
最近になって、初めて知りました。
「功夫」と書いて、中国では「カンフー/クンフー」と読むらしいです。
意味も、マーシャル・アーツの一つである、カンフーのコトだそうで。
でも日本じゃ、普通に人の名前ですよね。「いさお」さん、みたいな。笑
まあ、そんな小ネタは置いといて。
↑画像でもお分かりのように。
今年2010年は、不世出のマーシャル・アーティスト&中国人武道家&中国人アクション俳優であり
截拳道(ジークンドー)の創始者、ブルース・リーの生誕70周年な訳であります。
そしてその70周年の記念に、ほんの数ヶ月前に奥さんのリンダさん・娘さんのシャノンさん
更にその娘さん(ブルースにとっては孫)のレンちゃんが来日していたらしいのです!
ブルース・リーの名言&名場面を紹介する前に、まずはその生い立ち・背景・家族など
これを機に、ザラッと確認しておこうと思います。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
ブルース・リー(Bruce Lee)、本名;李小龍(読み=リー・シャオロン/レイ・シウルン)は
1940年11月27日、
父親は中国系で、広東演劇の俳優・李海泉(読み=レイ・ホイ・チュン/1901.2.4~1965.2.8)と
母親は上海出身、ドイツ系と中国系の混血人・何愛瑜(読み=ホー・ゴイユ/1907~1996.6.24)との間に
五人兄弟(中には姉もいる)の次男として、合衆国カリフォルニア州サンフランシスコにて生まれました。
<※名前の由来は、辰年(1940年)・辰の刻(午前8時)に生まれたから、
というのは結構有名な事実ですよね。>
ちなみに、母親の名前は他に(ドイツ系からは)「グレイス」、(中国系からは)「優美」
とも呼ばれていたとか。
あと、他の四人の兄弟について。(面倒なので一部を除き、名前だけ。笑)
●長兄・李忠探(ピーター)
●長女(姉)・李秋圓(フィービー)
●次女(双子の姉!)・李秋凰(アグネス)
●三男(弟)・李振輝(ロバート)
ここで特筆すべきは、ブルースにとって二番目の姉であるアグネスの存在です。
一般的に、双子なら、普通同性同士として生まれるはずが、異性に分かれるとは・・・・・・
ブルースの女の子版・・・・・・資料が無いので、顔が分かりませんが、想像出来ません凹苦笑
それに、こんな最高の遺伝子を持って生まれて来た男性のもう片方だから、
きっと(別のフィールドで)凄い人物だった、と推測せずにはいられません。
ちなみに、双子で男の子と女の子に分かれた場合、中国では名前に
男の子なら「龍」、女の子なら「凰」を付けるのが暗黙の慣習らしいです。
さて。
そんな五人兄弟の中に生まれ、父親がその地方では結構な名優だった為
家庭は裕福で、(自身も子役を生後1ヶ月から始め)何不自由無く育ったブルースですが
父親が有名人であるというのと、当時としても珍しい中国服を着て学校に通っていた為
街中で目立ち、気性の荒かったブルースは「何をジロジロ見ているんだ」と難癖を付け
いつも毎日のように暴力沙汰を起こしていたとか。
とにかく、勉学よりも暴力沙汰・女性との交際に夢中になっていた中学・高校時代だったようです。
その結果、「俳優の不良息子」と悪名高いレッテルを貼られ、
高校も退学処分となったブルースの将来を心配した父親から渡米するよう命じられ、
18歳で香港(当時はまだイギリス領)から所持金わずか100ドルで単身渡米し、シアトルに移り住みます。
それからは、自ら更生、新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校に通い、高卒資格を得て
ワシントン大学哲学科に進学し、勉学に励むかたわら「振藩國術館」を開いて中国武術の指導も始めます。
同時並行で、高校で哲学の講師もしていたとか。
そしてその頃、同じ大学の医大生で道場の生徒だったリンダ・エメリー・キャドウェル(1945.3.21~ )
と知り合い、結婚。その後、大学を中退し道場経営に専念。
ついに、截拳道(ジークンドー)を創始するに至ります。
///////ここで、截拳道について、軽く解説を。///////////////////////////////////////
「截拳道」
広東語でジッキュンドーと読み、英語表記はJeet Kune Do、日本では一般的にジークンドーと呼ばれる。
頭文字3つを取って、JKDと呼ばれることも。
詠春拳・節拳(弾腿門)などのカンフーの技術に、
空手(琉球王国時代の沖縄発祥)・ボクシング(ギリシャ発祥)
サバット(ブルボン朝時代のフランス発祥)・合気道(第二次世界大戦後の日本発祥)
柔道(19世紀の日本発祥)など、
さまざまな格闘技のエッセンスが取り入れられている武道。
哲学的側面に道教のタオ(Tao)思想の影響がみられる。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
さて、かつての不良時代はどこへやら、
そんな武道家として、合衆国にて順風満帆な生活に落ち着いていたブルースですが
(1965年には長男・ブランドンも誕生)
1966年に、本国(合衆国)で開催された「ロングビーチ国際空手選手権大会」でJKDの演武を披露したトコロ、
その(演武の)フィルムがTVプロデューサーの目に止まり、
TVシリーズ「グリーン・ホーネット」の準主役に抜擢され・・・・それからは瞬く間に
一気にスター街道をまっしぐら。
ブルースが主演のカンフー映画は、その後、急逝するまで5作品が製作されました。
◎ENTER THE DRAGON「燃えよドラゴン」1973年公開
◎THE BIG BOSS「ドラゴン危機一髪」1974年公開
◎FIST OF FURY「ドラゴン怒りの鉄拳」1974年公開(香港では1972年公開)
◎THE WAY OF THE DRAGON「ドラゴンへの道」1975年公開(香港では1972年公開)
◎THE GAME OF DEATH「死亡遊戯」1978年公開
そして、1973年7月20日に、ブルースは「死亡遊戯」で共演予定の女優;ベティ・ティンペイの香港の自宅で
頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含む・Equagestic)を飲んでベッドに横になりました。
しかし、そのまま昏睡状態に陥った為、ティンペイは
レイモンド・チョウ(現在は映画プロデューサーの他、ゴールデン・ハーベストの会長を務めている)を呼び、
そのままクイーン・エリザベス病院へ搬送されたのですが、死亡が確認され・・・
帰らぬ人に。32歳でした。
公式な死因は脳浮腫で、司法解剖の結果、微量の大麻が検出された他、
脳が極度に肥大化していたことが判明。
そして、最終的には背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その日の晩に服用した
頭痛薬の副作用が死因である、と発表され幾歳月・・・・・・
しかし最近の研究では、「癲癇(てんかん)」による突然死の可能性が高い、という説が浮上。
早世した歴史上の多くの天才ミュージシャン達と同じく、
彼の死因は結局、21世紀になった今でも、闇のベールに包まれたままなのです凹
そして彼の死後、香港のとある場所に銅像が建てられることに。
伝説的天才。まさに彼に相応しい表現だと思いませんか・・・・・・。
そして、悲劇は悲劇を生みました。
ブルースの長男であり愛息子の、ブランドン・リー(本名;李國豪/読み=り・ごっこう)
は幼少期に父親の死に直面した訳ですが
その(父・ブルースの)雪辱を晴らす為、武道に励み自らも青年期になってからは
様々な映画に出演する訳ですが、1994年に公開された映画「THE CROW ~クロウ 飛翔伝説~」
の銃撃されるシーンの撮影を行ったトコロ、使用された銃には空砲ではなく、実弾が装填されており
実際に発射された弾丸が腹部に命中したことにより、死去・・・・・・。
わずか28年の生涯でした。
父親よりも若くに、しかもちゃんと注意していれば避けられたはずの事故によって・・・
ブルース&ブランドン父子の共同墓が、シアトル市内のレイク・ビュー墓地に現在、安置されています。
最後に。
↑ブルースが生前残した名言、そして↑で挙げたブルース主演作5作品の中の名場面、
それとこれまた素人さんによる出来栄えの素晴らしいMVを置いておきます。
知る人ぞ知る、最高の名言① 【Be Water!】(※最後の笑顔にやられます!)
知る人ぞ知る、最高の名言② 【Don't think, Feeeel!】
「ENTER THE DRAGON」より、【Bruce VS O'hara】
「ENTER THE DRAGON」より、【Bruce VS Chuck Norris】
「FIST OF FURY」より、 【Bruce VS Japanese School】
(※このシーンから、初めてヌンチャクが使われるようになる。)
「FIST OF FURY」より、 【Bruce VS Suzuki】(※Suzuki役の人は、今でも現役活躍中!)
素人さんによるMV コチラ
そして、最後の最後に。
今、生きている中でブルース・リーの親族を紹介して、長い記事を終了させようと思います。
妻;リンダ・リー・エメリー・キャドウェル(1945.3.21~ 現在65歳、ブルース・リー財団 会長)
娘;シャノン・リー・キースラー(1969.4.19~ 現在41歳、女優 及び ブルース・リー財団 代表)
娘の旦那;イアン・キースラー(?~ 40代くらい?、職業不詳)
孫娘;レン・キースラー(?~ 小学生くらい?)
※今晩のBGM
「功夫」と書いて、中国では「カンフー/クンフー」と読むらしいです。
意味も、マーシャル・アーツの一つである、カンフーのコトだそうで。
でも日本じゃ、普通に人の名前ですよね。「いさお」さん、みたいな。笑
まあ、そんな小ネタは置いといて。
↑画像でもお分かりのように。
今年2010年は、不世出のマーシャル・アーティスト&中国人武道家&中国人アクション俳優であり
截拳道(ジークンドー)の創始者、ブルース・リーの生誕70周年な訳であります。
そしてその70周年の記念に、ほんの数ヶ月前に奥さんのリンダさん・娘さんのシャノンさん
更にその娘さん(ブルースにとっては孫)のレンちゃんが来日していたらしいのです!
ブルース・リーの名言&名場面を紹介する前に、まずはその生い立ち・背景・家族など
これを機に、ザラッと確認しておこうと思います。
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ブルース・リー(Bruce Lee)、本名;李小龍(読み=リー・シャオロン/レイ・シウルン)は
1940年11月27日、
父親は中国系で、広東演劇の俳優・李海泉(読み=レイ・ホイ・チュン/1901.2.4~1965.2.8)と
母親は上海出身、ドイツ系と中国系の混血人・何愛瑜(読み=ホー・ゴイユ/1907~1996.6.24)との間に
五人兄弟(中には姉もいる)の次男として、合衆国カリフォルニア州サンフランシスコにて生まれました。
<※名前の由来は、辰年(1940年)・辰の刻(午前8時)に生まれたから、
というのは結構有名な事実ですよね。>
ちなみに、母親の名前は他に(ドイツ系からは)「グレイス」、(中国系からは)「優美」
とも呼ばれていたとか。
あと、他の四人の兄弟について。(面倒なので一部を除き、名前だけ。笑)
●長兄・李忠探(ピーター)
●長女(姉)・李秋圓(フィービー)
●次女(双子の姉!)・李秋凰(アグネス)
●三男(弟)・李振輝(ロバート)
ここで特筆すべきは、ブルースにとって二番目の姉であるアグネスの存在です。
一般的に、双子なら、普通同性同士として生まれるはずが、異性に分かれるとは・・・・・・
ブルースの女の子版・・・・・・資料が無いので、顔が分かりませんが、想像出来ません凹苦笑
それに、こんな最高の遺伝子を持って生まれて来た男性のもう片方だから、
きっと(別のフィールドで)凄い人物だった、と推測せずにはいられません。
ちなみに、双子で男の子と女の子に分かれた場合、中国では名前に
男の子なら「龍」、女の子なら「凰」を付けるのが暗黙の慣習らしいです。
さて。
そんな五人兄弟の中に生まれ、父親がその地方では結構な名優だった為
家庭は裕福で、(自身も子役を生後1ヶ月から始め)何不自由無く育ったブルースですが
父親が有名人であるというのと、当時としても珍しい中国服を着て学校に通っていた為
街中で目立ち、気性の荒かったブルースは「何をジロジロ見ているんだ」と難癖を付け
いつも毎日のように暴力沙汰を起こしていたとか。
とにかく、勉学よりも暴力沙汰・女性との交際に夢中になっていた中学・高校時代だったようです。
その結果、「俳優の不良息子」と悪名高いレッテルを貼られ、
高校も退学処分となったブルースの将来を心配した父親から渡米するよう命じられ、
18歳で香港(当時はまだイギリス領)から所持金わずか100ドルで単身渡米し、シアトルに移り住みます。
それからは、自ら更生、新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校に通い、高卒資格を得て
ワシントン大学哲学科に進学し、勉学に励むかたわら「振藩國術館」を開いて中国武術の指導も始めます。
同時並行で、高校で哲学の講師もしていたとか。
そしてその頃、同じ大学の医大生で道場の生徒だったリンダ・エメリー・キャドウェル(1945.3.21~ )
と知り合い、結婚。その後、大学を中退し道場経営に専念。
ついに、截拳道(ジークンドー)を創始するに至ります。
///////ここで、截拳道について、軽く解説を。///////////////////////////////////////
「截拳道」
広東語でジッキュンドーと読み、英語表記はJeet Kune Do、日本では一般的にジークンドーと呼ばれる。
頭文字3つを取って、JKDと呼ばれることも。
詠春拳・節拳(弾腿門)などのカンフーの技術に、
空手(琉球王国時代の沖縄発祥)・ボクシング(ギリシャ発祥)
サバット(ブルボン朝時代のフランス発祥)・合気道(第二次世界大戦後の日本発祥)
柔道(19世紀の日本発祥)など、
さまざまな格闘技のエッセンスが取り入れられている武道。
哲学的側面に道教のタオ(Tao)思想の影響がみられる。
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さて、かつての不良時代はどこへやら、
そんな武道家として、合衆国にて順風満帆な生活に落ち着いていたブルースですが
(1965年には長男・ブランドンも誕生)
1966年に、本国(合衆国)で開催された「ロングビーチ国際空手選手権大会」でJKDの演武を披露したトコロ、
その(演武の)フィルムがTVプロデューサーの目に止まり、
TVシリーズ「グリーン・ホーネット」の準主役に抜擢され・・・・それからは瞬く間に
一気にスター街道をまっしぐら。
ブルースが主演のカンフー映画は、その後、急逝するまで5作品が製作されました。
◎ENTER THE DRAGON「燃えよドラゴン」1973年公開
◎THE BIG BOSS「ドラゴン危機一髪」1974年公開
◎FIST OF FURY「ドラゴン怒りの鉄拳」1974年公開(香港では1972年公開)
◎THE WAY OF THE DRAGON「ドラゴンへの道」1975年公開(香港では1972年公開)
◎THE GAME OF DEATH「死亡遊戯」1978年公開
そして、1973年7月20日に、ブルースは「死亡遊戯」で共演予定の女優;ベティ・ティンペイの香港の自宅で
頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含む・Equagestic)を飲んでベッドに横になりました。
しかし、そのまま昏睡状態に陥った為、ティンペイは
レイモンド・チョウ(現在は映画プロデューサーの他、ゴールデン・ハーベストの会長を務めている)を呼び、
そのままクイーン・エリザベス病院へ搬送されたのですが、死亡が確認され・・・
帰らぬ人に。32歳でした。
公式な死因は脳浮腫で、司法解剖の結果、微量の大麻が検出された他、
脳が極度に肥大化していたことが判明。
そして、最終的には背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その日の晩に服用した
頭痛薬の副作用が死因である、と発表され幾歳月・・・・・・
しかし最近の研究では、「癲癇(てんかん)」による突然死の可能性が高い、という説が浮上。
早世した歴史上の多くの天才ミュージシャン達と同じく、
彼の死因は結局、21世紀になった今でも、闇のベールに包まれたままなのです凹
そして彼の死後、香港のとある場所に銅像が建てられることに。
伝説的天才。まさに彼に相応しい表現だと思いませんか・・・・・・。
そして、悲劇は悲劇を生みました。
ブルースの長男であり愛息子の、ブランドン・リー(本名;李國豪/読み=り・ごっこう)
は幼少期に父親の死に直面した訳ですが
その(父・ブルースの)雪辱を晴らす為、武道に励み自らも青年期になってからは
様々な映画に出演する訳ですが、1994年に公開された映画「THE CROW ~クロウ 飛翔伝説~」
の銃撃されるシーンの撮影を行ったトコロ、使用された銃には空砲ではなく、実弾が装填されており
実際に発射された弾丸が腹部に命中したことにより、死去・・・・・・。
わずか28年の生涯でした。
父親よりも若くに、しかもちゃんと注意していれば避けられたはずの事故によって・・・
ブルース&ブランドン父子の共同墓が、シアトル市内のレイク・ビュー墓地に現在、安置されています。
最後に。
↑ブルースが生前残した名言、そして↑で挙げたブルース主演作5作品の中の名場面、
それとこれまた素人さんによる出来栄えの素晴らしいMVを置いておきます。
知る人ぞ知る、最高の名言① 【Be Water!】(※最後の笑顔にやられます!)
知る人ぞ知る、最高の名言② 【Don't think, Feeeel!】
「ENTER THE DRAGON」より、【Bruce VS O'hara】
「ENTER THE DRAGON」より、【Bruce VS Chuck Norris】
「FIST OF FURY」より、 【Bruce VS Japanese School】
(※このシーンから、初めてヌンチャクが使われるようになる。)
「FIST OF FURY」より、 【Bruce VS Suzuki】(※Suzuki役の人は、今でも現役活躍中!)
素人さんによるMV コチラ
そして、最後の最後に。
今、生きている中でブルース・リーの親族を紹介して、長い記事を終了させようと思います。
妻;リンダ・リー・エメリー・キャドウェル(1945.3.21~ 現在65歳、ブルース・リー財団 会長)
娘;シャノン・リー・キースラー(1969.4.19~ 現在41歳、女優 及び ブルース・リー財団 代表)
娘の旦那;イアン・キースラー(?~ 40代くらい?、職業不詳)
孫娘;レン・キースラー(?~ 小学生くらい?)
※今晩のBGM
双子ではありません!
ホント、その通りです。
なんで不正確に書いてしまったんだろう・・・。
もう2年前なので忘れてました。汗