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絵空ごと

あることないこと、時事放談から艶話まで・・・

『まいご3兄弟』 

2008-07-30 | ちりとてちん

ヒグラシは夏の終わりを告げる蝉のなずなのに、
私の住む里では、なぜか油蝉・ミンミン蝉の露払いのように鳴きはじめる。
オレンジ色の夕暮れに聞くヒグラシの声には、
厳しい残暑はこれからというのに、
燃えさかる夏の終焉のもの悲しさを感じてしまうのです。

ヒグラシの声に合わせるように、待望の「ちりとてちん」外伝、
『まいご3兄弟』がBSで放送されました。
短いながら、ちりとてオタクの期待にたがわぬイイ話でした。
落語ネタの使い方、本編とのつながり方、絶妙なキャスティング、
そして手抜きのないセット・・・
どこをとっても『ちりとてちん』ワールドを堪能できる出来映えですね。

・・・なんですがこのドラマ、不思議なドラマで
落語『七度狐』を地で行くような心持ちにさせるところがあって、
狐の尻尾を掴んで引っ張ったつもりが、大根を抜いていた・・・そんな、
喜六・清八のような気分になるのも確かなんです。
何度か見直して、その作り(脚本)の緻密さにあらためて唸らされるものの、
自信を持って正解を出しかねる思いが残る。

つまり・・・四草と田村亮演じる扇骨職人が実の親子なのかどうか。
ネット上でも見解が真っ二つに別れてますが、
私は今の見解では、実の親子ではない派に傾いています。
しかしずるい言い方をすれば、光が波でもあり粒子でもあるように、
どちらでも良いのかもしれない。
あるいはある作家が、自分の小説を使われた試験の答案で、
どれが作者の本意かという問いに、答えられなかったということだってある。
肝心なのは、四草も”自分を受け入れてくれるふるさと”、
”根を張り、寄って立つ大地を持っている”ことを確信できことなのだから、
無理に答えを出すのはかえって無粋なことかもしれない。
運転席から顔を出した時の笑顔と、四草会での晴れ晴れとした表情を知って、
われわれは何度でも笑って泣けばいい。

四草ファンはこのドラマで、また一層好きになったに違いないでしょうが、
しかし身近にこんな男がいたら、私だって小草若じゃないが
「10年も付き合っているのに、何を考えているかわからん、
 得体のしれないヤツ」と思って、進んで友達にはならないだろうなあ。
彼のような毒舌を面と向かって聞かされたら、殴りかかるのも無理はない。
しかしさすがに草若師匠は、そんな四草のニヒルで尊大な言動の裏に隠された
純情を見抜いていたのでしょう。
そして女性ファンも、そんなところに母性をくすぐられてしまったのですかね。
四草の毒舌が、決して邪悪によるものでなくて、
純情をストレートに出すことへの照れから来るものという意味で、
草々の感情丸出しのストレートととは正反対ではあるけれど、
コインの裏表のふたり、と思わせるラストシーンでした。

ところで四草の得意のネタ『算段の平兵衛』ですが、
あの売れっ子小説家・浅田次郎と算段の平兵衛を結びつけたら
ビックリするでしょうか。


手取り、足取り、く・ち・う・つ・し 

2008-07-21 | ちりとてちん

頑固な不眠症へもってきてこの連夜の暑さ。
夜が白みはじめたころようやく眠りについていたのが、
ついにドラキュラのゾンビ状態で起き出す事態。
夏本番を前にすでに夏バテ気味の体に、
なによりの癒しが「ちりとてちん」のDVD鑑賞。
「どんだけスキやねん」とあきれられるくらい、みている。

まもなくスピンオフ(外伝)”まいご3兄弟”の放映があるが、
その話の下敷きになる落語が『宿屋仇』というので・・・
(これはもうネタバレでもなんでもない、公の情報)・・・
枝雀さんのCDを聞きなおしてみた。

 上方落語  http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/index1.htm

ほぼ45分の長い話で、源さん、喜六、清八の三人が
ひと晩中やっかましゅう騒ぎたてて、隣部屋の侍を眠らせない話だが、
さてこの話がどんなドラマに仕立て直されるのか、今から待ち遠しい。

『桂枝雀のらくご案内』ちくま文庫 
ちりとてちんを見るようになってから、参考のために買って、時々開いて見ている。
自分の持ちネタから60を選んで、それにまつわる短いエッセイ集といったもので、
いろいろオモシロイ話の中から、
枝雀さんがどんな風に話を覚えていったかというのをひとつ。

とにかく最初は師匠の真似から入るンだそうです。
自分が師匠・米朝になりきって演じているのだというくらい、
徹底的に真似たんだそうです。
小文枝師匠から教わったんなら、小文枝師匠になりきって覚える・・という具合。
そうやって真似ているうちに、次第に自分の色が出てくるようになった。
本当に米朝さんの弟子なの?ってくらい独特なんですけどね枝雀さんの落語は。
とにかくそうやってネタの数を増やしていったそうです。

そんなところへ、立川談志のファンという方が、
談志の弟子・談春さんが師匠・談志を語ったエッセイをコピーして送ってくれました。

『よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。
 盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。
 盗めるようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ。
 教える方に論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。
 いいか、落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。それが基本だ。
 それからな、坊やは俺の弟子なんだから、落語は俺のリズムとメロディで覚えろ』

談志語録には、哲学的で難解なものも多いなか、これは非常にわかりやすい。
落語に限らず浄瑠璃、浪曲、講談・・その源流を遡ればお経まで、
口伝の芸の本質は『歌』であることを教えていることに、
私、深い感銘を覚えました。


ちりとて茶話2 

2008-06-18 | ちりとてちん

裏が透き通るくらいの薄い紙に、
たとえば「話」と書いて鏡に映すとします。
表の「話」を鏡に写すと、当然左右逆になります。
鏡に「話」と・・つまり表を写すには、裏を向けないといけません。

鏡に写った自分の姿は左右が逆です。
自分の「正しい」姿を見るためには、
鏡に自分の裏を写すトリックが必要になるはずです。

「ちりとてちん」では、人間の相関関係とストーリーの中に、
鏡に裏を向けて表を見せるトリックが使われている・・ように思えるのです。
表裏一体の関係のほかに鏡像関係、あるいは双子関係も加えても良い。
清海と喜代美、つまりA子とB子の関係、そして
喜代美と母・糸子さんの関係がその典型ですが、
B子が自分の本来の姿を知るためにはA子という裏の存在が不可欠だったし、
A子にとっても同じことが言えます。

草々と小草若にも同じ構図があてはまるんじゃないかな。

ストーリーの中ではおじいちゃんと草若師匠の死が鏡像関係ですし、
小浜を離れる喜代美を、ふるさとを歌って送る糸子さんのシーンと、
小浜に帰る母を駅に送る喜代美、車中で涙する糸子さんのシーンがそうです。
そうしてダブらせることで相乗効果を狙っているんでしょうし、
実際見ている我々は「他愛ないのう」って感じでやられてしまう。
この仕掛けがドラマのアチコチにちりばめられていて、
それに気づいて「やられた」と思う、それがまた心地良いのです。

鏡でいうと、鏡を上手く使ったカメラワークが素晴らしかった!
圧巻は亡くなった草若師匠が若狭の前に現れて、
でもそれが幻視だと気づいて振り返る若狭の後姿。
この回も、何度見ても嗚咽がとまらなくなる回なんですよ・・・おお、、

もひとつ鏡で忘れられないのが、
草若師匠葬式での鏡漢五郎役の芦屋小雁さん。
意表をついたドタバタの回で、葬式でこんなに笑っていいのかってくらい
「はじゅれやがな」には笑わせてもらいました。
出演者も芝居を忘れて地で笑ってるのがまた可笑しかったですねぇ・・

これからソコだけ見て笑って寝よ・・・


ちりとて茶話

2008-06-17 | ちりとてちん

6月が忙しい。
来客が多い以外に、夕方の庭仕事が楽しくて時間を忘れる。
草取り、植え替え、水遣り・・・
今は夜の8時になっても空に明るさが残っているから、
水遣りくらいならできる。
その間に夕食の準備をして、夕食が済めば仕事の片付け。

そして6月というのが、スポーツのビッグイベントが目白押しだ。
テニスの全仏、サッカーEURO'08 NBAファイナル・・・・
結局どれもジックリ観れないで、良いとこだけの拾い観で終わる。

これだけあると、さすがにブログのネタを考える余裕もなくなって、
寝酒代わりに「ちりとてちん」のDVDを「また」観て、布団にもぐる。

ある座談で桂吉弥さん(草原役)がいわく
”地獄の入り口で草若師匠を正太郎おじいちゃんが出迎える場面、
 えらい金の掛かってますでぇ”
ギャラが格段に高い、2大俳優の同時出演という意味のジョークなんですが・・・

正太郎おじいちゃん役の米倉斉加年という役者さんが、
どれほどの格の役者さんか、若い人はあまり知らないようですが、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%80%89%E6%96%89%E5%8A%A0%E5%B9%B4

これは仕方ないとして、この人が実は「イラストレーター」としても、
それだけで食っていける実力の持ち主だと知っている人は、
あまりいないでしょうね。

今手元に、吉行淳之介のエッセイ集『女のかたち』という古い文庫本があります。
昭和54年(1979)初版だからすっかり古ぼけてますが、
その表紙とイラストを手掛けているのが誰あろう、米倉斉加年さん。
当時『えろちか』という性文学・評論・エッセイを集めた高尚な雑誌があって、
そこにもイラストが載っていたように・・おぼろに記憶しているんですが・・
そういう雑誌のイラストですから当然エロチックなもので、
いうならば現代の浮世「絵師」というわけです。
  http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/107546674
何年か前、ブックオフで『多毛留』を¥500で見つけたときは嬉しかった。

そんな大物が演じた若狭塗箸職人・和田正太郎。
登場時間が少なかったのは、やはりギャラの問題もあったんでしょうか。
それはともかく、私どうしても気になるのが、
正太郎ちゃんと小梅さんの馴れ初めなんです。
一介の若き塗箸職人が、売れっ子芸者の小梅さんとどんないきさつで出会い、
どうやって口説き落としたのか?・・・とっても気になるんです。
小梅さんに会いに通いつめるほど金があるとは思えないしねえ・・・
男の一途さに惚れたってことでなんでしょうか・・・

「傾城に誠ないとは誰がゆうた・・・商売女にも真実
 の恋といぅんがあるんやそぉでして・・・」
落語「辻占茶屋」での源やんと梅乃は
「女郎(じょろ)のまことと卵の四角」を地でいく騙しあいでしたが、
正太郎ちゃんと小梅さんは真実の恋が実ったということなんでしょう。
それにしても・・・そのアンバランスをどう乗り越えたのか気になる・・・・


” ぎょうさん笑え ”

2008-06-08 | ちりとてちん

久し振りに古町でミソギをした翌朝、穴窯の火入れ。
それから交代しながらとはいえ、窯焚きの疲れは並大抵ではないのです。
ブログを考える気力のなくなった心身を癒してくれたのが、
遂に届いた「ちりとてちん」のDVD
録画を撮り始めたのは途中からですから、初期のシーンは忘れているところも多く、
そえが新鮮なうえに、読み返してはじめてわかる意味の深さにまた感激を新たにする。
ほんとに不思議なドラマで、テーマ音楽を聞いたとたんに目が潤って、
いつものところで笑い、そしてもう何度見たかしれない
いつものシーンでまたしゃくりあげる。

ある看護婦さんがいうには、
”「ちりとてちん」がある15分はナースコールが鳴らない”んだそうですね・・・
それを聞いて私、「ちりとてちん」視聴室をつくって、
貫地谷(かんじ)やさんがいつでも見れるようにしたら?って提案したんですが・・・
笑って泣いて、癒されると思うんですが・・・

おじいちゃんの喜代美への遺言となった言葉
”喜代美、おまえはこれからぎょうさん笑え”
もちろんここには、笑いを忘れたおじいちゃんの慙愧の思いも深いのですが・・・

喜代美が”おかあちゃんのようになりたくない!”と言う前に、
”おかあちゃんは、なんで人のことで喜んでばかりいるんだろう”ってセリフがありました。
ふつう笑うのは、たとえば自分の仕事が上手くいってとか、人に褒められてとか、
成績がよくてとか・・・自分のこと、自分が愉快で笑うわけですが、お母ちゃんは違う。
高校性の喜代美には余計なお世話にしか思えない。

そして落語に出会って、喜代美自身別れた弟子たちを集めるのに奔走したり、
恋する草々の心の動きに一喜一憂する。
意外や喜代美は、大阪に出たとたんにおかあちゃん体質を発揮しているんですね。
落語家になって、人を笑わす楽しさ知って、それが自分の仕事であり、
おじいちゃんの遺言を守り体現することだと納得する。

しかしさらに、弟子を預かるおかみさんの身になり、
自分の子どもを産むまでの時間の中で、
人のために喜び笑う母の、その喜びと笑いの意味がはっきりわかったんですね。
おじいちゃんの”ぎょうさん笑え”には、
「人の喜びを自分の喜びと思って笑える人間になれ」
そういう意味のあることに、喜代美は深くはっきりと気づいたわけです。

そうすると、喜代美と言う名前にも新しい光があたる。
人の喜びを自分のことのように(代わって)喜ぶその美しさ。
自分の夫、子ども弟子、親、仲間周囲の人たちの喜び悲しみを
わがことのように喜び悲しむ母(おかみさん)であることの美しさ。
”おかあちゃんのようになりたい”
あのシーンの感動がさらに深くなるというものです。

それまで弟・正平が姉の気持ちを代弁してくれていましたが、
最後はちゃんと自分の言葉と行動で決意を表明しました。
立派な母=おかみさんになることでしょう。