神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

種蒔きのたとえ。

2016年04月06日 | キリスト教
【ルピナス】

 すっかり陽気も春めいて、花の季節が今年もやって来ました♪(^^)

 北海道はまだ桜も咲いてませんから、花の季節はまだもう少し先……といったところかもしれないのですが、この間(4/1)チャリンコで走っておりましたらば、暖かくなってきたせいか、あちこちのおうちの庭先で冬囲いを解く姿を多くお見受けしました。

 そしてその様子を見て、「嗚呼、春も近いなあ」と感じたわけですけども、今回のトップ絵はルピナス……別名登り藤と呼ばれるお花がトップ画です(ちなみに登り藤というのは、藤を逆さまにした姿に似ているところから来ているみたいですね^^)

 ルピナスの花咲く時期というのは、もしかしたら地方によって違うかもしれないのですが……わたしが野山などに行って見かけたのが七月くらいだったでしょうか。綺麗な池のそばにルピナスの花がたくさん咲いていて、「ああ、綺麗だな~」と思うのと同時に、いつかもし自分の自由に出来る庭を持てたら、ルピナスの花は絶対に植えたいなあと思ったりしたものでした

 ところで、今日のイエスさまの御言葉は、マルコの福音書より、種蒔きのたとえについてです


 >>イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。

 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。

 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。

 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。

 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」

 そしてイエスは言われた。

「聞く耳のある者は聞きなさい」

(マルコの福音書、第4章3~9節)


 >>さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。

 そこで、イエスは言われた。

「種蒔く人は、みことばを蒔くのです。

 みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。

 同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

 もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。

 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです」

(マルコの福音書第4章10~20節)


 わたし、絵本作家兼ガーデナーのターシャ・テューダーさんのことが昔から大好きで、その御著書などをよく読んでいたのですが、その中に電話を発明したことで有名なグラハム・ベルさんのことが書いてあったと思います。



 >>3歳の時にベルの家に咲いていた中国原産のバラの花ロサ・ユゴニス(Rosa hugonis)を見て花の魅力に目覚め、将来自分もこんな花を咲かせる人になろうと心に決める。ベルがポケットにルピナスの種を入れて行く先々でまいてアメリカ中にルピナスの花を咲かせたという話をベルの娘の親友だった母から聞いて、とても感動し強く影響を受ける。

(ターシャ・テューダーさんのウィキぺディアより)


 ところがですね、このルピナス、繁殖力が物凄く、一度増え広がると抜いたりするのが大変ということで、アメリカなどでは結構雑草扱いされることもあるというお話を聞いて、これに関連して思いだしたのがわたし、忍冬(スイカズラ)の花だったりします(^^;)



 スイカズラ(ハニーサックル)と聞いて、個人的に思いだすのはやはり「赤毛のアン」のことなのですが、それはさておき、意外にもこの忍冬、日本が原産というのを聞いた時、結構驚きましたところが、日本から欧米に渡っていって、この花もまた繁殖力が強く、抜くのが大変な植物だったことから、今では>>広く野生化し、特にアメリカでは外来種としてクズとともに森林を覆って打撃を与えるなど問題となっている。のだそうです。

 いえ、ここまで来たら、きっともうおわかりのことと思います(笑)

 こと、信仰面においてはこのくらい深く根を張って冬を越す植物のようでなくてはいけない、&縦にも横にもどんどん増え広がっていって、サタンさんが仮に火炎放射器を吹きかけようとも、さらにまたどんどん信仰の花を咲かせるくらいの強さのあることが大切というか(^^;)

 さて、今日の軽くウザイ信仰のポ・イ・ン・ト☆をまとめてみたいと思います♪


・ルピナスの花ことば

「あなたはわたしの安らぎ」=イエスさまにあって、いつも心が平安であるように祈りましょう。そしてイエスさまは本当に、わたしの心の安らぎそのものだとも思います

「いつも幸せ」=いつでも、どんなことにも主にあって感謝し、喜びを忘れないようにしましょう。

「貪欲」=この花言葉は、ルピナスの物凄い繁殖力から来ていると思うのですが、信仰面においては貪欲であるのはいいことです。貪欲かつ大胆に神さまの御言葉を受け取り、信仰表明し、周囲の方々に証ししていきましょう。

 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

(ピリピ人への手紙、第4章6~7節)



・スイカズラ(忍冬)の花ことば

「愛の絆」=イエスさま、神さまと今日も愛の絆に結ばれて歩みましょう。

「献身的な愛」=イエスさまが十字架上で示された愛、またその御生涯でわたしたちに示された献身的な愛を忘れないようにしましょう。たとえ今つらいことがあっても、イエスさまの十字架にそのつらさや苦しさを担っていただきましょう。「重荷のある人はわたしのところへ来なさい」とあるとおり、すべてをイエスさまにお委ねし、あとは感謝と喜びと賛美に満たされることが理想です。

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

(マタイの福音書、第11章28~30節)



 花ことばだなんて、なんだか花の子ルンルンみたいですね(笑)

 それではまた~!!








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