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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

Devo / Mongoloid (人間の尊厳について)

2020-08-03 12:13:13 | 社会・政治
 ちょっと前に津久井やまゆり園の事件で亡くなられた方々の5回忌があり、また、ALS患者の属託殺人事件もあった。何よりこのコロナ禍、命の重みを考えずにはいられない。
 ディーヴォのメジャーデビューシングル曲。モンゴロイドと言えば一般的には黄色人種の意味だが、ここではダウン症の俗語であることを最近知った。つまり、この曲は「ダウン症の人たちは我々よりハッピーな人たちであり、彼らの時代にはノーマルな生活をしていた」と言う、ディーヴォのコンセプト「私たち人類は退廃に向かっている」と言うことを端的に語ったファンタジーの曲である。テクノロジーが進化する一方で、若者の基礎体力の低下が指摘されたり、キレやすい大人がしばしば社会問題になったりする。
 フロイト以降の精神医学者が複数指摘している話でも、「精神病はその人の病気ではなく、社会が排除の論理で一部の人たちにつけるレッテルである」とも言われている。例を上げるならば、自粛警察とは、コロナウィルスの不安と恐怖に駆られた中での「社会」の側の病気と言うことになる。
 ちょっと前に、ALS患者の人も、出会う人に、その病気を受け入れてくれる人がいるかどうかでその人の生きる気力が天地ほどの差が出る、と言う話をした。身体が動かせない、と言うのは大変自尊心が傷つくことだと、実際に患ったことのない人間でもある程度は(つまり全面的な理解には及ばない)想像できるが、その絶望から立ち上がるためには、その病を全面的に受け入れてくれる人と出会えるかどうかが極めて重要だと言う。つまり、治療の医学の進歩も大事だが、その病を受け入れる社会のあり方も極めて重要。そして、そのような社会は少数の専門家が作るのではなく、私たち一般の人々だ。
 私たちは、それがその人個人の病にとどまる話なのか、社会で受容すべき病なのかを見極める、と言うことも大事な時代(本当は昔から大事なのだが)になったと言うこと。

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