ebi's Historia

海老の史実

現在・・・・

2005-08-29 | life
現在平成17年8月29日22時12分・・・・・・


まだまだ会社で残業中で~ございます!


明日ぐらいから少し時間が空くと思うのでその時に色々返信などします・・・・


ごめんなさい( ´ρ`)アァ-

泣いて馬謖(バショク)を切る ②

2005-08-29 | other
前回のお話で現在使われている「泣いて馬謖(バショク)を切る」の意味はわかっていただけたかと思います。

ここからは俺が考える「泣いて馬謖(バショク)を切る」です。








孔明は大変に頭の良い人物と言う事を念頭に置いて考えると現在の意味では合点がいきません。


なぜなら


そもそも孔明はその国での最高責任者と言っても過言では無い人物であり、全ての決定権は孔明にあったという事。

ならば、その作戦において馬謖がその様な行動を取る事は予想しておかなければならなかったはず。

しかもそれが、自分の右腕・自分の後継者と考えている者であれば馬謖という人物を誰よりも知っているはず。

それなのに、馬謖の勝手な作戦変更を可能性として計算に入れていなかったのはなぜか?


そう


これは孔明のミスだったのではないかと俺は考えています。



作戦を変更した事が、大きな戦いの敗戦に直結していたのか?

最初の孔明の作戦が元々無理な作戦だったのではないか?

重要な役を与えた、重要な場所に馬謖を配置したのは孔明ではないか?

配置を決定した、作戦を考えた孔明の方が責任が重大であり何らかの処罰が下されるのは孔明の方ではないのか?



しかし、それを孔明は馬謖の死刑に対し泣いて見せる事によって

君主、部下、民衆に対して「軍律を守らない者はいかに親しい者でも処罰する」という現在の意味にすり替えたのではないのか?


軍律違反を問うのであれば泣く必要はない。

しかし、泣かなければ「泣いて馬謖を切る」という様な格言になりもせず、

現代の意味で後世に伝えられる事もなく、孔明の責任追及になったであろう。







これは1800年間、そしてこれからも人々を騙し続ける孔明の一世一代の大計略なのかもしれない・・・・・





実際はどうだったか誰もわかりませんが

そう考えた方がロマンがあっていい!




※ その他にはただ単純に馬謖の愚かな部分に気づかなかった自分(孔明)に対し悔やみ泣いたという説もあるそうです。