不思議体験をすると、その宗派を信じたくなります。
もちろん信じてはいるのですが、その宗派を妄信するということは避けたいと思っています。
どれか一つの宗教・宗派のみを信じると、ほかの宗派と比べて、どうしてもこちらが正しい、あちらが間違っているとか批判したくなります。
私は批判したり喧嘩をしたりしたくありません。歴史的に見ても宗教による戦争が引き起こされています。おかしなことです!
なので、一つの宗教にこだわりません。人が何を信じようがどう考えようがそれはその人の自由だと思います。それはそれで尊重されるものです。
(ただし、”まがいもの”は許されませんが・・・)
余談になりますが、今私が携わっているオーラソーマなどカラーの世界でも同じことが言えると思っています。
たとえばオーラソーマを妄信すると、ほかのカラーセラピーシステムを批判したくなります。あれはおかしい、間違っているなど、、、。私は100%信じるではなく、遊びの部分(余裕)を持ち、少し距離を持って見ていきたいと常日頃考えています。
たいてい他を批判する場合、自分の立場や利益が関わってきているようです。宗教戦争もそうです。本来の心ではなく、自分の都合のよいように解釈してしまうのです。もちろん世の中は理想通りいかないし、お金も大切ですが、最も大切なことは何なのでしょうか?
(※闇雲な批判と、議論・討論・ディスカッション・自分なりの意見を持つということは意味が違います)
話は戻りますが、信仰心は持っていたほうが、人は幸せだと思います。
目に見えないものに対する畏敬の念、神、仏、愛、大いなる存在。。などいろんな人間が作った言葉がありますが、何でも構いません。
続く
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