密室をめぐる男性と女性の立場や言い分を、男性行為者と女性被害者という圧倒的に多いケース(男性被害者については別の機会にとりあげる)でいえば、おおむね次のような状況になります。
女性は、セクシュアル・ハラスメントの被害を切々と訴え、男性のとった卑劣な行為に怒りを込めて、以下のような主張をします。
まさに、予想もしていなかった(むしろそうした行動はするはずのない人として信頼していた)男性の突然の行動に驚き、うろたえ、どのように対処すればよいのかわからなかった。その時は、仕事を失うことを恐れて、騒ぎにはしなかったが、どうしても男性の行為が許せなくなり、苦渋の選択として訴えた――。
一方の加害者と名指しにされた男性は、青天の霹靂(へきれき)で身に覚えのない疑いをかけられたことに驚き、悔しさと怒りで身を震わせる女性の捨て身の主張に困惑させられることになります。
まったく身の覚えのないでっち上げだと主張する場合は、「やってもいないことを言い立てられて、どのように反論したらいいのか」と、戸惑います。
訴えに多少の事実があることを認めた場合でも、「そんなつもりではなかった」あるいは「訴えられるようなことではない」「合意だったはず」などの思いを抱えて混乱します。そして、一体全体何のために彼女はこんなひどい仕打ちをするのか全く理解できないまま、どのよう対処すればいいのか困惑して立ちつくします。
「一つではない真実」に揺れる判決
こんな当事者の思いはともかく、まさに真実は一つしかないはずであり、そうした点から言えば、どちらかが嘘(うそ)を言っていることになります。しかし、こうした事件で双方の主張を聞いていると、本当に真実は一つなのか、ひょっとすると真実は幾つかあるのかもしれない――などと思わされてしまいそうになります。
その揺らぎこそが、セクハラ裁判の大きな課題であるといってもいいのではないでしょうか。それは、お互いの言い分をつぶさに聞いていると、そこには一つの事実をまったく違う視点で見ている別な立場が見えてくるからです。いや、それどころか、そうしたまったく対立する主張に裁判官も巻き込まれて困惑し、逡巡(しゅんじゅん)し、戸惑っているように思えることが多いのです。
現に、そんな激しく対立する当事者はもちろん、裁判官も巻き込まれてダッチロールにも似た大揺れする裁判が幾度も繰り返されてきています。いわゆる逆転判決といわれる、原審と控訴審では正反対の判断がされているような場合です。そんな場合には、判決がその密室裁判での判断の揺れ幅を余すところなく示すことになります。
でっちあげ、合意、成り行き…
こんな揺らぐ密室裁判を見ていく視点としては、様々な視点で反論を繰り出す男性の主張を中心に見ていくのが分かりやすいでしょう。それは、女性の主張は、ひたすら被害事実を訴えることが基本であり、そのショックやダメージの状況などをいかに訴えて理解してもらおうとかということに尽きるのですが、訴えられた男性の側の反論は様々だからです。
しかし、様々とはいえ、いくつかのパターンに分類することができます。基本的には「そんな事実はまったくない」という全面否定があります。その多くは、恋愛関係のもつれや仕事上のトラブルを理由にした仕返しではないかなどと主張されますが、いずれにしても悪意による「でっちあげ」だという主張です。
もう一つの流れとしては、事実については認めた上で、「合意であった」と主張したり、「相手から誘われた」あるいは「成り行き」で仕方がなかったと訴えたり、などというパターンです。
思い込みに“男の視点”が共鳴するとき
特に後者の主張のポイントの違いは出来事についての見方の違い、言い換えれば、一つの事実を男性行為者たちはどのように解釈しているのかという視点の違い(多くの場合は思い込みなのですが……)が見事に主張の違いとして現れてきます。つまり、女性のとった言動をどのように受け止めたか、という男性の側の認識の違いがそこに反映されてくるということです。
そして、こうした男性行為者の様々な思い込みに裁判官(特に男性の場合)がどこまで心理的にシンクロするのか、ということも見えてきます。そこには、行為者と裁判官という立場よりも、「男性」という括(くく)りの中でお互いに共鳴し合うポイントが重なりやすいということがあるからです。
(次回は2月3日掲載予定です)