一年前、続きは近日中に・・・ということでしたが、1年も経ってしまいました^^
台湾留学から帰ってきたのが2023年1月。
そして長男は2月から3ヶ月間バックパッカーとして一人旅に出かけました。
ベルリン、プラハ、ミュンヘン、ニュルンベルグ、小さい時に住んでいたデュッセルドルフ、
それからブリュッセル、パリ、ロンドン、エジンバラ、ミラノ、フィレンツェ、ナポリ、ローマ、
ヨーロッパ内はバス移動が多かったと記憶してます。
そしてパリからロンドンにはなんと船で。
ドーバー海峡を渡りました。
ドイツ、ベルギー、パリは民泊です。
知らない民間人のお家に泊めてもらいました。
みなさん親切で、その土地のことをいろいろ教えてくれました。
ベルギーでは学生さんの家でしたが、ドイツやパリは40代の単身おじさまのお家でした。
古代ドイツのお話や、伝統的なフレンチ料理を作ってくれたり、長男はいろいろな経験をすることができました。
初日のベルリンでは強盗にあって20万円分のお金を盗られてしまいました。
それをみていたロシア人がその後のフォローをしてくれました。
長男は一人で警察に行って被害届と、保険を請求できるようにその書類を作ってもらいました。
初っ端から大変なことが起きたわけですが、その後心落ち着かせて旅は継続。
台湾留学で上手になった英語を実践で使って、ますます上手になりました。
ヨーロッパの都市は2泊3日くらいのペースで移動し、ちょうど1ヶ月たったころ、ローマからイスタンブールに飛びました。
トルコの都市も4箇所くらいまわっていましたね。
トルコはとても気に入ったようで、ヨーロッパの小刻みの移動の疲れを癒すべく3週間ほど滞在していました。
そしてそれからイランに移動。
イランでも4箇所くらい周り、また民泊をしました。
イランも3週間いたのですが、イランの方のホスピタリティに感銘を受けたようです。
とてもとても親切でした。
イランという国は、日本ではイマイチどんな国なのかわかりません。
なんとなく怖いイメージがありますが、そんなことは全くなかったようです。
イラン人にとって政治には不満もおありのようですが、個人個人は本当に親切な国民性でした。
タクシーに乗ってある博物館に向かいました。
タクシーのドライバーが、外国人と現地人とでは入場料が違うので買ってきてあげる・・・とチケットを買ってきてくれました。
その費用を払おうとしたら頑な受け取ってくれません。 君はゲストだから・・・。
そのあとまた違う観光地に向かいました。
そこはその日クローズしていたようです。
そしたらそのドライバーさんは、そこの守衛さんに日本からゲストが来ている、開けてくれないか? とお願いをするではないですか!
すると守衛さんもゲストが来てるならしょうがない、どうぞ・・・といって通してくれました。
日本では考えられませんよね。
ラマダン中の夜行列車移動、お迎えに座ったご婦人と娘さんとお話ししました。
そしたら彼女たちがいろいろ食べものをくれるんです。あなたは外国人でラマダン関係ないから、これ食べて・・・・。
民泊したお家でも、年に数回しか食べないご馳走を振舞ってくれたりしました。
そんな感じでイランはとても良くて、離れたくなかったようです。
街も綺麗でぼったくりもない。
そんなイランを後にして向かったのはインドでした。
インド・・・申し訳ないけれど、ゴミが至る所に落ちている。
呼び込みもしつこくて、ぼったくろうともする。
イランを最終にすればよかった・・・・インドはもう嫌だ・・・・
ということでインドは1週間ほどの滞在で日本に帰国してきました。
帰国したのは2023/5/2でした。
そして長男はまた出かけます。
7月から2週間、台湾へインターンに行きました。
就職経験ですね。その後、現在夫が赴任中のマレーシアへ。
そして8月末に日本に帰国して、9月から大学3年生に復帰しました。
休学した1年、彼は本当に大きく成長しました。
怖い思いもしたけれど、世界各国の人たちと交流し、本当に見聞を広げることができました。
長男は日本人より外国人の方が好きみたいです。
誰にでも声をかけれます。
我が息子ながらすごいなって思います。
このブログの一番最初は長男が中1の時から始まります。
反抗期のひどい子でした。私のストレス発散の場であったこのブログ。
あのくそ生意気だった長男が、こんな冒険心、行動力のある子に成長してくれて母はとても嬉しいです。
ちなみに9月だったかな、Toeicを受けてみました。
900点には届かず、860点でした。
でも860点からAランクだそう。また実践で問題なく英語が使えるので、もう点数にはなんのこだわりもないようです。
だって使えるから・・・ね。
台湾留学から帰ってきたのが2023年1月。
そして長男は2月から3ヶ月間バックパッカーとして一人旅に出かけました。
ベルリン、プラハ、ミュンヘン、ニュルンベルグ、小さい時に住んでいたデュッセルドルフ、
それからブリュッセル、パリ、ロンドン、エジンバラ、ミラノ、フィレンツェ、ナポリ、ローマ、
ヨーロッパ内はバス移動が多かったと記憶してます。
そしてパリからロンドンにはなんと船で。
ドーバー海峡を渡りました。
ドイツ、ベルギー、パリは民泊です。
知らない民間人のお家に泊めてもらいました。
みなさん親切で、その土地のことをいろいろ教えてくれました。
ベルギーでは学生さんの家でしたが、ドイツやパリは40代の単身おじさまのお家でした。
古代ドイツのお話や、伝統的なフレンチ料理を作ってくれたり、長男はいろいろな経験をすることができました。
初日のベルリンでは強盗にあって20万円分のお金を盗られてしまいました。
それをみていたロシア人がその後のフォローをしてくれました。
長男は一人で警察に行って被害届と、保険を請求できるようにその書類を作ってもらいました。
初っ端から大変なことが起きたわけですが、その後心落ち着かせて旅は継続。
台湾留学で上手になった英語を実践で使って、ますます上手になりました。
ヨーロッパの都市は2泊3日くらいのペースで移動し、ちょうど1ヶ月たったころ、ローマからイスタンブールに飛びました。
トルコの都市も4箇所くらいまわっていましたね。
トルコはとても気に入ったようで、ヨーロッパの小刻みの移動の疲れを癒すべく3週間ほど滞在していました。
そしてそれからイランに移動。
イランでも4箇所くらい周り、また民泊をしました。
イランも3週間いたのですが、イランの方のホスピタリティに感銘を受けたようです。
とてもとても親切でした。
イランという国は、日本ではイマイチどんな国なのかわかりません。
なんとなく怖いイメージがありますが、そんなことは全くなかったようです。
イラン人にとって政治には不満もおありのようですが、個人個人は本当に親切な国民性でした。
タクシーに乗ってある博物館に向かいました。
タクシーのドライバーが、外国人と現地人とでは入場料が違うので買ってきてあげる・・・とチケットを買ってきてくれました。
その費用を払おうとしたら頑な受け取ってくれません。 君はゲストだから・・・。
そのあとまた違う観光地に向かいました。
そこはその日クローズしていたようです。
そしたらそのドライバーさんは、そこの守衛さんに日本からゲストが来ている、開けてくれないか? とお願いをするではないですか!
すると守衛さんもゲストが来てるならしょうがない、どうぞ・・・といって通してくれました。
日本では考えられませんよね。
ラマダン中の夜行列車移動、お迎えに座ったご婦人と娘さんとお話ししました。
そしたら彼女たちがいろいろ食べものをくれるんです。あなたは外国人でラマダン関係ないから、これ食べて・・・・。
民泊したお家でも、年に数回しか食べないご馳走を振舞ってくれたりしました。
そんな感じでイランはとても良くて、離れたくなかったようです。
街も綺麗でぼったくりもない。
そんなイランを後にして向かったのはインドでした。
インド・・・申し訳ないけれど、ゴミが至る所に落ちている。
呼び込みもしつこくて、ぼったくろうともする。
イランを最終にすればよかった・・・・インドはもう嫌だ・・・・
ということでインドは1週間ほどの滞在で日本に帰国してきました。
帰国したのは2023/5/2でした。
そして長男はまた出かけます。
7月から2週間、台湾へインターンに行きました。
就職経験ですね。その後、現在夫が赴任中のマレーシアへ。
そして8月末に日本に帰国して、9月から大学3年生に復帰しました。
休学した1年、彼は本当に大きく成長しました。
怖い思いもしたけれど、世界各国の人たちと交流し、本当に見聞を広げることができました。
長男は日本人より外国人の方が好きみたいです。
誰にでも声をかけれます。
我が息子ながらすごいなって思います。
このブログの一番最初は長男が中1の時から始まります。
反抗期のひどい子でした。私のストレス発散の場であったこのブログ。
あのくそ生意気だった長男が、こんな冒険心、行動力のある子に成長してくれて母はとても嬉しいです。
ちなみに9月だったかな、Toeicを受けてみました。
900点には届かず、860点でした。
でも860点からAランクだそう。また実践で問題なく英語が使えるので、もう点数にはなんのこだわりもないようです。
だって使えるから・・・ね。