Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/上海浦西(旧市街)

2021-12-29 20:41:29 | 旅行

2001年の記録

 

2001年頃の僕は、カラーリバーサルフィルムとモノクロフィルムを併用していた。今回は、原色の上海旧市街の記録をアップする。

 

 

上海を世界地図で見ると長江河口の港湾都市に見える。実際に長江河口にあるし、黄海に面した海岸もあるが、上海旧市街は、黄浦江の西岸の浦西である。日本へのコンテナ船やフェリーが発着する上海港も、黄浦江にある。上海の象徴にもなっている高層ビルがある新市街は、浦東と呼ばれるが、上海人に言わせると、黄浦江の東岸は、浦東であって、上海ではないと言う。

 

 

上海火車站近くのドヤ街は、道路に対して垂直に伸びた物干し竿に洗濯物がはためく。高度成長期には、日本にも似た雰囲気の街があった。

 

 

ビールの貼紙広告は、肌を露出したお姉さんなのが、日中共通のようだ。写真は、当時の上海でポピュラーだったサントリー、但し、味は完全に中国ナイズされたものだった。

 

 

ドヤ街から長安路を南に歩いたところで、若者が僕に話しかけてきた。「ここで、何してる?」 一瞬、嫌な予感がしたが、杞憂だった。趣味で写真を撮っていると伝えるとと、「じゃぁ、俺のこと写してくれよ」 と彼は仲間にも声を掛けるものの皆、恥ずかしがって、寄って来ない。写真に納まったのは、彼ともう1人。シャッターをきると、彼は満足そうに「元気でな!」と言って、去っていった。

 

 

様々な露店が軒を連ね、賑わっているところにでた。煙をもうもうとあげての路上調理など、今の上海では見られない。(PM2.5が問題になったときに禁止された)

突然、地べたに並べていた商品を仕舞い、屋台がたたまれ、蜘蛛の子を散らすように露天商が消えた。“城管”が来たのだ。“城管”というのは、城市管理行政执法局(環境、 衛生、作業の安全性、公害防止、健康、緑化、産業、商業、環境保護を所管) の職員ことだが、多くは給料の安い臨時職員で、チンピラまがいの者も多く、賄賂をせびることもある。評判の悪い中国の小役人である。

その“城管”が去ると、再び商品が並べられて、何事もなかったような賑いが復活した。

 

 

当時は、上海も冬に暖をとるのは、練炭だった。今でも、北方では日常の風景のはずだ。

カーボーンニュートラルが叫ばれる昨今だが、中国はともかく、途上国にとっては、現実的なプランではない。二酸化炭素をバカバカ輩出して、すでに豊かになった国に「二酸化炭素の排出をやめなさい。気候変動は、(途上国の)皆さんも困るでしょ」と言われても、素直に「Yes」と言えないはずだ。

 

 

【メモ】

2021年最後の日記になると思う。ご愛読ありがとうございました、もちろん2022年も継続しますので、宜しくお願い致します。

では、良いお年を!

 

 

旅は続く



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2 コメント

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Unknown (りくすけ)
2021-12-30 06:58:57
Zhen様へ。

お邪魔します。

やはり「いい」ですね。
人民中国の残像は、移動を伴う旅だけじゃなく、
時間旅行にも出かけられる気がしています。

露店の並ぶドヤ街、国内にもありました。
実際に目にした記憶もありますが、
「巨人の星」や「あしたのジョー」の主人公も
そんな街から身を起こしていました。

給料の安い臨時職員「城管」は、
日本の江戸時代の「岡っ引き」を連想。
彼らも城管と似た境遇で、小遣い稼ぎをしていたそうです。

日中共通のビール広告ビジュアル。
舶来由来の酒に対する感性が似ているのか。
どちらも販社がサントリーだからなのか。
興味がわきますね。
日本なら水着で片手に大ジョッキでしょうが、
中国版はちょっと露出を抑え大人しい印象です。

---とまあ、毎回、こんな具合に楽しませてもらっています。
本年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

先回の投稿では「師走」を実感しているご様子でしたね。
Zhenさんの仕事内容は想像もつきませんが、
足りないものを充足させるのは、何事も至難。
「腕の見せ所」と奮闘するのは、激務とお察しします。
年が変わっても状況はすぐ変わらないのではと考えます。
どうぞ無理をし過ぎず、よいお年をお迎えくださいませ。

では、再見!
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Unknown (Zhen)
2021-12-30 14:21:39
りくすけさんへ

こんにちは

今回の「人民中国の残像」は、2001年ですから20年前、時間旅行ですね。僕自身、感慨深いものがあります。

「あしたのジョー」の泪橋、東京・山谷辺りがモデルなのでしょうか。2001年の中国には、チャイニーズ・ドリームがありましたからね。ただ、スポーツや芸能で・・・という話は、あまり耳にしません。

2001年の中国は、良い意味で日本の影響、模倣があり、日本に追いつけ、といった気概がありました。

僕の記録写真と駄文で、楽しんでいただけることは、ありがたことです。少しつづ時代を進めてアップしていきます。

それでは、1年間ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
大雪が続くかもしれません、ご自愛のほど。

良いお年をお迎えください。
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