DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

みんなと言う幻想

 以前、宇野常寛氏の著書でオリンピックの否定の仕方が、お金の使い方、国の発展に対するビジョンのあり方を論点としていたが、後半に私と同様の意見もあった。1964年の東京オリンピックは「みんな」が支持したから成功、と言う一般論に反論している。「みんな」からあふれる人は確実にいて、割を食う人がいるのに、それを全肯定する訳にはいかない。
 私は多くの場面で「みんな」からあふれ出す人だ。夢や希望を持て、と言われても、多くの人の夢が戦争兵器を作ったり環境破壊したりしてるのに、全肯定なんかできない、と反論するし、人が成長するのは当然のことだ、と言うのも成長した大人の経験をもってしてもいじめを根絶できないのはなぜ?成長なんて子どもの気持ちを理解しなくなる面もあるよ?と反論する。
 LGBTQ+の問題を上げるまでもなく、同調圧力で多数派意見に少数派が合わせることを強要するような日本社会は民主主義国家としては課題が多すぎる。たとえ軍事費が増額されても、少なくとも大規模な反対デモで国民の少数派の意見をちゃんと政府に伝えないといけない。と言うか、しばらく国政選挙がないから今のうちに軍備増税する、と言う説もあるくらいで。
 とにかく、多数派であることだけが正しい訳ではない。多数派が正しいのなら、民主的選挙で選ばれたヒトラーは正義になる。その失敗から学んだのがヨーロッパの民主主義。日本は敗戦で情状酌量されているから、そのレベルに届いていない。ヨーロッパの民主主義だってまだ正解ではない。しかし、ヨーロッパと同じレベルの民主主義になるよう、国民には切に学んで欲しい。
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