天照の独り言

つれづれに思った事を書き綴るブログへと変更(2019年1月1日より)
以前は「某宗教団体の欺瞞を世に知らしめるブログ」

最後は「超能力」が動機の場合

2010-12-06 02:53:23 | Weblog
それでは最後の区分(後回しにしていたやつ)に参りましょう。
「超能力が欲しい」が動機の場合です。

まず、A宗では教祖がA宗の信仰による修行を行うと下記のような能力が身につくことが出来る、と
言っていたことがあります。それを示しましょう。

『阿含仏教超能力の秘密』57-61頁より

1.事物の明確な認識と予知
2.すぐれた高度の創造力
3.強靱な体力と卓抜な精神力、
4.常に、身心が軽快、明朗で、昏冥しない
5.自分を変え、他人を動かし、自分の思うままに環境を作り変える力
6.無限に発達した道徳意識
7.すさまじい爆発的な念力による願望達成力

これらは箇条書きでありながらも、ざっとみるとこのような結構な能力が身につくのか?と
驚きますが、答を先に述べますが、これらは教祖の「願望・妄想・デタラメ」です。
こんな能力などつきませんし指導すら行っておらず、こういう能力を教祖自体も身に着けて
居らず、信者も当然こういう能力を持った人はいません。

これをつまり「看板だけ上等で中身が無い」と私は述べています。

確かに私も先祖供養と因縁解脱から興味に惹かれ入信しましたが、A宗の教義の中でこういう
内容があるわけですから、「単なる信仰だけだと思ったらこういう能力が身につくのか」と
なんだか得をした気分というか随分高度な指導もするのだな、と思ったものでした。
それこそ「超能力ありき」で入信したわけではないけれども、期待をしたというのは事実で
私の知る限りではそういう私と同じ感じの傾向の信者も多かったです。

ですが、教祖は嘘をつくためなら何でもやる人ですから、自己申告をいいことに
「俺はこの能力を修行によって身につけた」と言ってましたね。
なので、君たちにも希望する人にはこの能力を授けるので、欲しい人は頑張って修行をする
ように、ということを常々言ってました。
で、それに興味を惹かれた人はその「能力開発」に期待をし、教団へ貢いで行った、という
わけです。

ところがいつまで経ってもその「能力開発」が行われず、イライラは募る一方。
その最中にあの有名な「オウム真理教」のゴタゴタが起きるわけです。
つまり、A宗では看板だけでかくて何も教えない。
ところがオウムに行けばすぐ教えてくれる、という噂が広まってそちらに関心がある人は
A宗を辞めてオウムに走った人も結構いたようです。

ですが、その後はどうなったかは皆さんご存知の通り、破滅の道です。
結局オウムも偽物だったのです。

確かにこの超能力は魅力的です。本当にそのような能力が身についたら私たちも人生が
変わっていたかもしれませんね。

ですが、そういうことなど未だかつてあったでしょうか?
やはりオカルト的な傾向が好きな人や無知な人を騙すのには最適な手法だったかも知れませんが、
そう通用するものではありません。

またA宗ではチャクラ開発やら少しではありますがヨガなどもあったので、不思議関係が好きな
人にはウケたのもあるでしょう。
オウム真理教は周知の事実ですが、A宗のスタイルを真似て宗教ビジネスを起こしたのです。
宗教はビジネスに成る、と目論んだ麻原の計画が動いた結果がオウム真理教なのです。

確かにA宗はオウムのような破壊行為や殺人行為はしませんでしたが、こと教団内で信者を
食い物にするには充分でした。
現在も僅かながらにも薬物は使わないイニシエーション儀式たる「王者の相承」という儀式を
行っています。(ちなみにその儀式には3万円かかります)

教団内で信者のだけの行為と言っても何も意味が無い行為(儀式)です。
それをありがたがって受けているのです。
今まで騙されて受けた人は相当数います。
これらも皆教団の資金稼ぎに使われています。

釈尊は神通力を持っていたとよく言われます。修行の過程でそういう不思議な力を得たのでしょう。
ですが、釈尊はそういう力を誇示したり伝授といったような行動はしませんでした。
またむしろそういう誇示を弟子がしようものなら、即刻弟子をクビにされたほどです。(教団追放)

釈尊がなぜそういう力を禁止したか?といいますと、仏教の趣旨に関係がないからです。
そういう超能力のようなものを持っていても、仏陀に成る事項に関係が無いからです。
逆に必要な事項であったら、釈尊自身がそういう力を持つ指導をしたはずです。
超能力を持ったところで、それで何をするのか? ちゃんと釈尊は分別がついていたから排除したわけです。
なので、釈尊がそういう力を禁止した。また不要としたのがわかります。

それを「身につくぞ。開発できるぞ」と宣伝した教祖の悪どさがわかるというものです。
ただ、哀しいことに騙されている間は気がつかないのが現状です。

それらのことについて会話されたものがあります。興味のある方はどうぞご覧下さい。

http://jbbs.livedoor.jp/internet/3419/storage/1237845510.html (第42章)

http://jbbs.livedoor.jp/internet/3419/storage/1246830917.html (第43章)

※このアドに飛んで、文章検索で「超能力」とやれば抜粋して見れます。

そこでの記事にもありますように、教祖は主張だけ一人前で中身が何も無い。
なので、この超能力に対してもデタラメだというのがわかります。

この超能力に執着している信者さんは今は少なくなっていますから、おそらく動機に該当する
人は稀だとは思いますが、もしも不思議大好きちゃんだったり、そういうことを語る人だったら
該当するかと思います。
そして、現実的な事項と照らし合わせて目を覚まさせるのです。

未だかつてA宗ではその超能力を得た人は居ません。
それこそ教祖のように自己申告、または錯誤で「俺は能力を開発したんだ」という人が居るのは
有るかと思います。
ですが、仮にそういう能力を開発したのなら常人とは違うはずです。
その能力とやらを実際に見せてもらえばいいのです。
私の知っている限りではそういうことを言っている人で実際に力を見せた人は一人も居ません。
掲示板でも「池田某」という人など若干名が自己申告で「能力者・解脱者になった」ということを
言って居る人が居ますが、文字だけなら誰でも何とでも言いようがあります。
実際に目の前に見せてなんぼ、ですので見せて貰えばよろしいですね。

TVでも最近は手品の上を越えたようなものが流行っていますが、あれもタネが合ってできるもの。
本当にあのようなことが出来るのなら彼らはまさに超能力者です。
サラリーマンのように仕事をしなくても充分人生を謳歌し、生きてゆけます。

そして、彼らは宗教的修行をしたのでしょうか?彼らはA宗信者?でしょうか。
そうやって考えれば、教祖の言うような超能力などただの幻想というのがわかります。

勿論信者にも「超能力?興味ない」と言う人が居まして関心がまったくない、という人が居ます。
そういう人は問題なしですね。
ですが、ひとたび超能力というと目が輝き、元気が出る(笑)人は要注意です。

あと、この超能力も「ご利益」の範疇に入ります。

ですから、釈尊が如何に煩悩を消すためにいらないものを捨てよ、といわれたかがわかります。
欲しい・得たい・執着する・・・まだ他にもありますが、こと宗教に於いて信仰をする際に
捨てよとされる事項です。

ですが、超能力を持つということはこれらに該当します。
その力を持ったところで何をするのか?
皆、願望達成能力であってそれはともすれば煩悩を増加・悪化させ傾向になってしまう。
なので、釈尊は戒めて禁じたわけです。

なのでA宗信者には

1) 実際得られないものを求めてどうするのか
2) 釈尊が禁じた行為をするのか
3) 力を持っているというのなら見せて貰えばいい

これらを指摘し問えばいいでしょう。ただしどの項目もそうですが、聞き分けの無い・思考が
おかしい人には通用しない場合がありますので、そこはお気をつけ下さい。

今日はここまで。