〔プロローグ〕
〔第1話〕~〔第30話〕 〔第7週〕第31話~第35話「夢の新婚生活」
〔第31話〕二人の新婚生活が始まる。裕一は、契約したレコード会社に向かう…。
レコード会社では、同期の新人作曲家を紹介される。裕一に初めて詩面が渡され、作曲を依頼される。
しかし、作曲した譜面は20回も連続して不採用となる。音は、音楽学校の入学式に向かう。
〔第32話〕音は、同期入学生の才能に驚くも、音楽学校生活が始まる…。
裕一は、不採用が続くも、同期の作曲家を自宅に招く。その作曲家が先にレコーディングする。
〔第33話〕裕一は、同期・木枯のレコード化を祝うが、何か浮かぬ表情…。
裕一は、木枯(こがらし)に誘われて、カフェーに行く。木枯は、ギターで「影を慕いて」を歌う。
帰宅した裕一は、香水の匂いなどで、音とケンカになる。音は、声楽の練習でプリンスと詠われる上級生の指導を受ける。音はプリンスと喫茶店に行き、声楽の相談をする。そこで裕一と鉢合わせするが、何と、プリンスは裕一と小学校に転校して来た同級生(佐藤久志)だった。この出会いが裕一の今後に大いに係わりを持つことになる。
第3話 4月1日 出会い「将来の作詞者」と、理解者の「先生」。
ケンカを遠巻きに見ていると、転校生から声を掛けられる。(後の、作詞者となる)
運動の不得手を教師から責められ制裁を受けている時、新任の教師が止めに入り、理解者となる。
〔第34話〕二人は、久志を自宅に招く。久志は、二人のケンカの仲立ちをする…。
久志は、裕一の作曲が上手く行ってない事を知り「君は選ばれし者だ」と励ます。それから半年ほど後、
裕一は、来年の契約金を半額にすると通告される。それを知った音は、レコード会社に直談判に向かい、
契約の現状維持を勝ち取る。その時、小山田耕三が近くに居合わせた事から、裕一をレコード会社に推薦したのは、小山田耕三だと知る。
作曲界の重鎮・小山田耕三(山田耕作)役で、再び故・志村けんさんが登場しました。
〔第35話〕裕一は、ようやく憧れの小山田耕三(志村けん)に出会う…。
裕一は、自分をレコード会社に紹介してくれた小山田先生の顔に泥を塗る事は出来ないと作曲に没頭する。音は、音楽学校の記念公演で、ヴィオレッタ役に応募する。その選考会の日に、裕一は突然の腹痛で倒れる。音は、ギリギリで選考会場に到着。思いもよらず、ライバ ルの千鶴子や、久志の機転で、一次審査を通過する。選考会後、音は、久志に裕一の苦境を話す。後日、裕一の元に早稲田大學応援団員が大挙して押しかける…。 〔第8週〕第36話~第40話「紺碧の空」
〔第36話〕裕一に、早稲田大學応援歌の作曲を依頼する…。
大學野球の「早慶戦」で早稲田は連敗を続けていた。新しい応援歌を作ろうと云う機運が高まり、学内の応募から「紺碧の空」の作詞が選ばれた。予算と期日が無いことから、作曲家の選定に苦慮していたが、久志のいとこが応援部に所属していたことから、裕一に作曲の依頼が来た。音にも励まされ、依頼を受ける事になる。
〔第36話〕木枯は裕一に既にヒットを連発している山藤を引き合わせる…。
未だヒットの出ない裕一だが、木枯はその才能を高く買っていた。山藤は裕一が広げていた「紺碧の空」に目をやる。山藤は、2年生の時、慶応大学の応援歌の歌唱指導をしたことが有るという。「紺碧の空」の前に自信を持って書き上げた楽譜を、小山田に見せに行くが…。
(続く)
〔プロローグ〕
〔第1週〕第1話~第5話「初めてのエール」
第1話 3月30日 1964年(昭和39年)10月10日「東京オリンピック」開会式。
「東京オリンピック」開会式で、古山裕一(古関裕而) が作曲した『オリンピックマーチ』が演奏されるが…。
裕一は、その緊張に耐えかねて、トイレに籠もってしまう。妻が励ますが、それでも尻込みする裕一に、原爆で親兄弟全てを失ったという長崎出身の警備員が「生きる希望を与えてくれたのは先生の『長崎の鐘』です。先生の曲は人の心を励まし、応援してくれます。先生の晴れ舞台です。どうか会場で!」と、声を掛けた。その言葉に押され、裕一は大観衆が溢れる会場へと向かう。
『オリンピックマーチ』昭和39年2月に依頼があり、6月に曲が完成。
考えている時間が長く、ふさわしいマーチがどんどん浮かんできて一気に書き上げた。入場行進のマーチを聴きながら、愛用の8㎜カメラで撮影していた。(息子さん:古関正裕氏)
『長崎の鐘』長崎だけでなく、この戦災の受難者全体に通じる歌。
長崎医大・永井 隆博士が書いた著書などからヒントを得て、サトウハチロー氏が作詞。曲調は、打ちひしがれて人々のために再起を願って、「なぐさめ」の部分から長調に転じて力強くした。
1949・昭和24「長崎の鐘」ここよなく晴れた 青空を 悲しと思う (藤山 一郎・サトウ ハチロー・古関 裕而)
同年3月に、藤山一郎の歌唱で録音した。この時、藤山は風邪で高熱を出していたが、無理を押しての録音だった。しかし、「楷書の歌手」といわれるだけあり、体調不良を感じさせない歌声だった。
「長崎の鐘」は、東京大衆歌謡楽団が歌うレパートリーの1曲です。
〔参考文献〕「エール」NHK出版・「鐘よ鳴り響け」集英社・「古関裕而~流行作曲家と激動の昭和」中公新書
30日スタートのNHK連続テレビ小説にも未発表ですが出演が決まっていた、タレント・志村けんさんが死去。驚きと共に、謹んでご冥福をお祈りします。
なお、既に数回の収録が済んでいて、その分は、放送されるそうです。
第2話 3月31日 長男として、裕一が誕生。小学生になり、吃音や運動が苦手で…。
いじめに遭う。或る時、父親が掛けている蓄音機の音色に吸い寄せられる。
第3話 4月1日 出会い「将来の作詞者」と、理解者の「先生」。
ケンカを遠巻きに見ていると、転校生から声を掛けられる。(後の、作詞者となる)
運動の不得手を教師から責められ制裁を受けている時、新任の教師が止めに入り、理解者となる。
村を挙げての運動会で、転倒するも、新任の教師が指揮するハーモニカの演奏に励まされ、ゴールを目指す。
会場は裕一への声援に包まれる。裕一にとって初めての「エール」になる。
第4話 4月2日 裕一、五年生となり、理解者の先生が担任となる。
母親の実家に行った時、賛美歌を歌う少女に見とれ、運命の出会いとなる。
先生から「作曲」の宿題が出る。やがて、黒板に描かれた楽譜を見て、先生が驚く。
第5話 4月3日 先生が裕一の家を訪ね、類い希な音楽の才能を告げる。
第一次世界大戦が終わり、不況の波が呉服店の経営にも及び出す。
その中でも、父は、裕一に高価な楽譜を買い与える。 〔第2週〕第6話~第10話「運命のかぐや姫」
第6話 4月6日 心が通い始めた同級生の家が夜逃げ。
同級生が詩を書くことを知り、裕一が曲を付けると約束した矢先の夜逃げだった。
不況のあおりは、裕一の家の呉服店にも影を落とし、父親が金策に走る。
第7話 4月7日 裕一、運命の少女(後の妻・音)と出会う。
少女は、父親と教会で聖歌隊と共に賛美歌を歌い、後々、裕一との出会いとなる。
また、少女は、その教会で歌った世界的ソプラノ歌手の歌に感動する。
第8話 4月8日 父親に後押しされ、歌手と挨拶を交わす。
レコードをプレゼントされ、歌手になりたいと話す。心構えを諭される。
第9話 4月9日 音の父親が、鉄道事故に巻き込まれて急死。
仕事先で、子供を助けようとした事故だった。馬具製造の家業にも、暗雲。
第10話 4月10日 馬具製造の契約書により、職人も戻る。
音は、学芸会「竹取物語」で、主役の子の心情を知り、自ら主役になり、
交代した子も帝の役を無事に演じる。劇中、音の「朧月夜」独唱が感動を呼ぶ。 〔第3週〕第11話~第15話「いばらの道」
第11話 4月13日 時が経ち、裕一は家業を継ぐため、商業学校に入学。
裕一が福島商業学校に入学したのは、大正12年「関東大震災」の前年だった。
当時、大流行していた「ハーモニカ倶楽部」のメンバーになる。
第12話 4月14日 裕一の曲が「定期演奏会」の曲に選ばれる。
選曲投票はハーモニカ倶楽部会長との競合になるが、会長の配慮で、裕一の曲に決まる。
退任する会長から、裕一の才能を見込み、時季の会長の指名を受ける。
家業では、次男が家業を継ぐ決心をするも、父親が呉服販売で、詐欺に遭う。
第13話 4月15日「定期演奏会」で、自らの曲の指揮を任されるも…。
呉服店の窮地を救うため、叔父の銀行から融資を受ける。その条件として、裕一は養子に出る。
ハーモニカ倶楽部を辞め、暗い気持ちになる。着任した行員の底抜けの明るさが救いとなるか。
第14話 4月16日 行員達の勧めで、社会勉強として、ダンスホールに行くが…。
思いもかけず、ホールNO1の踊り子と踊れる事になる。
第15話 4月17日 行員が、裕一に恋愛指南をするも…。
NO1の踊り子は、実は、裕一の同級生だった。裕一が想いを伝えるも、恋は破れる。
その時、第6話で夜逃げした同級生・鉄夫が、新聞記者となり裕一と再開する。
鉄夫は、裕一に励まされ今でも「詩」作っていた。裕一は「音楽の夢はどうした」と問われる。 〔第4週〕第16話~第20話「君はるか」
第16話 4月20日 恋に破れた裕一に、行員や、記者となった鉄夫が励ます…。
銀行の職務に励むように見えても、周囲には本来の裕一の姿ではないと案じる。
周囲に、国際的歌手のコンサートや、国際作曲コンクールへの勧めを受けて、心が動き始める。
一方、第7話で出会った運命の少女(音)も成長し、声楽家を目指していた。再会の予感。
第17話 4月21日 音に、お見合いの話しも。裕一には朗報が…。
音は、「女の幸せより、夢を取る」と、お見合いを断る。裕一は、作曲コンクールへの作曲に苦しみながらも、周囲の励ましの中で、満月を見上げた時インスピレーションが湧き、交響曲「竹取物語」を描き上げる。やがて、イギリスから「入賞」の手紙が届く。
(第10話で、音が学芸会で「竹取物語」の主役・かぐや姫を演じている)
第18話 4月22日 養子先への遠慮から、作曲コンクール入賞を秘匿にするも…。
新聞に報じられ、周囲が慌ただしくなる。養子先当主の急死により、養子入籍と転居を迫られる。
養子先からの借財が有る父親にも報が伝わり、苦境の想いが有るも、裕一の快挙を喜ぶ。
音も知る事となり、ファンレターを書く。多くの手紙の中から、音の手紙が裕一の心に響く。
第19話 4月23日 裕一は、音へ「あなたの為に作曲したい」との返信をする…。
音は、心待ちにしていた裕一からの手紙に大いに喜び、「君はるか」の詩を寄せる。
「入賞」の副賞・海外留学と、養子縁組の狭間で悩む。そんな中、呉服店に驚愕の知らせが舞い込む。
第20話 4月24日 急転、裕一の留学が認められるも、音からの手紙が途絶える…。
音は、裕一の勉学の邪魔になってはいけないと別れの手紙出す。裕一は、会いに行くと飛び出す。 〔第6週〕第26話~第30話「ふたりの決意」第6週〕第26話~第30話「ふたりの決意」第5週〕第21話~第25話「愛の狂騒曲」
第21話 4月27日 家を飛び出した裕一は、音の居る豊橋の家を訪ね当てるが…。
裕一は、暫くの間、身を置かせてもらうように頼み込む。音は、協会・海岸などを案内する。
第22話 4月28日 音の母からは、身を引くように勧められる一方…。
裕一に、「演奏会」の興行の話しが舞い込む。二人は、手筒花火の見物に出かける。
戻ると、裕一の父親が待っていた。
第23話 4月29日 二人と両親を交えて話し合いを持つが…。
裕一は突然、音にプロポーズ。当初は反対だった音の母は、二人の心情をくみ、賛成に回る。
音の母は、裕一の父親に、親族への説得を訴える。父親は、思わず「任せとけ」と云ったが…。
第24話 4月30日 演奏会の準備に、周囲の協力も…。
裕一は、音の音楽の先生の身の上を知り「人に力を与える曲を作って欲しい」と励まされる。
音の妹は、音から作詞の手伝いをする。裕一は「外に目を向けたら」と助言する。
裕一の父から、安心を覗わせる「スグカエレ」の電報が入るが…。
第25話 5月1日 豊橋の演奏会では、裕一のオリジナル曲が喝采を浴びる…。
オリジナル曲は、妹・梅が、亡き父に捧げる歌を作詞、裕一が指揮、音が歌唱した。
演奏会は、裕一の尊敬する小山田耕三の耳に届くことになる。
小山田耕三のモデルは、作曲界の重鎮・山田耕作であり、故・志村けんさんが演じています。 〔第6週〕第26話~第30話「ふたりの決意」第6週〕第26話~第30話「ふたりの決意」
第26話 5月4日 裕一は、家族との話し合いを持つが…。
裕一は、実家に戻り、音との結婚と、音楽留学に就いて相談するが、反対を受ける。
第27話 5月5日 裕一は、音へ「別れて下さい、夢を選びます」との手紙を出す…。
裕一は、恩師にも相談して別れの手紙を出し、その後も届く音からの便りには目を通さなかった。
そんな折、「音楽留学取り消し」の報が届く、荒む裕一を見かねて、父親が音の実家宛に手紙を出す。
第28話 5月6日 音は、福島の裕一の元へ行くも、裕一は別れの気持ちを崩さず…。
音は、裕一の後を追い、教会へ。子供の頃二人が初めて出会った時の事を互いに覚えていた。
それでも裕一は別れを告げる。去る裕一に、音は「絶対に諦めない」と言葉を投げる。
音は、母に励まされながら、独自に裕一をレコード会社に売り込むが、どこにも断り続けられる。
そんな中、小山田耕三(山田耕作)は、レコード会社の担当者に、裕一と契約をするように告げる。
小山田耕三役で、故・志村けんさんが二度目の出演。
第29話 5月7日 音は、再びレコードを訪ね、契約を果たし、裕一の元へ…。
音は、実家を訪ね母親に会うも「音楽でこれ以上傷付く姿を見たくない」と、契約を断る。
あきらめ切れない音は、裕一のいる教会に向かい、説得をする。報を聞いた鉄夫も加わり
説得をするも、裕一は二人に背を向け教会を後にする。悩む時が続く…。
第30話 5月8日 裕一は、「跡取りさえ作ってくれれば」との話しを聞いてしまう…。
婿入り先で、心ない話しを聞いた裕一は、実家に戻り、東京に行く決意を告げる。
父親は、裕一の見送りで、東京の音の住所を渡し励ます。裕一は東京で、音との再会を果たす。
レコード会社に出向き、契約を交わし、音と住むための借家を捜す中、ふと訪れた喫茶店で、借家を紹介される。
当初、東京での住まいは、阿佐ヶ谷に住む姉の家の部屋でした。その後、妻になった金子(音)が、帝国音楽学校に入学すると、通学の便を考慮して、世田谷代田へ引っ越しました。(阿佐ヶ谷と云えば、北新宿の我が家からJR総武線で、三つ目ほどの近さで、より親近感を覚えます)
(編集中です)
NHK・連続ドラマ「エール」は、作曲家・古関裕而さんをモデルにしたドラマです。古関さんは幅広い分野への作曲でとても有名です。例えば…。
「東京オリンピックマーチ」(1964・昭和39)入場行進で演奏されました。
「栄冠は君に輝く」全国高校野球大会歌。
「モスラの歌」映画・モスラの中で、ザ・ピーナッツにより唄われました。
連続ドラマの中では、出演者自身が歌唱するそうです。どのような曲が歌われるか楽しみです。
また、東京大衆歌謡楽団が歌う曲目は、現在の記録では次の通りです。
1947・昭和22「三日月娘」幾夜重ねて 砂漠を越えて あすは (藤山 一郎・藪田 義雄・古関 裕而)
1947・昭和22「夢淡き東京」柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日 (藤山 一郎・サトウ ハチロー・古関 裕而)
1949・昭和24「長崎の鐘」ここよなく晴れた 青空を 悲しと思う (藤山 一郎・サトウ ハチロー・古関 裕而)
1951・昭和26 「憧れの郵便馬車」 南の丘を はるばると (岡本 敦・郎丘 灯至夫・古関 裕而)
1954・昭和29「高原列車は行く」汽車の窓から ハンカチ振れば (岡本 敦郎・丘 灯至夫・古関 裕而)
今や、これだけの曲を、当時の雰囲気と新しいセンスで楽しめるのは、東京大衆歌謡楽団をおいて他に有りませんね。
ドラマで歌われる事が、「昭和歌謡」への関心の高まりに繫がるでしょう。
そうすれば、コロナによる現在の「逆風」が、楽団にとって、順風「追い風」になりますね。東京大衆歌謡楽団さんにも、一層の「エール」を送りましょう!!
(編集中です)