どんぎょんダイアリー

ドンワン(シンファ)、イム・テギョンさんが大好きです^^

‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)' 死、愛を完成できる唯一の道

2014-12-04 | イム・テギョン
ミュージカル 황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’記事です。。。


ソウル公演もあと1か月になりましたね・・・


韓国は初雪も降ってかなり寒くなってきたようですが、マッコンまで
体調を崩さずにがんばってほしいです


テギョンさん、ふぁいてぃん~




※コメント欄、外してます。。。






‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)' 死、愛を完成できる唯一の道






In Liebe vereint bis in den Tod

‘死を越えて愛の中で一つになる’メンセロ サッド エンディング ラブストーリーの古典‘ロミオ&ジュリエット’から休息を許諾したミュージカル
‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は、皇太子の自殺の有無に対する歴史的論争は別に置いても‘世界を揺るがした危険な愛’というノンフィク
ションの素材有無を離れて多様な見どころを提供する作品だ。

主人公ルドルフ皇太子はハプスブルク王家の血統を継承したしオーストリア-ハンガリー帝国の正統性を続く後継者だったが、残念なことに自身の
政略結婚に適応できなかったし身分が違うマリ・ヴェッツェラと愛に陥って悲劇的な最後を迎えることになる。

作品の前・後部を全て離してしまい一文章で要約しようとするならあらすじはこれが全て。いわゆる‘幕場’コードだ。現代版で打とうとするなら、生ま
れる時からあらゆる事を持ったが慕情が恋しく優柔不断だった妻帯者が一歩遅れて美しくて賢いお嬢さんに会って権威的で家の名誉を守ろうと思う
父親と自身の自尊心よりは対外的なイメージがさらに重要だった妻に崩れる朝ドラマの素材で似合うと見ることもできる。

‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は2006年ハンガリーで初演をして以来日本、オーストリアなどそれぞれのプロダクションごとに風変わりな差異を
置いた。特にウィーンバージョンが自国の歴史だっただけに政治的・歴史的事実を強調したとすれば、国内バージョンはルドルフとマリの悲劇的な
愛を切なく描き出すのに主眼点を合わせている。

ヨーロッパ、皇帝、貴族、守ろうとする者、身分常勝、そして禁止された愛。このミュージカル、韓国での興行要素は全て備えた。






Love never dies.

信じるか、信じないかの差異だろうが、愛の不滅性は‘愛’をテーマとして作品に陳腐なように登場する主題だ。‘オペラ座の怪人’でファントムの
愛もそうだったし、西洋文化圏で最も恐ろしいオカルトの存在でロマンチストに変貌した'ドラキュラ'もやはり愛のために魂を投げて500年を待った
存在で再解釈したりもする。

ルドルフとマリもやはり愛が不滅という信頼があったので死を終わりでなく一つになるための過程で受け入れることができたことではないのか?
大帝国の皇帝より平凡な人生を夢見た皇太子が自身が願う愛に達するところは結婚でなく死であることもあっただろう。

この作品で愛を前に置いて数えきれない程恐れるなと要請するのは、克服しなければならないことが身分の差異や周辺の反対でないそれを越えて
命をかけなければならない問題だったためなのかも分からない。

変化を渇望したルドルフは一生を懐かしがったがついに触れることのなかった母親エリザベートの自由な魂がそのまま似ていたマリからの愛はもち
ろん、過去の傷に対する補償と未来まで全てのものを夢見ただろう。

二人の恋人が亡くなって夢はこわれた。そして作品は悲劇だ。しかし愛は死なないという信頼と、‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’がなぜ恋人たちが
必ず見なければならない作品に選ばれるのか確認しようと思うならばカーテンコールが終る時まで席を守ることを推薦する。彼らは死で愛を守った。






悪い人はいない。 他人だけいる。

ルドルフは政治的な問題で父親フランツ・ヨーゼフ1世とことごとく対立する。‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は約100年余り前の切ないラブ
ストーリーだが今私たちの社会に存在する葛藤と対立を同じように抱いている。

身分制の社会が資本で序列化されることで変わっただけ‘保守’と‘進歩’で二分される構図は相変わらずで、言論を置いて統制と自律を論じる
のも変わることがなく、既存世代と若い世代が疎通の困難を経験しているのも違わない。

主人公であるルドルフの観点で見る時、皇帝とタペ首相は絶対的な旧悪を代弁する。ウィーンで新しい劇場が開かれる行事に飛び込んで拳銃
自殺をした庶民少女の死を度外視する姿はこれを傍証する。

しかし方法と考えの差で見ることもできる。ルドルフがハンガリーの独立に加担するという決定を下すのは国家と国民のための決定だった。だが
皇帝もやはり国家と満足、そして歴史を前面に出してこのようなルドルフの選択に絶叫する。

タペ首相もやはり同じだ。このすべての悲劇を作ったような人物であるタペ首相もやはり、結局目的は固い帝国が揺れることなく維持されるように
守るということだった。

マリの後見人だったラリシュ夫人もやはり、ルドルフの意中を理解するが積極的に支持できなくてその選択がどれくらい大きい犠牲を呼び起こす
ことになるのかどうかに胸が痛がるだけだ 同床異夢と別の道を行く彼らの痛い現実が強い以前にも同じ姿で存在していた。

もしかしたら‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は単純なラブストーリーでないかもしれない。






皇太子の全てのもの

ルドルフの恋人マリは思想的役割ではタペ首相と相反する役割でもある。皇帝の政治的信念を強固にしてこれを先立って実行して現実化させた
のがタペ首相ならば、隠れていたルドルフに銃を与えたのはマリであった。

‘二都物語’の‘マダム トゥパルジ’のように積極的高激烈ではないけれど、彼女は推進力なくルドルフに強力な触媒であった。

マリはヴェッツェラ一族を起こすために金持ちの家に嫁入りしろとの親戚ラリシュ伯爵夫人の紹介で社交界に入門したが、目標になったブラカン者で
ないルドルフの恋人になる。

マリは‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’より急進的な社説を新聞に寄稿したルドルフのまた他の名前である‘ユリウス・フェリックス’をさらに愛した。
ルドルフは彼女に春がくればマイオリングは世の中で最も美しいところだと話したが、マイオリングの春は彼らを待つことができなかった。

ルドルフに夢見た新しい全てのものはマリそれ自体だったように、マリもやはりルドルフがそうだった。ルドルフが夢をかなえることができなかったが、
マリは彼を捨てなかった。






'그가 없는 삶(彼がいない人生)’

初めから険しくドアを開けて悪女の標本で登場するステファニー皇太子妃は権力欲に陥って抜けられない姿を見せる。ルドルフが自身を愛しないと
いうことを分かりながらもルドルフの面前で彼の横の席は自身のことだと絶叫する。

ルドルフとマリの不倫現場を目撃してルドルフの数多くの浮気を分かっても黙認する。権力だけ持てば愛はなくてもかまわない女だと考えることが
できるが他の見方をすればクールな女だ。

針で刺しても血一滴出てこないと思った女ステファニーの反転は作品末に達して、聖堂でマリと向き合って現れる。

17才にルドルフと結婚式を挙げた聖堂で過去を回想して皇太子妃としての重さを告白するステファニーがマリと共にする‘그가 없는 삶(クガ オンヌン
サルム)’は、‘사랑이야(サラギヤ)’‘알 수 없는 그 곳으로(アルス オンヌン クゴスロ)’‘내일로 가는 계단(ネイロ カヌン ケダン)’等、フランク・ワイ
ルドホーンの名曲が並んでいるこの作品に隠れている名曲であり、国内公演のために追加されたナンバーの中の一つだ。

聖堂で遭遇したステファニーとマリは互いに交差してルドルフのいない人生を想像して‘永遠に離れて暮らせようか、胸が崩れ落ちてきた’と悲しみを
歌う。

二人の悲しみが同じ痛みを意味するのか違うのかは解釈次第かもしれないが、少なくとも声が鋭く険しいということを下ろしたステファニーの凄然だと
いう遺憾と、ルドルフとマリの‘ラブライン’に最も大きい障害物のようだった彼女もやはり、どれくらい大きい傷と荷物を抱いて暮らさなければならない
のかを見せた場面だった。

去る11月18日最終チケットオープンに入った‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は、来年1月4日までソウル D-CUBEアートセンターで公演される。
全てのものを全部持ったが愛だけは許諾受けられなかった不幸な皇太子ルドルフ役にはアン・ジェウク、イム・テギョン、Timがキャスティングされ、運
命を逆らう愛の女主人公マリ・ヴェッツェラはチェ・ヒョンジュ、キム・ボギョン、アン・シハが引き受けた。



@토요경제