あらすじ:
舞台国ザンビア
アフリカ南部にザンビアという国があることをご存知だろうか?世界3台瀑布の一つビクトリアフォールズがある以外にこれと言った見所が無く、またこのビクトリアフォールズもジンバブエという国からもみれる為に多くの多くの旅行者にとってただの通過点、もしくは省いてしまってもいいような国である。この私も御多聞に漏れずプロとして見るべきものをさっさと終えたらつうかする予定であった。しかし、たった一人の男の登場により私はここで出入国3回、期間も3ヶ月間にまたがる長期に渡る戦いを余儀なくされる事となった。
その奴の名は...
「アンゴラボーイ」
果たしてこの強敵を退けて次なる目的地へ旅立つ事は出来るのか?
どうする!ゴルコサーティーワン!!
舞台マップ
第1章 ルサカ到着
ザンビアの首都ルサカにはマラウィを抜けて2005年5月21日に到着、土曜日の夜に到着したので翌日の日曜日は市内をちょろっと散策しただけでのんびりとしていた。
今の私にはこの先の旅を続けるのにあたって懸案事項があった。今の所の計画ではアフリカ大陸の東側を南下し、そして南アフリカのケープタウンまで行ってから北上するつもりだ。そしてその為にはアンゴラという国を通過しなければいけなくなる。
しかしこのアンゴラが曲者で、今まで私の集めた情報によるとこの国のビザの取得は困難らしい。それにケープタウンから中央アフリカ地域に北上していった者はここ最近いないので結局この先私の通過する国の全てで大使館によってビザの取得が可能かどうかあたっていく必要があった。アフリカ各国のビザはいい加減この上なく、場所によって取得出来る出来ないがあったり、また料金もまちまちだ。賄賂の料で料金の格差が生まれているのかもしれない。
明けて月曜日、早速ここルサカでアンゴラ大使館を探す。ザンビアは西側をアンゴラと接しているのでまあ大使館くらいはあるだろう。しかし観光案内所に言って場所を確認しても「分からない」と言われたので、そうなればと日本大使館に行くと日本人の職員は不在であったが現地人職員が教えてくれる。しかしその場所を探して行くと「去年まではここにあったが今年になって移転した」と言われてしまう。
これも良くある事だ。大使館がまるでジプシーのようにころころ移転してしまう。しかし、ザンビア政府の観光案内所がその現在地を掴んでいないというのもいい加減な話だがこれも「アフリカ」らしい特質の一つだろう。
翌5月24日の火曜日、再度日本大使館に行くと今度は日本人職員がいて正規の場所、それも地図付を貰う事が出来る。この丁寧さは日本人ならではのものだ。時間は1030時となっていたが午前中にはアンゴラ大使館に到着できるのでその足で向かう。アンゴラ大使館には1100時に到着。
入ろうとすると門番に止められ「ビザのセクションは1100時までだ!」といわれるがこちらは気にしていない、ここでビザが取れるとは余り考えてなかったしまあ「ここで取得不可能」とはっきりさせておけばこの先2度とここにこなくて済む様にもなる。無理矢理にお願いしてビザセクションへ通してもらい査証担当官に会うことが出来た。ドラゴンボールという漫画に出てきたピッコロ星人のマジュニアに似たその男にビザの取得について問い合わせると
「レジデンス(この国に在住している者)以外に観光ビザの発給はしない」
という回答である。
私の心に「やはりここは駄目なんだな」と納得させるものがあり、まあこれでもう「ザンビアでのアンゴラビザ取得の可能性は消えた」ので次の行動に移ることにした。
第2章 Kという名の男
アンゴラビザを諦めこの国随一の...、唯一の観光名所、ビクトリアフォールズを見に行く事にする。ここでタンザニアで知り合った日本人の旅行者と再合流も出来たので一緒に行く事となった。ビクトリアフォールズへはルサカからその起点の町リビングストーンへ7時間ぐらい、そしてそこからはリビングストーンで泊まったバックパッカーズの無料送迎バスを利用した。彼はそのままジンバブエーボツワナと抜けるつもりだったが、私はジンバブエの首都ハラレが見たかったのでここで別れ、そしてリビングストーンでもう1泊することにした。
そしてその日の夜だった、私を日本人と見て取って若い日本人の旅行者が話しかけてくる。仮にKと名付けておこうか。聞けば凄い男で20歳から始めてもう7年も旅を続け、歴訪した国も120カ国を超えている。彼も私と同じように東からアフリカを下り、これから西を北上して一周する予定らしい。私は気になっていたアンゴラビザの事を問いかけると彼はこう答えてくれる。
「ちょっと待ちますけどザンビアで取れますよ!!僕の場合は毎日通って結局3週間くらいかかりましたけど。そうそう他の国(彼はもう南部諸国の周遊を終えていた)では全部無理でした。アンゴラビザはザンビアで取得するしかないですよ!!!」
うーん?俺が行って確認したのはなんだったんだろう...、彼はつい最近取得したばかりのビザを見せてくれて、ザンビアでの取得方法も説明してくれた。
もう一回確認するだけしてみるか...
第3章 あの「タナカ」との出会い
5月30日の月曜日、ルサカに戻った私は朝早くから早速日本大使館に行く。アンゴラビザの取得には日本大使館のレター(旅行者には通常リコメンデーションレターと言われる物、実際は日本大使館が本当にぜひとも彼を入国させて下さいと推薦しているわけではなくこの者は間違いなく日本人でこの期間貴国に入国したがっていると書いてある物)が必要だからだ。
0900時、到着して領事担当者に会おうと入っていくと既に他の旅行者と思しき男も来ていた。
陣内孝則似のバックパッカーにしては妙に小ざっぱりとしていてキレイなジージャンを着た男にアフリカでは珍しいタイプだと思い話しかけてみる。
「旅行者の方ですか??」
「はい、旅行者ですけどバックパッカーではありません、ツーリストです」
「???」
「いやぁ~、バックパッカーって汚い身なりして礼儀も知らず野人みたいな奴らばっかりでしょう、ああいうのは嫌いでして・・・僕はツーリストなんですよ」
「なんでそんな奴がアフリカに・・・???」
私も普通バックパッカーと言われるもの達に比べれば小ざっぱりした服装は心がけているし選択も小まめにしているが・・・、人にこんな説明してくる奴は初めてだった。
私がちょっときょとんとしていると
「いやー旅の基点はパリで、そこにアパートを持ってる友人がいるのでヨーロッパ旅行なんですよ。まあアフリカはカイロで知り合った旅行者が面白いといっていたのでまあ“ヨーロッパ旅行の”ついで“に来てみたんですよ”」
とさらに言ってくる。さらに聞くとアフリカの東側の国をもう既に結構いい数を回っている。ただこう言うからにはケープタウンに行ってそこからフライトでヨーロッパにでも戻るつもりなのかと思っていると、
「ザンビアでコンゴかアンゴラが抜けられれば陸路で北上してヨーロッパに戻るんですよ」
と言っている・・・
「ヨーロッパ旅行者か?これが・・・??」
さらによくよく今迄の滞在期間を聞いてみるとヨーロッパより明らかに長くアフリカに滞在している。アフリカ旅行者と言っても過言ではないくらいだ。
さらにビックリしたのは宿泊場所だった。
「いやぁ~、いま妙法寺という寺に泊まってるんですよ、宿泊はただ、まあでもその代わりに畑を耕したりして奉仕活動しなければいけないんですけどね・・・」
「!!!!!!!!!!(絶句)」
いや、まて、ちょっと話を整理してみよう。
1.パリが基点でヨーロッパ旅行者
2.現在はアフリカ旅行中でヨーロッパより長期旅行している。
3.薄汚いバックパッカーが嫌いで自称ツーリストを名乗っている。
4.宿は寺で畑を耕す。バックパッカー以上に薄汚れるのは目に見えている。
うーん、なんという摩訶不思議な男だろうか??
名は「タナカ」と言っている。
日本人にとっては珍しくない名前だ、私にしたってそれ程多く経験しているわけではないが今まで人生を駆け抜けてきたタナカは少なく見積もっても10人はくだらないだろう。しかしこんな「タナカ」は初めてである。
そしてこれがこの「タナカ」という男とのファーストコンタクトとなった。
第4章 対アンゴラビザ取得戦線 作戦開始
タナカ氏とひとしきり話しているうちに私のレターが完成する。タナカ氏もアンゴラ用のレターを書いて貰って二人でアンゴラ大使館へと訪ねる事となった。
大使館に到着すると先日私の応対をした男がいて私の顔をみるなり
「レジデンスのみだ!」
と強圧的に言ってくる。しかし私がKから聞いた話では日本人に発給していた筈なので「私達は日本人で知人がビザの発給をここで受けれたのに駄目なのだろうか?」と確認すると
「何、日本人か?中国人かと思っていた」
と答えが返ってくる。
確かに前回俺から日本人とは言わなかったが、コイツは俺を外見だけで判断してやがったのか...!そう言えばマジュニアのような顔をしたコイツは態度も偉そうだし何か人を見下したと言う感じもある。
「まあビザは出せるけど今日は時間が遅いので申請用紙を渡すから明日又持って来い、そうそうビザは本国照会もあるから申請してから2週間待ちになる。パスポートはその間特にこちらで預からないから君達が持っていていい」
ということである。しかし時間は1040時頃、午前中は1100時までとしてまだ20分はある、タナカ氏がちょっとじれて彼にこう聞いた。
「今から記入して申請しても駄目か?」
「今日は駄目だ、明日持って来い」
「いや、明日ちょっとこれないから今日書いて出させてくれ!」
タナカ氏がこう問いかけると我々に渡していた申請用紙をやにわに取り上げ一言
「じゃあアンゴラビザはいらないんだな・・・」
出たっ!必殺のこの一言!!
ビザの申請なんて始から入国しようと思った方の負け戦だ。こちらはどうあってもビザが欲しいしビザが取得できない事には旅行計画全てが狂ってしまう。
私がタナカ氏を制して彼に
「明日来る」
と伝えて申請用紙を取り戻し、そしてアンゴラ大使館を後にする。
しかし、この応対から言ってストレスの多いビザ取得になりそうだ。それに何はつけても偉そうな態度を取るあのマジュニアは曲者だろう・・・タナカ氏はその日は寺に帰れなくなってしまい(ルサカ郊外に寺があるので)私と一緒にバックパッカーズにとまる事となった。
翌日5月30日、0900時のオープン時間に間に合うようにアンゴラ大使館を訪ねると彼はまだいない。
彼が到着したのは0930時、30分の遅刻だが一向に意に介する様子も無い。
我々は受付を済ませて申請用紙を提出する。料金も受領時払いとちょっと珍しい(大抵は先払い)。2週間後に発給ということなのでこの日はこれで御仕舞。アンゴラ大使館にはこれで後一回受領のときに行けばいい。
我々が門を出るとき、現地人(ザンビア人)の雇われの清掃人が笑顔で話しかけてくる。
「おいっ、あのボーイ(小僧)は嫌な奴だろう、まあ頑張りなよ!!」
奴は現地人にも嫌われているらしい・・・
かくしてマジュニア顔の領事担当者は我々の間でコードネーム「アンゴラボーイ」として認識をされることとなった。
タナカ氏は寺に戻るので別れ、私はこの後の行動を思案する。
2週間はちょっと長い、幸いパスポートは俺が持っているから物価の安いジンバブエにでも行って来るか。
そうして私はジンバブエに行き首都のハラレやグレートジンバブエを観光して、再度ここザンビアへ入国する事となった。
第5章 アンゴラビザ取得戦線 異常あり!!
ルサカには6月14日に戻ってきた、タナカ氏もルサカに出て来ており、翌15日早速アンゴラ大使館へ行く。アンゴラビザは60日有効の30日ビザなので、これで受領して残りの南部アフリカ諸国を回り、そしてナミビアからアンゴラに行けば十分に間に合う。
アンゴラ大使館には0900時に到着、前と同じように待って、そしてアンゴラボーイにあうと、意外な事を言われる。
「お前らのレターは7月1日アンゴラ入国となってるだろう。この入国予定日の2,3日前に来い・・・」
おいおい、それでは計画が台無しだ、それにそんな大事な事は最初に伝える事だろう・・・。
彼は受領日が変更になった事に悪びれる様子も無い。こっちが変更したからお前らはそれにあわせて来ればいいと高圧的な態度だ。
しかしそれでは最初の話と違うので私は再度こちらの計画を説明してそれでは無理だから何とかするようにお願いしてみても頑なに拒み続ける。ここでまた2週間も待ちたくなかったが、どうせ待つならそれを利用して南部アフリカ諸国を先に周遊することにするから日本大使館に行きレターを書き直して遅い日付に設定するから受領日を変えるようにとお願いしてもこんどは何故か最初の発給日を変えようとしてくれない。
私はもうこれ以上ザンビアで時間を使いたくなかったので
「分かった、ここでビザを取得するのは諦めるけど申請書類につけた写真ぐらいは返してくれ」
というと
「申請書類は本国に送っているから手元に無い」
と答えてくる。
そうこうして1時間ぐらいボーイと揉めていると彼の上役らしき者が部屋に入ってくる。コイツの外見はボクシングのプロモーターのドン・キングにそっくりだ。
ここぞとばかりに2人で事情を説明すると
「入国2、3日前だ、レターを書き換えるならその2、3日前に来い」
と、今度はボーイと違う答えだ。
まあそれならいい、レターの入国予定の日付を遅くしよう。
しかしそれにしても・・・ボーイはインチキ言いやがって・・・手前が仕事したくないだけだろうに・・・
ドン・キングがボーイに我々の書類の事をきくとボーイは自分の机から我々の書類を出してドン・キングに手渡す・・・
「あっ、あるじゃねえか・・・!!」
それにしてもボーイのこの誠意のかけらも無い偉そうな態度や自分のご都合中心主義には嫌になってしまう。確かにビザが欲しいのは我々でビザを出すか出さないかはボーイの権限だが・・・、俺が何か最初から喧嘩腰だったり、また彼の嫌がる何かをやった記憶も無いのに・・・。こんな嫌がらせして出すなら始から出せないと言い続けたほうがまだマシだ。
しかし、そうまでしてでもやっぱりアンゴラに行って見たい。そう思っている時点でこちらの負け戦なのだが・・・
その日新たな日本人旅行者と知り合う事になる。タナカ氏と同じ寺に宿泊する「イヌイ」と名乗る男は東南アジアからサンダル一つでずっと陸路を移動してザンビアに辿り着いたと言う強兵のバックパッカーだ。彼もアンゴラを抜けて北上をするらしい。
アンゴラビザの取得という共通の目的で出会ったこの3人、アンゴラにさえ行こうとしなければ一生で会うことも無かったであろう我々はここで一大同盟を結成する事になった。旅行界で知る人ぞ知る、ということは知らない人は知らない、さらに付け足すと「全く知られていないこの3人」
「コノタナカ這這ノ体ニテ 」のタナカ氏、「イヌイ日記」のイヌイ氏(両氏のホームページはリンク先を参照)、そして本作「GOLCO31」のこのプロフェッショナル・デューク東城の夢の共演が今正に始まる事となった!
作戦名は「アンゴラボーイ」
この作戦名は実は彼らと別れた後で勝手に私が決めたもので、彼らに作戦名をつけたなんてことは特に言ってもいないからこの作戦名で動いている事を知っているのは私だけだったが・・・
しかし、ここザンビアで一つ小さな事件が起きた!
ザンビアのアンゴラ大使館は「サンダル入館禁止」ということでタナカ氏が大使館の外に出た時にイヌイ氏は彼の靴を借りての入館となったのだ。
イヌイ氏は180cmを超える大男でタナカ氏は私より少し背丈があるだけのそんなに大きくない男だった為に靴は当然イヌイ氏の足には小さすぎ、どう見ても靴をサンダル履きにせざるを得ないので、サンダルから靴に変えても余り意味のあることのようには思えなかったが・・・
早速分かった事は、イヌイ氏が靴を借りなければ大使館に入館出来ない為に、この共同戦線はその戦いのファーストステージから早くも脱落者を抱えての開戦となってしまったという何ともみっともない事実であった・・・
恐るべし、アンゴラ大使館・・・!!
翌日はアンゴラ大使館は休日だったので、翌々日に新しいレターとともに再申請をする。日付の変更を説明し、その2日前に来るがそれで良いのかと確認すると向こうも了承する。今回の事は彼の上役ドン・キングにも確認したので今度こそ間違いなく受領できるだろう。
私の新しいレターの入国予定日は7月21日ということは7月19日にここに戻ればいいだろう、今日は6月17日なのでこれで南部を周る余裕は出来た。
ちょっとくどいがイヌイ氏はまだ靴を入手しておらず、タナカ氏と私の後でタナカ氏から靴を借りて入っていた事を明言しておこう。
アンゴラ大使館の外を出て、アンゴラビザ取得戦線の戦友となったタナカ、イヌイ両氏と固く握手を交わす・・・、という習慣は我々には特に無かったがまたの再会を約束し、ルサカで別れることとなった。彼らは寺に戻り、時期を見て南アにキャンプ用品を買いに行くらしい。私はすぐに南部アフリカ周遊だ。
しかし、今度戻ってきたときこそ本当にアンゴラビザを受領しなくては・・・
※鉄道駅付近から撮影したルサカ中心部、結構な都会に見えるかもしれないが、見えているもの以上の物は何もない・・・
※証拠に見えている高層ビルから3本くらい離れて(50mも離れていない)平行して走る道路の回りはこんな感じ・・・
舞台国ザンビア
アフリカ南部にザンビアという国があることをご存知だろうか?世界3台瀑布の一つビクトリアフォールズがある以外にこれと言った見所が無く、またこのビクトリアフォールズもジンバブエという国からもみれる為に多くの多くの旅行者にとってただの通過点、もしくは省いてしまってもいいような国である。この私も御多聞に漏れずプロとして見るべきものをさっさと終えたらつうかする予定であった。しかし、たった一人の男の登場により私はここで出入国3回、期間も3ヶ月間にまたがる長期に渡る戦いを余儀なくされる事となった。
その奴の名は...
「アンゴラボーイ」
果たしてこの強敵を退けて次なる目的地へ旅立つ事は出来るのか?
どうする!ゴルコサーティーワン!!
舞台マップ
第1章 ルサカ到着
ザンビアの首都ルサカにはマラウィを抜けて2005年5月21日に到着、土曜日の夜に到着したので翌日の日曜日は市内をちょろっと散策しただけでのんびりとしていた。
今の私にはこの先の旅を続けるのにあたって懸案事項があった。今の所の計画ではアフリカ大陸の東側を南下し、そして南アフリカのケープタウンまで行ってから北上するつもりだ。そしてその為にはアンゴラという国を通過しなければいけなくなる。
しかしこのアンゴラが曲者で、今まで私の集めた情報によるとこの国のビザの取得は困難らしい。それにケープタウンから中央アフリカ地域に北上していった者はここ最近いないので結局この先私の通過する国の全てで大使館によってビザの取得が可能かどうかあたっていく必要があった。アフリカ各国のビザはいい加減この上なく、場所によって取得出来る出来ないがあったり、また料金もまちまちだ。賄賂の料で料金の格差が生まれているのかもしれない。
明けて月曜日、早速ここルサカでアンゴラ大使館を探す。ザンビアは西側をアンゴラと接しているのでまあ大使館くらいはあるだろう。しかし観光案内所に言って場所を確認しても「分からない」と言われたので、そうなればと日本大使館に行くと日本人の職員は不在であったが現地人職員が教えてくれる。しかしその場所を探して行くと「去年まではここにあったが今年になって移転した」と言われてしまう。
これも良くある事だ。大使館がまるでジプシーのようにころころ移転してしまう。しかし、ザンビア政府の観光案内所がその現在地を掴んでいないというのもいい加減な話だがこれも「アフリカ」らしい特質の一つだろう。
翌5月24日の火曜日、再度日本大使館に行くと今度は日本人職員がいて正規の場所、それも地図付を貰う事が出来る。この丁寧さは日本人ならではのものだ。時間は1030時となっていたが午前中にはアンゴラ大使館に到着できるのでその足で向かう。アンゴラ大使館には1100時に到着。
入ろうとすると門番に止められ「ビザのセクションは1100時までだ!」といわれるがこちらは気にしていない、ここでビザが取れるとは余り考えてなかったしまあ「ここで取得不可能」とはっきりさせておけばこの先2度とここにこなくて済む様にもなる。無理矢理にお願いしてビザセクションへ通してもらい査証担当官に会うことが出来た。ドラゴンボールという漫画に出てきたピッコロ星人のマジュニアに似たその男にビザの取得について問い合わせると
「レジデンス(この国に在住している者)以外に観光ビザの発給はしない」
という回答である。
私の心に「やはりここは駄目なんだな」と納得させるものがあり、まあこれでもう「ザンビアでのアンゴラビザ取得の可能性は消えた」ので次の行動に移ることにした。
第2章 Kという名の男
アンゴラビザを諦めこの国随一の...、唯一の観光名所、ビクトリアフォールズを見に行く事にする。ここでタンザニアで知り合った日本人の旅行者と再合流も出来たので一緒に行く事となった。ビクトリアフォールズへはルサカからその起点の町リビングストーンへ7時間ぐらい、そしてそこからはリビングストーンで泊まったバックパッカーズの無料送迎バスを利用した。彼はそのままジンバブエーボツワナと抜けるつもりだったが、私はジンバブエの首都ハラレが見たかったのでここで別れ、そしてリビングストーンでもう1泊することにした。
そしてその日の夜だった、私を日本人と見て取って若い日本人の旅行者が話しかけてくる。仮にKと名付けておこうか。聞けば凄い男で20歳から始めてもう7年も旅を続け、歴訪した国も120カ国を超えている。彼も私と同じように東からアフリカを下り、これから西を北上して一周する予定らしい。私は気になっていたアンゴラビザの事を問いかけると彼はこう答えてくれる。
「ちょっと待ちますけどザンビアで取れますよ!!僕の場合は毎日通って結局3週間くらいかかりましたけど。そうそう他の国(彼はもう南部諸国の周遊を終えていた)では全部無理でした。アンゴラビザはザンビアで取得するしかないですよ!!!」
うーん?俺が行って確認したのはなんだったんだろう...、彼はつい最近取得したばかりのビザを見せてくれて、ザンビアでの取得方法も説明してくれた。
もう一回確認するだけしてみるか...
第3章 あの「タナカ」との出会い
5月30日の月曜日、ルサカに戻った私は朝早くから早速日本大使館に行く。アンゴラビザの取得には日本大使館のレター(旅行者には通常リコメンデーションレターと言われる物、実際は日本大使館が本当にぜひとも彼を入国させて下さいと推薦しているわけではなくこの者は間違いなく日本人でこの期間貴国に入国したがっていると書いてある物)が必要だからだ。
0900時、到着して領事担当者に会おうと入っていくと既に他の旅行者と思しき男も来ていた。
陣内孝則似のバックパッカーにしては妙に小ざっぱりとしていてキレイなジージャンを着た男にアフリカでは珍しいタイプだと思い話しかけてみる。
「旅行者の方ですか??」
「はい、旅行者ですけどバックパッカーではありません、ツーリストです」
「???」
「いやぁ~、バックパッカーって汚い身なりして礼儀も知らず野人みたいな奴らばっかりでしょう、ああいうのは嫌いでして・・・僕はツーリストなんですよ」
「なんでそんな奴がアフリカに・・・???」
私も普通バックパッカーと言われるもの達に比べれば小ざっぱりした服装は心がけているし選択も小まめにしているが・・・、人にこんな説明してくる奴は初めてだった。
私がちょっときょとんとしていると
「いやー旅の基点はパリで、そこにアパートを持ってる友人がいるのでヨーロッパ旅行なんですよ。まあアフリカはカイロで知り合った旅行者が面白いといっていたのでまあ“ヨーロッパ旅行の”ついで“に来てみたんですよ”」
とさらに言ってくる。さらに聞くとアフリカの東側の国をもう既に結構いい数を回っている。ただこう言うからにはケープタウンに行ってそこからフライトでヨーロッパにでも戻るつもりなのかと思っていると、
「ザンビアでコンゴかアンゴラが抜けられれば陸路で北上してヨーロッパに戻るんですよ」
と言っている・・・
「ヨーロッパ旅行者か?これが・・・??」
さらによくよく今迄の滞在期間を聞いてみるとヨーロッパより明らかに長くアフリカに滞在している。アフリカ旅行者と言っても過言ではないくらいだ。
さらにビックリしたのは宿泊場所だった。
「いやぁ~、いま妙法寺という寺に泊まってるんですよ、宿泊はただ、まあでもその代わりに畑を耕したりして奉仕活動しなければいけないんですけどね・・・」
「!!!!!!!!!!(絶句)」
いや、まて、ちょっと話を整理してみよう。
1.パリが基点でヨーロッパ旅行者
2.現在はアフリカ旅行中でヨーロッパより長期旅行している。
3.薄汚いバックパッカーが嫌いで自称ツーリストを名乗っている。
4.宿は寺で畑を耕す。バックパッカー以上に薄汚れるのは目に見えている。
うーん、なんという摩訶不思議な男だろうか??
名は「タナカ」と言っている。
日本人にとっては珍しくない名前だ、私にしたってそれ程多く経験しているわけではないが今まで人生を駆け抜けてきたタナカは少なく見積もっても10人はくだらないだろう。しかしこんな「タナカ」は初めてである。
そしてこれがこの「タナカ」という男とのファーストコンタクトとなった。
第4章 対アンゴラビザ取得戦線 作戦開始
タナカ氏とひとしきり話しているうちに私のレターが完成する。タナカ氏もアンゴラ用のレターを書いて貰って二人でアンゴラ大使館へと訪ねる事となった。
大使館に到着すると先日私の応対をした男がいて私の顔をみるなり
「レジデンスのみだ!」
と強圧的に言ってくる。しかし私がKから聞いた話では日本人に発給していた筈なので「私達は日本人で知人がビザの発給をここで受けれたのに駄目なのだろうか?」と確認すると
「何、日本人か?中国人かと思っていた」
と答えが返ってくる。
確かに前回俺から日本人とは言わなかったが、コイツは俺を外見だけで判断してやがったのか...!そう言えばマジュニアのような顔をしたコイツは態度も偉そうだし何か人を見下したと言う感じもある。
「まあビザは出せるけど今日は時間が遅いので申請用紙を渡すから明日又持って来い、そうそうビザは本国照会もあるから申請してから2週間待ちになる。パスポートはその間特にこちらで預からないから君達が持っていていい」
ということである。しかし時間は1040時頃、午前中は1100時までとしてまだ20分はある、タナカ氏がちょっとじれて彼にこう聞いた。
「今から記入して申請しても駄目か?」
「今日は駄目だ、明日持って来い」
「いや、明日ちょっとこれないから今日書いて出させてくれ!」
タナカ氏がこう問いかけると我々に渡していた申請用紙をやにわに取り上げ一言
「じゃあアンゴラビザはいらないんだな・・・」
出たっ!必殺のこの一言!!
ビザの申請なんて始から入国しようと思った方の負け戦だ。こちらはどうあってもビザが欲しいしビザが取得できない事には旅行計画全てが狂ってしまう。
私がタナカ氏を制して彼に
「明日来る」
と伝えて申請用紙を取り戻し、そしてアンゴラ大使館を後にする。
しかし、この応対から言ってストレスの多いビザ取得になりそうだ。それに何はつけても偉そうな態度を取るあのマジュニアは曲者だろう・・・タナカ氏はその日は寺に帰れなくなってしまい(ルサカ郊外に寺があるので)私と一緒にバックパッカーズにとまる事となった。
翌日5月30日、0900時のオープン時間に間に合うようにアンゴラ大使館を訪ねると彼はまだいない。
彼が到着したのは0930時、30分の遅刻だが一向に意に介する様子も無い。
我々は受付を済ませて申請用紙を提出する。料金も受領時払いとちょっと珍しい(大抵は先払い)。2週間後に発給ということなのでこの日はこれで御仕舞。アンゴラ大使館にはこれで後一回受領のときに行けばいい。
我々が門を出るとき、現地人(ザンビア人)の雇われの清掃人が笑顔で話しかけてくる。
「おいっ、あのボーイ(小僧)は嫌な奴だろう、まあ頑張りなよ!!」
奴は現地人にも嫌われているらしい・・・
かくしてマジュニア顔の領事担当者は我々の間でコードネーム「アンゴラボーイ」として認識をされることとなった。
タナカ氏は寺に戻るので別れ、私はこの後の行動を思案する。
2週間はちょっと長い、幸いパスポートは俺が持っているから物価の安いジンバブエにでも行って来るか。
そうして私はジンバブエに行き首都のハラレやグレートジンバブエを観光して、再度ここザンビアへ入国する事となった。
第5章 アンゴラビザ取得戦線 異常あり!!
ルサカには6月14日に戻ってきた、タナカ氏もルサカに出て来ており、翌15日早速アンゴラ大使館へ行く。アンゴラビザは60日有効の30日ビザなので、これで受領して残りの南部アフリカ諸国を回り、そしてナミビアからアンゴラに行けば十分に間に合う。
アンゴラ大使館には0900時に到着、前と同じように待って、そしてアンゴラボーイにあうと、意外な事を言われる。
「お前らのレターは7月1日アンゴラ入国となってるだろう。この入国予定日の2,3日前に来い・・・」
おいおい、それでは計画が台無しだ、それにそんな大事な事は最初に伝える事だろう・・・。
彼は受領日が変更になった事に悪びれる様子も無い。こっちが変更したからお前らはそれにあわせて来ればいいと高圧的な態度だ。
しかしそれでは最初の話と違うので私は再度こちらの計画を説明してそれでは無理だから何とかするようにお願いしてみても頑なに拒み続ける。ここでまた2週間も待ちたくなかったが、どうせ待つならそれを利用して南部アフリカ諸国を先に周遊することにするから日本大使館に行きレターを書き直して遅い日付に設定するから受領日を変えるようにとお願いしてもこんどは何故か最初の発給日を変えようとしてくれない。
私はもうこれ以上ザンビアで時間を使いたくなかったので
「分かった、ここでビザを取得するのは諦めるけど申請書類につけた写真ぐらいは返してくれ」
というと
「申請書類は本国に送っているから手元に無い」
と答えてくる。
そうこうして1時間ぐらいボーイと揉めていると彼の上役らしき者が部屋に入ってくる。コイツの外見はボクシングのプロモーターのドン・キングにそっくりだ。
ここぞとばかりに2人で事情を説明すると
「入国2、3日前だ、レターを書き換えるならその2、3日前に来い」
と、今度はボーイと違う答えだ。
まあそれならいい、レターの入国予定の日付を遅くしよう。
しかしそれにしても・・・ボーイはインチキ言いやがって・・・手前が仕事したくないだけだろうに・・・
ドン・キングがボーイに我々の書類の事をきくとボーイは自分の机から我々の書類を出してドン・キングに手渡す・・・
「あっ、あるじゃねえか・・・!!」
それにしてもボーイのこの誠意のかけらも無い偉そうな態度や自分のご都合中心主義には嫌になってしまう。確かにビザが欲しいのは我々でビザを出すか出さないかはボーイの権限だが・・・、俺が何か最初から喧嘩腰だったり、また彼の嫌がる何かをやった記憶も無いのに・・・。こんな嫌がらせして出すなら始から出せないと言い続けたほうがまだマシだ。
しかし、そうまでしてでもやっぱりアンゴラに行って見たい。そう思っている時点でこちらの負け戦なのだが・・・
その日新たな日本人旅行者と知り合う事になる。タナカ氏と同じ寺に宿泊する「イヌイ」と名乗る男は東南アジアからサンダル一つでずっと陸路を移動してザンビアに辿り着いたと言う強兵のバックパッカーだ。彼もアンゴラを抜けて北上をするらしい。
アンゴラビザの取得という共通の目的で出会ったこの3人、アンゴラにさえ行こうとしなければ一生で会うことも無かったであろう我々はここで一大同盟を結成する事になった。旅行界で知る人ぞ知る、ということは知らない人は知らない、さらに付け足すと「全く知られていないこの3人」
「コノタナカ這這ノ体ニテ 」のタナカ氏、「イヌイ日記」のイヌイ氏(両氏のホームページはリンク先を参照)、そして本作「GOLCO31」のこのプロフェッショナル・デューク東城の夢の共演が今正に始まる事となった!
作戦名は「アンゴラボーイ」
この作戦名は実は彼らと別れた後で勝手に私が決めたもので、彼らに作戦名をつけたなんてことは特に言ってもいないからこの作戦名で動いている事を知っているのは私だけだったが・・・
しかし、ここザンビアで一つ小さな事件が起きた!
ザンビアのアンゴラ大使館は「サンダル入館禁止」ということでタナカ氏が大使館の外に出た時にイヌイ氏は彼の靴を借りての入館となったのだ。
イヌイ氏は180cmを超える大男でタナカ氏は私より少し背丈があるだけのそんなに大きくない男だった為に靴は当然イヌイ氏の足には小さすぎ、どう見ても靴をサンダル履きにせざるを得ないので、サンダルから靴に変えても余り意味のあることのようには思えなかったが・・・
早速分かった事は、イヌイ氏が靴を借りなければ大使館に入館出来ない為に、この共同戦線はその戦いのファーストステージから早くも脱落者を抱えての開戦となってしまったという何ともみっともない事実であった・・・
恐るべし、アンゴラ大使館・・・!!
翌日はアンゴラ大使館は休日だったので、翌々日に新しいレターとともに再申請をする。日付の変更を説明し、その2日前に来るがそれで良いのかと確認すると向こうも了承する。今回の事は彼の上役ドン・キングにも確認したので今度こそ間違いなく受領できるだろう。
私の新しいレターの入国予定日は7月21日ということは7月19日にここに戻ればいいだろう、今日は6月17日なのでこれで南部を周る余裕は出来た。
ちょっとくどいがイヌイ氏はまだ靴を入手しておらず、タナカ氏と私の後でタナカ氏から靴を借りて入っていた事を明言しておこう。
アンゴラ大使館の外を出て、アンゴラビザ取得戦線の戦友となったタナカ、イヌイ両氏と固く握手を交わす・・・、という習慣は我々には特に無かったがまたの再会を約束し、ルサカで別れることとなった。彼らは寺に戻り、時期を見て南アにキャンプ用品を買いに行くらしい。私はすぐに南部アフリカ周遊だ。
しかし、今度戻ってきたときこそ本当にアンゴラビザを受領しなくては・・・
※鉄道駅付近から撮影したルサカ中心部、結構な都会に見えるかもしれないが、見えているもの以上の物は何もない・・・
※証拠に見えている高層ビルから3本くらい離れて(50mも離れていない)平行して走る道路の回りはこんな感じ・・・