姉川古戦場跡。
(上) 上流側。伊吹山方面を望む。
(上) 下流方面。琵琶湖方面を望む。
(上) はるか かなたに伊吹山の頂上を望む。
以前訪れたときは一文字が畳二枚分の大きさで「姉川古戦場」と云う看板が
あった。今は無し。川にかかる橋も老朽化で通行止め。
囲碁哲学
何の道にもその道その道のやり方がある。
長い間、見よう見まねで碁を打ってきたが、
果たして碁の打ち方に適っているのか (いたのか) どうか。
姉川古戦場跡。
(上) 上流側。伊吹山方面を望む。
(上) 下流方面。琵琶湖方面を望む。
(上) はるか かなたに伊吹山の頂上を望む。
以前訪れたときは一文字が畳二枚分の大きさで「姉川古戦場」と云う看板が
あった。今は無し。川にかかる橋も老朽化で通行止め。
囲碁哲学
何の道にもその道その道のやり方がある。
長い間、見よう見まねで碁を打ってきたが、
果たして碁の打ち方に適っているのか (いたのか) どうか。
長浜港とリゾートホテル。(グランドメルキュール)。
(上) 稚鮎釣り。
(上) 米原方面を望む。エレベータ開発タワー。コンデジ35倍ズーム。
囲碁一口メモ。
何が間違っているって、碁のハンディキャップほど間違っているものはない。置石をハンディキャップとして認識できれば6段はある。級、低段クラスでは置石は偶然働くだけ。置石で理解度をカバーすることはできない。何目置いても同じこと。
朝、裏に出ると10羽ほどの雀がエサを催促に1メートルほど近くまで寄ってくる。
5メートルほど離れ、室内から、しかも網戸越しにカメラを向けると逃げてしまう。なぜ分かるのだろう。買い物から戻るとエサはきれいに無くなっている。
やっとこれだけ撮った。すずめは用心深い。コンデジ ズーム35倍。
一口メモ。
対局への関心が薄れた 。置碁の勉強と棋譜並べ(古碁)は続けている。対局者(秀和や算知、雄蔵、等)の気持ちを想像しながら並べている。
9子~5子も置いてなぜ負けるのか。あるいは、どうやって碁にするのか。この遊びも面白い。
たまにネット碁を打つが闘争心がないから負けてばかり。そんなものだと自分に言い聞かせている。
つつじが咲いた。今日の気温は17℃。曇り。
まったく手入れをしないのに毎年咲いてくれる。あまり綺麗なので、この写真でブログを更新。
ナンプレ(数独)。
よほど自分に向いているのだろう。面白い。最上級のもう一つ上のジビエ級をやっている。10分もかかったかなと思って時計を見ると、なんと、1時間が過ぎている。それほど時間を感じない。
囲碁も気になって、たまに古碁を並べている。秀和、秀甫、秀栄。これも面白いが、いまのところナンプレのほうが面白い。しかし、いずれナンプレは飽きるだろうと思っている。
令和6年4月10日水曜日。近所の桜20枚。(東洋町・国道8号線・木の芽川・自宅周辺)
① 画像右下の「四方に矢印ボタン」を押すと拡大。
② 戻すにはキーボードのEscキーを押すか、もう一度右下のボタンを押す。
囲碁一口メモ。
なぜ9~5子も置いて負けるのか。
棋書にも、ネットで検索しても、そのことに付いては書いてない。
タブーなのかもしれない。
家の近くの、市立図書館の写真を撮ってみた。10枚。
以上10枚。
囲碁一口つぶやき
・短気は自滅。
・基礎工事で勝負がつく。
・あとは念力。
積雪35センチ。
駅前スーパーマーケット (平和堂)6階よりスナップ。
囲碁随筆
囲碁理論って必要なのだろうか。一般的に棋理と云われているもの。
理屈っぽいことを言わず実戦から何かをつかめば良いのだろうか。
余呉湖 ワカサギ釣り。令和6年 (2024) 元旦。
(下) 北国街道
(下) JR余呉駅を出た 特急しらさぎ
(下) 踏切を通過中の特急しらさぎ
(下) フロート台船 釣り場
雑談 ネット碁
勝ち負けを楽しむよりダメを楽しんでいるように見える人がいる。危ない石でもダメが5個くらい空いていると絶対に守らない。ドンドン戦線を拡大してゆく。終盤、それらの石を見事にさばく。「攻められていないと碁を打った気がしない」と云った坂田栄男さんを思い出す。カミソリ坂田、シノギの坂田。
雪景色 家の回り 積雪28センチ。
家の回りの雪景色。積雪28センチ。
囲碁雑感
今日のNHK杯。一力遼棋聖 VS 福岡航太郎四段を見て思ったこと。
視野 (視力) が違う。一力さんは50メートル先を見ている。福岡四段は10メートル先を見ている。私は1センチ先を見て碁を打つ。
久しぶりに晴れたので近所を自転車で散策。写真14枚。気温12℃。
(上) 敦賀駅を出た特急サンダーバード。
(上) とぎれている高架。この先が京都、大阪方面へと向かう。
()(
(上) 小浜線が来た。
囲碁雑感。
この歳になると、いくら勉強してもたかが知れている。勝った負けたはもういい。打ち碁の解説書を理解することが楽しい。舌足らずだが、そう言うこと。