今日も一日ありがとう♪

一番の幸せは美味しい食事。
一番の幸せは優しい心とのふれあい。
一番の幸せは・・・いっぱい。
そんな日々つれづれ。

命日

2007年07月15日 00時00分44秒 | 日々つれずれ
不思議と涙も出ない・・・
これが年月というものか。
3回忌の時(要するにまだ2年目の時に)
7回忌をした遺族の方が

『涙のない良い7回忌だった』

というのを聞いて不思議だったけど同じだった。
6年もたつとそれぞれに成長して各自の道を歩み始めて・・・
変わってないのは次女の年齢だけなのかもしれない。
いつも近くにいると思ってるし、心の中には存在してるし、
次女のことを思って哀しくて涙してたのが
最近は何か暖かいもので溢れてるような気がしないでもない。
3年地獄で・・・5年でいないことが当たり前の生活になったかな
段々といた痕跡が消えていくのが哀しいといえば哀しいけど
母が70になっても80になっても次女は19歳のままだもんな~。



次女の知らない鳥たちが次女の近くで遊んでる。
次女の鳥だったキィちゃんの仲間だよ。

そうそう・・・また哀しい出会いがあったんよね。
哀しいと言っても・・・
普通なら知り合うことのない人とある偶然をきっかけに
知り合い、また哀しみを共有してしまうって意味よ。
その偶然とは・・・我が子との別れ。
誰にも心の奥底にある哀しみは理解してもらえない。
経験者にしかわからない苦しみ。

6年前の私・・・誰に相談する人もなく・・・
家庭的にも落ち着かず・・・(相方の目が一段と悪くなり始めた頃)
泣いてる暇もなく夜になってPCに向かって涙する
暗い毎日を過ごしてたんよね~。
あの頃があったから今の私があるんだけど・・・
できたら心の叫びを受け止めてくれる人がいたらもっと
楽だったかもしれないと思って、
同じ苦しみを共有してる人の心の叫びを
聞いてあげたいとは思っていたけど、まさかね・・・
新聞の葬儀広告を見て電話するわけにも行かず・・・
きっと今苦しみと戦っているんだろうな~と
思いを馳せたこともあるわ。
ところが・・・広島の知り合いが同じ愛媛県で苦しんでいる人に
私のことを紹介してくれたらしく
私のHPを介してメールをもらって携帯メールから電話へと・・・

あまりに偶然が多く・・・鳥肌もん。
次女のICUの時の担当看護師さんが移動になったのは知ってたけど
まさかまさか・・・
同じ看護師さんの担当。
以前住んでたごくごくご近所さんということもわかり・・・
次女の友達の弟と同級生ということもわかり・・・
他にもたくさんの偶然が重なり、哀しい中にも話しがはずんで。

かなり勉強をしていて・・・
私が教えてあげられることは何一つなかったけど
母親として娘を失った悲しみだけはわかるから、
話を聞いて一緒に泣いてあげるだけよね。
でも・・・泣くだけの余裕もないみたいで・・・
私もそうだったのかもしれない。
苦しみの中で今のままじゃいけないと
もがいていたような気がする。

『頑張って』

と言われて、

”これ以上何を私に頑張れというの

と悪態をついたり・・・



そんな私に6回目の命日に(7回忌というけど)
自分へのご褒美
ピンクゴールドの指輪。
こじつけになるかもしれないけれどね(苦笑)
普段は次女の近くに置いてあるよ。

今年の命日は台風で外は大変な風。
事故日の事故時間に置いた花は大丈夫かな~
風に飛ばされて車に轢かれたりしたら・・・

今日はとてもありがとうという気持ちにはなれないけれど・・・
それでも感謝の気持ちだけはいつも忘れないでいよう。




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最新画像から1503(4月)



大口を開けて何に噛み付いてるの
ボタンかな
今まで何羽も鳥を飼ってきたけど一番の大口だわ。
大口Q太郎(笑)

最新画像から1504(4月)



器量良しなのに目つきの悪さは天下一品
どうしたもんか・・・
個性も強く・・・けっこう1羽を好んでる。

最新画像から1505(4月)




器量の悪さを愛嬌でカバーするのがボ~ちゃん。
しかし・・・わがままも度を越すとうざいのみ



2年前のyaplogの記事が保存してあったので参考に。
2年前もほとんど同じことを考えてたのね。
ただ・・涙が出なくなっただけか・・・
確かに哀しいだけじゃなく何か暖かいものが心に芽生え始めてる。

以下コピペ



2001年7月15日 2005.07.15 [Fri] 19:46

私はこの日を忘れない。
私から笑顔が消えた日。
長い長い暗闇に迷い込んだ初日。
4年前は日曜日だった。
私は、その時間、何も知らずへらへら笑いながら
”動物奇想天外”を見ていた。
電話が鳴ったときには、”あるある大辞典”を見ていた。
自分が情けなかった。
それ以来、TVを見る習慣がなくなった。
朝の食事の時の”とくダネ”が唯一の情報源となる。
私を暗闇から救い出してくれたのは誰だろう?
やっぱり残された子供たちではなかろうか?
そんな母をずっと見守ってくれた娘たち。
本当にありがとう♪

最近ではいろんなところに出没している母を嫌がらずに、
『ここまできたら、思いっきりやったらいいよ』
と、応援してくれている娘たち。
本当にありがとう♪


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
命日 (けいちゃん)
2007-07-15 01:32:10
三年地獄。心療内科の先生にも言われました。
でも私は適切な表現かは分からないけど、幸せだった方だと思います。
未来さんが居てくれたから。
私も後三年したら未来さんのような思いに変われるのでしょうか。
未来さんの言葉を思い出しながら、一日一日を大切に生きて行こうと思います。
悲しい事に、遺族の会のメンバーも増える一方です。
美香ちゃんの命日、遠くからご冥福をお祈りします。
返信する
無事7年目に突入 (未来→けいちゃんへ)
2007-07-15 20:23:30
16時14分に現場の花も片付けて・・・
今日から7年目に入りました。
もうベテランの域ですよね(苦笑)
過去を振り返って本当に辛かった。
あの頃には絶対に戻りたくない・・・
今は純粋に亡き娘のことを真正面から
見つめてるかな?
返信する
とき (粒あん)
2007-07-15 21:23:08
台風は大丈夫でしたか?

早いもので丸6年たってしまったのですね
時間は流れ~生きてることの中で悲しみが
すこしづつ薄らいでくれるとしたら、それがいいです

未来さんが美香さんの短かったけどしっかり歩んだ
人生を受け止めることが出来るようになったと
したら刻々と流れる時間もありがかたく感じます

私には経験がないので偉そうには言えませんが
未来さんとそのご家族を応援することは出来ますよー
美香さんもきっと千の風になって、皆さんを見守って
くれてることと思います
返信する
時・・・そう、年月なんでしょうね。 (未来→粒あんさんへ)
2007-07-15 22:08:17
こんなに思える日が来るなんて・・・
数年前にには思いもしなかったから、
やっぱりある程度は時が解決してくれるのかもしれませんね。
それなりの努力もしたし・・
周りの人たちにも恵まれたし・・・
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