PA席では、音の狩人たちによるサウンドチェックが行われています。
外に出てみました。車の数はちょっと減ってます、
めーっちゃ晴れてるやん。日陰はないし、どこで音合わせしよう。
実は、日曜のプログラムに空きがあるので、出ませんか、と夜に声かけてもらったので、15分演奏することになりました。学生さんが練習している横で、うるさかったかも、だけどやらせてもらいます。
ここで、ヨーコSUNのうたが聴ける、と思っていたので、一番好きな曲は彼女に敬意を表して外していたのですが、エントリーもしていない、とおっしゃる。実は前夜、オートハープの伴奏で歌っていただいて、コーラスも付けさせてもらいました。でも、どなたも歌われないなら、ステージで歌いたい。そうだ、yoshimiちゃんにハモ付けてもらおう。色々やってみたのですが、私がテナーを付けてリードパートは彼女に歌ってもらう、と言う形に落ち着きました。と言っても不安材料は山積みでしたが。
室内に入りました。1回生の初々しい演奏が繰り広げられていました。
Forest Maccoさん、弾き語りの雰囲気から、滋賀のあんくるさんを思い出していました。
ナベちゃんの寄せナベJAM。左端のフィドラーY川さんと右端のドブロの学生さんの年齢差は50歳あるそうです。
R&M 先ほど外で練習していた学生さんですね。
次がデイジーヒルにいただいた15分。北海道で吉本新喜劇のテーマソングやっても受けへんか、って思ったけど、最前列でMかちゃんがウケてくれたので嬉しかったです。
最後に思いを込めてWest Virginia,My Homeを。1985年、来日したHazel Dickensは、宝塚フェス、東京公演、と北海道池田町のフェスでもたっぷり演奏して帰国されました。(ごめんなさい、他にも行かれましたっけ?もう30年以上前の話なんで記憶がうすらまだらで。)
関西に滞在中、私は京都観光と奈良観光にくっついて行って、言葉がわからないながらも、夢のような時間を過ごしました。宝塚では一緒のステージに上がる機会を貰ったし、当時のバンド(ホワイトシスターズ)の出番の時は、最前列でにこにこ聴いてくださっていました。
彼女が亡くなった時、自室に池田町フェスの大きなポスターが飾ってあった、という話を聞いて涙が出たのを今も覚えています。色んな場所に行かれたでしょうに、それだけ北海道の印象がすばらしく良かったのでしょうね。この話を、STOVEのN原さんは「北海道民の誇りです。」とおっしゃってました。当時のことをよくご存じの、フェス参加者の皆さんの前で、この曲を歌える幸せをかみしめながら、でも実は自分のふだん歌うキーのままでテナーを付けたので、声が出るかどうか、失敗しないかドキドキしながらの数分間でした。
たくさん拍手をいただきましたが、その拍手はHazelへの賞讃だったと思っています。
続いてやぎたこ、その後ツンデレとデュオが続きます。自分の出番の前に緊張するコーラス頼んでごめんなさい、yoshimiちゃん。
Horse Bone Brothers
フェスの大トリはスタッフバンドの旭川キンペンズ、本当にありがとうございました。
盗撮中
主催者のご挨拶の後は
恒例らしいです、記念撮影の準備。
集合写真を撮ったら会場ともさようなら、終わり間際に声をかけてくださったのは、扇町ボンバーズI嵐さんの奥さま。娘(ニセ)のお母さん(本物)と若い頃からの仲良しです、と。しばらくお喋りして、記念撮影もしてお別れしました。またきっとお会いできますように。
すばらしいフェスでした。会場も素敵、主催者スタッフの皆さんのホスピタリティもすてき、お客さまの温かさもじわ~んとしみてきます。宝くじが当たるのが先か、こつこつ貯金がたまるのが先か、いつかきっと戻ってきますね。
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