ゴルコサーティーワン!その激闘の記録!

この世界は・・・
”チキン”だけが”生き残る資格”
を持っている・・・

第15話 完璧な計算

2006-12-10 06:00:26 | 第15話 完璧な計算
2006.12.10



あらすじ:

 今まで私はどうでもいいような3文記事を書き続けてきていたせいか、私の旅行の力量に疑問を抱く連中が増えてきたというちょっと嫌な噂を耳にする事となった...

 3文記事を書き続けるのは他の旅行者に私の記述によってその都市の第1印象を決めつけさせたくないというプロフェッショナルならではの一流の配慮からであるが、それが仇となり[へたれツーリスト]のレッテルを貼られてしまうようではお話にならない..

 私がなぜ旅行界で唯一プロフェッショナルを名乗っているのか?

 それは「私が常に完璧な計画に基づいて完璧に任務を遂行している」ことからきていると言う事実を今回証明して見せようではないか!!

 この「完璧な計算」で...





第1章:スロベニア脱出

2006.12.05

 スロベニア出国後のルート取りは私を悩ませるものであった…。この後はクロアチアの南方の街とボスニアヘルツェゴビナに行く予定だ。スマートなルートはリュブリャーナからザグレブ→サラエボ→モスタル→スプリット→ドブロブニクというのは分かってはいたのだがハンガリーのブタペストを出国してザグレブ経由で来た私はザグレブに戻る気がしなかったからだ…、散々悩んだ結果リュブリャーナからリエカというクロアチア西南の町に抜け夜行を探してスプリット、そしてそこからサラエボに北上してモスタルに南下してドブロブニクというルートを選択することにした。リエカはクロアチア南西では比較的大きな町なのでスプリット行きの夜行はあるだろう…

 それもこれも「くの字型」というへんてこな形をしたクロアチアの国土の形状が旅を面倒にしているのだ…

 しかし私は「プロフェッショナル」である。その状況の推測力には「自分の中では定評」がある。

 今回も「いつも通り」うまくいってしまうのに違いないのだ…





第2章:ビジーデイ...!!

2006.12.06

 スロベニアを出発してクロアチア南西の都市リエカには5日の夕方に到着、早速夜行を探す、バスならダイレクトでスプリットだが鉄道は2回乗換えだ…

 今回は鉄道を選択することにする。エレガントが称号の私にはバスは似合わない…

 決して「ただ安かったから…」

 と、言う訳ではないのだ!!

 1945時にリエカを出発、2145時にモラビッツで一度乗り換える…、そしてオグリンには2230時に到着。そして翌6日0030時に再度乗り換えてスプリットには朝の0700時に到着…

 乗り換えの面倒くささは予想外だがそれでもここまで計算通りだ…

 そしてスプリットに到着してすぐコインロッカーに荷物を預ける。ここの世界遺産はスプリットの歴史地区だけではなく、近郊の町シベニクの「聖ヤコブ大聖堂」、そして「古都トロギール」控えている。せっかく朝に到着したからにはこの残りの2つもきっちり見ておきたいと考えていた...。

 決して列車の中で「地球の歩き方」を開いて

 「なんだこれなら一日あれば簡単に世界遺産3つ見てまわれるじゃん!!」

 と思いつきで決めたわけではない。全てが予定通りだ...


 そして予定通りに行動する。再度鉄道に乗り1時間半ぐらいかけシベニクには0900時に到着、1時間半でシベニクの街並みと「聖ヤコブ大聖堂」を観光して今度はバスで1200時に出発して古都トロギールへは1250時ごろ着、ここは駆け足気味に1時間ほど観光して今度は市バスで1230時に出発してスプリットには1330着、市内観光を終えた頃には1600時になっていた...

 今度はバス停に行きサラエボ行きのバスの時刻を確認する。それ次第でスプリットの夜景を見ていくか見ていかないかを決めるつもりだった...

 しかしサラエボ行きのバスはもうない...朝だけだった...、

 本来なら朝到着した時点で調べるのだが今回はシベニク行きの鉄道の時刻がすぐだったので調べる余裕がなかったのだ...

 だが、モスタル行きのバスならあった...

 ちょっとどうするか考えてモスタルをサラエボの先に見ることにする。クロアチアの物価の高さを考えるとボスニア・ヘルツェゴビナに行ったほうがまあ安宿も探しやすいだろう...

 そして1720時にバスが出発しボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルには夜の2000時に到着、1時間ぐらいホテル探しをしたが結局バス停そばのプライベートハウスに宿泊を決める。10ユーロ(約1500円)は悪くない金額だった...、そしてその足で「有名な石橋」を見に行く、夜ならライトアップされていて綺麗だからだ...

 これでこの日に見た世界遺産は合計4つ...

 「基本とする計画に臨機応変に状況の変化に対応する」

 プロフェッショナルな私ならではの早業であろう...


写真はモスタルのメインストリートの街並み...、ユーゴ紛争時に破壊されたビルディング... 







第3章:そしてサラエボへ...

2006.12.07

 モスタルを午前中にもう一度観光して鉄道でサラエボへ、到着したのは夕方でホステルに宿を取る。

2006.12.08

 そしてサラエボ観光、郊外にあるトンネルミュージアムや敷地の外がユーゴ紛争時の墓場となってるオリンピックスタジアムやオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人青年により暗殺されたことにより第一次世界大戦が勃発したといわれるいわくつきの橋などを見学する...



 この後は当初クロアチアのドブロブニクに向かう予定だったがここでまた新しい情報により進路を悩ませることになった。

 ボスニア・ヘルツェゴビナという国はボスニア(イスラム教徒)とヘルツェゴビナ(クロアチア人)の連邦とセルビア人共和国の3つ巴から成り立っているという世界でも類を見ない珍しい国うなのだが首都はサラエボ、そしてボスニア人とクロアチア人の連邦の首都もサラエボ、しかしセルビア人共和国の首都はバニャルカというところにあるのだ!

 もちろん国としての首都は当然サラエボだが、このような珍しい状況の国のセルビア人共和国側の首都も見ておかなくてはいけないと感じ始めていた...

 この情報を遅れて得たのはしょうがない、地球の歩き方の中央にはそんな記述はなく、ロンプラという英字のガイドブックの中に書いてあったのを、サラエボの宿でついつい気づいてしまったからだ...、

 「知らねばそのまま通り過ぎることが出来たものの...」

 知ってしまったからには行かずにはいられない...ガイドブックを見る限りは特に見所は無いのだが...首都旅行者のプライドに賭けて、ここはやらねばならぬだろう...

 しかもこのバンニャルカの位置も問題だ。丁度ザグレブ-サラエボを結ぶ線上にあり。ザグレブを避けたいがためにわざわざ南に降りて行ったのにサラエボから西に戻って行く事になるとは...

 こんなことになるなら初めからリュブリャーナ→ザグレブ→バンニャルカ→サラエボ→モスタル→スプリット→ドブロブニクとやって置けばよかったのだが...

 まあこれは仕方が無いだろう。速度を上げて旅行をしているとたまにはこんな事もある。大事なのは「どうリカバー」していくかだ。

 経路をもう一度検討する。駅に行って確認するとバンニャルカまで鉄道で往復を買えば割安になる。そしてサラエボからスプリットとドブロブニクの中間にあるプロチェという街まで鉄道で行けばそこからならドブロブニクまでバスはあるだろう...このプロチェは歩き方やロンプラの東ヨーロッパ版に載ってない小さな街だから物価の高いクロアチアといえどもホテル代もそんなにかからないだろう...それにしよう...

 そして後は時刻だ。壁に貼り出してある時刻表を確認する。サラエボを1030時に出発すれば1530時にはバンニャルカに到着だ。日照時間の短い今、夕日は1600時頃には沈んでしまうが街自体はそれほど大きくないのでなんとかなるだろう。そしてバンニャルカからの出発は深夜の0130頃にすればいい、この便はザグレブから出発してバンニャルカ経由でサラエボに行ってそのままプロチェに抜けるので乗り換える必要も無い。

 早朝からバスは何便も出ている事も確認していたが料金的には高くなる。バンニャルカの情報をガイドブックで読む限りはそこまで無理しなくても簡単に見て回れそうだし。鉄道の深夜便はちょっとキツイが宿泊代も浮かせられるので金銭的なダメージも最小限に抑える事ができる...


 全てがロジックで組み立てられていく...


 計画は完璧だ。

 そしてチケットを早速購入して翌日に備える...あとは任務遂行あるのみだ...



写真はサラエボの街並み






第4章:そしてバンニャルカ

2006.12.09

 朝の1030時にサラエボを出発し1530時に到着、駅に荷物預かりが無かったので隣接するバスターミナルに荷物を預ける。荷物預かりが夜の2200時でしまってしまうのはこの日の深夜便による私にはちょっとマイナスだがまあ仕方は無い。それに2200時ぎりぎりに戻ってあと3時間半の耐久戦ならそんなに問題ではない。そして市の中心に行く市バスに飛び乗る。歩いてもよかったが日照時間の短い今、日のあるうちに見所を見ておきたかったからだ。市の中心には10分ほどで到着。見所といわれる城を見てそのほか細々と街のメインストリートやらセルビア人共和国政府関係の建物、大きな教会などを見て回る。サラエボは教会とモスクの混在だったがセルビア人共和国の首都のここは殆どが教会だ!あきらかにサラエボとは別世界である...

 大きな見所は1時間ほどで終わった。時間もだいぶ余っている。やることがあるとしたら残ったボスニア・ヘルツェゴビナのお金の始末だ。まだ50ユーロ分ぐらいは余っているがクロアチアに行ってから両替するとレートが悪くなるのは目に見えている。


 丁度髪が伸びていたので散髪し、そしてインターネットで時間をもうしばらく費やす。40ユーロ強まだ残っている...この頃には2000時頃になっていたので両替商はもうやっていない...


 しかし私はプロフェッショナルだ!!人に聞きながら何度か迷ったが闇両替を探し当てる。メインストリートで「ユーロ、ダラー、チェンジ??」といっていた人間が数人いてたまたま声をかけられたから気づいた訳ではないのだ!!

 そして40ユーロ分、両替しさらに余ったお金でジュースやチョコを買って今後の長距離移動に備える。

 お金を使い切ったので一時間ぐらいかけて駅に戻る。バスターミナルで荷物を回収したのは2145時、正に計算通りに物事は進んでいる...

 バスターミナルの待合室で一呼吸して間を空け、そっとタバコに火をつけて燻らせる…


 「今回も完璧だった...!!」


 ほかの旅行者ならこうは行かないだろう...

 深い推察力と論理的に組み立てるその優れた思考回路、そして計画通りに実行するその行動力...、私には全てが兼ね備わっているのである...

 これで私が「伊達にプロフェッショナル」を名乗っているわけではないことがこれでおわかりいただけただろう...

 勝利のタバコを揉み消し、そして駅に歩いて行く、隣接しているので3分もかからない...後は3時間待つだけだ...

 私が駅に向かっていくと丁度窓ガラスに何やら貼り出している。時刻表らしい...

 私はサラエボで自分が乗る便名までもう確認している、391便、ザグレブ発バンニャルカ、サラエボ経由プロチェ行だ。バンニャルカは深夜0125発。今更見るまでもない。

 私が近づいていくと時刻表を貼っていた係りがちょっと驚いたような顔をしてこちらに向かってくる。

 こんなことは旅行者には良くあることだ。現地人なら発車時刻の少し前に車で来ればいいだけだが私にはそんな手段は持ち合わせていない。3時間以上も前から駅で待とうとしているから向こうもちょっと不審がっているだけだ。

 笑顔でこちらから話しかける。

 「サラエボ...」

 これで十分だ...


 向こうからも応答がある...

 「サラエボ...????」


 「んっ?3時間は長いけどそこまでおかしそうな顔は何だ??」

 彼は私を時刻表の所に連れて行き指を差す...

 『ザグレブ・・・・バンニャルカ:1315・・・・サラエボ:1800・・・・・プロチェ:2300」


 「?????」

 「あれっ??深夜にここに到着するはずの391便は...?????」


 慌てて聞き返す。

 しかし彼の答えは変わらない...

 私が間違うなんて事はある訳がないのだ!!

 こんな奴では話にならない。

 窓口に行って再度確認をする。

 しかし...

 返答変わらず...

 391便の影も形も無い...

 この私が見落とす訳など無いのだが...



 「うむうむうむ...」


 「て、ことは...」



 「本当に無いのですかぁ~...!!」




 しかも出発は明日の昼1315時だ!!



 
 流石に今から15時間もこんな所で待ってはいられない...


 夜の2200時は過ぎていた。


 私はキャリーパックを引き摺り、市の中心へ歩く...、両替を全て済ませた今、バスにすら乗れやしない...

 何軒かホテルを当たり、深夜の0000時を少し過ぎた辺りで不承不承決めたのは「33ユーロ(約5200円)」もするホテルだ!ロンプラにはこれ以上の価格の宿しか載ってなかったからこれでもここでは安いほうだが...それにしてもセカンドミッションで日本を出国してからの最高額だ!!

 ホテルのクオリティーは高いのでホテルの価格以外に不満は無いしユーロ払いを了解してくれたのでまあ助かったのだが...

 それにしても...

 どうせ1泊するのなら...

 「荷物も預けず、まっすぐにホテルを探して存分に寛ぐのが正解なのにぃ~」


 しかしまだ私は「ドジッた」訳ではない、まだ修正の余地はある!!この国を出国してプロチェに辿りつくまでは戦いは続くのだ!!




 


 写真はバンニャルカで地面に描いたチェス版でチェスに興じるセルビア人、ちなみにサラエボでも名物だがサラエボは一面、こちらは2面ある...

 えっ!!「バンニャルカってそれだけですか??」って...

 はい、お答えします!!「それだけ」です...






第5章:出国、そしてプロチェへ...


2006.12.10

 プロフェッショナルとしては「些細なミス」をしてしまったようだがこの程度は「予想の範囲内だ!」、まだこの国を抜けてクロアチアに辿りつくまでは戦いは終わってはいない。

 当初の計画は「多少失敗」してしまったようだが「取るに足りないミス」であろう...

 「完璧な人間などこの世にいないのだ!!」

 私が今度こそ「伊達にプロフェッショナルを名乗っている」訳ではないことを証明しよう!!


 まあとは言っても今回は「誰にでもわかる」簡単な推測だ。日本でもそうであるように田舎に行くほどホテルも物価も安くなる。プロチェに朝着いてそのままドブロブニクへ向かうことは出来なくなってしまったが夜に到着し、安宿に止まり明日の朝からバスなりフェリーなり探す時間はゆっくりある。それだけだ。


 昼の1315時にバンニャルカ出発、そして無事に国境を越えプロチェには2200時に到着。駅の職員に「チープホテル」と聞いて探し始める。港町だが小さな町だ、そんなに苦労はいらない、数人に聞いて難なくホテルを探し当てる。

 ちょっと高そうに見えるが値段だけ聞いて高ければ「もっと安い宿を紹介して下さい」と言えば事足りる。

 何度も使ってきた手だ。失敗のしようも無い。

 早速レセプションに行く、港に面したこのホテルは「中級」といった面構えだ、昨日「33ユーロ」もする宿に泊まっていたので今日は安く上げたい。

 「幾らだ...」

 「40ユーロ(約6200円)...」

 うーん、昨日と待ったホテルよりランクは落ちる、それなのに値段は高い、ここは他の宿をあたるより他はなさそうだ...

 「もっと安い宿は近くにどこかありますか??」

 「いやぁ~、この小さな町にはうちしかホテルはなくてねぇ~...、一番安い部屋でこの値段なんだよ...」

 「...って」

 「ことはおい...!!!」

 「選択の余地無しかい!!!!」


 いやっ!こいつはわざとそういっているに違いない、このオフシーズンに泊まる客を逃がしたくないだけだ。いくら物価の高いクロアチアでも町の最低の値段のホテルが「40ユーロ」等とはありえないのだ!!

 「あんた、見え透いた事は俺には通用しないぜ!、まあ安宿を教えてくれないと言うなら仕方が無い、俺は自分で探してみるからあとはいいぜ...」


 捨て台詞を残してまた町を歩き回る...


 そして一時間後...


 ようやくやっとの思いで...


 何故かさっきのホテルのレセの前にたどり着いた自分がいた...


 本当だったのだ!


 何人にホテルを聞いても紹介してくれるのはさっきの一軒のみ。

 「この町にホテルは1個しかないのよぅ~」

 と言われ続けてしまったのだ...




 しかし

 料金は...


 「チャカチャカチャカチャーン!チーン!!!」

 「40ユーロで御座います...」


 しばらく値引き交渉もしてみたがまったく値引かず、この寒い中、外で待ち続けるの「チキンナンバーワン」の称号を持つ私にはちょっと無理がある。「怖いに決まっているのだ...!!」。一晩怖さと寒さに震え続けるなど私の辞書には載っていない!!

 当然悩みはしたがこの際は自棄だ!!泊まってやる。


 もう0000時だ。とりあえずシャワーを浴びて今日の疲れを癒すことにする。

 蛇口をひねるがお湯がすぐ出てこない。

 こんなのも経験済みだ。5分か長くても10分待てばいい...、その内お湯が出るようになる...

 そして30分...

 こいつはありえない、お湯が一向に出てこない...、レセにいって苦情を言っても「ひねればその内お湯になる」と言われるばかりだ...

 さらに30分、もう一度行って聞くと「俺はバーの人間で明日の朝苦情を言ってくれ」と言われる...


 しょうがない、もう寝るしかない...


 そして朝...苦情を言って確認してもらうと...


 「あっ!本当だ!!!お湯にならない...」


 とりあえずお湯にならないことは確認した。その分のキャッシュバックがあってもいいだろう...

 しかし...

 苦情を申し立てても

 「いつもはこんなことはない、今日だけだ、それに払い戻しの制度は無い...」

 と、言うばかりだ...、確かに案内に「ホットシャワーは必ず出ます」なんて書いてはいないが...

 「40ユーロ...」

 今回最高額を払ったホテルで...、この冬の季節になんで水シャワーを浴びねばならないんだ...!!


 出発の時間はもうせまっていた!ここで揉めてもう一晩宿泊するなどとは考えられない。キャリーパックを引き摺りホテルの外に出る...


 それにしても...

 リュブリャーナ出発以降、確かに「計画は完璧」だった筈だ!!

 なのに...

 こんな目に遭い続けなければいけないなんてぇ~...


 今回のセカンドミッションのヨーロッパ地域でこれ以上の値段で宿に泊まることもこんなに連続して高い出費をし続けることも無かった...。そしてその事がこの「悲劇」をよりいっそうの「痛恨事」にしてしまったということは言うまでも無いことであろう...




 どうやらこれでお分かりいただけただろう...

 私が「伊達にプロフェッショナルを名乗っている」訳ではなく「ただプロフェッショナルを名乗っている」だけだと言うことが...(涙)





写真は今回の東欧周遊中に最高額の宿泊費をたたき出した「お湯なし!」ホテル...