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2014年5月7日(水)16:22
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2014年5月5日号 掲載
■苦しい経営の中で決断したメキシコ進出
日本車メーカーの進出が相次ぐメキシコで、マツダが新工場で世界戦略小型車「マツダ3(日本名アクセラ)」の本格量産を開始した。社長時代にメキシコでの現地生産を決断した山内孝会長に、進出の狙いと新工場の役割を聞いた。
――2月下旬、本格稼働したメキシコ新工場では開所式が盛大に行われ、式典にはメキシコ大統領も出席されました。
【山内】メキシコのエンリケ・ペーニャ・ニエト大統領とは昨年4月、日本を訪れた際にもお目にかかり、そのときには、メキシコ政府が外国籍の人に授与する勲章としては最高栄誉とされる「アギラ・アステカ勲章」を拝受しました。今回は多忙の中、開所式に出席していただき、身に余る光栄です。大統領は若くて行動力があり、工場視察では記念すべき量産第一号車の「マツダ3」を自ら運転され、従業員と気さくに握手や写真撮影をされていました。新工場で働く従業員たちにとっては大きな励みになったと思います。
――開所式で山内会長は、この新工場には「3つの大きな使命」があると強調されました。
【山内】3つの使命とは第一に「良き企業市民」となる。第二に最も重要なグローバル戦略拠点として社運を懸けた構造改革を成功させる。第三に革新的な新世代技術「SKYACTIV」を世界に広めて地球環境保全に貢献していくことです。なかでも「良き企業市民」を第一の使命としたのは、民間企業である以上、収益をあげる経営をしなければ持続的な成長はできませんが、その前提として進出先の国や地域の発展にしっかりと貢献することが大切だと考えたからです。メキシコ新工場も経済・雇用はもちろんのこと、マツダミュージアムの開設、サッカーグラウンドなどの多目的スポーツ施設の開放など地域社会との交流を深めていきます。また、働く従業員にとつても大きな誇りを持てる工場を目指していきます。
――地元のグアナファト州の知事は工場のあるサラマンカの町の名称を「『マツダ』の文字を入れて“サラ・マツダ”に改めたほうがいい」という大歓迎ぶりでした。
【山内】責任は重大で、期待にしっかりと応えていかなければなりません。雇用の促進では、現在、年産能力は14万台で、従業員数は3100人ほどですが、10月には併設のエンジン機械工場が稼働する予定で、車種も「マツダ2(日本名マツダ・デミオ)」の生産を計画中です。2015年度には23万台まで引き上げて、このうち5万台分はトヨタ自動車向けに受託生産する予定です。フル生産時には、4600人の雇用を見込んでおり、日本の宇品・防府工場と同等以上の高品質の車づくりを実現するためにも人材育成に積極的に取り組んでいきます。
――マツダが住友商事と合弁でメキシコ工場の建設を発表したのは11年6月。円高で赤字決算の中での決断でした。
【山内】振り返ると私の社長就任はリーマンショック直後ですが、米フォード社が株式を引き揚げ、超円高が進み、東日本大震災などもあって、残念ながら満足な決算ではなかった。が、そのような厳しい経営状況の中でも、将来の布石を打ちたいと思って、4つの構造改革プランを打ち出しました。その柱の一つがグローバル生産体制の再構築であり、メキシコでの現地生産です。これまでのマツダは、日本で生産して世界に輸出するビジネスモデルが中心でしたが、歴史的な円高が続く中では苦しい思いばかりを経験してきました。もうこれ以上円高のたびに、こんな辛い思いを繰り返したくないという固い決意でメキシコ工場の建設に踏み切ったわけです。
メキシコは自由貿易政策が充実しており、北米、中南米、欧州への輸送が便利で、自動車産業にとって世界で最もチャンスのある国の一つ。これで構造改革が終わったわけではなくスタートラインに立ったばかり。これからが本番という気持ちで努力していきます。
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マツダ会長 山内 孝1945年、広島県生まれ。慶應義塾大学商学部卒。67年東洋工業(現・マツダ)入社。96年取締役就任。常務、専務、副社長などを経て、2008年、社長兼最高経営責任者(CEO)。10年会長兼社長兼CEO。13年会長就任。
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(福田俊之=取材・構成)