【聖バルトロマイ】コンラート・ヴィッツ
今回は、十二弟子の八人目、バルトロマイことナタナエルのご紹介となります♪(^^)
では早速(?)、いつものとおり、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」より、文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>すでに弟子入りしていたピリポによってイエスを知り、自分も弟子入りすることになったのがバルトロマイ、別名ナタナエルである。マタイ、マルコ、ルカの三福音書では「バルトロマイ」の名で十二使徒に列せられ、ヨハネ福音書が「ナタナエル」と記す弟子と同一人物とされる。
ある日、バルトロマイはいつものようにイチジクの木の下に座っていた。ガリラヤのカナに生まれたユダヤ人であった彼は、涼しくひっそりとした木の下で、ユダヤ教の神に祈りをささげていたのかもしれない。あるいは学究肌の彼のことだから、じーっと黙想していたか、『旧約聖書』を読み返していたのかもしれない。
そこに友達のピリポがやってくる。
「おいおい、そんなとこに座ってる場合じゃないぞ。モーゼが律法に書いていて、預言者たちもやっぱり書いている、<あのお方>に会っちゃったんだよ。ナザレの人で、イエスさんっていうんだ」
たぶん、これまで二人は『旧約聖書』を何度も精読しては語り合い、“救い主”が現れるのを今か今かと待っていたに違いない。だが、あくまで冷静なバルトロマイは、ちょっと待てよと思う。
「ナザレの人だって?あんな田舎から、そんな偉い人が出るわけないよ。『旧約聖書』にもそうとは書いてないしね」
ピリポは、ただ「来て会ってみなよ」とだけ言う。とりあえず腰を上げ、イエスのところへ案内されるバルトロマイ。近づいてくる彼を眼にしたイエスは「みんな、ごらん。この人こそ本当のイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言って出迎える。機先を制されたバルトロマイは「なぜ私を知ってるんです?」と尋ねるしかなかった。
「私は、あなたがピリポから話しかけられる前、イチジクの木の下に座っているのも見ていたよ」
これは本物だ――感激したバルトロマイは叫ぶ。
「どうか、師と呼ばせてください。あなたは神の子です!あなたはイスラエルの王です!」
「見たはずのないあなたの姿を、私が見たと言うので信じたのか。しかしあなたは、これからもっと偉大ななにかを見ることになる……」
(「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」新潮社より)
――新約聖書、というか四福音書には矛盾が多いということに、一読して気づく方というのは、実際多いと思います(^^;)
ここでバルトロマイは「ナザレの人だって?あんな田舎から、そんな偉い人が出るわけないよ。『旧約聖書』にもそうとは書いてないしね」と言っているわけですが、確かに<旧約聖書>の預言では、ダビデの故郷、ベツレヘムから救世主、メシアは誕生すると書かれています。
>>『ベツレヘム・エフラテよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
あなたのうちから、わたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、
永遠の昔からの定めである。
(旧約聖書ミカ書、第5章2節)
マタイの福音書とルカの福音書には、イエス(キリスト)さまの生誕地はベツレヘムと書かれているのですが、マルコの福音書とヨハネの福音書ではイエスさまの出身はナザレであるような印象を受ける思います(^^;)
ただ、イエスさまはベツレヘムで誕生後、エジプトへ避難、そして聖家族はまたナザレへ帰られた……ということですので、これは特にそれほど矛盾してもいないんじゃないかな、と個人的には思ったり。。。
以前、とある検証番組で、「考古学的にはイエスがベツレヘムで生まれたことを示すものは何もない」と言われていたことがあったのですが、「イエスが生まれたのはベツレヘムなのかナザレなのか?」という点については、「考古学的な証拠は何もない」ということなのかもしれません(ちなみに、N○Kのかなりちゃんとした海外の番組です^^;)。
けれど、イエスさまはベツレヘムでお生まれになり、エジプトへ避難したのち、ガリラヤのナザレで多くの時を過ごされたわけですから、どちらにしてもここであるひとつの疑問が生じるということでした。つまり、他の律法学者たちが非常に驚いたように――イエスさまが道々お話になったような知恵を、彼は一体どこで手に入れたのか、ということです。
たとえば、イエスさまがエルサレムのような場所でお生まれになったのなら、誰か高名な律法学者の話を聞いて、そうした知恵を自分の中に蓄積していった……と可能性もあるでしょう。けれど、ナザレのような場所では、その可能性はあり得ないということなんですね。
つまり、このことこそがイエスさまが神の子であることを示す証拠のひとつでもある、というか。
さて、そろそろバルトロマイのことに話を戻しますと、彼もまた他の十一弟子と同じくイエスさまの復活、ペンテコステを体験後、当時世界の果てとされていたインドにまでも布教しにいったようです。そしてそこで殉教したとのことなのですが、バルトロマイの最期もまた凄まじいものでした
こん棒で打ちのめされたのちに、生皮をはがされた……って、凄まじすぎじゃないですかorz
そんなわけで彼は絵画でナイフを持っていたりするのですが、ミケランジェロの<最後の審判>では、ナイフだけじゃなく、自分の剥がされた生皮まで手に持っているバルトロマイって、なんとも漢だぜという感じがします
では、次回は十二弟子のうちの残り四人となった、シモン、小ヤコブ、タダイ、ユダについて順にご紹介していきたいと思います♪(^^)
それではまた~!!
今回は、十二弟子の八人目、バルトロマイことナタナエルのご紹介となります♪(^^)
では早速(?)、いつものとおり、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」より、文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>すでに弟子入りしていたピリポによってイエスを知り、自分も弟子入りすることになったのがバルトロマイ、別名ナタナエルである。マタイ、マルコ、ルカの三福音書では「バルトロマイ」の名で十二使徒に列せられ、ヨハネ福音書が「ナタナエル」と記す弟子と同一人物とされる。
ある日、バルトロマイはいつものようにイチジクの木の下に座っていた。ガリラヤのカナに生まれたユダヤ人であった彼は、涼しくひっそりとした木の下で、ユダヤ教の神に祈りをささげていたのかもしれない。あるいは学究肌の彼のことだから、じーっと黙想していたか、『旧約聖書』を読み返していたのかもしれない。
そこに友達のピリポがやってくる。
「おいおい、そんなとこに座ってる場合じゃないぞ。モーゼが律法に書いていて、預言者たちもやっぱり書いている、<あのお方>に会っちゃったんだよ。ナザレの人で、イエスさんっていうんだ」
たぶん、これまで二人は『旧約聖書』を何度も精読しては語り合い、“救い主”が現れるのを今か今かと待っていたに違いない。だが、あくまで冷静なバルトロマイは、ちょっと待てよと思う。
「ナザレの人だって?あんな田舎から、そんな偉い人が出るわけないよ。『旧約聖書』にもそうとは書いてないしね」
ピリポは、ただ「来て会ってみなよ」とだけ言う。とりあえず腰を上げ、イエスのところへ案内されるバルトロマイ。近づいてくる彼を眼にしたイエスは「みんな、ごらん。この人こそ本当のイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言って出迎える。機先を制されたバルトロマイは「なぜ私を知ってるんです?」と尋ねるしかなかった。
「私は、あなたがピリポから話しかけられる前、イチジクの木の下に座っているのも見ていたよ」
これは本物だ――感激したバルトロマイは叫ぶ。
「どうか、師と呼ばせてください。あなたは神の子です!あなたはイスラエルの王です!」
「見たはずのないあなたの姿を、私が見たと言うので信じたのか。しかしあなたは、これからもっと偉大ななにかを見ることになる……」
(「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」新潮社より)
――新約聖書、というか四福音書には矛盾が多いということに、一読して気づく方というのは、実際多いと思います(^^;)
ここでバルトロマイは「ナザレの人だって?あんな田舎から、そんな偉い人が出るわけないよ。『旧約聖書』にもそうとは書いてないしね」と言っているわけですが、確かに<旧約聖書>の預言では、ダビデの故郷、ベツレヘムから救世主、メシアは誕生すると書かれています。
>>『ベツレヘム・エフラテよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
あなたのうちから、わたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、
永遠の昔からの定めである。
(旧約聖書ミカ書、第5章2節)
マタイの福音書とルカの福音書には、イエス(キリスト)さまの生誕地はベツレヘムと書かれているのですが、マルコの福音書とヨハネの福音書ではイエスさまの出身はナザレであるような印象を受ける思います(^^;)
ただ、イエスさまはベツレヘムで誕生後、エジプトへ避難、そして聖家族はまたナザレへ帰られた……ということですので、これは特にそれほど矛盾してもいないんじゃないかな、と個人的には思ったり。。。
以前、とある検証番組で、「考古学的にはイエスがベツレヘムで生まれたことを示すものは何もない」と言われていたことがあったのですが、「イエスが生まれたのはベツレヘムなのかナザレなのか?」という点については、「考古学的な証拠は何もない」ということなのかもしれません(ちなみに、N○Kのかなりちゃんとした海外の番組です^^;)。
けれど、イエスさまはベツレヘムでお生まれになり、エジプトへ避難したのち、ガリラヤのナザレで多くの時を過ごされたわけですから、どちらにしてもここであるひとつの疑問が生じるということでした。つまり、他の律法学者たちが非常に驚いたように――イエスさまが道々お話になったような知恵を、彼は一体どこで手に入れたのか、ということです。
たとえば、イエスさまがエルサレムのような場所でお生まれになったのなら、誰か高名な律法学者の話を聞いて、そうした知恵を自分の中に蓄積していった……と可能性もあるでしょう。けれど、ナザレのような場所では、その可能性はあり得ないということなんですね。
つまり、このことこそがイエスさまが神の子であることを示す証拠のひとつでもある、というか。
さて、そろそろバルトロマイのことに話を戻しますと、彼もまた他の十一弟子と同じくイエスさまの復活、ペンテコステを体験後、当時世界の果てとされていたインドにまでも布教しにいったようです。そしてそこで殉教したとのことなのですが、バルトロマイの最期もまた凄まじいものでした
こん棒で打ちのめされたのちに、生皮をはがされた……って、凄まじすぎじゃないですかorz
そんなわけで彼は絵画でナイフを持っていたりするのですが、ミケランジェロの<最後の審判>では、ナイフだけじゃなく、自分の剥がされた生皮まで手に持っているバルトロマイって、なんとも漢だぜという感じがします
では、次回は十二弟子のうちの残り四人となった、シモン、小ヤコブ、タダイ、ユダについて順にご紹介していきたいと思います♪(^^)
それではまた~!!
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