Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/はじめての泰安

2023-11-29 22:11:32 | 旅行

2006年の記録

はじめて泰安に出張、土曜日の夕方に泰安に入り、翌日の日曜日に散策した時の記録。

 

 

当時、泰安のそこら中を馬車が走り回っていた訳ではないが、建材の運搬は、専ら馬車が使われていた。

 

 

今と違って、薄暗い上海虹橋空港から済南空港へ。空港には、Iさんが迎えに来てくれて、クルマで高速道路を走ること1時間強、道中の車窓は、カラカラに乾燥した岩山が続いていた。「泰安って、とんでもないところにあるんだな」というのが、正直な感想。

 

中国の五名山の1つ・泰山の麓にある観光都市なので、中国国内では有名な泰安市だが、日本での知名度は、限りなくゼロ。高鐵(中国版新幹線)のなかった当時は、国内線に北京、上海でトランジットして済南経由で行くか、日本でも知名度の高い青島から400キロほど走るか、といったところだった。

 

中国のことを知っている人に、「泰安に工場がある」と話すと、10人中10人から「何で、また(そんな田舎に)」と。中国では、自動車関連企業の独資は認められなかったので、パートナー企業が、泰安にあった、というだけの理由なんだけどね。結果的に20年経った今も、比較的物価が安く、助けられている。

 

 

泰安駅前(現・泰山駅)には、信号機はなく、ロータリーだけがあった。交通量が増えたロータリーは、終日、渋滞が続き、クラクションが鳴りやむことはなかった。

 

 

駅の周辺は、人、人、人・・・・。自転車で牽いてきた屋台の露天商、安楽椅子でタバコをくゆらせる店主、バイクタクシーのドライバー(中国では、今でもポピュラー。ダンデムで、客を乗せる。)、干し葡萄を売るウイグル青年、靴の修理屋(貧しかった中国は、靴をはじめ衣類、家電・・・・と様々な修理屋があった。ちょっとした投資で、一国一城の主になれるのも多くなる理由だ。)。

 

 

駅やバスターミナルの周辺には、必ずドヤ街がある。そこは、猥雑で怪しい空気がながれている。

 

 

子供をあやす男、実は彼、成人保健屋(いわゆる大人のオモチャ屋)。中国では、極めて普通に店を構えている。

 

 

ドヤ街と駅をはさんで反対側、土埃があがるものの、ほんの少しだけ落ちついた街。ガキンチョにも大人にも笑顔がある。

 

 

当時の泰安最大の繁華街・四海広場前。パラソルの露店、焼き芋、干し葡萄・・・・。音が割れるほどの大音量で音楽が、鳴り響く。

 

 

翌年、僕は泰安に赴任することになる。空港に迎えに来てくれたIさんが上司。まさか上司と部下になるとは、Iさんも僕も想像すらしていなかった。

2008年の北京オリンピックに向けて、中国がエネルギーにあふれ、爆速で変化していた。

 

 

【JUST NOW】

次から次へと事件が発生し、ニュースになる。ハマスがイスラエルへ攻撃を開始したのが、10月7日。ロシア・ウクライナ戦争は、その終結の目途も立たない最中にパレスチナの硝煙に霞んでしまった。11月6日から2週間、COP(国連気候変動枠組条約の締約国会議)が、開催されたが、2つの戦争は、何の価値も生まない二酸化炭素をバカスカ発生させている。 「二酸化炭素発生を抑制するための議論より、戦争を停める行動を!」 と叫びたくなる。

 

“平和ボケ”した日本では、隣国・北朝鮮のミサイルだか、人口衛星だかの打ち上げより、ホス狂いのバカ娘の救済がニュースになっている。そりゃぁ、当事者にとっては、“1分の1”の問題だけど、日本の1億人が、どうかなっちまう由々しき隣国の狂気の方が、優先課題じゃないのか。

 

いや、いや、隣国の狂気への杞憂以前にウクライナやパレスチナでは、リアルに人命が失われているのだ。ロシア・ウクライナ戦争終結への日本の積極的関与は、正直なところ、ムリがあると思う。しかし、ハマス・イスラエル戦争終結へ積極的に関与できるポジションに日本はいると思う。両者と利害関係や歴史的な怨恨がなく、国際的な発言権(経済力)があるのは、日本と中国ぐらいだろう。中国は、行動力もあるが、何しろ“下心”が見え見えなので、頂けない。増税メガネと揶揄される岸田政権だが、外交での評価は、悪くないらしい。日本の国際的プレゼンスを上げる絶好のチャンスだと思うんだけどね。

 

 

旅は続く