問地の一部を紹介します。
明治天皇伏見桃山陵 大階段
この階段(230段)を登りきったところに御陵の拝所がありました。いろいろな古墳を見学してきていますが、おそらく「階段の段数・規模」は明治天皇伏見桃山陵が日本一だろうなあ! と、(勝手に)思いました。まだまだ古墳めぐりにおいて、数は少なく未熟な私ですが・・・。今回の階段数は、とても印象に残りました。これ以上の階段のある(日本の)古墳はあるのでしょうか? どなたか教えてくださいね。外国の墓ではありそうですが・・・。
この階段を目にしたとき、「登るのをやめようかな?」と、一瞬ためらいましたね。私以外の人みんなが登って行ったので、後からついていくことに・・・。明治天皇伏見桃山陵を参拝したことがなかったので、一目見ておきたかった。それにしても、「すごい階段だなあ!」と、休み休み登って行った。
階段を登り切った地点に広々とした台地がありました。台地から振り返ってみると、 京都市内が見通せました。そして、正面を見ると鳥居が目に入り、拝所であることが分かりました。拝所から眺めた先に陵墓がありました。陵墓の形は(日本各地に残っている多くの古墳の)「前方後円」ではなくて、「上円下方」とのことでした。つまり上が円形で、下が四角形をしている陵墓でした。明治天皇皇后の陵墓の形も「上円下方」でした。古墳時代が終わってからは、陵墓そのものの規模は小さくなったようです。
坂本龍馬が定宿にしていた「寺田屋」。近くに宇治川水系の川があり、移動手段として舟利用が多かったのだろう。
『龍馬とお龍 愛の旅路』像 宇治川水系の川沿いに建立されている。
宇治川水系の川の一部 船宿だった「寺田屋」がすぐ近くに。
三栖閘門 (閘門とは川などの水面の高さを調節するための施設)
京都市内を流れる川(濠川など)の水面と宇治川の水面とを調節するために造られた三栖閘門。歴史的役割は終えているらしく、現在は「歴史遺産」となっている。
パナマ運河では、「閘門」施設が現在も稼働中です。
東海道56番目の宿 枚方宿本陣跡碑 枚方宿は「東海道57次」では、日本橋から数えて56番目の宿ですが、この街道名は「京街道」とも呼ばれていました。京都~大阪を結ぶ街道でしたから。
ちなみに「東海道53次」は有名ですが、東海道57次(江戸・日本橋~大坂・高麗橋)をつなぐ街道で、はあまり有名ではないようです。53番目までの宿場はどちらも同じですが、54・55・56・57番目の宿場は違ってきます。 54番目=伏見宿 55番目=淀宿 56番目=枚方宿 57番目=守口宿 です。
枚方宿 鍵屋 「東海道57次」の街道に面している。
鍵屋の建物の中に「くらわんか舟」が復元され、展示されていた。淀川にほど近い位置に鍵屋は建てられているので、「くらわんか舟」は(江戸時代も)展示されている位置に(川の一部として)引き込まれていたのだろうと、勝手に思い込んでいました。(よく調べもしないで・・・)
ところが、歴史ウォーク仲間のリーダーのTさんが、鍵屋の方に質問して確認してくれたようでした。舟の位置は、江戸時代は建物内ではなかったとのことでした。私の「勝手な思い込み」は訂正されることになりました。Tさん、ありがとうございました。「勝手に思い込む」と、事実と違う認識をしてしまうものです。反省しました。勉強になりました。