日曜日の奥多摩渓谷駅伝の後刻に違う団体ですが、軽く忘年会を行って、そこで出た話です。
そこから少し調べてUPしています
忘備録として以下
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JR青梅駅の北側丘陵に青梅鉄道公園があります。あくまでも公園なので、博物館じゃありません。
つまり、歴史的価値があるかは不明です。
1987年に当時、浜松から0系新幹線を鉄道公園まで陸送
絶対に曲がり切れない、鉄道公園のふもとに?のT字路のとこに青梅市第四小学校があり。陸送の為に学校の門を撤去して(向かって右側の説)陸送を続けたという話
私も、門を撤去したという話はうっすら覚えていたが、
そこでも曲がり切れないので、いったん第四小学校の校庭に乗り入れて一周して方向転換ののちに、鉄道公園に向かったとのことです。
門を壊して(たぶん道路側)新幹線の頭を学校側に突っ込んで、スイッチバックのように新幹線の後ろ側から鉄道公園に向かっていった というのが真相
知らなかった!!!!
ちなみに、鉄道公園なので、パンタグラフや床下の架装部分はなかったそうです。(現在はパンタグラフはある)
形状が似ているので、1989年に東北新幹線200系の色に塗装、1992年にさらに改装、そして、1997年に0系の色に塗装し直したそうです。ただし、そんな事しちゃったもんだから、見る人が見ると0系とかチョイっと違うそうです。
管理が国鉄から民営JRさらに変節したからかな
東北新幹線に乗った時は、東京駅ではなく大宮駅から。
今はどうだか?わかりませんが、乗客は昼間だけなので、新幹線の線路を使って
夜間は貨物を運搬する。という発想もあった様です。
うちの近所でトンネルの壁が線路に落下したり、毎日の走行前の点検で、
かなりの時間停車している車両を、最近はヨク見かける様になってきたので
老朽化も加速されている様です。
多いときは、半年間ですが1週間に4回程度乗ってる時期もあり、
中国の様に事故に巻き込まれる事もなく命拾いしました。
新幹線の食堂車で食事をしてる時の揺れはどうにかならんか?と思ったのは
無くなった今となっては、イイ思い出です。
いま300km/hくらいは営業運転で出してる様ですが(360km/h)今後は400km/hくらいは出す様です。
あんまり出すと浮くと思んですがぁー。
車輪は持っても、架線の耐久性が落ちるんじゃないのかと。
360km/h -----> 260km/h
そっち方面は用事がなく、帰国そんなカンジ。
コロナが収束したら?、台湾の秋葉と呼ばれる場所にでも行ってみるつもりです。
今はあるかどうかわかりませんが沖縄から船で。
日本の新幹線2年程前からけっこう飛ばす仕様になってる様です。
いま こだま、ひかり、のぞみとも、285km/hで営業運転らしいです。
当時全席指定席の「のぞみ」に、開業からひとつき経過して乗りました。
今まで体験した事のない未知の速度でした。
現在はそれより、はるかに?速い速度になってる様です。
そんなに急いでどこに行く。
当時でも名古屋まで日帰り出張。
いまは、そんな事もなく、パソコンとかズームとかのやりとりで終了でしょう。
昭和からの積み重ねが、いまに生かされている様です。