第二章
これは有名なレゴランドのレゴ(子供が良くやる組み合わせ式のブロック)で作った人形。
そしてアインシュタイン、実に凝っている・・・
これはベルリンのトレンドの発信基地とも言えるミッテ地区にあるハッケシャーホーフ。
外から見るとただのビル、旧東独のマスコット的な信号のキャラであるアンペルマンの店「アンペルマンギャラリー」もここにある。
ちなみに“ホーフ”とはドイツ語で“中庭”を意味する。ここは建物の中に中庭が続き、それに面しておしゃれなショップやカフェが入っている。
ベルリン・・・
街並として見ればずば抜けて凄いと言う訳ではない、だがこの街の持つ雰囲気やその歴史から来る空気は私にとって心地好い。
また猛烈な勢いで都市として再構築されているので新造建築物や建設中の建物が多く、そのモダンなデザインはここがこれからの街だということも現している。
旧東独と西独の境界となる「チェックポイント・チャーリー」
ここで記念スタンプ(有料)を押してもらえる。
面白い照明のビル、店の壁に貼り付けられた自動車。
ポツダム広場付近にあるソニーセンター
アレキサンダー広場近くにあるテレビ塔。
ドイツ連邦議会議事堂。屋上に上がれる。
そしてブランデンブルク門
ベルリン・・・
発展する街・・・
私はこの街を見て、過去の旅、過去に訪れた都市を振り返りこう思いを巡らせていた・・・
私が今までに続けてきた旅行、様々な国。それはあくまでも“その時、その場所”で見たものだ。
人が成長する様に時代と共に都市も移り変わってゆく。
私が旅行を好きな第一の理由は「知らない街をただ気ままに歩くのが好きだから」だがそれは一度行けば終わりという物ではないだろう。勿論時間や予算の制約はあるが、一度目には一度目の、二度目には二度面の発見や新しい楽しみは出てくる。
ある有名な小説の一文に「旅は老いる」という言葉があった。今まで出会った多くの旅人がこの趣旨に賛同する。例えばヨーロッパで教会を一杯見続けていると「教会にはもう飽きた」とかアラビア圏にしばらくいると「モスクはもういい」という感情がそれを肯定づけている。そして「旅に飽きてきた」と、だが、果たしてそうなのだろうか?
見ている物全てはあくまでも「その時、その場所、その人の感性で」見ているだけだ。一つ物を見るだけでもその季節や時間帯、一人で見ているのか誰かと一緒に見ているのか。一つとして同じ物ではないはずだ。
それは旅に限らず日常生活でも同じだろう。同じ一日というものは決して二度訪れる事は無い。
だから私はこう思う、「旅は老いる」等ということは単なる方便だ。ただ「飽きた」と思っているだけだと・・・。感性や感動の磨耗、それが問題なのだろう。だが、世界はそんなに狭いのだろうか?私はこの4年間、160を超える国を行き500を超える都市、場所を訪れている。それでもまだまだ見てない場所が残っている、だからこそこう感じる。「世界はそんなに簡単に飽きるほど狭くは無い」、と。
そして私はこう考える「私の旅行はこの感覚の残る限り、飽きる事も老いることも無い」
と・・・
ドイツの首都、そしてこれからも発展し続ける街ベルリン・・・
私の旅行の最終目的地・・・
ここに到達した今、私は気持ちも新たにこう決意する。
私が見たベルリンは「今、この瞬間のベルリン」だ。
またいつか、ここを見に帰ってくる。と・・・
そしてここに宣言しよう。
このプロフェッショナル・デューク東城、
これでこの私の旅行は何時までたっても
「”パリ発ベルリンへ”のヨーロッパ旅行」
であり、この私はこれからも
「エレガント・ヨーロッパツーリストである」
と・・・
これは有名なレゴランドのレゴ(子供が良くやる組み合わせ式のブロック)で作った人形。
そしてアインシュタイン、実に凝っている・・・
これはベルリンのトレンドの発信基地とも言えるミッテ地区にあるハッケシャーホーフ。
外から見るとただのビル、旧東独のマスコット的な信号のキャラであるアンペルマンの店「アンペルマンギャラリー」もここにある。
ちなみに“ホーフ”とはドイツ語で“中庭”を意味する。ここは建物の中に中庭が続き、それに面しておしゃれなショップやカフェが入っている。
ベルリン・・・
街並として見ればずば抜けて凄いと言う訳ではない、だがこの街の持つ雰囲気やその歴史から来る空気は私にとって心地好い。
また猛烈な勢いで都市として再構築されているので新造建築物や建設中の建物が多く、そのモダンなデザインはここがこれからの街だということも現している。
旧東独と西独の境界となる「チェックポイント・チャーリー」
ここで記念スタンプ(有料)を押してもらえる。
面白い照明のビル、店の壁に貼り付けられた自動車。
ポツダム広場付近にあるソニーセンター
アレキサンダー広場近くにあるテレビ塔。
ドイツ連邦議会議事堂。屋上に上がれる。
そしてブランデンブルク門
ベルリン・・・
発展する街・・・
私はこの街を見て、過去の旅、過去に訪れた都市を振り返りこう思いを巡らせていた・・・
私が今までに続けてきた旅行、様々な国。それはあくまでも“その時、その場所”で見たものだ。
人が成長する様に時代と共に都市も移り変わってゆく。
私が旅行を好きな第一の理由は「知らない街をただ気ままに歩くのが好きだから」だがそれは一度行けば終わりという物ではないだろう。勿論時間や予算の制約はあるが、一度目には一度目の、二度目には二度面の発見や新しい楽しみは出てくる。
ある有名な小説の一文に「旅は老いる」という言葉があった。今まで出会った多くの旅人がこの趣旨に賛同する。例えばヨーロッパで教会を一杯見続けていると「教会にはもう飽きた」とかアラビア圏にしばらくいると「モスクはもういい」という感情がそれを肯定づけている。そして「旅に飽きてきた」と、だが、果たしてそうなのだろうか?
見ている物全てはあくまでも「その時、その場所、その人の感性で」見ているだけだ。一つ物を見るだけでもその季節や時間帯、一人で見ているのか誰かと一緒に見ているのか。一つとして同じ物ではないはずだ。
それは旅に限らず日常生活でも同じだろう。同じ一日というものは決して二度訪れる事は無い。
だから私はこう思う、「旅は老いる」等ということは単なる方便だ。ただ「飽きた」と思っているだけだと・・・。感性や感動の磨耗、それが問題なのだろう。だが、世界はそんなに狭いのだろうか?私はこの4年間、160を超える国を行き500を超える都市、場所を訪れている。それでもまだまだ見てない場所が残っている、だからこそこう感じる。「世界はそんなに簡単に飽きるほど狭くは無い」、と。
そして私はこう考える「私の旅行はこの感覚の残る限り、飽きる事も老いることも無い」
と・・・
ドイツの首都、そしてこれからも発展し続ける街ベルリン・・・
私の旅行の最終目的地・・・
ここに到達した今、私は気持ちも新たにこう決意する。
私が見たベルリンは「今、この瞬間のベルリン」だ。
またいつか、ここを見に帰ってくる。と・・・
そしてここに宣言しよう。
このプロフェッショナル・デューク東城、
これでこの私の旅行は何時までたっても
「”パリ発ベルリンへ”のヨーロッパ旅行」
であり、この私はこれからも
「エレガント・ヨーロッパツーリストである」
と・・・