カール・ヒルティ「幸福論」 人間知について
ヒルティの「幸福論」は、本当に、人生の基盤を創ってくれたと言ってもいい本だった。
若いころ人間関係に悩んだ時期もあった。人間恐怖になった時期も少しの期間だがあった。でも、カール・ヒルティ「幸福論」(岩波文庫)は、「人間知について」という章もあり、人間関係を知るうえで大変参考になったものだ。
以下に一文を抜粋してみる。
親愛なる読者よ、一般に、人間知を求めるのに理論的方法に頼りすぎてはならない。人間知の大方は、ただ自分の――しかもたいていは悲痛な――経験によってのみ得られるものだ。ただ、何事も二度と経験すまいと決意したまえ。こういう人こそ賢明な人であって、すこしも過ちを犯さない人は、たとえそのような人がいたとしても賢明だとはいえない。
また、人間知は、単に牡山羊と羊とを区別し、これからは羊だけを世話するということに役立つのであってはならない。それはむしろ、ひとに瞞されないため、また自分自身をよくするため、さらにまた、運命によって自分と接するすべての人の性格を理解して、彼らをより良くするためにも、役立つものでなくてはならない。
というのは、人間の魂はそれぞれ無限の価値を持つものであって、努力をおしまずこれを救済する値打ちがあるという考えを捨て去るならば、その人はすでに危うい斜面に立つのであって、やがては再び完全な利己主義に落ちてしまうからである。
人間知の最後の言葉は、すべての人に対する愛でなければならぬ。愛だけが、人間をあるがままにしかと知りながら、しかも人間を見捨てずに済むのである。愛のない人間知は常に不幸であり、それは、いつ世を問わず多くの賢明な人たちが陥った深い憂鬱の原因であった。かような場合、彼らは同じ人間仲間との交わりをあきらめるか、それとも独善独裁にのがれるほかはなかった。
なぜなら、いったん人間を知ったからには、人間と交わるには結局二つの道しかないからである、すなわち、恐怖によるか、愛によるか。その中間の道はすべてごまかしである。
カール・ヒルティ 人間知について 「幸福論(第2部)」岩波文庫から
ヒルティの「幸福論」は、本当に、人生の基盤を創ってくれたと言ってもいい本だった。
若いころ人間関係に悩んだ時期もあった。人間恐怖になった時期も少しの期間だがあった。でも、カール・ヒルティ「幸福論」(岩波文庫)は、「人間知について」という章もあり、人間関係を知るうえで大変参考になったものだ。
以下に一文を抜粋してみる。
親愛なる読者よ、一般に、人間知を求めるのに理論的方法に頼りすぎてはならない。人間知の大方は、ただ自分の――しかもたいていは悲痛な――経験によってのみ得られるものだ。ただ、何事も二度と経験すまいと決意したまえ。こういう人こそ賢明な人であって、すこしも過ちを犯さない人は、たとえそのような人がいたとしても賢明だとはいえない。
また、人間知は、単に牡山羊と羊とを区別し、これからは羊だけを世話するということに役立つのであってはならない。それはむしろ、ひとに瞞されないため、また自分自身をよくするため、さらにまた、運命によって自分と接するすべての人の性格を理解して、彼らをより良くするためにも、役立つものでなくてはならない。
というのは、人間の魂はそれぞれ無限の価値を持つものであって、努力をおしまずこれを救済する値打ちがあるという考えを捨て去るならば、その人はすでに危うい斜面に立つのであって、やがては再び完全な利己主義に落ちてしまうからである。
人間知の最後の言葉は、すべての人に対する愛でなければならぬ。愛だけが、人間をあるがままにしかと知りながら、しかも人間を見捨てずに済むのである。愛のない人間知は常に不幸であり、それは、いつ世を問わず多くの賢明な人たちが陥った深い憂鬱の原因であった。かような場合、彼らは同じ人間仲間との交わりをあきらめるか、それとも独善独裁にのがれるほかはなかった。
なぜなら、いったん人間を知ったからには、人間と交わるには結局二つの道しかないからである、すなわち、恐怖によるか、愛によるか。その中間の道はすべてごまかしである。
カール・ヒルティ 人間知について 「幸福論(第2部)」岩波文庫から