大聖寺実業高校 学校日記

石川県立大聖寺実業高等学校の学校行事や学習活動等についてお伝えしています。

調べてみました。「清五郎八人衆」(2)

2014年11月04日 | その他

新潟市のデンカビッグスワンスタジアム」は、

鳥屋野潟スポーツ公園内にあります。

この大きな公園の入口のひとつ清五郎口から少し入ったところに、

次のような変わったモニュメントが立っています。

 

そしてその傍らには「清五郎地区の伝承」という

記念碑が建立されています。

「この集落は、寛永十七年(一六四〇)に、八人の農民により拓かれた。

新発田に移封された領主 溝口氏の新田開発に夢を託し、加賀の国大聖寺三谷村

細坪を後にした八人は、村の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に到り

開墾を始めた。しばらくして仲間のひとり清五郎が病に倒れた。

薬を富山まで求め親身に看病したが、ついに帰らぬ人となる。皆は夢半ばにして

世を去った友を偲び、彼が愛したこの地を『清五郎』と呼ぶことにした。

開墾の苦労は想像を超えていた。鳥屋野潟の水も幾度となく押し寄せる。

それでも先人達は助け合い、人力で堤防を築き『清五郎』を守り抜いた。

石碑の建つ場所は、その堤防の名残である。石碑の隣の松は、清五郎川川口の

目印に植えられ『一本松』と呼ばれた。芦が囲う潟を霧が覆えば、船は方向を失う。

かすかに見えるこの松を頼りに、救われた人は多い。舟人が家路を急ぐ頃、

佐渡の端に沈む夕日は水面に映えて、満目の水郷は武陵桃源の趣を見せていた。

この情景は明治の漢詩に、鳥屋野潟八景の一つ『清里の夕照』と謳われた。

我々は、この地を見守り続けた堤防と『一本松』を保存し、先人の努力を称えると共に、

助け合いの精神が、いつまでも受け継がれることを願い、歴史の一端を石碑に記した。

平成十九年五月 清五郎地区 一本松保存会 
財団法人 亀田郷地域センター」

私たちが住む加賀市から遠く離れた新潟に、故郷の歴史を知る証があったのです。


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