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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

Aki Kaurismaki / マッチ工場の少女

2012-04-25 19:19:26 | 映画・演劇・美術
 カウリスマキ特集二段目。どこにでもある染みっ垂れた失恋ドラマ。よくあることさと失笑しながら普遍的な人間ドラマとしても面白い。
 カウリスマキ映画に出てくる人物は皆無口で表情に乏しい。フィンランドの人がそういう感情を露にしない民族なのかどうかは知らない。しかし極めて普遍的な物語なので何人の人が観ても登場人物に自分を投影して共感することができる。
 レニングラードカウボーイズと同様、BGMのあちこちでロックンロールが流れる。そしてそれらは皆歌詞がド演歌(笑)。このミスマッチの隙間に、カウリスマキ監督独自の人間普遍の哀愁が吹き込まれている。
 人情ドラマは感情を大げさに表現すると、普遍的ゆえに北朝鮮のTVニュースみたいな安っぽさが出る。ヒューマンドラマの静かな傑作。
 と同時に、僕が深く愛して止まない作品は人間性と政治性が表裏一体のドラマだと思う。主人公は天安門事件を報道するTVニュースなんかより自分の恋愛の方が大事、という素振りをするが、天安門で学生たちの自由への希望が無残に絶たれたように、彼女の恋も無残に踏みにじられる。物語的には彼女は殺人犯として捕まる結末だが、カウリスマキは救い様のない絶望を描いている訳ではない。むしろその悲しみを演歌的なドラマとして「よくあることだよ」と慰めるような手触りを感じさせる。つまりカウリスマキ監督は天安門事件にも決して絶望していない、民主化達成の希望は捨てていない、というメッセージを隠している。良い政治映画は観てすぐにそれと分かるような描き方はしない、こういう優れたメタファーを挿入できることが良い政治映画だと思っている。



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