えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

それぞれの日常・ミチコ

2018-06-25 07:49:58 | 書き物


その日、10時ちょっと過ぎに彼から電話があった。
「もしもし、ミチコ?」
心なしか、元気のない声…
「もしもし?どうだったの?」
「麻衣子は帰ったよ。もう、来ないって」
「そう…」
「これから、行ってもいい?」
「うん、いいわよ、待ってる」
電話を切って、小さくやった!っと叫んだ。
遠距離に疲れた彼女、ちょっとしたことで諦めた彼女。
私は、諦めないわ。
これで、彼は私だけのものだからね。

彼が来るから、簡単なお昼ご飯を作ることにした。
彼が好きなお肉を乗せた丼。
まず、彼の胃を掴まなくちゃと、頑張った甲斐があったわ。
ちょうど出来あがった頃に、彼がチャイムを鳴らした。
ドアを開けると、眉を下げた顔で私を押しながら入ってくる。
「どうしたの?」
「ん…」
部屋に入ると、後ろから抱き締めて小声で呟いた。
「ミチコは…俺のそばにいてくれるよね」
…彼女が去ったのが、堪えてるんだ。
前に回った彼の手に私の手を重ねて、彼にもたれた。
「心配しなくても、そばにいるわよ」
「ありがとう」
ぎゅうっと抱きしめられると、いつもの私ではいられなくなる。
身体が熱を持って、彼の熱も一緒になってしまう。
彼のことを好きになったから、遠距離をいいことに遠ざかってた彼女から、奪ってしまおうと思った。
でも、奪おうなんて思ったのはただ好きだから、だけじゃない。

私が服飾雑貨の店の店長になったのは、ちょうど1年くらい前。
そのとき、大手の靴下会社の営業マンである、彼と初めて会った。
「お疲れさまです!」
大きな声、すごくいい笑顔。
人懐こさを振り撒いて、彼は入って来た。
ばか丁寧な人、無表情な人、色々な営業マンがいたけれど。
こんな自然に人懐こい人、初めてだった。
だから、彼の推す物…ストッキングや靴下の、販促を頑張ったの。
彼に、私をもっと見て貰いたくなって。
イチオシのディスプレイ、カラフルなポップ。
もちろん、お客様へも積極的にお声がけしたわ。
その甲斐あって、良く売れてくれたし、何より彼にすごく感謝された。
…感謝されたら、彼にもっと近づきたくなった。

帰る彼に、
「夕食食べませんか」
と、声を掛ける。
美味しい焼き鳥と、お酒のあるお店。
気取らないお店を気に入ってくれたみたい。
いつもお疲れさまです。
次の売れ線はこのあたりかも。
このつくね、美味しいですね。
…彼女、いるんですか?
仕事の話、美味しいものの話…
お酒がすすんだら、聞きたいことが聞けた。
「いますよ。東京とこっちで遠距離なんです」
やっぱり…
がっかりした声を出さないよう、気をつけたけれど一気にテンションが下がってしまった。
そりゃそうよね。
こんな可愛い人、モテるに決まってる。
ああ、ショック…
そんな気も知らずに、彼は楽しそうにお酒を飲んでる。
そんな彼を見て、むくむくと闘志が沸き上がってきた。
彼女って言ったって、遠距離なのよね。
たま~にしか会えないんでしょ。
私の方が、頻繁に会えてるしこうしてご飯も一緒に食べてる。
この人にもっと見つめられたい。
まだ触れてない彼に触れられたい。
私、彼が欲しい。

それから、しつこすぎないように、でもマメに彼を食事に誘った。
美味しいご飯やお酒を楽しんでる時間が、彼との距離を縮めてゆく。
酔ってる時なら、ちょっと彼に触れても不自然じゃない。
そうして会うことが増えるにつれ、彼も少しずつ私に触れてくれるようになった。
少しだって、彼が触れてくれた所は途端に熱を持った。
ドキドキして、もっと触れて欲しくなった。
そんな気持ちをこめて、彼を見るようにしたら。
彼の目の奥に、微かにだけれど何かが燃え始めたように見えた…
これは、よく言うもう一押しってことよね。
彼を私に引き寄せるために。
その一押し、いつしよう…

8月、暑い日が続いていたある日、定休日の前日。
検品中の彼に声を掛けた。
「あの…良かったら、今日夕御飯どうですか?」
後ろ姿の彼が、くるっと振り向く。
「いいですね。暑いからビールも飲みましょう」
「良かった…ウチですけどいいですか?」
「ウチ?」
「はい、私の家です」
「そんな…いいんですか。」
「気にしないで下さい。お店よりリラックス出来たら、って思って」
「あ、ありがとうございます」
彼が乗ってくれた。
嬉しい。
今、すく近くにいるこの人に、もっと近づきたい。
「今日はお仕事は、何時ぐらいまでなんですか」
「ああ、ここで終わりです。帰社もしなくて大丈夫なので」
「そうですか。じゃあ、あと少しで閉店なので、待っていていただけますか」
「分かりました」
ことさら丁寧な会話をした。
お互いになんとなく、今夜のことを意識してるのが分かる。
今夜…もっと彼に触れられたい。
彼に触れたい。
彼を好きになったから。
でも、それだけじゃない、私の願望があった。
彼は転勤のある営業マン。
もし、彼と結婚して本社に転勤なんてことになったら。
彼の奥さんとして、東京に行ける。
この地方で生まれ、育ち、他へ出たことがない私は、東京に憧れてた。
1人で行けばいいじゃないって、学生時代の友達に言われたけれど…
就職の時、東京の会社を親に許して貰えなくて。
地元の小さなチェーンの雑貨店に入った。
販売しかしたことなくて、中途採用を探してもなかなか見つからない。
そのうち、反対してた親は病気でいなくなってしまった。
拍子抜けしたけれど、今更東京で働ける場所を探す気力が薄れてた。
そんな時に出会った彼。
彼の奥さんになれたら。
彼と一緒になって、ここから抜け出せたら。
1人だって行けるだろうけど、夫と一緒にっていうのがいいの。
人に頼るのって言われても。
それが私の願望…

お店を閉めて、彼の営業車でアパートに向かった。
お店の近くで借りたから、あっという間に着いてしまった。
「お邪魔します」
彼が、神妙な声を出して私の後ろから入って来た。
「そこに座って、待ってて下さいね。今、ビールとおつまみ出しますから」
「あの、仕事終わったばかりで大変ですから。そんな色々用意してくれなくても…」
「大丈夫。1人の時でも私、朝の内に作って冷蔵庫に入れておくんです」
パッと出せるおつまみにビール。
少し暖めれば良い煮物、そのままでOKなサラダ。
15分もたった頃には、二人で座ってビールを飲んでいた。
「すごく手際がいいんですね。それに、美味しい」
満足そうな彼を見ると、嬉しくて頬が緩む。
胃袋を掴めって、よく言われてるもの。
一応お店で飲む時に、彼の好みはチェック済みだし。
「お口に合ったなら、嬉しいです」
ビールを重ね、焼酎を勧め…
色々な話をしながら、二人で飲んだ。
彼は予想してたより弱いみたいで、もう耳まで赤い。
酔ったからなのか、だんだん言葉が砕けてくる
ミチコさんが、たまにミチコちゃんになる。
そんな彼が可愛くてしようがなくて。
お皿を片付けるのに、腕に触れたり少し寄りかかったり。
それを、身を引くでもなく受け止めてくれる彼が、嬉しかった。

二時間くらいたった頃だった。
少し片付けるために、5分くらい台所に立って洗い物をしていたら、いつの間にかソファに寄り掛かって彼が眠ってる。
かなり、酔っちゃったのね。
どうしよう…
多分、すぐには目覚めないわ。
もう飲めないだろうから、すっかり片付けよう。
テーブルの上を片付けても、台拭きでテーブルを拭いても、彼はぐっすり眠ってた。
私はお茶を入れて飲みながら、眠ってる彼を見てた。
やっぱり、私は彼が好きだなんだわ、と思う。
話してる時も、飲んでる時も、正直でストレートで甘えたで。
だから今夜、もし彼から誘われたら。
そういう事になってもいい。
いえ、そういうことになりたい。
それに…私の願望を叶えるには、遠距離の彼女を押し退けないと。
彼はどうなんだろう…
すこしでも、私に近づきたい気持ちはあるんだろうか。

ふと、時計を見るともう11時をまわってる。
そろそろ起こさないと…
「ね、起きて。帰れなくなりますよ」
「ん…」
もぞもぞと身体を起こすと、不思議そうな顔で私を見る。
「あれ?ミチコさん、なんで?」
「あら、覚えてないんですか?ウチでお酒飲んで寝ちゃったのに」
「あっ」
思い出したらしく、顔を赤くしてる。
「ごめんなさい!もう遅いですよね。」
ばっと立ち上がった彼がよろめいた。
「大丈夫ですか?お酒飲んでるんですから」
駆け寄って抱き抱えると、近い距離で彼と見合ってしまう。
「あ、ごめんなさい…」
急いで離れようとした。
すると、彼の腕が伸びて来て腕を掴まれた。
振り向くと、じっと私を見てる。
くいっと腕を引かれると、彼の腕の中に入った。
酔ってるのに、強い力。
顔を上げて彼を見ると、この間より強い炎が燃えているように見えた。
「私…私は…」
「黙って。俺、今酔ってる。でも自分が今一番何がしたいかは分かるよ」
「…なに?」
「…ミチコさんを食べたい」
ぎゅっと抱き締められた後、唇が重なった。
男の人の匂いと、アルコールの匂い。
頭がクラクラする…
キスしながら、彼の手が背中を探り、ふわっとした生地のブラウスを捲る。
彼の首に腕をまわしながら、想いが叶った悦びで満たされた。

今。
私を抱き締めてる彼は、紛れもなく私のものなんだわ。
これで、私の願望が叶うことに、一歩近づいたんだ。
彼女がこんな簡単に諦めてくれるなんて。
私は、彼が簡単に手に入って、浮かれてた。
好きになった人に、こんなに甘えられたのは初めてだったから。
好きな人が、こんなに愛してくれてる。
私は選ばれたんだ。
それはとっても気持ち良くて、しばらくの間私をふわふわと浮かれさせた。
そして、9月も後半になった頃。
定休日前の晩は、彼が泊まりに来るようになった。
私の料理を食べて、私の頬を包んで、嬉しそうに笑う彼を見ると幸せな気持ちになれた。
ミチコの料理をずっと食べたいとか、側にいてね、とか…
彼の言葉は私の願望を、叶えてくれると思えた。
何もかも上手く行ってると思ってた、その日までは。

明日で9月が終わる、木曜日。
珍しく閉店ギリギリに彼が来た。
「こんばんは。お疲れさまです」
いつもより、大人しめな声。
手に持った荷物も、少ない。
「珍しいわね、あなたが仕事でこの時間に来るって」
誰もいないから、二人の時のように話しかけた。
彼は、少し、困った顔をしてる。
「今日は、挨拶に来たんだ」
「…挨拶?」
「うん…ちょっと、ここ座っていい?」
お店の隅に置いてある、小さなテーブルと椅子。
そこへ彼が座ったから、私も向かいに座って彼の顔を見る。
「実は、明日付けで異動が決まりました。東京の本社に戻ります」
出入りの業者さんの口調。
「え…じゃあ…」
「…明日には、後任の営業が来るから。後任も、宜しくお願いします」
「…はい。分かりました。あちらでも頑張ってください」
一応、取引先の業者さん。
ちゃんと挨拶はしなくちゃいけない。
でも…私は彼女なんでしょ。
彼女への言葉は、ないの…
黙って俯いたら、彼の手が伸びて来て私の手を取った。
「ミチコ。いろいろありがとう。ずっとミチコといたかったけど…戻らなきゃいけないんだ、ごめん」
「私…私は連れてってくれないの?」
「…それは無理なんだ。戻れば実家だし、ミチコにも仕事があるでしょ、店長なんだから」
「そう、だけど…」
なに、この顔。
こんな顔、知らない。
あんな甘々なこと言っておいて。
どの口がしれっと、仕事があるでしょ、なんて言うのよ。
白々しい。
上に置かれた彼の手を除けて、立ち上がった。
「お疲れさまでした。お元気で」
腰を折って深々とおじきをすると、落ち着かない様子になった。
「ミチコ、何か怒ってる?」
「え?怒ってなんかいないわよ。ただ虫がいいなあと思っただけよ」
「…そんなことを言われても。まさか、結婚して一緒に行こうなんてこと、言うと思ってたの」
「…そんなことは…」
考えてたことを、まさかと言われて詰まってしまった。
「そうだよね。俺だってそんな気はなかった」急いで店の外に出る彼。
それがスローモーションみたいに見えて、中からぼんやり眺めた。
「じゃあ…」
ボソッと小さな声で呟いてから、彼は行った。
バタン、と車のドアが閉まる音。
ザザッと砂利をこすりながら、車は出て行った。

さっきまで彼が座ってた椅子に、ゆっくりと座った。
さっきの彼の言いようったら。
曖昧な言葉、灯りが消えたような目。
初めて店に来た時とは大違い。
私への関心を、全部吐き出してしまったみたいだった。
いいえ、初めから関心なんてものは無かったのかもしれない。
ただ、手近にいるものに甘えただけだったのかも…
「…側にいてって言ったくせに」
呟きながら、ゴールドチェーンのペンダントを、外して握りしめた。
当てが外れた。
奥さんになって東京に行くなんて、甘かった。
彼にそんな気持ちなんて、端から無かったんだ。
私は何を見てたんだろう。
上手く行ってるって思い込んで、浮かれていたんだ。
でも…
当てが外れただけなら、ただ彼を忘れればいい。
当てになる、次の男を探せばいいだけ。
なのに、なんでこんなに胸が重くて、息苦しいんだろ…
なんで彼の匂いが、温度が恋しいんだろう…
握りしめていたペンダントを、ゴミ箱に投げると帰り支度をするため、立ち上がった。

翌日。
いつも通り店を開けた。
一晩眠って起きたら、昨日のことは夢のような気がした。
でも、現実なんだ。
普段と全く同じように、ディスプレイのチェックをしていると、自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ!」
大きな荷物を抱えたスーツ姿の男性が、おずおずと入って来た。
「あの、今日付けでこちらの担当になりました。宜しくお願いします」
…彼の後任の人だ。
「そうですか。こちらこそ、宜しくお願いします。こちらへ」
荷物を下ろし、私に向かい合ったその人を見た。
人の良さそうな笑顔が、口元に浮かんでる…

「新商品の靴下、あります?」
笑顔を向けた先の眼差しを見たら、ドキン、と鼓動が早くなった。
もう懲りたでしょ、と冷静な自分が告げる。
彼ならもしかして…と諦めの悪い女が顔を出す。
もう、彼は私の日常にはいらない。
私、もっともっと強かになるわ。
私には私の、日常がまた始まるんだ。