Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館3日目前編

2024-02-17 22:01:40 | 旅行

2023年の記録

クリスマスイブの朝、昨晩から快晴。ちょっと足を延ばして、トラピスチヌ修道院に行き、復路は函館駅から徒歩でホテルまで散策、夕方には、再び教会に行った3日目の記録。

 

 

官庁建築とは思えない日本離れした強烈なカラーリングの旧函館区公会堂。

 

 

HakoBA Hakodateから八幡坂を登り、日本基督教団函館教会→カトリック元町教会→聖ヨハネ教会→ハリストス正教会→遺愛幼稚園→赤レンガ倉庫群→旧丸井今井百貨店函館支店と散策した。(後編)

 

 

函館駅前でバスを乗り継ぎ、トラピスチヌ修道院に向かう。トラピスチヌ修道院は、函館空港近くなので、スケジュールの効率を考えると最終日の方が良いが、搭乗時刻を気にしながら訪問するのと、天候がどう急変するともわからないので、効率よりも行けるときに行くスタンスを選んだ。

 

トラピスチヌ修道院は、日本初の女子観想修道院として1898年(明治31年)に創立。現在の聖堂は1927年(昭和2年)に再建されたもの。そうなのだ、トラピスチヌ修道院は、宗教施設であって、観光施設ではない。その点を僕自身が、良くわかっていなかったのである。よって“映え”の観点では、片道1時間掛けて行くところか?となる。

 

正直なところ、欲望の塊みたいな僕には、修道女の気持ちを理解することはできない。ただ、ただ、眩しすぎて、遠くから見るのみだ。

 

 

函館駅前に戻り、ちょっと早めの昼食。函館駅前のどんぶり横丁広場は、朝食がメインなので、ちょっと閑散とした空気が漂う。まだ、営業している店に入ったが、結論を書くとハズレだ。価格も味も観光地。帰京後、函館に住んでいたことのある後輩から「あそこが、旨い訳ないですよ。海鮮丼なんて食べずにラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガー食べてください。」とのコメント。

 

 

旧浅野セメント函館営業所は、JR函館駅からほど近い、閑静な緑地帯にある。1918年(大正7年)に浅野セメント函館営業所として建てられ、2004年(平成16年)に当時の姿に復元されて、カフェとして営業していたが、現在は閉店している。

 

 

函館駅前から開港通りをぶらぶら歩き、赤レンガ倉庫群の東端にある明治館へ。昨日も見たが、何度見ても味のある赤レンガ建築。

 

 

赤レンガ倉庫群の中心的な金森洋物館。赤レンガ倉庫が、おしゃれなショッピングモールになっている。重厚さ、歴史観といったものを感じられなくもないが、建物として大切なことは、実用的に活用されていることだと思う。

 

 

赤レンガ倉庫群の南端にあるのが、箱館高田屋嘉兵衛資料館。1903年(明治36年)建造の1号館と、1923年(大正12年)建造の2号館からなる。高田屋造船所の跡地とされる場所で、かつて海産商のコンブ倉庫として利用され、特に1号館は北前船のバラスト(船体を安定させるために搭載していた重石)が用いられている。壁を見ると、バラストであった越前石が積まれた上に漆喰が塗られている。

 

「箱館発展の恩人」と称される高田屋嘉兵衛は、淡路島に生まれ、海運業に従事した後、北前船で財を成し、蝦夷地に進出した。嘉兵衛の蝦夷地進出当時、すでに松前は、近江商人が利権を確保していたため、未開発の函館を拠点とした。その後、国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、私財を投じて箱館の基盤整備事業を実施している。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。晩年は、故郷・淡路島に帰った後も、灌漑用水工事や都志港・塩尾港の整備に寄付をするなど地元のために財を投じている。

 

 

末広町の1階和風、2階洋式板壁の特徴的な家屋をカシャ、カシャと撮影して散策した。はじめて見る建物なのだが、懐かしさを感じる。

 

 

1度ホテルに戻り、休息するものの、ゆっくり休んでいられない。天気の神様は、いつ気が変るか、わからないからね。

 

 

1880年(明治13年)に開拓使の茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使用して建てられた旧金森洋物店は、市立函館博物館郷土資料館として活用されている。開拓使による家屋改築施策の記念物として、北海道指定有形文化財となっている。

 

 

昨日、吹雪の中で見た相馬株式会社社屋、晴天下では、外壁の鮮やかなウグイス色が映える。

 

 

昨日と逆に基坂を上って、元町公園を目指す。

 

 

青のアクセントが美しい旧イギリス領事館であるが、どうも撮影には向いていないのか、良い構図に収められない。僕の撮影技術もまだまだなのだ。

 

 

元町公園に凛と建つ旧北海道庁函館支庁庁舎。官庁舎らしからぬカラーリングが良い。緑の入った水色が、雪景色と青空に映える。

 

 

1度見たら忘れない印象に残るカラーリングの旧函館区公会堂。

 

 

元町公園からは、函館港が一望できる。

 

 

【メモ】

新任地での生活にも慣れてきた。今までのように居宅の目の前がセブンイレブンでもなければ、スーパーマーケットに行くには、峠を越えて片道40分、クルマを走らせなくてはならない。それでも、想像通り住めば都だ。

 

通勤時間は、数分たらずだが、クルマ通勤だと、ブログやメールを見る時間に充てることはできない。通勤時間が短くなった分、ブログやWebマガジンを読む時間が捻出できる筈なのだが、その時間は、どこかに消えてしまっている。何に時間を浪費しているのか、自分でも不思議だ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館2日目後編

2024-02-12 23:48:05 | 旅行

2023年の記録

朝から雪が舞う函館を終日散策、夕方になり雪が止み、青空が広がった2日目の記録。

 

 

青空に映えるカトリック元町教会の尖塔。

 

 

HakoBA Hakodateから八幡坂を登り、日本基督教団函館教会→カトリック元町教会→聖ヨハネ教会→ハリストス正教会→遺愛幼稚園→赤レンガ倉庫群→旧丸井今井百貨店函館支店と散策した。(後編)

 

 

投宿したHakoBA Hakodateのならびにあるハセガワストアで買ったセコマブランドのカップ麺で遅い昼食をシェアキッチンで頂く。食後は、同じくセコマブランドのとよとみミルクコーヒで寛ぐ。

 

ハセガワストアは、北海道渡島地方に展開するローカルコンビニで、北海道のローカルコンビニの雄・セイコーマートと資本提携しているため、セコマブランド品が陳列されている。

ハセガワストアの名物は、やきとり弁当。後から知ったことなのだが、道南地方の焼き鳥は豚肉を用い、単に「焼き鳥」と言うと「豚串」のことを指す。鶏肉で作る場合は「鶏肉の焼き鳥」「とり串」「とり精」などと呼ぶのであった。まさにあとの祭りなのだが、自作の鶏料理(焼き鳥、唐揚げ)に絶対的な自信のある僕は、やきとりと聞いて食べなかったのだが、豚肉の串焼きだったら・・・・・、残念。

 

セイコーマートは、知っている人は知っている北海道のローカルコンビニ(北海道以外は、埼玉県、茨城県に出店あり)で、大手3社(セブン、ファミマ、ローソン)を抑えて顧客満足度No.1を5年連続獲得した日本最古のコンビニである。(セコマ1号店1971年、セブン1974年)

 

セコマ・塩えびラーメンは、ナショナルブランドの約半値の格安。味もまずまず、冷えた身体を温めてくれた。なお、地域限定販売ながら製造所は、埼玉県。セコマブランド・とよとみミルクコーヒは、甘すぎることなく牛乳感がある絶品ながら100円。

 

昼食を終え、外を眺めると、先ほどまでの吹雪が嘘のように青空が広がっている。再びカメラを提げてホテルを出発。

 

 

HakoBA Hakodateから八幡坂を登り、左に曲がって、朝と同じ順路で日本基督教団函館教会へ。

 

 

元町の街なみを構成する一般住宅、懐かしさを感じるような味のある建物だ。

 

 

カトリック元町教会、カソリックの僕は、明日も訪れて、地元の信者さんとともにクリスマスのミサを授かる予定。

 

 

日本聖公会の函館聖ヨハネ教会、特徴的な聖堂は、歴史的建造物ではないが、青空に映える。

 

 

ロシアの風(政治的な意味ではない)が吹く、ハリストス正教会は、雪景色が映える。

 

 

ハリストス正教会に隣接する遺愛幼稚園園舎は、正教会の系列ではなく、日本基督教団函館教会の源流となるアメリカ・メソジスト教会の宣教師M・Cハリス夫妻の「日々学校(Day School)」を系列である。

 

 

八幡坂を一気に下り、函館西波止場の赤レンガ倉庫群に向かった。

商業施設になっているので、少々派手な看板が目立つものの、赤レンガフェチの僕にとっては、見応えがある倉庫群。特に枯れた蔦に覆われた明治館は、ビビッと来た。

 

 

昨日、函館初ショットとなった旧丸井今井百貨店函館支店。ライトアップされた夜間と違って、ディーティルが明らかになった昼間の旧丸井今井百貨店函館支店。

 

 

旧丸井今井百貨店函館支店から市電通りに沿って、HakoBA Hakodateに向かって歩く。元町は、素敵な建築物の宝庫だ。

 

 

【メモ】

久しぶりに行ったチェーン店の床屋、理髪台が10席あるもののカットする理容師は2人。(洗髪、髪染め担当が別に2人) 順番待ちは、20人を超える。これじゃぁ、1時間どころか、何時間待つことになるのか、早々に退散した。以前は、こんなことなかったんだけどね。日本の労働者不足をヒシヒシと感じる。

 

友人たちとのざっくばらんな宴会の話。日常の連絡をすべてLINEに限定している小中学校がある。父母に代わって、高齢の祖父母が、児童生徒の日常の面倒を見ている家庭は、連絡が周知されない、逆に病欠などの連絡ができない、と友人の1人が批判的に話した。娘が教員の友人が、電話などアナログな通信手段を使っていると、教員の時間が奪われ、やるべきことができなくなる実態を反論的に話した。要するに多様化する児童生徒とその環境に対応できる人員、財源が配布されていないのだ。

 

少し前に東京都の高校授業料無償化を批判したメモで書いたことに繋がる。中卒で手に職を付けることで、本人の適正に一致し、安定した就業、社会への貢献となる進路はある。それを高校授業料無償化などやってしまうと、「タダならとりあえず高校進学」といった誤った進路を選択してしまう。

 

高校授業料無償化批判の繰り返しになるが、もっと小中学校に財源を投じ、多様な児童生徒に対応できる体制整備して欲しい。何も、高校進学だけが、幸せな未来に繋がる進路とは思えないんだけどね。高校授業料を無償化しようとしている政治家は、高校に進学したことが、自身にとって絶対的なプラスになっているのだろうが、みんながみんな、そうじゃないってことぐらい、理解できる知能があるはずだと思う。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館2日目中編

2024-02-05 22:58:37 | 旅行

2023年の記録

朝から雪が舞う函館を終日散策、夕方になり雪が止み、青空が広がった2日目の記録。

 

 

国の重要文化財が、ゲストハウスとして活用されている太刀川家住宅店舗。函館では、特別な存在ではなく、歴史的建造物が、活き活きと活用されている。

 

 

基坂中腹にある市営駐車場で、小休止したあと、相馬株式会社社屋→旧函館水上警察署→太刀川家→(旧ロシア領事館)→弥生小学校→旧桂久蔵邸の蔵→函館中華會館と反時計回りに散策してホテルに戻った。(中編)

 

 

止んでいた雪が、再び激しく舞うようになった中、基坂を市電通りまで下ったところにペパーミントグリーンの外観が目を引く相馬株式会社社屋がある。現在でも社屋として機能している1913年(大正2年)建造の伝統的建造物。相馬株式会社は1863年(文久3年)、米穀商として創業した会社で、現在は社有不動産賃貸事業などを営んでいる。

 

 

市電通りに沿って、大町を散策する。観光名所としてリストアップされていないものの趣のある建築物が点在する。

 

 

1926年(大正15年)に函館水上警察署(現在の函館西警察署)として建てられ、1984年(昭和59年)に函館市が建物を引き継ぎ、北海道最古の警察署庁舎として保存。2006年(平成18年)に一旦解体され、外観は建設当時の姿を再現した建物へと生まれ変わり、水産・海洋関連事業の技術の高度化や水産振興に貢献する研究施設・函館市臨海研究所として活用されている。

 

 

太刀川家は、江戸末期から米穀店、漁業、回漕業を営んで財を成した商家で、この住宅兼店舗は、1901年(明治34年)に建てられたもの。レンガ積みの土蔵造りで、洋風アーチを取り入れ、左右に卯建(うだつ。防火用袖壁)がついているのが特徴しなっている。明治40年の大火でも難を免れた防火造りの建物である。内部の梁や柱などの木組、欅の大きな一枚戸なども見事で、明治の商家建築として、1971年(昭和46年)に国指定の重要文化財となった。函館市景観形成指定建築物。

 

カフェ&レストランとして営業していたが、建物の経年劣化の調査とメンテナンス工事を行うため、2018年10月に閉店。2019年6月から、会議、パーティー、展示会、撮影などを対象にした貸スペースとして活用されている。

 

隣の洋館は、1915年(大正4年)に応接専用室として増築されたもので、大正ロマンを感じさせる華やかなデザインが随所に見られる函館市景観形成指定建築物となっている。こ2019年から「太刀川家 洋館ゲストハウス」として、宿泊利用されている。

 

 

吹雪が激しくなり、一旦は休止する気になりホテルへ向かったが、気を取り直して、旧ロシア領事館を目指して散策を続ける。

 

 

旧ロシア領事館に着いたものの改修工事中のため、シートに覆われ、撮影できず。向かいにあった木壁の美しい一般住宅を撮影させていただきホテルへと帰路に舵を切る。

 

 

雪は益々激しくなる。弥生町にあった一般住宅だが、手入れが行き届き美しい。

 

 

弥生小学校校舎は、1934年(昭和9年)の大火後の復興建築として、1938年(昭和13年)に完成。4階建鉄筋コンクリート造、坂の街・函館らしい傾斜のある地形を生かしたデザインで、「景観形成指定建築物」に指定されている。

 

校舎の老朽化のため、2010年(平成22年)に外壁の一部を除いて解体され、2012年(平成24年)に新校舎を建造。旧校舎の北東角、特徴的な曲面仕上げの正面入口の外壁を保存して、道路に面した外観デザインのイメージを継承している。

 

 

蔵の宿「屯所の庵」は、函館元町ホテルが、旧桂久蔵邸の蔵を改修した離れの和室客室である。1909年(明治42年)築の蔵は、函館市の都市景観の形成上重要な価値があると認められる建築物等として『景観形成指定建築物等』に指定されている。

 

函館中華会館は、国内に唯一残る壁に赤レンガを使用し、釘を一本も使わない中国清朝建築様式の建造物である。1910年(明治43年)に中国人の集会場として函館市在住の華僑たちが中心となって資材はもとより設計者や技師も中国から集めて建設された。

登録有形文化財に登録、および函館市指定景観形成建造物。

 

 

蔵の宿「屯所の庵」(函館元町ホテルは、元町ではなく大町にある)、函館中華会館と大町を散策し、再び元町に戻ってきた。元町、そして、函館は、洋と和の融合した街なみが、素晴らしい。

 

 

【メモ】

ブログの更新を2週間も滞らせてしまった。任地との往復やら引越しやらで、というのは、もっともらしい言い訳。フォローしている皆様のブログ拝読も、通勤、移動がクルマになって滞った。

 

函館編が終了するまで、任地を公開しないつもりだったが、ここまで来ると、そうとも言っていられない。新任地は、栃木県日光市とだけご報告させていただく。今後も今まで通り国内外を出張としてフラフラできる仕事なので、ありがたいことだ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館2日目前編

2024-01-20 14:32:01 | 旅行

2023年の記録

朝から雪が舞う函館を終日散策、夕方になり雪が止み、青空が広がった2日目の記録。

 

 

エメラルドグリーンの屋根に白壁の正教会聖堂は、雪景色に最も映えると思うのは、僕だけだろうか。聖堂にカメラを向けていると、吹雪いていた天に一瞬だけ青空が広がった。

 

 

ホテルから八幡坂を登り、日本基督教団函館教会→カトリック元町教会→聖ヨハネ教会→ハリストス正教会→遺愛幼稚園→元町公園→旧英国領事館と時計回りに散策した。(前編)

 

 

投宿したHakoBA Hakodateは、函館港を臨み函館山を背にした八幡坂のふもとに立地する。1932年(昭和7年)に安田銀行函館支店として竣工、その後、富士銀行、HOTEL NEW HAKODATEを経て、現在のHakoBA Hakodateにリニューアルされた。

2つのベッドルームのあるメゾネットタイプからドミトリーまであり多様性に満ちている。ローグレードの客室は、共用シャワー、洗面所となっていて、合理性的でリーズナブル。

僕は4階のシェアキッチンを利用し、コワ―キングスペースで、仕事をするなど、まさに旅×生活を楽しんだ。(レンガ調外壁の建物は、近年増築された建造物である。)

 

 

HakoBA Hakodateから八幡坂を登り、左に曲がったところに日本基督教団函館教会がある。バス通りにあり、鉄筋コンクリート造2階建てで、白い外壁に濃い青色の尖塔屋根のあるゴシック風建築が、ちょっと窮屈に建っている。1931年(昭和6年)竣工、函館市景観形成指定建造物。

 

 

大三坂に出ると美しい板張りの「蕎麦彩彩・久留葉」。メルヘン調に塗られた板張りや洋風建築の一般住宅を眺めながら函館元町教会群(聖ヨハネ教会、カトリック元町教会、ハリストス正教会)を目指す。

 

 

大三坂を登ると右手にカトリック元町教会が視界に入る。初代聖堂は1907年(明治40年)に火災で焼失、1910年(明治43年)に煉瓦造の二代目聖堂が竣工するも、1921年(大正10年)に二代目聖堂も焼失してしまう。しかし、焼け残った煉瓦の外壁を使用して1924年(大正13年)に高さ百尺(33メートル)の尖塔を持つ鐘楼があるゴシック様式の現聖堂が再建された。

 

 

大三坂を登り突きあたったところに日本聖公会の函館聖ヨハネ教会がある。茶色の屋根と外壁の十字架が特徴で、屋根も十字型である。(函館山山頂から十字型の屋根が見られるとか) 現聖堂は、1979年(昭和54年)竣工と新しく歴史的建造物ではないが、十分に美しい。

 

 

カトリック元町教会とも、函館聖ヨハネ教会とも道をはさみ向かい側にあるのが、ハリストス正教会。1860年(万延元年)、初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたが、1907年(明治40年)に函館大火で焼失した。1916年(大正5年)に二代目となる現聖堂が再建された。

建築様式はビザンティン建築・ロシア建築の影響を受けており、煉瓦造一部3階建ての平屋で、基礎は石造り、外壁は白漆喰を塗っている。

1983年(昭和58年)重要文化財指定、2022年(令和4年)大規模修復実施。

 

 

ハリストス正教会に隣接して、板張りの遺愛幼稚園園舎がある。ハリストス正教会に隣接しているが、ハリストス正教会付属ではなく、M・Cハリス夫妻の「日々学校(Day School)」を源流とした遺愛女学校の系列である。初代園舎焼失後、篤志家により1913年(大正2年)木造2階建て構造の現園舎が竣工された。

 

 

遺愛幼稚園から元町公園に向かって歩くと、“もどき”を含め、雰囲気の良い建物がならぶ。(自分の感性に従って、楽しんでいるので、“もどき”か、否かは、あまり関係ない。) カラーの板張りの洋風と純和風が、良い意味で混在しているところが、函館の街なみの魅力だと、僕は思う。

 

 

元町の西端にある元町公園内には、歴史的建造物が3つある。その1つ目が、旧北海道庁函館支庁庁舎である。当初の庁舎が、1907年(明治40年)の大火で焼失、1909年(明治42年)に洋風木造2階建てで竣工した。1991年(平成3年)にも内部を焼損したが、修復整備されている。道指定有形文化財、伝統的建造物。

 

 

元町公園内にひっそり佇んでいるのが、旧開拓使函館支庁書籍庫。次に紹介する旧函館区公会堂の煌びやかさの対極にある地味な建物である。1880年(明治13年)築。1907年(明治40年)の大火でも類焼を免れた。レンガは函館近郊の茂辺地製。北海道指定有形文化財。

 

 

旧函館区公会堂は、明治40年(1907年)の大火の復興として、初代相馬哲平(後編で紹介する相馬株式会社創業者)の寄付により1910年(明治43年)に北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館として建設された。国の重要文化財指定。

見ての通りの日本離れした煌びやかなハデハデな外装である。

 

 

元町公園から基坂を下り、旧英国領事館へ。現在の建物は、大火後の1913年(大正2年)に再建されたもので、1934年(昭和9年)年までイギリス領事館として使用されてた。レンガ造2階建、外装は塗壁仕上げが施され、全体に装飾は少なく、シンプルな意匠である。現在は、開港記念館として一般公開されている。函館市の有形文化財。

 

 

一般住宅であるが、綺麗にリノベーションされている。このような建物が、函館には多く、見ていて気持ちが良い。

 

 

【メモ】

いよいよ、ワラビスタンを離れる日が近づき、引っ越しの準備を始めている。「モノ持ちが良い」というか、捨てられない性格なので、こんな時でしか断捨離ができない。生来の貧乏性で、とにかく捨てられない。例えば、靴下の踵部分が薄くなると、その時点で捨てれば良いものを家履き用に捨てない、やっと穴が開き捨てるかと思いきや靴磨きのウエスにするために取っておく。家にいるより外にいる方が多いし、毎日靴磨きをするほどマメでもないので、ボロ着やガラクタが溢れてしまう。だから使えるか否かではなく、具体的に使う予定があるか否かで、バシバシ捨てることにした。

 

元々、新しもの好き、根なし草志向なので、引っ越しは苦どころか、ワクワクしている。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館1日目

2024-01-13 22:18:13 | 旅行

2023年の記録

クリスマス休暇の4日間を函館で生活した時の記録。

 

 

なぜだか急に雪景色、それも青空ではなく、どんよりとした空から粉雪が舞う光景が見たくなって、クリスマス休暇を利用して、函館に行くことにした。当初の計画は、青森から青函フェリーで函館入りする予定だったが、時間効率を勘案して、函館に3連泊して、のんびりすることにした。結果的には、大正解となった。

 

 

サンタクロースと赤レンガ、そして雪、絶妙な組み合わせだ。

 

 

羽田・函館間は、飛行機利用だと1時間半。学生時代、上野から夜行急行「八甲田」で青森へ、青函連絡船に乗り継ぎ、函館に着く。昼間は、大沼公園を散策し、夜は函館出身の友人と一杯やって、再び夜行列車に乗り、札幌、網走、常呂へと向かった記憶がある。

 

 

フレックス勤務の恩恵で15時に会社から羽田空港へ直行した。友人に倣って、スーツもYシャツも羽田空港のゴミ箱へ捨て、カジュアルに着替えた。17時のフライトまで、余裕のないはずだったが、(多分)日本海側の豪雪影響の機材遅れで、搭乗が45分遅延、バスで機体まで行き、機上で、30分ほど待つことになった。飛行機のことは、良く知らないが、JALにしては、LCCのような貧相なシートにちょっとガッカリ。

 

 

ホテル近くまで、直行するバスがあるはずなのだが、乗り場か見つからず、すぐに発車する函館駅行きのリムジンバスに乗った。JR函館駅前から市電に乗り十字街で下車し、ライトアップされた旧丸井今井百貨店函館支店(函館市地域交流まちづくりセンター)を左手に見て、7~8分ほど雪道を歩きHakoBA函館に投宿した。

 

 

先ずは夕食、周辺には飲食店も少なく、すでに閉店した店も多く、ラッキーピエロ一択となった。

ラッキーピエロは、函館市を中心とした道南地区で展開するハンバーガーショップチェーン。ハンバーガーショップであるが、カレーライス、オムライス、カツ丼・・・・とメニューの幅も広い。なぜか、カレーライスが食べたくなり、カツカレーをチョイス。カレーの評判は、悪くなかったが、僕の評価は、可もなく不可もなし、「自作のカレーの方が旨い」といった傲慢な感想。

 

 

金森(かねもり)赤レンガ倉庫は、金森商船株式会社が管理・運営を行うショッピングモールやビアホール・レストランが入居する観光名所である。地域一帯が、重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産に選定されている。

 

 

【メモ】

元旦に日本人を震撼させた能登半島地震。日本の減退を加速させる災害だ。地震が落ち着けば、復興が始まると思うのは、あまりにも脳天気だ。もちろん、市街地は、復興が始まる。その一方で、“陸の孤島化” した限界集落は、そのまま廃村もあり得る。1日の通行量が、10人未満の橋梁も安全基準に従った架け替え、修復には、億円単位の資金が必要になる。民主的に経済原則に従えば、資金が投じられなくても不思議ではない。

 

日本は、衰退途上国である。GDPが、4位に転落することが確実になった。2022年の1人あたりの名目GDPは、シンガポール(6位)、香港(21位)に抜き去られ、日本(32位)は、もう先進国ではない。

 

 

旅は続く