僕は死とはもはや個人の問題だとは思っていない。病気で死ぬなら残された家族を心配したり、大切な仲間に言い残すことを考えたりすることもあろうが、少なくともこれからの人の死は、大災害や、あるいは戦争で、エリアの住民ごと全員死ぬ、つまり滅亡だと思っている。個人の死は寿命が来れば誰にでも訪れるものだから、個人の死についての哲学がそれぞれあろう、特に今日は高齢化社会だから一層。しかし、これからは大量の災害死、大量の虐殺死だから、死んだ後のことを考えるより、どうやって災害や戦争を防ぐか、そのことをもっと我々はしたが考えるべきだと思っている。
もう少し突っ込むと、個人の自然死は誰のせいでもないが、大量死は誰かの過失であり、誰かのの悪意によるものである。それを追及するシステムは喫緊の課題であるし、何よりもそれを未然に防ぐことが今日の最大の課題だと考える。
つまり、政治システムを変えるだけでは足りない、人類の一人一人が考えるべき問題だ。昨日の映画、新聞記者ドキュメントを見てもよくわかったのは、国民の知る権利そのものがないがしろにされていると言うこと。つまり、政権が変わったところで、確実に同じことが繰り返されるだけと言うことだ。政治家を変える、と言う発想はもはや限界、政治システムを変える、と言うレベルで未来を考えなければならない時代だ。
もう少し突っ込むと、個人の自然死は誰のせいでもないが、大量死は誰かの過失であり、誰かのの悪意によるものである。それを追及するシステムは喫緊の課題であるし、何よりもそれを未然に防ぐことが今日の最大の課題だと考える。
つまり、政治システムを変えるだけでは足りない、人類の一人一人が考えるべき問題だ。昨日の映画、新聞記者ドキュメントを見てもよくわかったのは、国民の知る権利そのものがないがしろにされていると言うこと。つまり、政権が変わったところで、確実に同じことが繰り返されるだけと言うことだ。政治家を変える、と言う発想はもはや限界、政治システムを変える、と言うレベルで未来を考えなければならない時代だ。


先週、「沼にハマってきいてみた」に登場した押上の大黒湯へ。押上から道に迷った、疲れたー。
やっと見つけた、下町のオアシス。すげー、早朝にもオールナイトにも対応、テレビの取材も沼ハマに限らず待ち合いスペースには芸能人サインがたくさん(てか、、入口にあった「人間失格」がタイムリー過ぎてw)。入浴券を買いフロントの大女将にチケットを。下駄箱(松竹錠)はロッカーの鍵と交換。
うわ、平日なのにむっちゃ混んでる。空きカランがない、と思ったら、風呂桶と座椅子はカランに備え付け方式。だいぶリニューアルした感じですが、ちゃんと折り上げ格天井。体重計はメーカー不明、貫目目盛りが渋い。
浴室、混んでるのはやはり多設備銭湯。例によってモンモンさんがサウナと水風呂を。往復する光景。それと、最近できたのか、高濃度炭酸泉も溜まり場状態、6人満員。
ペンキ絵は丸山さんのようだが、桜とか湖き小舟とか、丸山さんにしては珍しいモチーフ。もちろんメインは富士山なんですが。
湯上がり、飛騨高山このパイン牛乳130円。ウマー。沼ハマで出てだけど田中圭とサバンナ高橋のツーショットは見当たらなかったな(笑)。