
店内の内装が変わったな、店員も1人になってる。もちろん今も人気でほぼ満席。
じゅーしーめん750円。この独特の香ばしいスープは唯一無二、他にどこにもこれと似た味はない。一口目から、ああ、この味だよ、と言う満足感。ここのラーメンを週1で食べられたあの頃は幸せだったと言えます。
食後、駅に向かうまでの間にも名だたる名店が頑張ってる、いもやのとんかつとかさぶちゃんの半チャンラーメンの店とかが現役でホッとする。しかし、これらの名店も混雑していたが、外まで行列ができていたのは、当時はなかった焼き肉店、それと相変わらずの二郎だった。
目覚ましを5:45にかけてみたものの、起きれなかった。普段は仕事の悩みで眠りが浅いのに、揺れとか音に対しては非常に鈍感だ。常に騒音のある環境で暮らしているので仕方ないとはいえ、やはり危機察知能力が弱いな、と感じる。
起きてテレビで見るニュースはもちろん関西淡路大震災から20年。まだあの頃は若かったが、今日は病院で検査、身体のあちこちに故障が出る歳になった。
震災体験者ではないので、自然災害がトラウマにはなっていないのだが、あの年も一時期仕事で苦しんでいた時期があった。そして、東日本大震災の年には会社を辞めるまでに至っており、物理的に震災の被害を被ってなくても心の傷が残る年と重なっている。
某マイミクさんの日記で、時間の流れの感じ方は人それぞれ、なんて話をしたが、僕個人は小さい頃からトラウマが多く、その結果過去を忘れ去ろう、と言う傾向があるのかも知れない。過去に戻りたいと言う気持ちが同世代に比べ大幅に低いし、幼少の頃からトラウマ抱えていると未来にも希望を持たない性格になった。逆に、社会の過去や未来を考える時には比較的主観を廃して語れてるように思えるけど。
起きてテレビで見るニュースはもちろん関西淡路大震災から20年。まだあの頃は若かったが、今日は病院で検査、身体のあちこちに故障が出る歳になった。
震災体験者ではないので、自然災害がトラウマにはなっていないのだが、あの年も一時期仕事で苦しんでいた時期があった。そして、東日本大震災の年には会社を辞めるまでに至っており、物理的に震災の被害を被ってなくても心の傷が残る年と重なっている。
某マイミクさんの日記で、時間の流れの感じ方は人それぞれ、なんて話をしたが、僕個人は小さい頃からトラウマが多く、その結果過去を忘れ去ろう、と言う傾向があるのかも知れない。過去に戻りたいと言う気持ちが同世代に比べ大幅に低いし、幼少の頃からトラウマ抱えていると未来にも希望を持たない性格になった。逆に、社会の過去や未来を考える時には比較的主観を廃して語れてるように思えるけど。

中へ、番台の大女将に湯銭とスタンプ帳を。やはり大型の銭湯のようで、島ロッカーがあっても広々、まあ天井が高いと言うのもありますが。壁際には横長ロッカー、私はそれを使うことに。左手前にくつろぎスペース、庭があるみたいですがそんなに広くはないようです。島ロッカーの上には招き猫、正面中央には豪華な熊手、昔ながらの商売繁盛の装飾品。体重計はTANAKA。次の月火は連休ですか>ここにも手書きの貼り紙。
浴室へ。湯道具は赤ハチマキに温泉マークの桶底の白プラスチック桶と水色台形座椅子。島カランは1列、カラン数は6・6・6・6。かなり繁盛してますねえ、久々にカランをどこにするか迷い、珍しく上座を取ることに。最初7~8人でしたがピーク時には10人行きました。
ペンキ絵は中島さん、赤富士で川の水が滝のように湯船に流れ込む構図。サインには「22.7.26 ナカジマ」とあります。
浴槽は2槽。右側深湯は座風呂と人間洗濯機1人分ずつ。左側浅湯は背中バブル3人分。湯温は41度くらいで伝統銭湯としてはぬるめ、長湯するほどではないですが。で、ゲルマニウム鉱石とやらが編み袋に入って湯船に沈められています。能書きも多く、なんだかよく暖まった気分。それにしても、これだけある浴槽が埋まっている風景もかなり珍しい。日暮里、三河島の銭湯は常連客がとても良いお客ですね。
湯上がりは明治コーヒー牛乳120円。番台は品の良い若女将に交替。常連の皆さんは会話こそ交わさないものの、上がってからのくつろぎタイムものんびりしていらっしゃる、そういう風景を見るだけでも癒されます。
帰りは日暮里を目指したつもりがなぜか鶯谷に出てしまった、なぜ?