前略 木村拓哉さんへ

2016-12-31 06:44:18 | 思ったこと。


あなたはラジオ番組名を変え、SMAPの名前を外すべきです。絶対に。

SMAPが日本のスーパースターとして君臨し続けた最大の魅力は、和の精神です。

不祥事を起こし、迷惑をかけたとしても、決して見捨てず、俺たちはベストフレンドだと、迎え入れる姿勢。
メンバーの系統はそれぞれ違い、個々で活動しているのに、それでも5人がSMAPとして、ライブや特番で結束している姿勢。
そういった姿勢の中に、人は和の精神を見ています。
だれが正しい、誰が偉いではなく、みんな違ってみんないい。それがSMAPが伝えて来たメッセージのはずです。

にも関わらず、あなたは、SMAP解散後も一人だけ、番組名に、SMAPを残すといいます。
ジャニーズ組織内で、あなたの選択だけ正しかったかもしれません。
もしかしたら、あなたの選択が唯一SMAPを継続させる方法だったのかもしれません。

しかし重要なのは、正しさではありません。
過ちに対しても、同じ歩調で歩もうとするSMAPが魅力だったのですから、解散という結果が残された今、1人正しさを主張する行動は、ファンに違和感と、反感しか抱かせません。得は一つもないはずです。

あなたも、SMAPの名前を外すべきです。絶対に。
草々

俺なりのワンピース

2016-12-18 17:56:24 | 読んだ本について
ワンピースの最高傑作は、ウソップ編。

4巻らへんの。
モチーフはイソップ寓話、オオカミ少年。
テーマは「嘘」

親はよく、子どもに嘘をついたらいけないって、教える。

でも本当に嘘はすべていけないことなのか?
読者に、作者が突きつけてくる。

ウソップの嘘は誰も傷つけない。

海賊が、来たぞ!と毎朝つく嘘は退屈な村に刺激を与えてる。
カヤにつく嘘は、病気をはげますため。

しかし、嘘つきであったがゆえに、本当に海賊がくること、そして執事が海賊であることを、村人にも、カヤにも信じてもらえない。

その後のウソップの決断がこの物語の肝だ。
ウソップは、村人たちに正直者として、伝え続けることでなく、
自分が海賊を追い払うことで、自分の発言を嘘にしてしまうことを選ぶ。
それが、嘘つきとして生き続けてきた、自分が通すべき筋だと信じている。

筋を通すということは、ワンピースの大きなテーマだ。
自分が不利な立場に置かれるとわかっていても、自分が取ってきた行動に胸をはって生きること。誇りを持って生きることの大切さを訴えている。

ワンピースは、ウソップ編に限らず、同様のテーマを基に話を展開している場合が多い(むしろワンピースのテーマと言っても良いかもしれない)が、その中でもウソップ編が、特に際立つのは、ウソップが弱いからだ。
特殊な能力や技術を持たない、ただの村人であるウソップの決断だからこそ、その勇気がより読者に伝わる。

海賊への怖さで、足が震え、
ルフィと、ゾロに笑いたきゃ笑えと言うウソップ。
誰も笑っちゃいねえだろ、立派だと思うから手を貸すんだ。
というゾロ。
同情なんかで命かけるか
というルフィの発言が、ウソップの勇気をさらに際立たせている。
名言。しびれる。


作者が思い描く「海賊」とは、打算でなく、自分の夢や、信念を貫くために生きている人のこと。自由には責任が伴う。だから、その責任を取るために、筋を通せるのかどうかってことはとても大切なこと。

対するキャプテンクロは、ただ自分を守るため、海賊だった自分を隠すために、身代わりを使って海軍に嘘をつき、素性を隠して、村人に嘘をつく。

だから、いくら頭がよく、強くても、ルフィはクロを海賊として認めていない。

ルフィは、ウソップが、ボコボコにされ、ダサいポーズで、動けなくなっている状態で、ウソップの方が海賊として上だという発言をしている。

生きる上で大切なことは、知や、力よりも、筋だというメッセージ。

村を救ってヒーローになれるはずのウソップは、自分の活躍すらなかったことにして、嘘つきとしての筋を通し続ける。

一方カヤは、海賊になるため村を出るウソップを見送る際に、寂しくない、と嘘をつく。
嘘を通して励まし続けてくれたウソップに、寂しくないと強がり、送り出してやること=嘘つくことが、最大の礼儀だから。
嘘がつなぐ二人の絆。

そして、ウソップが言い続けた海賊が来るぞ!
という発言も、元をたどると死に行く母を励ますため、そして、自分を迎えに来て欲しいという、悲しき願いであったことを執事の羊がネタバラシ。

わずか1〜2巻で完結するウソップ編。
嘘をテーマに描かれる、その短いストーリーの中に、他人を思いやる気持ちや、筋を通すことの大切さが詰まっている。

さらに言えば、ウソップ海賊団が、ウソップの、ごっこから、本物の海賊になるという人間的成長を描くツールとして機能していることも、物語に深みを出している。

ウソップ編、間違いなくワンピース最高傑作です。



俺なりのH2。

2016-12-12 22:36:38 | 読んだ本について
ひかりは、比呂のことを好きな気持ちが、男としてなのか、家族を思うような気持ちなのか、自分でもわかってない。

比呂との関係性が特別すぎるし、思春期だから。

ひかりは、家族的意味で比呂が好き。

比呂は、ひかりが女性として好き。
だけど、成長期が遅れてたから、英雄と、戦うことができなかった。
というか、正確には戦って負けるという結論をだすことができなかった。

けじめがないまま。宙ぶらりんの思いを抱えたまま。

英雄は、試合を通して、ひかりと比呂と自分の関係にけじめをつけたかった。
だけど、ルールを間違えていた。
英雄は、勝ったほうがひかりと付き合えると信じてた。

でも、比呂は試合に勝ったところで、ひかりの自分への思いはあくまで、家族的なものだから、付き合えないことはわかってる。

試合に勝ったところで、英雄に負けるという結論を出すにすぎない。

それでも、比呂は、全力で、勝ちに行く。
英雄の間違いを証明するには、自分が勝つしかない。
どっちみち、ひかりの答えは英雄だけど、それは試合に勝ったこと=強いってことが理由だからじゃないって教えるためには、自分が勝つしかない。
あえて、ひかりが大好きだって、挑発混じりに明言することで、全力で立ち向かって来るであろう、英雄に。

かわす野球をしてでも、勝ちにこだわる比呂の姿勢により、正々堂々の勝負にこだわる英雄がクローズアップされる。
比呂がランナーだったあとは、靴ひも結んで時間稼ぎしたり、塁に出して疲れさせたらいいのにファインプレーで阻止したり。

悪役に見える比呂の振る舞いによって、対比が生まれ、ひかりは、英雄を好きになった理由に気付かされる。=まっすぐさ。

英雄に勝つことで、比呂の目的は達成される。
だから、本来、最後の投球も、スライダーでいい。
確実にうちとれるから。
だけど、曲がらなかった。
ものすごい速球は、ひかりへの想いの強さ。
だから、もう投げられないくらい速いってことは、そんなに人を好きになることはないってくらい強い気持ちであったことを表してる。
そして、なぜか曲がらなかったのは、甲子園があくまで、プロでない、高校生の闘いの舞台であるから。甲子園は作者にとって、青春の象徴。
最後まで勝利に徹しきれない比呂の甘さや、ひかりへの思いのつよさ。
青春を象徴する舞台で最後が変化球という展開は許されないだろうという、作者の思いや、読者の心理。そういったものがいりまじって、
誰かに投げさせられた。
という表現になったのだ。

最後の打席、比呂に迷いはある。なぜなら、負けはすっきりするから。
野球の負け=だからひかりとも付き合えないんだ、と思えた方がみじめでなくてよい。
だけど、けじめをつけるため、運命がそれを許さない。どうしたって、比呂が勝って、恋に破れなければいけない。
投げさせられた誰かには、ひかりのお母さんも入っている。
ひかり母は、かつて、比呂に負けを認めることですっきりしようとしてない?と問いかけている。

そして、奇しくも、スライダーでなく、ストレートで三振を取られたことにより、
英雄は、まっすぐを信じきれなかった自分と、まっすぐで三振をとった比呂への完全な敗北を思い知らされる。
これまで体験したことのない、敗北=弱さが、自分にはひかりが必要だと再認識させるきっかけになる。

比呂が、自分のスタイルを捨てて戦うことで、ひかりの英雄の思いを。
三振に取ることで、英雄のひかりへの思いを気づかせたのだ。

比呂の勝利は、比呂の初恋の終わりを意味する。だから、最後に泣いていた。ひかりは比呂の自分への思いを感じ泣いている。


新・リーダー論 大格差時代のインテリジェンス 池上彰 佐藤優

2016-12-11 14:41:02 | 読んだ本について
2独裁者たちのリーダー論

1/3 プーチン
スポーツ組という、ロシア最大マフィアを持っている。
しかし、メンタリティは、KGBの中堅職員。
ロシアはこれまで、国際法の濫用者であったが、プーチンは法を頭から無視してしまう。

新自由主義という、乱暴な世界は、嵐坊なリーダーを生み出してしまう。

2/3 エルドアン
イスラム原理主義の方向へ持っていこうとしている。
国民は世俗主義=政教分離を望んでいる
中東の安定を臨むロシアはエルドアン支持。
アメリカもIS掃討に、トルコの協力が不可欠であるため、エルドアンを無視はできない。
中長期的に見ると、世俗主義、イスラム急進派どちらからも責められる可能性あり。つまり、急進化する恐れあり。

3/3 金正恩
日本には、理解不能に見えるが、暴力だけで70年も政治体制が維持されるものでない。
イデオロギーの根幹には、キリスト教的なものがある。