不思議と涙も出ない・・・
これが年月というものか。
3回忌の時(要するにまだ2年目の時に)
7回忌をした遺族の方が
『涙のない良い7回忌だった』
というのを聞いて不思議だったけど同じだった。
6年もたつとそれぞれに成長して各自の道を歩み始めて・・・
変わってないのは次女の年齢だけなのかもしれない。
いつも近くにいると思ってるし、心の中には存在してるし、
次女のことを思って哀しくて涙してたのが
最近は何か暖かいもので溢れてるような気がしないでもない。
3年地獄で・・・5年でいないことが当たり前の生活になったかな
段々といた痕跡が消えていくのが哀しいといえば哀しいけど
母が70になっても80になっても次女は19歳のままだもんな~。
次女の知らない鳥たちが次女の近くで遊んでる。
次女の鳥だったキィちゃんの仲間だよ。
そうそう・・・また哀しい出会いがあったんよね。
哀しいと言っても・・・
普通なら知り合うことのない人とある偶然をきっかけに
知り合い、また哀しみを共有してしまうって意味よ。
その偶然とは・・・我が子との別れ。
誰にも心の奥底にある哀しみは理解してもらえない。
経験者にしかわからない苦しみ。
6年前の私・・・誰に相談する人もなく・・・
家庭的にも落ち着かず・・・(相方の目が一段と悪くなり始めた頃)
泣いてる暇もなく夜になってPCに向かって涙する
暗い毎日を過ごしてたんよね~。
あの頃があったから今の私があるんだけど・・・
できたら心の叫びを受け止めてくれる人がいたらもっと
楽だったかもしれないと思って、
同じ苦しみを共有してる人の心の叫びを
聞いてあげたいとは思っていたけど、まさかね・・・
新聞の葬儀広告を見て電話するわけにも行かず・・・
きっと今苦しみと戦っているんだろうな~と
思いを馳せたこともあるわ。
ところが・・・広島の知り合いが同じ愛媛県で苦しんでいる人に
私のことを紹介してくれたらしく
私のHPを介してメールをもらって携帯メールから電話へと・・・
あまりに偶然が多く・・・鳥肌もん。
次女のICUの時の担当看護師さんが移動になったのは知ってたけど
まさかまさか・・・
同じ看護師さんの担当。
以前住んでたごくごくご近所さんということもわかり・・・
次女の友達の弟と同級生ということもわかり・・・
他にもたくさんの偶然が重なり、哀しい中にも話しがはずんで。
かなり勉強をしていて・・・
私が教えてあげられることは何一つなかったけど
母親として娘を失った悲しみだけはわかるから、
話を聞いて一緒に泣いてあげるだけよね。
でも・・・泣くだけの余裕もないみたいで・・・
私もそうだったのかもしれない。
苦しみの中で今のままじゃいけないと
もがいていたような気がする。
『頑張って』
と言われて、
”これ以上何を私に頑張れというの”
と悪態をついたり・・・
そんな私に6回目の命日に(7回忌というけど)
自分へのご褒美
ピンクゴールドの指輪。
こじつけになるかもしれないけれどね(苦笑)
普段は次女の近くに置いてあるよ。
今年の命日は台風で外は大変な風。
事故日の事故時間に置いた花は大丈夫かな~
風に飛ばされて車に轢かれたりしたら・・・
今日はとてもありがとうという気持ちにはなれないけれど・・・
それでも感謝の気持ちだけはいつも忘れないでいよう。
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いつもポチッありがとう~
鳥さんのいる生活日記502
最新画像から1503(4月)
大口を開けて何に噛み付いてるの
ボタンかな
今まで何羽も鳥を飼ってきたけど一番の大口だわ。
大口Q太郎(笑)
最新画像から1504(4月)
器量良しなのに目つきの悪さは天下一品
どうしたもんか・・・
個性も強く・・・けっこう1羽を好んでる。
最新画像から1505(4月)
器量の悪さを愛嬌でカバーするのがボ~ちゃん。
しかし・・・わがままも度を越すとうざいのみ
2年前のyaplogの記事が保存してあったので参考に。
2年前もほとんど同じことを考えてたのね。
ただ・・涙が出なくなっただけか・・・
確かに哀しいだけじゃなく何か暖かいものが心に芽生え始めてる。
以下コピペ
2001年7月15日 2005.07.15 [Fri] 19:46
私はこの日を忘れない。
私から笑顔が消えた日。
長い長い暗闇に迷い込んだ初日。
4年前は日曜日だった。
私は、その時間、何も知らずへらへら笑いながら
”動物奇想天外”を見ていた。
電話が鳴ったときには、”あるある大辞典”を見ていた。
自分が情けなかった。
それ以来、TVを見る習慣がなくなった。
朝の食事の時の”とくダネ”が唯一の情報源となる。
私を暗闇から救い出してくれたのは誰だろう?
やっぱり残された子供たちではなかろうか?
そんな母をずっと見守ってくれた娘たち。
本当にありがとう♪
最近ではいろんなところに出没している母を嫌がらずに、
『ここまできたら、思いっきりやったらいいよ』
と、応援してくれている娘たち。
本当にありがとう♪
これが年月というものか。
3回忌の時(要するにまだ2年目の時に)
7回忌をした遺族の方が
『涙のない良い7回忌だった』
というのを聞いて不思議だったけど同じだった。
6年もたつとそれぞれに成長して各自の道を歩み始めて・・・
変わってないのは次女の年齢だけなのかもしれない。
いつも近くにいると思ってるし、心の中には存在してるし、
次女のことを思って哀しくて涙してたのが
最近は何か暖かいもので溢れてるような気がしないでもない。
3年地獄で・・・5年でいないことが当たり前の生活になったかな
段々といた痕跡が消えていくのが哀しいといえば哀しいけど
母が70になっても80になっても次女は19歳のままだもんな~。
次女の知らない鳥たちが次女の近くで遊んでる。
次女の鳥だったキィちゃんの仲間だよ。
そうそう・・・また哀しい出会いがあったんよね。
哀しいと言っても・・・
普通なら知り合うことのない人とある偶然をきっかけに
知り合い、また哀しみを共有してしまうって意味よ。
その偶然とは・・・我が子との別れ。
誰にも心の奥底にある哀しみは理解してもらえない。
経験者にしかわからない苦しみ。
6年前の私・・・誰に相談する人もなく・・・
家庭的にも落ち着かず・・・(相方の目が一段と悪くなり始めた頃)
泣いてる暇もなく夜になってPCに向かって涙する
暗い毎日を過ごしてたんよね~。
あの頃があったから今の私があるんだけど・・・
できたら心の叫びを受け止めてくれる人がいたらもっと
楽だったかもしれないと思って、
同じ苦しみを共有してる人の心の叫びを
聞いてあげたいとは思っていたけど、まさかね・・・
新聞の葬儀広告を見て電話するわけにも行かず・・・
きっと今苦しみと戦っているんだろうな~と
思いを馳せたこともあるわ。
ところが・・・広島の知り合いが同じ愛媛県で苦しんでいる人に
私のことを紹介してくれたらしく
私のHPを介してメールをもらって携帯メールから電話へと・・・
あまりに偶然が多く・・・鳥肌もん。
次女のICUの時の担当看護師さんが移動になったのは知ってたけど
まさかまさか・・・
同じ看護師さんの担当。
以前住んでたごくごくご近所さんということもわかり・・・
次女の友達の弟と同級生ということもわかり・・・
他にもたくさんの偶然が重なり、哀しい中にも話しがはずんで。
かなり勉強をしていて・・・
私が教えてあげられることは何一つなかったけど
母親として娘を失った悲しみだけはわかるから、
話を聞いて一緒に泣いてあげるだけよね。
でも・・・泣くだけの余裕もないみたいで・・・
私もそうだったのかもしれない。
苦しみの中で今のままじゃいけないと
もがいていたような気がする。
『頑張って』
と言われて、
”これ以上何を私に頑張れというの”
と悪態をついたり・・・
そんな私に6回目の命日に(7回忌というけど)
自分へのご褒美
ピンクゴールドの指輪。
こじつけになるかもしれないけれどね(苦笑)
普段は次女の近くに置いてあるよ。
今年の命日は台風で外は大変な風。
事故日の事故時間に置いた花は大丈夫かな~
風に飛ばされて車に轢かれたりしたら・・・
今日はとてもありがとうという気持ちにはなれないけれど・・・
それでも感謝の気持ちだけはいつも忘れないでいよう。
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鳥さんのいる生活日記502
最新画像から1503(4月)
大口を開けて何に噛み付いてるの
ボタンかな
今まで何羽も鳥を飼ってきたけど一番の大口だわ。
大口Q太郎(笑)
最新画像から1504(4月)
器量良しなのに目つきの悪さは天下一品
どうしたもんか・・・
個性も強く・・・けっこう1羽を好んでる。
最新画像から1505(4月)
器量の悪さを愛嬌でカバーするのがボ~ちゃん。
しかし・・・わがままも度を越すとうざいのみ
2年前のyaplogの記事が保存してあったので参考に。
2年前もほとんど同じことを考えてたのね。
ただ・・涙が出なくなっただけか・・・
確かに哀しいだけじゃなく何か暖かいものが心に芽生え始めてる。
以下コピペ
2001年7月15日 2005.07.15 [Fri] 19:46
私はこの日を忘れない。
私から笑顔が消えた日。
長い長い暗闇に迷い込んだ初日。
4年前は日曜日だった。
私は、その時間、何も知らずへらへら笑いながら
”動物奇想天外”を見ていた。
電話が鳴ったときには、”あるある大辞典”を見ていた。
自分が情けなかった。
それ以来、TVを見る習慣がなくなった。
朝の食事の時の”とくダネ”が唯一の情報源となる。
私を暗闇から救い出してくれたのは誰だろう?
やっぱり残された子供たちではなかろうか?
そんな母をずっと見守ってくれた娘たち。
本当にありがとう♪
最近ではいろんなところに出没している母を嫌がらずに、
『ここまできたら、思いっきりやったらいいよ』
と、応援してくれている娘たち。
本当にありがとう♪
でも私は適切な表現かは分からないけど、幸せだった方だと思います。
未来さんが居てくれたから。
私も後三年したら未来さんのような思いに変われるのでしょうか。
未来さんの言葉を思い出しながら、一日一日を大切に生きて行こうと思います。
悲しい事に、遺族の会のメンバーも増える一方です。
美香ちゃんの命日、遠くからご冥福をお祈りします。
今日から7年目に入りました。
もうベテランの域ですよね(苦笑)
過去を振り返って本当に辛かった。
あの頃には絶対に戻りたくない・・・
今は純粋に亡き娘のことを真正面から
見つめてるかな?
早いもので丸6年たってしまったのですね
時間は流れ~生きてることの中で悲しみが
すこしづつ薄らいでくれるとしたら、それがいいです
未来さんが美香さんの短かったけどしっかり歩んだ
人生を受け止めることが出来るようになったと
したら刻々と流れる時間もありがかたく感じます
私には経験がないので偉そうには言えませんが
未来さんとそのご家族を応援することは出来ますよー
美香さんもきっと千の風になって、皆さんを見守って
くれてることと思います
数年前にには思いもしなかったから、
やっぱりある程度は時が解決してくれるのかもしれませんね。
それなりの努力もしたし・・
周りの人たちにも恵まれたし・・・