ドクトルかっちゃん[笑顔で元気] 1314KHzラジオ大阪OBC

ラジオ大阪(水) 17:45~パーソナリティーかっちゃん&仲みゆき・毎週お届けする医療健康情報です。

日本人の食生活と病気「日本食生活史年表」

2024-07-10 17:53:34 | 医療健康
不健康な生活習慣が病気を招きます。
特に食事は重要ですが、インスタント食品を買う人が沢山います。
糖質や脂肪過多でビタミン、ミネラル類など、大事な栄養素が不足すると様々な病気の原因になります。
特にインスタント食品はビタミンB1不足になると言われています。
昔から日本はビタミンB1不足で脚気が流行してきました。
初期症状は、疲れやすい、食欲不振、倦怠感で、神経や心臓に関連した症状も出始めます。
手足に力が入りにくくなり、感覚が鈍くなったりします。
心拍数が増えていくと動悸や下肢の浮腫みから心不全を発症する事もあります。
腸内細菌はビタミンB群を作ってくれるので、食の原点は和食です。
和食の始まりは縄文時代(期限前1000~600年)です。
大陸より稲作技術渡来
・平安時代 白米を食べていた貴族に脚気流行
・江戸時代 江戸、大阪で庶民の間にも白米常食による脚気流行
・明治10年 西南戦争で脚気患者多数発生
・明治27年 日清戦争で脚気患者多数発生
・明治37年 日露戦争で脚気患者25万人
・明治43年 村井玄斎夫人、脚気に炒り糠入り味噌の常食が効用有と説く
・大正2年 遠山椿吉、脚気予防に5分づき米を推奨・大正3年 玄米食が推奨される
・大正8年 脚気予防に玄米パン、糠入りパンが発売・大正12年 脚気死亡者2万6796名
・昭和6年 二木謙三、玄米普及食堂を開き、講習会を行う
・昭和18年 配給米が五分づき米となる
・昭和19年 六大都市の国民学校の給食、パン食のみとなる
・昭和25年 「タンパク質を摂りましょう」運動「ビタミンを摂りましょう」運動
・昭和27年 完全給食を全国小学校に拡大実施
・※昭和29年 アメリカでPL480法案(通称、余剰農産物処理法)成立
・昭和29年 農林省、アメリカ余剰農産物購入協定調印、学校給食法制定
・昭和30年 粉食指導に全栄養士参加昭和31年 キッチンカー活動開始(5年間で2万会場200万人動員)、小麦粉と大豆油の料理を栄養改善運動と称し大キャンペーンを行う。コーラ発売
・昭和33年 厚生省、国民栄養調査4人に1人が栄養欠陥、インスタントラーメン登場、厚生省「六つの基礎食品」普及活動開始
・昭和35年 大豆の輸入自由化
・昭和36年 「1日1回フライパン運動」を普及
・昭和55年 スポーツドリンク盛況
・昭和56年 「過食時代の栄養失調の子供増加傾向」と警告
・昭和60年 政府食生活指針で「1日30品目」提唱
・平成9年 厚生省、糖尿病実態調査で患者数は予備軍を含め1,370万人。減反政策強まる・・・
日本の食の歴史は、白米を食べるようになってからは脚気との戦いでした。
その後は昭和29年にアメリカでPL480法案(通称、余剰農産物処理法)が成立すると欧米型食生活が定着し栄養過剰との戦いになりました。
日本人の食事は1956年(昭和31年)から西洋食が普及し、と日本人の死因が変わりました。
1947年の死因は結核、呼吸器感染、胃腸炎、脳血管疾患、老衰でした。
現在、癌、心疾患、脳血管疾患、肺炎、不慮の事故
・1958年(昭和33年)から癌、心臓病、脳卒中と死因が変わりました。
現在、老衰でなくなる方は約2%。100人にたった2人?
特に1970年以降からは食生活の欧米化と化学物質で、腸内細菌がダメージを受け、アレルギーが増えています。
1960年代後半からのアメリカでは、心臓病や癌などの生活習慣病の医療費が国家予算を圧迫し、大変な問題になっていました。
1977年にジョージマクバガンが発表した「マクガバン・レポート」は全米に衝撃を与えました。
当時の「アメリカ人の食生活は命を奪う死病の元」として、全粒穀物、果物、野菜、鶏肉、魚、低脂肪乳を増やし、肉類、バター、卵、脂肪、砂糖、塩分を減らすことを報告しました。
アメリカでは病気にならないための食生活の目標が6つ設定されました。
1.炭水化物の比率を(全カロリーの)55-60%に増やす。
2.現在40%の脂質を30%に減らす
3.飽和脂肪酸を10%に減らす。
多価不飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸を10%にする。
4.コレステロールを1日300mgに減らす。
5.砂糖を15%に減らす。
6.塩分を3gに減らす。
今の日本人は食の改善をしないと、病人が増えますね。
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