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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

カトリックとプロテスタント(16世紀までさかのぼって考える)

2021-02-06 07:58:21 | 社会・政治
 今回のアメリカ分断は、宗教的な観点から見ると少し整理しやすいように思える。共和党≒カトリック、民主党≒プロテスタント、と大雑把に分けてみると見通しが良くなる。
 もちろんカトリックが保守的で、プロテスタントが革新的、と言うのはある。そこをもう少し詰めると、福音派を中心としたカトリックは、神が中心であり、その意味でコロナ感染に対して自己責任論(神の裁き?)で対応し、経済的にリバタリアニズム(完全放任主義、と言うか新自由主義)でありたいと考える。よって、政府の援助より個々の経済活動を重視する。ところが保守だから、海外には平気で重い課税をしてなんとも思わない。
 一方、プロテスタントは、経済的には彼らも放任主義(だから、GAFAの寡占にも寛容。GAFAのアガリは税金→社会援助となって貧困層に再配分されれば良い)である一方、「人間中心主義」であり、コロナ対策はもちろん、BLM問題、LGBT問題を重視する。その意味でトランプの主張は全く受け入れられない。
 日本はキリスト教は主要宗教ではないのでこの論法は当てはめにくいが、実際、「いじめ問題」はとても自己責任論と相性が良いし、日本はまだロックダウンまでやっていないので、一度ロックダウンしたら、トランプ支持者の国会議事堂占拠に匹敵するデモは十分に起こりうると考えている。一般的なアンケートでは経済優先(コロナは風邪、みたいな極端なやつ)よりもしっかりコロナ対策を、と言うのが多数派だが、状況が変わればまた世論は変化する。
 コロナは仕事を休めない貧困層(富裕層はのんびりワーケーションできる)にこそしっかり対策しないとおさまらない。その意味では社会援助重視、と言うのが私の主張。


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