ひな菊の丘から

故人を懷う会

丹後フェスに参加した翌日から高熱を出し、その後も咳と食欲不振でずっと体調が悪かったので、5月7日の千日前京都ホンキーライブ、11日の大阪ブルーグラスナイト、14~15日の宝塚春フェス、と欠席が続きましたが、平日の夜、ひとつだけ参加した催しがありました。

本来なら、長いこと一緒にバンドをやっていた相方が参加すべきだし、事実そのつもりだったのですが、仕事の関係で急遽いけないことになり、彼が行くなら遠慮してもいいかな、と思っていた私が代理出席せざるを得なかった・・・いや、違うな。私は行きたかったのだと思います。自分の体調が悪くても。




壱服庵のT本さんは、ミュージシャンとして多分一番最後まで彼とお付き合いされた方だと思います。3年前だったかな、には多治見フェスにデュオで出演されました。そのT本さんの企画でこの夜は皆が集まりました。前の週には、神戸元町のシルクロードで追悼ジャム会も開催されました。



献花が始まりました。



遺影の前のお花も、献花のガーベラも、華やかなものが好きだった故人を思って。



30年くらい一緒にバンドをやっていた谷五郎さんも、忙しいスケジュールを縫って参加されました。


参加者が順番に思い出を語っていきます。オッピドムのI冨さん



谷五郎さん、この後、バンド練習に出かけていかれました。



東京からわざわざ来られたJINさんも、昔の話をしてくださいました。



Lさん



H井さん



僕は皆さんと違って、別の側面を知ってます、と同じ会社にお勤めだったI平さん。



アクション付きで話されたK野さん



写真がブレて使えなかったのですが、もうひとり、東京からJ郎さんが来てくださって、彼も関西にライブに来られる時はいつもT川さんがベースでしたね。

最後にみんなで一緒にお別れに歌を歌って解散、でした。



忘れてたけど、ちょっとだけ同じバンドにいたことがあります。フェス用バンドでしたけど、練習もしたことがあったんじゃないかな?『ランチと小』という、サックスが3本入ったブルーブラス?ユニットです。私はコーラスガールでした。



残っている者のエゴなのかもしれないけど、ちゃんとさよならを言えてない、ということがずっと心に引っかかっていたので、私も心の中でお別れを言わせてもらいました。お花はしばらく我が家のリビングを飾って、密やかにフェイドアウトしていきました。

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