父の事を少しずつ
お話しできればと思っています。
最後の時は身内だけで…温かく見送る事ができました。
お通夜、そして告別式、
【2月11日12日】
式場には父の魂・人生のすべてであった
デュークエイセス
黄金期の音楽が静かに流れ
祭壇には父の好きだった薔薇の花が
優しく父を包んでくれていました。
遺影の写真は
5年前のホワイトデーに自宅で写した写真。
【~2015年3月14日16時 撮影~】
父の優しく、そして少し自慢気な笑顔。
偶然なのですが、その時と同じセーターが
父が最後に着ていたセーター。
父の優しい笑顔が、もう見れないなんて
まだ、とても信じられません。
多分、私以上に母は・・・
今は気丈を振る舞っていますが、とても心配です。
~感謝申し上げます~
お悔やみのコメント、
又、他ブログから、こちらを閲覧して下さった方々に
父に代わって心から感謝申し上げます。
昨日はDUKEのレコードを母と整理しました。
レコード
懐かしいジャケット
私が見た事がない物もありました。
もう父の歌声が聞けないと思うと寂しい。
最後に父が歌ったのは
2020年1月25日
父の誕生日
父と母と私3人、病院のラウンジ
ジュースで乾杯。
ハッピバースデーを歌うと
父は、しっかりハモってきてくれて・・・
それが父の最後の歌声になってしまいました。
2月20日
沢山の思い出と共に、思い出の曲を聴いて
吉田さんを偲びたいと思います。
とても悲しいです。
2015年7月26日、とても暑い日でした。太子堂区民会館でのコンサートが思い出されます。吉田さんの歌声を聞かさせてもらいましたが、正直言って「吉田さん、寂しかったのではと思いました。日本で最高のハーモニーを誇ったデュークエイセスにいた吉田さんなので、一人で歌うのは寒い感覚があったのでは」と。私にとってもデュークがすべてでした。デユークが再結成するという夢も何回も見ました。とても残念ですが、家族の方に囲まれて幸せだったのでしょう。安らかにお眠りください。
思い出は…メロディーと一緒に頭の中を流れます。
お母さま、NONさんご一家、ご親族さまのお悲しみは如何ばかりかと拝察します。
長くご夫婦でいらしたお母さまのお気持ちを考えると涙が出ます。どうかこれからもお母さまを大事になさって下さい。
どうしても頑張って歌い続けてほしかった。
父の最後は・・・母も私も悔いはありません。
どうか、いつまでも父(父達)の声を・・・忘れないであげて下さい。
温かいコメントを下さり有難うございます。
母も私も父が入院した時から…
これからの治療の事を考え本当に毎日、泣いていました。
とても身体が痛かった様で・・・。
その姿を見るのが辛くて・・・。
今は母と父の良い思い出だけを毎日、話しながら
頑張っています。
デュークを通じて多くの素敵な方と出会えました。心よりお礼とお悔やみ申し上げます。
言葉もないほどの寂しさを覚えます。
先程、この報を知り、呆然としております。
コメントが遅くなり、すみません。
吉田さんの美声、素晴らしい音楽に出逢えて、
私は幸せでした。
出逢わせてくださった神様に、
私は感謝します。
吉田さんの、美しい音楽への献身と、
吉田さんの不断の努力を支えられた御家族に
私は感謝します。
ありがとうございました。
また逢えますよね。
必ず。
言葉もありません…
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
最後まで、デュークエイセスとして再び歌うことを夢見ておいでだったことと思います。
ご家族の献身と支えが救いです。
天国で、谷口さん、飯野さんと、素晴らしい思い出を語り合ってください!
往年のファンの、方向けにお別れの会されてはどうでしょう?
いつも応援して下さり心から感謝します。私も「女ひとり」は父にしか歌えない曲と思っています。
又、
詳しい情報を有難うございます。
父が亡くなっても
父の歌声は残り・・・私達の力になってくれています。
最後に
今年の父の誕生日にはコメントを入れて下さり
本当に嬉しかったです。
本当に懐かしく思われます。
父が、まささんに初めて会った時の話しが、まるで
昨日の事の様に思い出されます。
「とても誠実そうな男性」というのが父の第一印象でした。
とても肺炎にかかってからの1週間は辛い時間となりましたが・・・
それは私達との、お別れをする為に必要な時間だったと思います。
沢山、お話ししたい事がありますが
少しずつ閉鎖していたブログではありましたが、
その中で、お話しできればと思っています。
あまりに突然でしたので
何から、どうしてよいのか全く分からず・・・
プレスリリースが昨日になってしまいました。
コメントを下さり感謝します。
いつも温かく見守って頂き有難うございます。
父は、こんなに素敵なファンに囲まれて
幸せです。
心から、そう思います。
心から感謝しています。
父は最後の1週間、病室で、ずっと
DUKEの音楽を流しながら頑張っていました。
最後までDUKEのセカンドテナーでした。
最後は、とても安らかな顔をしていました。
今は、きっと
天国で谷口さん、飯野さんと
ベースを探しながら
スイングしていると思います。
お別れ会は母の意向を尊重していきたいと思って
見守っています。
突然の訃報に驚いております。
私は、デュークエイセスの活動時期としては
かなり後になってからファンになったので、
同時期を過ごしたという点では短いですが、
今でも、歌唱された作品を購入しては
楽しまさせていただいておりますので、
まったく過去の人(作品)だという感覚はありません。
こういう若者(20代です…)もいるということが、
吉田さんにも、伝わると良いなと心から思っております。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ご家族の愛を胸いっぱいに旅立たれた事でしょう。
私がデュークのファンになったのは解散された頃で、
子供の頃に聞いた筑波山麓やおさななじみに懐かしさを覚え、どうしても聞きたくてCDやレコードを買い集めて毎日聴いておりました。
吉田さんの甘くソフトな歌声に魅了され、心の癒しに
なっていました。 ジャズ、黒人霊歌、日本の歌、全て大好きです。 これからも聴き続けます。
天国で谷口さんや飯野さんと歌っていらっしゃるのでしょうか? どうか安らかに…。
音楽は時代を超えます。
良い音楽は心に残ります。
本当に素敵な事だと心から思います。
tsubasaさんの事は父に必ず、お伝えします。
きっと、いつもの笑顔で
「そうか~嬉しいなぁ」
と答えてくれるはず・・・。
これからも、たまに父の声を聴いてあげて下さい。
何だか嬉しいです。
現役時代にファンになって下さっている方々ではなくて・・・
解散の頃から?
とても、それは嬉しい事かもしれません。本当にデュークの音楽を気に入って下さったのですね。そして父の声を好いて下さり感謝です。私も父の声は癒しでした。でも、もう、その声で話しかけてもらえないのかと思うと辛く悲しいです。
でも、きっと天国で谷口さんや飯野さんと楽しくスイングしていると思うので
私は我慢です。
私はいま60を越えましたが昨年友人が急死してしまってから急に18の時に、学校の視聴覚教室で初めてデュークエイセスの素晴らしいハーモニーと出会うことが出来ました。
それまで聞いてきた歌と違う圧倒的なコーラスワークと真摯なプロ意識に打ちのめされました。
それから追っかけが始まり、鈴木音楽事務所に出向いたり、行けるところには友人と連れ立ち行きました。
ステージの端で聞かせて貰えたことが1度だけありました。
4人のメンパーの方控え室で生の声を聞いた時とても嬉しくて、それぞれにステージに到着されて、ピット合わせるプロとしての姿と控え室での大人の男性としての立ち居振る舞いに新鮮な気持ちでいっぱいでした。
1度だけお父様がホテルのラウンジで高校卒業したての社会人としてデビューする私たち5人とお茶の席を共にしてくださいました。お仕事の後お疲れなのに、1人ずつの今後をお顔を本当に一人一人に向けて聞いてくださいました。
確かあの時お父様は40代だったと思われます!
その丁寧で柔な物腰と優しいオーラは自分が歳を重ねるほど美しかったなと心に蘇ってきます。
いま、友人を無くした心の穴を埋めたくなったのか分かりませんがあの当時の歌とその後のワンダフルタイムなど聞きまくっております。心が求めてるという感じです。どうか、お父様を無くされた悲しみ寂しさはあなただけのものでは無いことをお伝えしたくコメントしてしまいました。
あの時のお父様がしてくださった私たち5人への、お茶会はNew社会人となる若い人たちへの思いやりに溢れたギフトであったのだと感謝してます。また自分の後ろを歩いてくる人たちへそのような行動ができるような自分でいたいと心より思っています。素敵な時間、頂きました。