ゴルコサーティーワン!その激闘の記録!

この世界は・・・
”チキン”だけが”生き残る資格”
を持っている・・・

第7話 美味しんぼ...!!

2005-07-30 16:36:19 | 第7話 美味しんぼ
あらすじ

舞台国南アフリカ共和国

 そう、私の名前は貝原妖山(カイバルヨウザン)。私の主催する会には、世界中の街を練り歩き、「至高の街歩き」を堪能する「美街倶楽部(ビマチクラブ)」の主催者だ。この世界では知らないものが入ないほどの大家である。この「美街倶楽部」は私が認めた物だけ高い入会料金を払って何年か待ってようやく入会を果たすという敷居の高いものでありその敷居の高さから現在の会員は1名という少数精鋭を誇っている会である。もしこの記事を読んだものが入会を希望するならばこの“妖山”がじきじきに審査をしてやっても良い。

 さて私には勘当した息子が一人いる。尼岡死朗(アマオカシロウ)などと母方の姓を名乗っておるが、ヤツが生意気にも「南アフリカ共和国」で「究極の街」等というふざけたものを準備してこの私に楯突こうとしているらしい。

 ヤツほどの小童、このワシを前にして何ほどのことが出来ようか?この妖山、いままで20を超える数のアフリカ諸国の各都市を練り歩き、至高の街歩きもほぼ完成しつつあるのだ。

「死朗よ!貴様の未熟さでも思い知り、せいぜい赤っ恥でもかくが良い..!!」


舞台マップ






第1章:それまでの都市


 私は今迄に東アフリカ、南アフリカ地域の各都市を訪れてきている。中にはジンバブエのハラレやケニアのナイロビといった大都市や、規模こそ小さいものの洗練されたモーリシャスの首都・ポートルイ等を練り歩いてきた私の都市観察眼はもはや「旅人としての最高峰を極めた」という凄みがあり、生半可な都市ではこの妖山を満足させる事などは出来やしないだろう。

 今いるボツワナにしても、GNPの高さから中々の都会であり、郊外にあるショッピングモールが街歩きに彩を添えていると言ってよいとこだったがこの妖山を唸らせる程のものではなかった・・・

 次は南アフリカだが「死朗」ごときが準備した都市がこの妖山の眼鏡にかなうことなどあろう筈がない。せいぜい首を洗って待っているが良い。この妖山が街歩きの何たるかを身を持って教えてやろう・・・



第2章:対決!「究極」対「至高」 第一弾 ヨハネスブルク!!

 南アフリカ最大の商業都市、ヨハネスブルクには2005年6月21日、ボツワナの首都ハボロネから大型バスに乗って到着した。

 街に近づくにつれ高層建築が増え、そして終点のパークステーション到着時には周りの全てがビルに囲まれる事となった!


到着したパークステーションとそこからの眺め
 


 「むぅうぅ~、なっなんという都会なのだ...!!」

 死朗にしては中々に良くやりおる。しかし街全部をまだ見たわけではない。

 ヨハネスブルクは世界一治安が悪い事で有名な都市でパークステーションの周りはダウンタウンと呼ばれ、日中で荷物を持っていなくても首絞め強盗に襲われるという治安の悪さだ。

 「わしの宿泊する地区、ここでは死朗も大したことは出来まい」

 宿泊先に電話をしてパークステーションまで迎えに来てもらう(注:南アでは治安の悪さから到着時に宿から無料で迎えに来てくれるピックアップサービスがあるのが一般的である)。私の宿泊する地区はイーストゲート、中心からいったら明らかに郊外だ。大したことはあるまい。宿について早速街歩きを開始する。


 イーストゲート地区にあるモニュメント




 「なっなっなんだ!この大型ショッピングモールは!!」

 そこには今迄見た事も無い大規模で近代的なショッピングモールが2つも宿から歩いていける距離に準備されていた...

 「くっ!死朗のヤツめが、この私にウインドーショッピングを楽しませるなどとは...!!」


 さらにソエトツアー(ソエトはネルソンマンデラ氏の生家があり、アパルトヘイト反対運動の発祥した地でもある)の帰りに立ち寄ってもらったダウンタウン一の高層建築である「カールトンセンター」の屋上の展望台からの景色には度肝を抜かれてしまう。辺り一面「ビル、ビル、ビル」の海であった...


カールトンセンターからの眺め
 

カールトンセンターの中
 

そして夜景



 「死朗!この都市はアメリカだな!!アメリカのテイストを織り込みやがったんだな!!」

 正に山間に囲まれたマンハッタンといっても過言ではないその都市の威容はこの妖山の今迄の経験すらかすんでしまうものであった...

 さらに南ア、そして南部アフリカ地域最大規模といわれる「サントンシティーショッピングモール」に行くと...、ビルの中に入っているそのショッピングモールはハイセンスな店がずらりと顔を並べ、溢れんばかりの品揃えがキレイにディスプレイされており、半日程度ならあっと言う間に費やしてしまうほど凄まじい物であった...

 高級地区であるサントン地区とそこにあるショッピングセンターからの眺め
 





 「死朗め!こんなものまで準備しておって...!!」


 どうやらこの第一弾、「究極」の勝ちらしい...




第3章:対決!「究極」対「至高」 第二弾 プレトリア!!


 南アの行政の首都(南アは現在2つの首都を持ち、立法と司法の首都はケープタウン)へはヨハネスブルクから到着、ヨハネスブルクではその都会に圧倒された感の否めないこの妖山ではあるがプレトリアは首都といった所で一見何の変哲も無いただの中都市という趣であった。

 「ヨハネスではやられたがプレトリアとはこの程度か!死朗め、まんまと馬脚を現しおって...」

 駅近くの宿から街の中心へ歩き始める。そして中心、「チャーチスクエア」に到着

 「むっ!むふおう~!!」

 そこは歴史を持つ威厳のある建物に取り囲まれた重厚な空間を形成している場所であった...

チャーチスクエア
 

 


 「死朗!オランダだな!!オランダのテイストをこの広場に取り込んでおるのだな...!!」

 「くぅ~!この私を試そうとするなどとは...!!生意気な~!!」

 この他にもユニオンビルディングといった歴史的な建造物やミュージアムの多さ、さらに大規模の動物園など訪れる者を飽きさせることは無い。ショッピングモールも多数あり、街歩きを十分堪能させられてしまった...


ユニオンビル


動物園からのプレトリア市内の眺め




 どうやらこの第二弾も「究極」に軍配が挙がったらしい...





第4章:対決!「究極」対「至高」 第三弾 ダーバン


 南アフリカ第2の規模を持つ都市ダーバン、ここにはスワジランドからバスで到着した。ここは海沿いの街でアフリカでは最大規模、世界でも第9位に入る港を持つ事で有名な都市である...

 「ヨハネス、プレトリアではしてやられたが、もうこのダーバンで妖山にもう驚愕させる事など、死朗ごときではもう無理だろう...」

 宿泊先から街歩きを開始する。いかにもゴミゴミとした近代的な都会だ。そんなに驚くには値しない。海岸までちょっと歩いてみるのも一興だろう・・・

ダーバン市街
 

その中心部
 



 「何っ、死朗!何だこれは!!」

 そこに見えたのは「アイススケートのリンク」であった。こんな物をこんな所に準備するとは...


※こんな所に・・・



 そして海岸線、高級ホテルがずらっと並び、ビーチは大勢の人で賑わっている。ここはただの港のある近代的な都市ではなかったのか??その景観は中心地のただの近代的な街並みと明らかに一線を画しており、美しいといっても過言ではなかった・・・


ホテルの上から眺めたダーバン市街の海岸部



 「くむぅうう~!!死朗め、中々にやりおるわ!」


 どうやらこの第三弾、「究極」にしてやられたらしい...




第5章:対決!「究極」対「至高」 第四弾 ブルームフォンテイン

 南アの丁度中央付近にあるこの都市は旧司法の首都であるがさほど見所が多い訳ではなく訪れる旅人もそう多くはない都市だ。

 「死朗め、この都市をうまく調理してこの妖山を楽しませる事など貴様には及ばぬ事だ...」

 観光案内所へ行くと各名所が記されている「ブルームフォンテイン散策マップ」なるものが準備されていた。マップを頼りに散策すると、これが実に良く出来ており、効率的に見るべき場所を余すことなく散策する事が出来た。

ブルームフォンテイン市内
 

 

市内全景



 「うぬぅ~!」

 しかもここには小さな池の周りにショッピングモールがあり、そこで食べた「レアのステーキ」は日本円で600円くらいと安価なのにもかかわらず、今迄食べた事もない程の美味で、まさに「本物のレアとはこれだったのか」と泣き叫びたくなるくらいの旨さであった!

ウオーターフロント地区
 



 「死朗めが!この妖山に“本物の舌鼓”まで打たせおるとは...!」


 どうやらこの第四弾、「究極」の後塵を踏む羽目になってしまったらしい...





第6章:対決!「究極」対「至高」 第五弾 ケープタウン

 ケープタウンにはブルームフォンテインから到着、ケープタウンは南アフリカ一有名な観光地としてしられているがこの妖山はそんなものには騙されたりしない。だいたい観光地等というのはどこでも観光地化されてしまっていて面白みも何も無く、ただ有名だから訪れるといったところが相場であろう。

 「死朗め、この妖山、いままではしてやられたが、もう貴様の考える事などはお見通しだ!貴様の実力が所詮その程度だという事を思い知らせてくれるわ!!」

 ケープタウンも海沿いの街である。そして海にはウオーターフロントなるものがあり、ここに一大ショッピングモールが形成されており、大道芸人たちが集まり歌や踊りやパントマイム等を披露していることもあって一日中見ても飽きが来ない。さらに市内からすぐいける場所にはこれも大規模なキャナルウオークというショッピングモールまで準備されている。じゃあ街だけで自然はどうなのかというと頂上が皿状になったテーブルマウンテンが街のどこからも見え、またこのテーブルマウンテンからはケープタウンの複雑な湾の形状と見事にマッチした近代的なビルディングが立ち並ぶケープタウンの市内のすばらしい眺めが一望のもとであった。ケープタウンは「特級の自然と近代的な建築郡が美しく調和した街」ということに異論をさしはさむ事は出来ないだろう・・・

ウオーターフロント
  

テーブルマウンテンからの眺め


そして夜景





 さらに日帰りスポットとしては有名な「喜望峰」や、ペンギンの生息する「ボルダーズビーチ」、またアフリカ最南端である「アグラス岬」(喜望峰は最東南端という微妙な位置である)まで用意されている!

ペンギン
 

喜望峰



 「くっ、死朗のヤツめ、ここまでやりおるとは!!この妖山、少しはヤツの事を認めなくてはなるまい...」

 どうやらこの第五弾、「究極」側の圧勝であろう...





第7章

 ケープタウンからナミビアの首都ウイントフークに向かう近代的なデラックスバスの中で、南アでの日々を振り返る。

 妖山の目元には普段と違う優しい光が漂っていた...


 「死朗め、小癪なヤツ...!」





※:注意書き

 この頃、妖山は重度の

  「アフリカアイ」

という目と精神の病気に罹っていた事を言明しておかなければならないだろう。


 この業病はアフリカ諸国を旅するもの特有のものである。

 原因は訪れる都市訪れる都市があまりにも「ショボ過ぎる」為に引き起こされるもので、長期間に渡って近代的な物や効率的な物から遠ざかってしまった事により、日本やヨーロッパやアメリカといった先進国国家ではあって当たり前のものやあることが誰も気にも留めないようなものまで興味や感動の対象となり、それを見て目を潤ませて歓喜の涙に咽んでしまうというちょっと考えられないような病気である。

 例を挙げると、5階建て以上のビルは全て「超高層ビル」に見えてしまい、日常の些細なものではちょっとした「スーパーマーケット」でもあればそれに涙し、「コンビニ」でもあろうものなら絶句し、また「本当に動くエレベーター」や「自動ドア」に感動し、「エスカレータ」などがあろうものなら感極まって写真を撮って大事に保存し、それを眺めて愛おしく思ってしまうほどタチの悪い物になってしまうものである。

 万が一にもこの記事を読んで、南アフリカは日本以上の大都会に違いないから是非とも訪れて都会ライフを満喫しようと考えている者がいるとしたら注意して欲しい。

 この妖山が感動の余りに絶句し続けた南アの諸都市も、妖山がケープタウンで会った「東京から直接ケープタウンに来た旅行者」が「ケープタウンって、結構小さくてビックリしました。人もぜんぜんいないですね」と呟いていた事からも分かるように、正常な「都市観察眼」はこの病魔に冒されたの時期の妖山には備わっていなかったというべきであろう...




第6話 アンゴラボーイ 前編

2005-07-27 16:11:14 | 第6話 アンゴラボーイ
あらすじ:

舞台国ザンビア

 アフリカ南部にザンビアという国があることをご存知だろうか?世界3台瀑布の一つビクトリアフォールズがある以外にこれと言った見所が無く、またこのビクトリアフォールズもジンバブエという国からもみれる為に多くの多くの旅行者にとってただの通過点、もしくは省いてしまってもいいような国である。この私も御多聞に漏れずプロとして見るべきものをさっさと終えたらつうかする予定であった。しかし、たった一人の男の登場により私はここで出入国3回、期間も3ヶ月間にまたがる長期に渡る戦いを余儀なくされる事となった。

         その奴の名は...


        「アンゴラボーイ」
 

 果たしてこの強敵を退けて次なる目的地へ旅立つ事は出来るのか?

      どうする!ゴルコサーティーワン!!


舞台マップ





第1章 ルサカ到着

 ザンビアの首都ルサカにはマラウィを抜けて2005年5月21日に到着、土曜日の夜に到着したので翌日の日曜日は市内をちょろっと散策しただけでのんびりとしていた。

 今の私にはこの先の旅を続けるのにあたって懸案事項があった。今の所の計画ではアフリカ大陸の東側を南下し、そして南アフリカのケープタウンまで行ってから北上するつもりだ。そしてその為にはアンゴラという国を通過しなければいけなくなる。

 しかしこのアンゴラが曲者で、今まで私の集めた情報によるとこの国のビザの取得は困難らしい。それにケープタウンから中央アフリカ地域に北上していった者はここ最近いないので結局この先私の通過する国の全てで大使館によってビザの取得が可能かどうかあたっていく必要があった。アフリカ各国のビザはいい加減この上なく、場所によって取得出来る出来ないがあったり、また料金もまちまちだ。賄賂の料で料金の格差が生まれているのかもしれない。

 明けて月曜日、早速ここルサカでアンゴラ大使館を探す。ザンビアは西側をアンゴラと接しているのでまあ大使館くらいはあるだろう。しかし観光案内所に言って場所を確認しても「分からない」と言われたので、そうなればと日本大使館に行くと日本人の職員は不在であったが現地人職員が教えてくれる。しかしその場所を探して行くと「去年まではここにあったが今年になって移転した」と言われてしまう。

 これも良くある事だ。大使館がまるでジプシーのようにころころ移転してしまう。しかし、ザンビア政府の観光案内所がその現在地を掴んでいないというのもいい加減な話だがこれも「アフリカ」らしい特質の一つだろう。

 翌5月24日の火曜日、再度日本大使館に行くと今度は日本人職員がいて正規の場所、それも地図付を貰う事が出来る。この丁寧さは日本人ならではのものだ。時間は1030時となっていたが午前中にはアンゴラ大使館に到着できるのでその足で向かう。アンゴラ大使館には1100時に到着。

 入ろうとすると門番に止められ「ビザのセクションは1100時までだ!」といわれるがこちらは気にしていない、ここでビザが取れるとは余り考えてなかったしまあ「ここで取得不可能」とはっきりさせておけばこの先2度とここにこなくて済む様にもなる。無理矢理にお願いしてビザセクションへ通してもらい査証担当官に会うことが出来た。ドラゴンボールという漫画に出てきたピッコロ星人のマジュニアに似たその男にビザの取得について問い合わせると

「レジデンス(この国に在住している者)以外に観光ビザの発給はしない」

 という回答である。

 私の心に「やはりここは駄目なんだな」と納得させるものがあり、まあこれでもう「ザンビアでのアンゴラビザ取得の可能性は消えた」ので次の行動に移ることにした。



第2章 Kという名の男

 アンゴラビザを諦めこの国随一の...、唯一の観光名所、ビクトリアフォールズを見に行く事にする。ここでタンザニアで知り合った日本人の旅行者と再合流も出来たので一緒に行く事となった。ビクトリアフォールズへはルサカからその起点の町リビングストーンへ7時間ぐらい、そしてそこからはリビングストーンで泊まったバックパッカーズの無料送迎バスを利用した。彼はそのままジンバブエーボツワナと抜けるつもりだったが、私はジンバブエの首都ハラレが見たかったのでここで別れ、そしてリビングストーンでもう1泊することにした。

 そしてその日の夜だった、私を日本人と見て取って若い日本人の旅行者が話しかけてくる。仮にKと名付けておこうか。聞けば凄い男で20歳から始めてもう7年も旅を続け、歴訪した国も120カ国を超えている。彼も私と同じように東からアフリカを下り、これから西を北上して一周する予定らしい。私は気になっていたアンゴラビザの事を問いかけると彼はこう答えてくれる。

 「ちょっと待ちますけどザンビアで取れますよ!!僕の場合は毎日通って結局3週間くらいかかりましたけど。そうそう他の国(彼はもう南部諸国の周遊を終えていた)では全部無理でした。アンゴラビザはザンビアで取得するしかないですよ!!!」

 うーん?俺が行って確認したのはなんだったんだろう...、彼はつい最近取得したばかりのビザを見せてくれて、ザンビアでの取得方法も説明してくれた。

 もう一回確認するだけしてみるか...



第3章 あの「タナカ」との出会い

 5月30日の月曜日、ルサカに戻った私は朝早くから早速日本大使館に行く。アンゴラビザの取得には日本大使館のレター(旅行者には通常リコメンデーションレターと言われる物、実際は日本大使館が本当にぜひとも彼を入国させて下さいと推薦しているわけではなくこの者は間違いなく日本人でこの期間貴国に入国したがっていると書いてある物)が必要だからだ。

 0900時、到着して領事担当者に会おうと入っていくと既に他の旅行者と思しき男も来ていた。

 陣内孝則似のバックパッカーにしては妙に小ざっぱりとしていてキレイなジージャンを着た男にアフリカでは珍しいタイプだと思い話しかけてみる。

 「旅行者の方ですか??」

 「はい、旅行者ですけどバックパッカーではありません、ツーリストです」

 「???」

 「いやぁ~、バックパッカーって汚い身なりして礼儀も知らず野人みたいな奴らばっかりでしょう、ああいうのは嫌いでして・・・僕はツーリストなんですよ」

 「なんでそんな奴がアフリカに・・・???」

 私も普通バックパッカーと言われるもの達に比べれば小ざっぱりした服装は心がけているし選択も小まめにしているが・・・、人にこんな説明してくる奴は初めてだった。

 私がちょっときょとんとしていると

 「いやー旅の基点はパリで、そこにアパートを持ってる友人がいるのでヨーロッパ旅行なんですよ。まあアフリカはカイロで知り合った旅行者が面白いといっていたのでまあ“ヨーロッパ旅行の”ついで“に来てみたんですよ”」

 とさらに言ってくる。さらに聞くとアフリカの東側の国をもう既に結構いい数を回っている。ただこう言うからにはケープタウンに行ってそこからフライトでヨーロッパにでも戻るつもりなのかと思っていると、

 「ザンビアでコンゴかアンゴラが抜けられれば陸路で北上してヨーロッパに戻るんですよ」

 と言っている・・・

 「ヨーロッパ旅行者か?これが・・・??」

 さらによくよく今迄の滞在期間を聞いてみるとヨーロッパより明らかに長くアフリカに滞在している。アフリカ旅行者と言っても過言ではないくらいだ。

 さらにビックリしたのは宿泊場所だった。

 「いやぁ~、いま妙法寺という寺に泊まってるんですよ、宿泊はただ、まあでもその代わりに畑を耕したりして奉仕活動しなければいけないんですけどね・・・」

 「!!!!!!!!!!(絶句)」

 いや、まて、ちょっと話を整理してみよう。

1.パリが基点でヨーロッパ旅行者
2.現在はアフリカ旅行中でヨーロッパより長期旅行している。
3.薄汚いバックパッカーが嫌いで自称ツーリストを名乗っている。
4.宿は寺で畑を耕す。バックパッカー以上に薄汚れるのは目に見えている。

 うーん、なんという摩訶不思議な男だろうか??

 名は「タナカ」と言っている。

 日本人にとっては珍しくない名前だ、私にしたってそれ程多く経験しているわけではないが今まで人生を駆け抜けてきたタナカは少なく見積もっても10人はくだらないだろう。しかしこんな「タナカ」は初めてである。

 そしてこれがこの「タナカ」という男とのファーストコンタクトとなった。



第4章 対アンゴラビザ取得戦線 作戦開始

 タナカ氏とひとしきり話しているうちに私のレターが完成する。タナカ氏もアンゴラ用のレターを書いて貰って二人でアンゴラ大使館へと訪ねる事となった。

 大使館に到着すると先日私の応対をした男がいて私の顔をみるなり

 「レジデンスのみだ!」

 と強圧的に言ってくる。しかし私がKから聞いた話では日本人に発給していた筈なので「私達は日本人で知人がビザの発給をここで受けれたのに駄目なのだろうか?」と確認すると

 「何、日本人か?中国人かと思っていた」

 と答えが返ってくる。

 確かに前回俺から日本人とは言わなかったが、コイツは俺を外見だけで判断してやがったのか...!そう言えばマジュニアのような顔をしたコイツは態度も偉そうだし何か人を見下したと言う感じもある。

 「まあビザは出せるけど今日は時間が遅いので申請用紙を渡すから明日又持って来い、そうそうビザは本国照会もあるから申請してから2週間待ちになる。パスポートはその間特にこちらで預からないから君達が持っていていい」

 ということである。しかし時間は1040時頃、午前中は1100時までとしてまだ20分はある、タナカ氏がちょっとじれて彼にこう聞いた。

 「今から記入して申請しても駄目か?」

 「今日は駄目だ、明日持って来い」

 「いや、明日ちょっとこれないから今日書いて出させてくれ!」

 タナカ氏がこう問いかけると我々に渡していた申請用紙をやにわに取り上げ一言


 「じゃあアンゴラビザはいらないんだな・・・」


 出たっ!必殺のこの一言!!

 ビザの申請なんて始から入国しようと思った方の負け戦だ。こちらはどうあってもビザが欲しいしビザが取得できない事には旅行計画全てが狂ってしまう。

 私がタナカ氏を制して彼に

 「明日来る」

 と伝えて申請用紙を取り戻し、そしてアンゴラ大使館を後にする。

 しかし、この応対から言ってストレスの多いビザ取得になりそうだ。それに何はつけても偉そうな態度を取るあのマジュニアは曲者だろう・・・タナカ氏はその日は寺に帰れなくなってしまい(ルサカ郊外に寺があるので)私と一緒にバックパッカーズにとまる事となった。

 翌日5月30日、0900時のオープン時間に間に合うようにアンゴラ大使館を訪ねると彼はまだいない。

 彼が到着したのは0930時、30分の遅刻だが一向に意に介する様子も無い。

 我々は受付を済ませて申請用紙を提出する。料金も受領時払いとちょっと珍しい(大抵は先払い)。2週間後に発給ということなのでこの日はこれで御仕舞。アンゴラ大使館にはこれで後一回受領のときに行けばいい。

 我々が門を出るとき、現地人(ザンビア人)の雇われの清掃人が笑顔で話しかけてくる。

 「おいっ、あのボーイ(小僧)は嫌な奴だろう、まあ頑張りなよ!!」

 奴は現地人にも嫌われているらしい・・・

 かくしてマジュニア顔の領事担当者は我々の間でコードネーム「アンゴラボーイ」として認識をされることとなった。


 タナカ氏は寺に戻るので別れ、私はこの後の行動を思案する。

 2週間はちょっと長い、幸いパスポートは俺が持っているから物価の安いジンバブエにでも行って来るか。

 そうして私はジンバブエに行き首都のハラレやグレートジンバブエを観光して、再度ここザンビアへ入国する事となった。



第5章 アンゴラビザ取得戦線 異常あり!!

 ルサカには6月14日に戻ってきた、タナカ氏もルサカに出て来ており、翌15日早速アンゴラ大使館へ行く。アンゴラビザは60日有効の30日ビザなので、これで受領して残りの南部アフリカ諸国を回り、そしてナミビアからアンゴラに行けば十分に間に合う。

 アンゴラ大使館には0900時に到着、前と同じように待って、そしてアンゴラボーイにあうと、意外な事を言われる。
 
 「お前らのレターは7月1日アンゴラ入国となってるだろう。この入国予定日の2,3日前に来い・・・」

 おいおい、それでは計画が台無しだ、それにそんな大事な事は最初に伝える事だろう・・・。

 彼は受領日が変更になった事に悪びれる様子も無い。こっちが変更したからお前らはそれにあわせて来ればいいと高圧的な態度だ。

 しかしそれでは最初の話と違うので私は再度こちらの計画を説明してそれでは無理だから何とかするようにお願いしてみても頑なに拒み続ける。ここでまた2週間も待ちたくなかったが、どうせ待つならそれを利用して南部アフリカ諸国を先に周遊することにするから日本大使館に行きレターを書き直して遅い日付に設定するから受領日を変えるようにとお願いしてもこんどは何故か最初の発給日を変えようとしてくれない。

 私はもうこれ以上ザンビアで時間を使いたくなかったので

 「分かった、ここでビザを取得するのは諦めるけど申請書類につけた写真ぐらいは返してくれ」

 というと

 「申請書類は本国に送っているから手元に無い」

 と答えてくる。

 そうこうして1時間ぐらいボーイと揉めていると彼の上役らしき者が部屋に入ってくる。コイツの外見はボクシングのプロモーターのドン・キングにそっくりだ。

ここぞとばかりに2人で事情を説明すると

 「入国2、3日前だ、レターを書き換えるならその2、3日前に来い」

 と、今度はボーイと違う答えだ。

 まあそれならいい、レターの入国予定の日付を遅くしよう。

 しかしそれにしても・・・ボーイはインチキ言いやがって・・・手前が仕事したくないだけだろうに・・・

 ドン・キングがボーイに我々の書類の事をきくとボーイは自分の机から我々の書類を出してドン・キングに手渡す・・・

 「あっ、あるじゃねえか・・・!!」


 それにしてもボーイのこの誠意のかけらも無い偉そうな態度や自分のご都合中心主義には嫌になってしまう。確かにビザが欲しいのは我々でビザを出すか出さないかはボーイの権限だが・・・、俺が何か最初から喧嘩腰だったり、また彼の嫌がる何かをやった記憶も無いのに・・・。こんな嫌がらせして出すなら始から出せないと言い続けたほうがまだマシだ。

 しかし、そうまでしてでもやっぱりアンゴラに行って見たい。そう思っている時点でこちらの負け戦なのだが・・・



 その日新たな日本人旅行者と知り合う事になる。タナカ氏と同じ寺に宿泊する「イヌイ」と名乗る男は東南アジアからサンダル一つでずっと陸路を移動してザンビアに辿り着いたと言う強兵のバックパッカーだ。彼もアンゴラを抜けて北上をするらしい。

 アンゴラビザの取得という共通の目的で出会ったこの3人、アンゴラにさえ行こうとしなければ一生で会うことも無かったであろう我々はここで一大同盟を結成する事になった。旅行界で知る人ぞ知る、ということは知らない人は知らない、さらに付け足すと「全く知られていないこの3人」

 「コノタナカ這這ノ体ニテ 」のタナカ氏、「イヌイ日記」のイヌイ氏(両氏のホームページはリンク先を参照)、そして本作「GOLCO31」のこのプロフェッショナル・デューク東城の夢の共演が今正に始まる事となった!


 作戦名は「アンゴラボーイ」
 
 この作戦名は実は彼らと別れた後で勝手に私が決めたもので、彼らに作戦名をつけたなんてことは特に言ってもいないからこの作戦名で動いている事を知っているのは私だけだったが・・・


 しかし、ここザンビアで一つ小さな事件が起きた!

 ザンビアのアンゴラ大使館は「サンダル入館禁止」ということでタナカ氏が大使館の外に出た時にイヌイ氏は彼の靴を借りての入館となったのだ。

 イヌイ氏は180cmを超える大男でタナカ氏は私より少し背丈があるだけのそんなに大きくない男だった為に靴は当然イヌイ氏の足には小さすぎ、どう見ても靴をサンダル履きにせざるを得ないので、サンダルから靴に変えても余り意味のあることのようには思えなかったが・・・



 早速分かった事は、イヌイ氏が靴を借りなければ大使館に入館出来ない為に、この共同戦線はその戦いのファーストステージから早くも脱落者を抱えての開戦となってしまったという何ともみっともない事実であった・・・



 恐るべし、アンゴラ大使館・・・!!



 翌日はアンゴラ大使館は休日だったので、翌々日に新しいレターとともに再申請をする。日付の変更を説明し、その2日前に来るがそれで良いのかと確認すると向こうも了承する。今回の事は彼の上役ドン・キングにも確認したので今度こそ間違いなく受領できるだろう。


 私の新しいレターの入国予定日は7月21日ということは7月19日にここに戻ればいいだろう、今日は6月17日なのでこれで南部を周る余裕は出来た。


 ちょっとくどいがイヌイ氏はまだ靴を入手しておらず、タナカ氏と私の後でタナカ氏から靴を借りて入っていた事を明言しておこう。

 アンゴラ大使館の外を出て、アンゴラビザ取得戦線の戦友となったタナカ、イヌイ両氏と固く握手を交わす・・・、という習慣は我々には特に無かったがまたの再会を約束し、ルサカで別れることとなった。彼らは寺に戻り、時期を見て南アにキャンプ用品を買いに行くらしい。私はすぐに南部アフリカ周遊だ。


しかし、今度戻ってきたときこそ本当にアンゴラビザを受領しなくては・・・



※鉄道駅付近から撮影したルサカ中心部、結構な都会に見えるかもしれないが、見えているもの以上の物は何もない・・・


※証拠に見えている高層ビルから3本くらい離れて(50mも離れていない)平行して走る道路の回りはこんな感じ・・・



第6話 アンゴラボーイ 後編

2005-07-26 16:12:45 | 第6話 アンゴラボーイ
第6話 アンゴラボーイ 後編


第6章 アンゴラビザ取得戦線 経過良好 

 南部アフリカ周遊は猛スピードで行われた、これまで行ってなかったボツワナ、南アフリカ共和国、モザンビーク、スワジランド、レソト、ナミビアの6カ国を回り、訪れた都市は10箇所、この間にレンタカーを借りて喜望峰やアフリカ大陸最南端のアグラス岬にいったりナミブ砂漠を見に行ったりしたので休む暇も無かった。

 ザンビアには7月16日にナミビアからリビングストーンへと再入国、この何も無い国にこれで3度目、ビザをマルチ(複数入国可能)で持っていたので回数は問題なかったがこのアンゴラビザの為だけに戻ってきたと考えると心も晴れない。ルサカには7月17日に到着、いよいよアンゴラビザ取得戦線も大詰めだろう。

 7月19日、タナカ、イヌイ氏の入国予定日より私のほうが少し早かったので一人でアンゴラ大使館に行く、まあボーイの事だから面倒くさがって3人揃った時に発給したがっているとは思ったが顔を見せて感触を確かめるのも悪くは無い。

 0900時頃大使館に到着して暫く領事部の応接室で待っていると1000時過ぎにようやく彼が姿を現す。ビザの事について確認するとすべなく

 「今日はボスがいなくて発給は無理だから明日来い」

 という。まあ今日の所はこれでいい。怒って切れてしまいビザの発給停止というのは最悪の事態だ。

 おとなしく引き下がり宿に戻る。

 夜タナカ氏が帰ってきて合流し、そして翌朝イヌイ氏とも再会を果たす。今度はイヌイ氏は靴を入手していた。いよいよ本格的な共同戦線開始だ。

 そして3人でアンゴラ大使館に向かう。1000時に到着、1130頃まで1時間半近く待たされたが、今回でようやく、我々3人のパスポートの提出を求められる。発給は明日。料金はパスポートと引き換えだ...、ビザ一つで実に長く待たされたが明日で終わりだろう...



第7章 アンゴラビザ取得戦線 やっぱり異常あり

 翌7月21日、私の入国予定上なら今日アンゴラに入国しているはずだが未だザンビアのルサカに貼り付けられたままだ。まあビザが無いので動きようも無い。それも今日で終わりだ。後はパスポートを受け取るだけになっている。しかし、最初に申請したときからもう1ヵ月半掛かっている。他の国を周る事が出来たからこそ耐えれたのだがそれでこの待ち時間は異常な長さだ。

 今日は午後に来いと言われていたのとイヌイ、タナカ両氏は別行動だったのでアンゴラ大使館で落ち合う事になっており、私が到着した時はまだ彼らは来ていなかった。

 先に中に入るとボーイが忙しそうに仕事をしている。もちろん忙しそうにしているだけで忙しいわけではないのだが...

 まあ何も声をかけないのも不自然なので当たり障り無く話しかけると

 「いやー忙しくて喉が渇いたな、おいお前!俺の飲物は何処にあるんだ??」

 等としたり顔で抜かしてくる。毎回毎回人を待たせて予定をコロコロ変えてこっちに迷惑をかけているなどという常識的な考えはボーイの思考からは完全に抜け落ちてるのだろう。

 答えるのも阿呆らしくなってしまい、適当にいなして待っているとイヌイ、タナカ両氏も到着する。

 何はともあれ約束の日は今日だ。ボーイが我々3人の前に現れる。よーし、これで終わりだ...


 「今日は発給できない、明日明後日と休みだから来週の月曜に来い...」


 「なっなっなっ...???」

 いまなんて言った??、さっき俺がいる時にそれを言えばいいじゃねえか!!それにしてもコロコロコロコロ毎回言う事を変えやがって、それに言い方も気に入らない、いくらこっちがただの旅行者といってもお前のせいで毎回振り回されてんのは分かってるだろう!!さっきはジュースまでたかろうとしやがって...

 パスポートも渡して大詰めになった今、激怒して対決してしまうのは上手くない考えだ、でもしかしもう我慢はしない。殺ってやる(実際に殺すわけではありません、英語で罵詈雑言を気の済むまで浴びせかけるだけです)。

 と私が思いかけた矢先、イヌイ氏が既に暴発していた!!

 「おい、手前、毎回言う事変えやがって、月曜というならそれでもいいけど一言謝る位は出来ないのか??」

 イヌイ氏はさらに畳み掛ける、しかし最初は誤りこそしなかったもののバツの悪い表情を見せていたアンゴラボーイの顔つきが変わる

 「じゃあ、アンゴラビザいらないんだな...!!」


 ちっ、またしても伝家の宝刀を抜いてきやがった...

 イヌイ氏が先にキレていたので私は冷静に戻っていた。これ以上揉めるのは得策ではない。イヌイ氏も怒りながらも途中からは冷静になっていたらしく、彼が怒った事によりタナカ氏や私のビザまで発給されなくなったら悪いとも考えていたようで、彼が臍を曲げきる前に旨く怒りを納め、そして3人でボーイを取り囲むようにして約束させる。

「月曜だな...」


 しかし今日は木曜日だ、これでさらに4日待が決定だ。こんなルサカなんて何も無いところで...

 タナカ、イヌイ両氏は寺へ、そして私は宿泊してる安ホステルへと戻る事となった。




第8章 戦友達の負傷、そして離脱...

 7月24日の日曜、ルサカのネットカフェを出てふらふら歩いている時だった、タナカ、イヌイ両氏が反対から歩いてくる。タナカ氏は開口一番、私にこう告げてきた。

 「いやー、東城さん、聞いてくださいよ。昨日寺に泥棒がはいりましてねぇ~、追っかけて掴まえたのはいいんですが2人とも怪我をしてしまったんですよ」

 「えっ??」

 イヌイ氏はいかにも強そうな大男だし、タナカ氏も小柄とはいえ以前器械体操をやっていただけあって全身筋肉質だ、彼ら二人に怪我をさせるなんてアフリカ人はそんなに強いのか?それとも人数が多かったのか??

 「相手は一人なんですよ、でもねぇ、寺で飼っている犬がいましてねぇ、泥棒が外を走って逃げているのを追いかけている時に犬も後ろから追ってきて我々に追いついたのでここぞとばかりに『コイツだー』とけしかけたら俺達に噛み付いてきちゃったんですよ~...、」

 ちなみに飼っている犬の名前は「ライオン」だ。

 「いやぁ~!結局2人ともこのライオンに噛まれてしまっちゃったんですよ~!!」

 それにしても良く出来たストーリーだ。タイミングの悪さも絶妙である。

 タナカ氏もイヌイ氏も明るく話しているけど...、確かにそいつは面白すぎる(笑っている場合ではありませんが...)

 その後彼が話すには泥棒は取り押さえた物のわざわざケープタウンまで行って中央アフリカ対策用として買っていたイヌイ氏の寝袋が盗まれ、そして懐中電灯も追撃のさなかに壊れてしまったらしい...

 「そういう訳で明日の朝、一度はアンゴラ大使館は行きますけど、その後すぐに狂犬病の注射を打たなければいけないんですよ...」


 「!!!」


 こんな展開はいかに私が「プロ」といったところで予想できるものではない。正に「カタストロフィー(破局点)」といった出来事であろうか?

 「お大事に」

 と当たり障りの無い一言を言うのが精一杯であった...



 翌25日、3人でアンゴラ大使館に行く、しかしボーイが言うには午前中は忙しいから午後に来てくれということだ。

 しかし一体全体いつまでじらせばいいのだろうか??

 キレイな彼女と付き合うことは出来たものの“最初のコト”をいたすまで延々と待たされてしまっているような気分だ。いつ会ってもじらすだけじらして次は必ず、きっとするからってか??そして次に会っても「今日はダメなの、特別な日なの...」と言われ続けなければいけないのか??恋なら待つ時間も楽しみといえるが今私がやってることは単なる作業だ。面白くもなんともないし第一アンゴラビザを取得したところで入国許可が手に入るだけでロマンスなんて生まれやしない。

 イヌイ、タナカ氏はタイムリミットだった、もう医者に行かなければ行けない。彼らの代理受領を約束して別れる。

 今度は私は彼らにこうお願いする。

「今度という今度でダメならこの間のイヌイさん以上に激怒してボロクソに言ってやるつもりなのでそうなったらビザは諦めて下さい」

と...

 彼らも異論は無く「ビザがダメならそれでいいですから、我々の分も含めてガンガンに言っちゃって下さいよ!」と応援してくれる。

 夜の再会を約束し、別れる彼等の背中を眺めてこう誓う

 「友よ!君達の死(単に狂犬病の注射に行くだけです。念の為)は無駄にしない。ビザか、しからずんばボーイの首を取ってくる」

と...



第9章 アンゴラビザ 取得戦線戦争終結

 約束の1430時丁度に大使館を訪ね、ボーイに面会する。

 彼は私を見ると何も言わずにアンゴラビザのシールと我々のパスポートを取り出し、シールの空欄の部分に手書きで必要事項を記入し始める...


 「おいっ、今からかよ...!!」

 そして記入を終えシールをそれぞれのパスポートに貼って印を押し、上役の所に行きサインを貰って私の前に戻り、そしてパスポートを手渡す。


 所要時間...“約20分...”

 「早っ!!」

 これだけだったら午前中でも出来たんじゃねえの??それよりもいままで散々に待ってきた時間は何だったのか???

 キスするまでに何回もデートを重ね、待ちに待ったいよいよのファーストキッスが一秒もかからずに終わってしまったようなものだ。キスならまだ余韻が残って後でロマンチックな思い出でもなろうが込上げてくるのは怒りとやるせない気持ちだけであるから救いようがない...

それでも何とか気を取り直して必要事項を口頭で再度確認し、記載漏れもチェックして領収証を貰いこれでようやくアンゴラの観光ビザの受領が出来る事となった。



第10章 エピローグ

 夜、タナカ、イヌイの両氏にパスポート渡し、これでこの長期に渡るアンゴラビザ取得戦線の終結となった。

 我々はこのビザのせいで散々振り回された挙句に不本意に長い時間を費やす事になってしまったし、その上タナカ、イヌイの両氏は負傷まで負わされている。イヌイ氏にいたってはこの先の作戦用のアイテムまで奪われてしまう有様だ。  

 我々3人はビザを取得できた喜びよりもこの地獄のような長期戦による心のダメージの方が計り知れず大きい物となっていた。

 彼らは泥棒事件により寺に戻る事になり、また出国日も遅くせざるを得なかったのでルサカで別れる事となった。


 私はと言えば、この後にコンゴ(旧ザイール)のビザをここで取得。そしてザンビアの出国は7月31日となった。国境が接していると入ってもザンビアーアンゴラ間は危険地帯なのでまたナミビアに入国し、そしてそれからナミビアーアンゴラへと向かう予定だ。


 そしてザンビアを去り、ナミビアからアンゴラに向かう途中、これまでの経緯をまざまざと思い起こす。

 初めてアンゴラ大使館を発見したのは5月23日、そして受領は7月25日、ザンビアでは実に3ヶ月に跨る長期戦となってしまった。この間アンゴラ大使館を訪ねた回数は実に12回、ザンビアでの滞在日数はトータル30日を超えてしまっている。

 はっきりとしていることはアンゴラのビザは1ヶ月で、実際そんなに滞在するわけではなく、せいぜいマックスで2週間がいいところだろうから

 「アンゴラビザの取得に掛かった日数の方がアンゴラ観光に費やす日数よりも明らかに長いだろう」

 という有難くない結論だ。

 去り行くザンビア、そして迫り来るアンゴラ、その狭間で私はこう考えていた。

 「アンゴラビザなんてむきになって取得するもんじゃなかった...」

 と...


※終始一貫して我々を苦しめ続けたルサカのアンゴラ大使館の入口。燃やしてぇ~!





追記:

 本作品の文中には殆ど登場いたしませんが、今回のアンゴラビザの取得に関しては度重なるレターの変更に嫌な顔一つせずに対応して頂き、また時にはアンゴラ大使館に直接電話まで掛け、我々をアシストして下さった日本大使館領事部の方々のお力添えがあったからこそ出来た事であります。

 彼等の多大なこの誠意のある好意的な御助力に対して、拙いながらもこの場を借りて感謝の気持ちを表させて頂きたいと思います。



ザンビア日本大使館の領事部の皆様方へ

 私のような一介の旅行者に対しての今回の多大な御尽力、誠に感謝の気持ちで一杯であります。本当に有難う御座いました。

                                                          デューク東城