蕎麦の田堀の帰宅時に、東大和市南公園へ
虎がお迎えです

とりあえず驚いた事は
公園のHPに”戦争遺産”の記事が無い
公園内に案内板が無い ⇒ ここは綺麗なお姉さんに場所を聞きながら、駐車場の真反対側でした
あとで知ったのですが、保存のための基金集めにコンサートを行っているそうです
トラックの向こう側にあります

ここです、終戦記念日近くになると新聞に掲載されることがあります。
建物の前の舗装に、ここにあった工場の機械部品を埋め込んだ場所、歯車やクランクが認められます


機銃掃射された変電所です。工場は全滅しています。
向かって左から3枚です、心のワイド撮影で見てください
斜めですが直線で3か所の跡が確認できると思いますが、戦闘機の翼の左右に3門づつ機銃があるので直線で3発!



慰霊碑 これ見ただけで涙が。。。。。


びっくりしたのは、中に入ることができることです。さらに、戦後も修復しながら変電所として使っていました。

111名の方(非軍人)が亡くなっています。 号泣
17日の死亡が多いのは、当時の政府の指導で、防空壕は工場敷地内に作ること(攻撃後すぐに再開できるように)
被害を少なくするために防空壕は10m以上離すこと でも、爆撃で防空壕がもつわけない! 政府の頭でっかちはいつものことです


2階の奥の変電室

北側外で電圧を落としたあと、こちらでさらに下げています。3相トランスが5個

配電盤 一番左が戦前から使っていた配電盤

低圧配電盤です 戦前から使っていた配電盤

銘板 明電舎

室内に貫通した跡 下は銃創貫通 上は貫通していないが、その力で壁がはじけた

最後に、寄付?千円と詳細本1500円を購入しました

知ってはいましたが、まったく知らない事でした。












