‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’レビュー記事です。。。
最近はこのミュージカルOSTばかり聞いてる気がする~
ルドルフとマリのナンバーはもちろん素敵な曲ばかりだけど、ほかの
人たちが歌うナンバーもいいのでアルバム作ってほしいなあ・・・
開幕してもう1か月経ちましたね。
これからの季節にもピッタリな‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’
たくさんの方々に見てもらいたいなあと思います~
※コメント欄、外してます。。。
死を越えて愛で…ミュージカル‘루돌프(ルドルフ)’
愛は不滅する。いくら愛という名前が羽毛のように軽くなったといってもその命題は変わらない。そのような理由から‘胸をほじくりえぐる傷跡は
切なる愛の物語’は数世紀過ぎても相変らず健在な素材だ。ましてそれが実話ならば言うまでもない。実話をモチーフにしたミュージカル
‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は‘ロミオとジュリエット’から出発した話の典型が今でもどれくらい堅固なのかもう一度証明する作品だ。
ミュージカル‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は‘マイオリング事件’が背景だ。‘マイオリン事件’はハプスブルクの皇太子‘ルドルフ’が恋人
‘マリ・ヴェッツェラ’とともに自殺した事件だ。(他殺という主張もある。劇中では恋人が自殺することで幕を下ろす)
作品の話はルドルフを囲んだ周辺環境と軌道を共にする。ルドルフの死は第1次世界大戦の間接的な原因に選ばれるほど重要な事件だった。
だが彼が生きている間にできたことは仮名で新聞社にコラムを寄稿すること以外にはなかった。彼の家庭事情も複雑なことこの上ない。ルドルフは
一生旅行に出発していた親フランス的な母親と自身の圧迫する親独である父親の間で孤独だということと死闘して抑圧されたまま過ごさなければ
ならなかった。彼の周辺環境がすなわちミュージカル‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’の緊張感を作り出す動力であるわけだ。
作品の重要な脈絡は二種類だ。一つは歴史のうず巻きに立ったひとりの男、また、一つは死も引き離すことが出来なかった愛だ。作品は二種類を
美しく描写する。色々な状況はかわいそうな皇太子を圧迫して、死も辞さない愛は流麗なバラードナンバーに混ざってうっとりした雰囲気を演出する。
例えば二人が美しく降りしきる雪の中でキスを交わす部分でも、共に自殺することに決心する場面はそれ自体で心臓をたたくシークエンスだ。
だが、ミュージカルはルドルフを囲んだ周辺の圧迫を十分に表わすことができない。作品は政治的理想向けが凄惨に折れるほど二人の‘死で一つに
なる愛’が浮び上がるほかない構造だ。劇は親切代わりにルドルフの状況に対する間欠的な情報だけを流す。劇全体をぐるぐる巻かなければならない
世界情勢の変化は通り過ぎたりちらほらする。彼を孤立させる状況的背景が弱い二人の愛が観客の胸を深くかき散らしておくことができない。
それでもミュージカル‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は相変らず美しい。感性を刺激するのに卓越した‘フランク・ワイルドホーン’の流麗な
バラードは耳にじっくり絡みつく。‘알수 없는 그곳으로(アルス オンヌン ク ゴスロ)’‘사랑이야(サラギヤ)’、‘내일로 가는 계단(ネイロ カヌン
ケダン)’などはPOPだと呼んでも無色なほど大衆的親和的だ。愛の瞬間を最大化した柔らかいメロディも滑らかだ。ミュージカル‘몬테크리스토
(モンテクリスト)’、‘엘리자벳(エリザベート)’で映像効果を劇的に使ったロバート・ヨハンソンは、ミュージカル‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’
でもまたもう一度映像の魔法をプレゼントする。彼は制限された舞台にいくつかのパーテーションと映像だけで空間の自由を勝ち取った。
正統メローの忠実なこともミュージカル‘‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’の美徳だ。抑圧に固く締め付けられたルドルフがマリの信頼を基に
行動することを決心する姿は‘愛’が持ってくる‘変化’を崇高に描き出す。世の中からかすんできた愛の価値を呼び覚ます実話の力も作品の感
動に一役買う。
イム・テギョンはあたかも自身の服であるように‘ルドルフ’を消化する。クラシックな彼のイメージと声は高級な音楽と見事に遭遇する。音程、
拍子はもちろん高音と低音でも柔軟で‘聞く楽しみ’が大きい。‘マリ’役のキム・ボギョンはきれいで愛らしい演技で客席をひきつけた。小さな
体格から出る歌声も‘ルドルフ’と‘マリ’の愛のように力強かった。
ミュージカル‘황태자 루돌프(皇太子ルドルフ)’は2015年1月4日まで、D-CUBEアートセンターで公演される。
@NEWSTAGE