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政治そのほか速

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「日だまり」へ通った感覚…羽生善治さん

2015-02-09 09:41:57 | キャリア・教育
「日だまり」へ通った感覚…羽生善治さん 

棋士

 

  • <noscript></noscript>羽生善治さん(高橋美帆撮影)
  •   「将来何になったらいいんだろ」「とりあえず進学かな」

      東京都八王子市の都立富士森高校の教室で耳にする会話が僕には新鮮で、同級生がまぶしく見えました。僕の進む道は決まっていたからです。

      プロの棋士になったのは、中3の12月。それからは大人扱い。高校に進学したものの、対局は年60~80局。月に10日も学校を休まなければならなかった。

      毎日授業を確認して「月曜日はもう休めない、金曜日はあと2回は休める」などと計算しては頭を抱えていました。大阪で深夜まで将棋を指して、翌朝始発の新幹線に乗って、そのまま高校へ、なんてこともしょっちゅうでした。

    • <noscript></noscript>すでにプロとして注目を集めていた18歳の頃

        それでも高校に通い続けたのは、他の人と同じようにしたいって気持ちがあったのかもしれません。当時は、漠然と大学にも進学するつもりでいました。

        忙しくて部活もできなかったし、行事もほとんど参加していない。でも、級友とノートを貸し借りして、たわいもないおしゃべりをして。自宅から30分間、自転車をこいで河川敷を学校に向かうと、厳しい将棋の世界から抜け出て、日だまりに向かうような感覚がありました。単位を取りきれず、結局、別の通信制高校を卒業したけれど、10代の僕にとって、あの場所はほっとできる空間だったのです。

        僕のあまりの多忙さに、両親は「将棋に集中させてやればよかった」と思ったこともあるそうですが、僕は全く後悔していない。

        高校があったから、僕は時間をやりくりし、短時間で集中したり、気持ちを切り替えたりするのが上手になったと思っています。(聞き手・大広悠子)

      プロフィルはぶ・よしはる 1970年、埼玉県生まれ。6歳で将棋を始めた。永世名人など六つの永世称号を持つ唯一の棋士。

       

        (2014年4月17日付読売新聞朝刊掲載)


(2)はじめに子どもありき…15年目の転機

2015-02-09 09:41:57 | キャリア・教育
 

  サッカーやバレーボールでボールをつなぐように、子どもたちが言葉をつなぐ――。

  埼玉県所沢市立和田小学校の藤田恵子教諭(48)が目指す授業だ。

 

「言ってみない?」以外、ほとんど話さない授業

 

 

  昨年12月中旬にあった2年生の国語の授業では、若者と白馬の友情を描いた、モンゴルの物語「スーホの白い馬」を読んだ。児童が提案したテーマ「大切な白馬が死んでしまった悲しみを、スーホが乗り越えられた訳」について話し合った。

  「白馬はスーホとずっと一緒にいたかったから、死んだ後の夢で、自分の骨や皮とかを使って楽器を作って、と言ったんだと思う」「スーホは楽器があることで、白馬がいる気がした」

  発言するのは児童たちで、藤田教諭は、迷っている子に「言ってみない? 誰かが必ずつなげてくれるよ」と後押しをする以外、ほとんど話さない。それぞれが話し合いを経て考えた理由をまとめ、授業は終わった。

 

「子どもの何を見ていたのですか」

 

  教師になってしばらくは、覚えるべきポイントを簡潔に示し、飽きさせないのがいい授業だと思っていた。転機は15年目。校長から研究主任を任され、東京学芸大の平野朝久教授(63)の本「はじめに子どもありき」を紹介された。

  子どもは本来、学ぶ意欲を持っており、教師の役割は指示して学ばせるのではなく、支援することだと書かれていた。「理想論よね」と言う同僚もいたが、2年間かけて授業づくりに取り組んだ。2005年2月、平野教授らが参観する中、4年生の国語の授業を行った。「ごんぎつね」について、ぽんぽんと児童に質問を投げかけ、全員に発言させた。

  「子どもの意欲を伸ばす授業になった」。自信があったが、平野教授からは「せわしない授業でした。子どもの何を見ていたのですか」と問われた。

  頭をがつんと殴られたようだった。子どもを見るとはどういうことなのか。同年4月から1年間、県教委による研修制度を利用して平野研究室の研究員になり、全国の100近くの授業を見学した。泊まりがけも多かったが、会社員の夫(48)が、小学生だった子ども2人の世話を引き受けてくれた。

「どの子も問いに立ち向かう力がある」

 

  教師の視点だと、指導案通りの授業になったかが気になるが、子どもを観察すると、担任の意図とは別のところでワクワクする様子がわかった。「今までなら叱っていたような子も含め、どの子も問いに立ち向かう力がある」と思うようになった。

  教室に戻ってからは、国語や生活科などの授業を児童同士の話し合いを中心に展開。自分の意見をまとめる力がつくだけでなく、他の児童の発言を聞くことで、発想や思考が広がる。児童にも「いっぱい意見が出て、いろいろわかる」と好評だ。

  そんな授業での教師の役割を、藤田教諭はこう考えている。「子どもを信じて、一緒に授業を創り、その力を引き出す。学びのパートナー」


(4)「B-1」4位…人気の献立、名物に成長

2015-02-09 09:41:57 | キャリア・教育
(4)「B-1」4位…人気の献立、名物に成長 

皮の直径15センチ…栄養士らが考案「津ギョウザ」

 

  • <noscript></noscript>給食の「津ギョウザ」のレシピ
  •   学校給食の人気メニューがご当地グルメに育ち、まちおこしにつながる例もある。

      直径15センチの皮で包んだギョーザに、子どもたちがかぶりついた。10月末、津市立一身田(いっしんでん)小学校の給食に、2学期で初めて「津ギョウザ」が登場。特大のギョーザが1個ずつ配られ、6年生の永井優衣さん(12)は「ボリュームがあって、味がいいので、いつも最初に食べてしまう」と笑顔で話した。

      津市教育委員会の栄養士や学校の栄養職員らが考案し、1985年頃から津市の小学校の給食で出されてきた。「子どもたちに手作りのギョーザを食べさせたくて生まれた」と同小栄養教諭の吉川澄子さん。一般的な大きさのギョーザで必要な栄養を満たすにはたくさん作らなければならず、調理員らの手作りでは間に合わないという。「大きくして栄養が取れるようにという先輩たちの思いを受け継いでいきたい」

     

    「全国に誇れる味、自慢して」

     

      市民団体が約6年前、祭りで試しに販売したところ話題になり、今では市内の飲食店約20店で食べることができる。9月には新たに別の市民団体「津ぎょうざ小学校」が結成され、10月中旬に福島県で行われたご当地グルメの祭典「第9回B―1グランプリ」で4位に入賞した。

      同団体代表の一人で、市職員の原田浩治さん(44)らと、ギョーザの形をしたゆるキャラ「つつみん」が同校を訪れ、「全国に誇れる味と自慢して」と児童約740人に訴えた。原田さんは「三重県は松阪牛などで知られているが、津市は有名な食べ物があまりない。ギョーザをきっかけに地域への愛着を深めてほしい」と願う。

    長野「キムタクごはん」、秋田「あげそば」…地域に広がる学校のアイデア

     

      給食から生まれたご当地グルメはほかにもある。

      いためたキムチとたくあんなどをご飯に混ぜた長野県塩尻市の「キムタクごはん」。2002年、中学校の栄養職員だった上野保佐美さん(48)が、漬物をあまり食べない小学生の子ども2人に自宅で作ると、好評だったため、給食でも提案。市内の全小中学校の給食に広がり、飲食店のメニューにもなった。

      秋田県にかほ市では3年前、「あげそば全力普及会」が発足。昭和40年代、うどんの給食を予定していた小学校に、誤って中華麺の乾麺が届き、栄養士らが麺を油で揚げ、しょうゆベースのスープで煮込んだのが始まりで、市内の給食の一部であげそばが定番になった。同市は05年に3町が合併して誕生。同会会長で、機械設計会社社長の六平(むさか)澄人さん(47)は「給食は大人になっても忘れない、ふるさとの味。新しい市のソウルフードを目指す」と力を込めた。


(4)「教員の卵」高校で養成…大量退職控え

2015-02-09 09:41:57 | キャリア・教育
(4)「教員の卵」高校で養成…大量退職控え 
  • <noscript></noscript>
  •   8年前、全国で初めて教育コースを設けた奈良県立平城、高田両高校では、それぞれ1学年40人の教員志望者が学ぶ。

      「みんなは今のままでは中学生になれません」

      奈良市立佐保台小学校6年生の教室。平城高教育コース2年、藤井はるかさん(17)の厳しい声が響くと、児童の顔から笑みが消え、背筋がピンと伸びた。11月中旬、同高の2年生が地元の五つの小学校に分かれて行った3日間のインターンシップ(就業体験)。最終日の授業で後片づけを題材にした絵本を読み聞かせ、掃除が不十分だったことへの反省を促した。

      「自覚や責任を持つ大切さを伝えたかった」と藤井さん。授業後、児童らは「藤井先生は普段は優しい。自分たちのことをちゃんと見てくれる」と語り、信頼関係が深まったようだ。

     

    6割以上が教員養成系大学へ進学

     

      同コースは、県教委が2006年度に開設。第2次ベビーブーム対策で採用した教員の定年に伴う大量退職で、県内でも小中学校の教員の退職者数が年間300人以上になるのを控え、「早い段階から質の高い教員を育てるのが狙いだった」と担当者。高校入試では2高とも定員を上回る人気が開設当初から続く。卒業生の教員養成系大学への進学率は平城高が6~8割。高田高も7~9割で推移する。

      平城高では、週2、3時間、教育に関する授業があり、奈良教育大など7大学との連携講座では大学教員からわかりやすい教え方などを聞く。1期生の約半数が昨春、大学を卒業して同県内の公立学校の教員になった。小学校教諭2年目の森本浩子さん(24)は「教育コースでは人前で発表する機会が多く、実践的な力がついた」。一方、出井里奈さん(24)は専門学校に進み、鍼灸(しんきゅう)マッサージ師として県内の総合病院で働く。「養護教諭になりたくて高校に入学したが、幅広い世代の体の弱い人の力になりたいという気持ちが強くなった」と話す。

      奥田秀紀・平城高校長(58)は「教育コースで学んだ人との関わり方は進路が変わっても役立つ。教員志望の卒業生は大学でさらに学びを深め、他の学生に刺激を与えている」と語る。高校と大学で実質7年間学んだ教員が、学校現場でどのように力を発揮するのか。成果がわかるのはこれからだ。

    今後10年続く大量退職…教員の質確保に苦心

     

      文部科学省の調査によると、教員の大量退職は今後10年ほど続く見通しで、自治体は質の高い教員の確保に苦心している。奈良県の2高の開設後、教員養成を意識したカリキュラムを組む高校が増加。「教育ルネサンス」では、平城、高田両校の教育コースの始動(2006年8月)や卒業を控えた同コース1期生(2009年1月)を取り上げた。(桜木剛志)


(3)100人以上が挑む、愛知の県立高

2015-02-09 09:41:57 | キャリア・教育
(3)100人以上が挑む、愛知の県立高 
  • <noscript></noscript>放課後、化学実験をするスーパーサイエンス部員(9月、愛知県立岡崎高で)
  •   100人以上の生徒が科学オリンピックに挑む高校がある。

      文部科学省から先進的な理数教育に取り組む「スーパーサイエンスハイスクール」に指定されている愛知県立岡崎高(岡崎市)だ。

      特に、放課後、自由研究を続けるスーパーサイエンス部は今年夏、部員55人の大半が物理、化学、生物学のうちいずれかの国内大会に挑み、生物学で金賞(上位10位まで)、銀賞(11~20位)、銅賞(21~40位)に1人ずつ入った。

      国内大会は翌年の国際大会の予選を兼ねており、銀賞だった1年の宮田一輝君(16)は、高校2年生以下から選ばれる日本代表候補(15人)に。選抜試験で上位4人に残れば、岡崎高からは2年ぶり5人目の代表となる。

      研究者を志望し、中学生の時から岡崎高のスーパーサイエンス部に入りたかったという宮田君は9月の放課後、「リーゼガング現象」の実験をしていた。

      これは、特定の2種類の薬品を用意し、ゼラチンで固めた片方の薬品にもう片方の薬品をしみ込ませると、しま模様の沈殿物ができる現象だ。宮田君は「鉱物のメノウにしま模様ができる仕組みを解明できるかもしれない。成果はコンクールで発表したい」と笑顔で話した。

      科学五輪と自由研究は「車の両輪」という。同部顧問の稲垣貴也教諭(35)は「五輪を目標に勉強すれば知識がつき、研究の質が上がる。研究成果が出れば五輪で力を試したくなる。自ら学ぶ姿勢も身につく」と語る。

     

    公立高、健闘目立つ…県教委や大学が支援も

     

      今年の国際科学五輪に出場した日本代表(31人)は、筑波大付属駒場高、開成中・高、灘高で約半数を占めたが、各地の公立高の健闘も目立った。

      科学技術振興機構によると、昨年度、科学五輪の国内大会には1056校が参加し、前年度比で80校増えた。

      科学五輪の挑戦者を増やそうと、様々な試みも行われている。

      静岡県教委は8月から、高校生講座「オリンピックチャレンジ」を始め、約80人が大学教員から人工衛星の観測データをもとに気候変動に関する講義を受けたり、有機化合物の構造を推理する問題に挑戦したりした。

      コンピューターのプログラム作成を競う情報五輪の入門講座もある。

      9月には、東洋大川越キャンパス(埼玉県)に埼玉県立高の生徒22人が集まり、基礎的な作成法を学んだ。県立大宮高の生徒15人を引率した斎藤実教諭(58)は「五輪への参加を通じて、自分の適性や関心がわかり、進路選択の参考にもなる。情報処理の考え方やコンピューターの理解は、社会に出た時に素養として役立つ」と指摘する。

     2014年の国際科学五輪の学校別出場者数
     ▽8人 筑波大付属駒場高
     ▽4人 開成中・高、灘高
     ▽2人 白陵高
     ▽1人 茨城県立水戸第一高、大阪府立茨木高、岐阜県立岐阜北高、静岡県立浜松北高、東京都立武蔵高、宮崎県立宮崎西高、大阪星光学院高、巣鴨高、東海高、豊島岡女子学園高、広島学院高、洛星高、早稲田高